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第552話

Author: 風羽
澄佳がカフェで待っていたが、五時になっても翔雅は現れなかった。

彼女は見切りをつけ、そのまま店を出た。

ところが、地下駐車場で思いがけない光景に遭遇する。

男はほかでもない、翔雅だった。

彼は女にしつこく抱きつかれており、泣き濡れた顔が背中に押しつけられている。だが翔雅の表情には、一片の同情もなく、むしろうんざりした色が濃かった。

澄佳は心の中で少し溜飲を下げた。

——覗くつもりじゃなかったけど……面白いものが目の前に転がり込んできたわ。

女を見間違うはずもない——香坂詩織。芸能界のトップ女優だ。

かつて翔雅と交際していたのは公然の事実。

二年も前に別れたはずなのに、今さら復縁を迫っているらしい。

だが不思議ではない。女優にとって究極の夢は、財閥への嫁入り。翔雅ほどの財力と容姿を兼ね備えた男を、簡単に諦められるはずがない。

——笑わせるわね。彼だって女優を囲ってるじゃない。

澄佳は腕を組み、気楽に観客席を決め込んだ。

——見なきゃ損、ってところね。

女は泣きすがり、縋るように翔雅の胸に顔を埋めている。

翔雅は苛立ちを隠さず、ふいに振り向いた。

そこに映ったのは、幸せそうに面白がっている澄佳の顔。

黒い瞳が深く揺れ、翔雅は唐突に香坂へ告げた。

「俺には彼女がいる」

香坂は信じなかった。

自分以降、彼に釣り合う女はいない——そう確信していたからだ。翔雅は外見重視、好みでなければ決して目を向けない男なのだ。

翔雅は指先で澄佳を示す。

「俺の彼女だ」

香坂は一瞬呆然とし、視線を移す。そこに立っていたのは、高級車の傍らの澄佳。

星耀エンターテインメントの社長にして、周防家の箱入り娘。

「まさか……」

香坂の顔に動揺が走る。

信じられなかった。翔雅が好むのは、美しく、そして従順な女だけ。

澄佳のように気の強い女を、彼が受け入れるはずがない——そう思っていた。

だが、翔雅は女を押しのけ、そのまま澄佳の前に歩み寄った。

だが翔雅は女を押しのけ、そのまま澄佳の前に歩み寄る。

そして指先で顎を持ち上げた。

澄佳の警戒心が一気に高まる。

「一ノ瀬さん、今度は何をしでかすつもり?」

「何をそんなに楽しそうに眺めてる?いっそ、お前も混ざるか?」

次の瞬間、彼の顔が近づき、深い口づけが落とされた。

濡れた熱が唇から顎、そし
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