Share

第3話

Author: 桜吹雪
幼馴染の竹内透(たけうち とおる)だった。

少し考えてみれば分かることだ。ノックしたのは、和哉のはずがない。

この家で7年も暮らしていたのだ、当然鍵を持っている。

それに――ずっと想い続けていた愛莉が帰国したのだ。そんな和哉が、私に未練を残して帰ってくるわけがない。

また私は、自分に都合のいい夢を見ていただけだった。

私は、ドアの向こうの透を無視した。

すると、スマホが鳴り出す。透からの電話だった。

そういえば、さっきマナーモードにするのを忘れていた。

電話が鳴ったことで、私が中にいると分かったのだろう。

ドンドン――

ドアを叩く音が、さらに激しくなる。

「愛!いい加減開けろ!開けないなら、鍵を壊すぞ!」

私は思わず呆れた。

――いかにも透がやりそうなことだ。

昔から短気で、考えるより先に身体が動く。

そして、身体だけは無駄に頑丈で、頭の中は単純。

学生の頃から、いわゆる学校の番長みたいな存在だった。

短気で無鉄砲。

そんな幼なじみなのだ。

ドアが丈夫じゃなければ、とっくに蹴破っているかもしれない。

仕方なく、私は重い身体を起こして玄関へ向かった。

鍵を開けた途端、透が勢いよく中へ飛び込んできた。その大きな手が私の肩を掴み、目には、怒りの炎が燃えている。

「和哉がSNSに載せてた写真だけど、あれはどういうことだ?」

私は力なく笑った。

「……写真って?」

「は?」透が目を見開く。「和哉と岩崎愛莉が、恋人の聖地って言われてるあの山頂でキスしてる写真だ。見てないのか?」

私は首を横に振った。声が、自分でも驚くほど弱々しかった。

「……見てない。和哉に、とっくにブロックされてると思うから」

透は一瞬、言葉を失った。まるで信じられないという顔で、私のスマホをひったくる。

和哉のプロフィールを開くと、そこに「投稿がありません」とだけ表示された。

透の顔が、一気に険しくなる。

怒りに任せて、私のスマホを床へ叩きつけた。

画面が一瞬で蜘蛛の巣のようにひび割れる。

私は、そんな透をぼんやりと見つめていた。もう、怒る気力すら残っていなかった。

透は、呆れ果てたように私を見た。

「この1ヶ月、和哉は毎日SNSに惚気話をのせてたんだぞ。俺はてっきり、お前たちが幸せにやってるんだと思ってた。まさか全部、あの女に見せるためだったとはな!」

透は私を睨みつける。「和哉が浮気してるっていうのに、お前、それでも黙って耐えるのか?」

私は力なく頷いた。「……もう、どうでもいいよ。私たち、離婚するから」

その言葉を聞いて、透はようやくテーブルの上に置かれた離婚協議書に気づいた。

大股で歩み寄り、それを手に取る。

ざっと目を通した途端、透の顔色が変わった。

「愛、お前……本気でどうかしてるぞ!」

離婚協議書を握りしめたまま、透は声を荒らげる。

「和哉のために家族とまで揉めて、勘当同然になって、金も援助も全部なくなっただろ?それでも自分で這い上がって、空海市でも指折りのギャラリーを作った。それだけじゃない。お前は自分の人脈を全部使って、あいつを今の地位まで押し上げたんだぞ!お前がいなかったら、あんなやつが何をもって『注目の若手画家』なんて呼ばれてたんだよ!

それなのに、あいつはよくもまあ、絵を1枚だけ残して『償い』だなんて言えたな。お前の力がなきゃ、あいつの絵なんて金になるどころか、ただの紙切れになってたんだぞ!」

そう言って、和哉が残していった『償い』を手に取ると、床へ放り投げ、そのまま靴で踏みつけた。

「透、やめて!」私は思わず声を上げた。

透は信じられないという顔で私を見る。「何を言ってるんだ?あいつが何をしたのか、まだ分からないのか?浮気して、お前を傷つけたんだぞ!俺はお前のために怒ってるのに、『やめろ』って言うのか?

愛、お前、昔から何をやらせても一番だった。なのに……和哉と付き合い始めてから、誇りも、尊厳も全部捨てたのか?」

私は、もう言い返す気力もなかった。「……透。もう帰って。今は、一人にしてほしい」

透はそれでも納得できないのか、やがて吐き捨てるように言う。

「あいつ、お前を利用するだけ利用して、金も名声も手に入れたと思えば、何食わぬ顔で出ていったんだぞ。それでも……何もしないのか?」

私は答えなかった。

和哉の冷たい態度と、愛莉に向ける惜しみない優しさ。その差を思い浮かべた瞬間、耳の奥で何かがざわざわと鳴った。

自分の声さえ、どこか遠くから聞こえてくるようだ。

「……和哉が好きなのは、最初から私じゃなかった。そんな彼を無理やり引き止めても、意味がない。もう、好きにすればいい」

透は複雑そうな目で、しばらく私を見つめていた。そして、諦めたように肩を落とす。

「……恋愛体質の人って、ほんとどうしようもないな。もういい。俺は知らん」

そう言い残して、透は部屋を出ていった。

透が帰ったあと、私は床に落ちた『償い』を拾い上げた。

ティッシュを手に取り、絵についてしまった靴跡を、丁寧に拭っていく。

画面に描かれているのは、湖畔に立つ1人の少女。

白いワンピースを着ている彼女は、どこか冷たく、孤独な雰囲気をまといながら、それでも決して折れない芯の強さが滲んでいる。

――これが、本当の私だ。

男の庇護欲を掻き立てるような、儚い存在などではない。

目を閉じる。部屋の中に残る、和哉の気配を探す。

けれど、感じれば感じるほど、胸が締めつけられた。まるで巨大な岩に心臓ごと押し潰されるようで、息ができない。

10年かけて愛してきた人が、結局は別の女性を選んで、私のもとを去っていった。

腹の奥が、突然きりきりと痛み始めた。けれど、スマホを手に取る力さえ残っておらず、救急車を呼ぶことすらできなかった。

視界がゆっくりと暗くなっていく。

そのまま、私は意識を失った。

……

次に目を開けたとき、私は病院のベッドにいた。傍らにいたのは、入社してまだ1年あまりの新人アシスタント――田中沙耶香(たなか さやか)だった。

彼女の目は真っ赤に腫れている。泣いていたのだろう。

私が目を覚ましたことに気づくと、沙耶香は慌てて水を口元へ運んでくれた。

「……どうして、ここにいるの?」

私は掠れた声で尋ねた。

私は自宅で一人、倒れたはずだった。誰かに助けを求めた覚えもない。

今日は休みを取ってある。それなのに、どうして沙耶香が私の倒れたことを知っているのだろう。

「私……その、ネットでいろいろ噂になってるのを見て、心配になって……それで、マンションまで様子を見に行ったんです。でも、何度ノックしても愛さんが出てこないから……それで、警察に連絡しました」

「……そうだったの」

ようやく事情が分かった。

たった1年ほどしか一緒に働いていない沙耶香でさえ、私のことを心配してくれた。

それなのに――

10年間、愛し続けた和哉は、私が生きているかどうかさえ気に留めず、少しの迷いもなく私を捨てていった。

私は、力なく笑った。

……本当に、馬鹿だった。

沙耶香から事情を聞くまで、私はまだどこかで、子どもじみた期待を捨てきれずにいた。

もしかしたら――和哉が沙耶香に連絡して、私の様子を見に行くよう頼んだのではないか。

けれど、それはただの思い込みだった。

水を飲み終えると、沙耶香はコップを置き、頬を膨らませた。

「愛さん、和哉さん、本当にひどすぎます!あんな人、絶対に許しちゃ駄目です!」

私は、沙耶香が何を言いたいのか分かっていた。

和哉が今の地位を築けたのは、私が持っていた人脈や仕事上の繋がりがあったからだ。この業界での私の立場は、若手画家として注目され始めたばかりの和哉より、ずっと安定している。

和哉が愛莉との写真をSNSにあげたのは、私に離婚を切り出した後だった。

妻と円満に別れ、その後、かつての恋人と再会し、再び結ばれた――そんな筋書きにしたかったのだろう。

けれど、もし私が和哉の浮気を公にすれば、話が変わる。

既婚者でありながら愛莉と関係を持っていた事実を明かせば、彼の評判は一気に地に落ちる。これまで築いてきた名声だって、失うことになるだろう。

それでも、私は首を横に振った。

10年間、好きだった人だ。こんな醜い終わり方にはしたくない。

それに――

和哉は、愛莉を愛しているということを、隠したわけではない。

ただ、私が勝手に期待していただけ。

私が報復するつもりがないと分かると、沙耶香は悔しそうに唇を噛んだ。

けれど、すぐに気持ちを切り替えるように言った。

「先生は、もう大丈夫だって。ちょっと強いショックを受けただけだから、しばらく休めば回復するって言ってました。

それから、ずっと何も食べてなかったから低血糖もあったみたいです。私、何か食べるもの買ってきますね」

そう言って、沙耶香は立ち上がった。

一人になると、どうにも落ち着かなかった。ベッドに横になっているのも嫌になり、私は少し歩こうと病室を出た。

そして――

廊下へ出たところで、思いがけない人の姿が目に入った。

和哉と、彼に身体を支えられながら歩く愛莉。

2人は連れ立って、診察室へ向かっていた。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 私が死んだ日、夫は初恋を手にかけた   第19話

    透と付き合って、私が最初にしたことは――彼を塾へ送り、もう一度大学受験をさせることだった。空いた時間には、私が透の勉強を見た。恋の力というものは、案外侮れない。透は驚くほど真面目に勉強した。そして、私もすぐに気づいた。――透は、決して頭が悪いわけじゃない。むしろ、知識を吸収する速さは人並み外れていた。その学習能力は、普通の生徒の何倍もあるんじゃないかと思うほどだった。私が付きっきりで教えたこともあって、透の成績はみるみる伸びていった。先生も目を丸くしていた。「このままもう少し頑張れば、難関大学も十分狙えるぞ。A大学だって、夢じゃない」けれど、透の目標は最初から決まっていた。「俺はA大学に行く。大学では飛び級して、できるだけ早く卒業する」透は私より1つ年上。小学校に入学したとき、私と同じ学年になるために1年留年したことを、本人は今でも人生最大の汚点だと思っているらしい。だから大学では、飛び級してその遅れを取り戻す。そして――彼は本当にやってのけた。けれど、前世で大学の授業をほとんど修了していた私は、二度目の人生でもその知識を失っていなかった。透が飛び級で大学3年に進級した頃には、私はすでに必要な課程をすべて終え、卒業証書まで手にしていた。結局、どれだけ頑張っても、透は私の後輩だった。「愛ってほんと卑怯だな!」透は本気で悔しがっていた。その一方で、私は早いうちから母に頼んで、実家からギャラリーを譲り受けた。前世で培った経験を、今度は最初からギャラリーの経営に生かす。その結果、わずか1年で、前世なら3年かけてようやく辿り着いたところまで事業を成長させることができた。大学を卒業する頃には――私はすでに、誰もが羨むほどの資産を築いていた。そして、そんな私が最後に選んだのは――名家の跡取りとなった透と結婚することだった。私の結婚式で、花嫁姿の私の隣に立ってくれたのは、もちろん綾香。式の途中、私はふと同級生たちの話し声を耳にした。「そういえば、昔のA大学のミスコンで話題になった岩崎愛莉と、芸術学部の立花和哉のこと、知ってる?」「何それ。詳しく聞かせてよ」「愛莉は金持ちの男について海外に行ったらしいけど、向こうで騙されて、金も貢がされたうえにひどい目に遭ったみたい。今じゃ、いかがわしい仕

  • 私が死んだ日、夫は初恋を手にかけた   第18話

    私は、もう死んでいる。それなのに、透は冥婚の儀式までして私と夫婦になった。家族の反対も一切聞かず、私の位牌を竹内家の仏壇に置いた。「生きてるうちに愛の隣にいられなかったから、せめて死んだ後は一緒にいたい」そう言って、私の両親にも約束した。「これからもずっと、俺にとっては大切なお義母さんとお義父さんです。俺が一生、2人を大切にします」両親は、もう亡くなった私にいつまでも縋るなと透を諭した。けれど、透は聞く耳を持たなかった。民間に伝わる方法をあちこち探し回り、お寺や神社を訪ね、なんとかして「あの世」に渡る手段を探した。もう一度私に会うために。けれど、どれだけ試しても、私に会うことはできなかった。やがて透は、善行を積めば願いが叶うという話を聞いた。それからの彼は、自分の時間のほとんどを慈善活動に費やすようになった。不思議なことに、私の位牌が竹内家の仏壇に置かれてから、魂の力は少しずつ弱まっていった。記憶も、少しずつ薄れていく。どれほど長い時間が過ぎたのか、再び目を開けたとき、私は見覚えのある場所――タイムマシンに立っていた。今日は、A大学に入学した日。――私は、時間を遡ったんだ。目の前には、若々しい笑みを浮かべた同級生たち。透の整った顔立ちにも、隠しきれない興奮が滲んでいる。黒い瞳は、星を散りばめたように輝いていた。そして、目を引く亜麻色の髪。まるで陽だまりそのものみたいなその髪が、私の心に残っていた暗い影まで、少しずつ照らしていく。周りの友人たちが、期待に満ちた目で私を見つめていた。その中でも綾香は、すっかり楽しそうな顔で私たちを見守っている。そして、透の背中をぽんと押した。「ほら、ぐずぐずしてないで!さっさと行ってきなよ。男なら一発で決めて!」透は照れくさそうに笑いながら、両手をこすった。耳が、少し赤い。やがて私の前まで歩いてくると、ポケットから小さな箱を取り出した。中に入っていたのは、一つの指輪。いつもの透らしくない、どこかぎこちない仕草だった。けれど、その瞳には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。その奥には――私にしか分からないほど、かすかな優しさがあった。「ほら、早く!」「透、頑張れ!」「男見せろよ!」周囲から次々と声が飛ぶ。透は意を決したように指輪を取り出

  • 私が死んだ日、夫は初恋を手にかけた   第17話

    納骨の日。納骨式に来てくれた親族は、両親だけだった。そして、儀式を取り仕切ってくれたのは、親友の綾香。私が大げさな儀式を望まないことを、綾香はよく分かっていた。だから、誘ったのは両親と数人の親しい友人だけ。父は、ほんの数日の間に白髪が目立つようになっていた。母は泣き腫らした目をしている。2人とも、まるで一晩で何歳も老けてしまったようだった。それでも、私ががんを患っていると知ったあの日から、いつか自分たちが、我が子を見送る日が来ることを覚悟していたのだと思う。むしろ、みんなが心配していたのは、透だった。参列した友人たちは次々と透のもとへ行き、声をかけていた。私はそれを見ながら、ふと自分の鈍さに気づいた。……私は、本当に馬鹿だった。誰かを心から好きになれば、その想いは隠しきれるものじゃない。透が私を好きだったことは、きっと誰の目にも明らかだった。ただ一人――当の私だけが、それに気づいていなかった。けれど、そんな周囲の心配とは裏腹に、透は驚くほど冷静だった。その様子を見て、みんなはきっと、透もようやく現実を受け入れたのだと思ったのだろう。納骨式が終わったあと、人の気配が消えた墓地で、透は一人、私の墓前に残っていた。墓石に刻まれた私の名前を、透は長いこと見つめていた。その目には、驚くほど優しい光が宿っている。そこへ、綾香が静かに歩み寄った。「透……後悔してる?」透は答えなかった。綾香は小さく息を吐く。「透は、子供の頃からずっと愛のことが好きだったよね。愛の気を引くために、いろんなことをしてきた。なのに、どうして好きだって、直接伝えなかったの?」透が小さく笑った。その笑顔には、言葉にできない苦さが滲んでいた。「……綾香、覚えてるか?俺たちが5、6歳くらいの頃。石川家で、よくみんなで集まっただろ」「うん。覚えてる」「そのとき、子供たちで知育ゲームみたいな大会をやったのも覚えてるか?」私たちは、幼い頃から家同士の付き合いがあった。親たちは昔から親しい間柄で、仕事でも関係があった。だから、家族ぐるみで集まる機会も多かった。大人たちが話をしている間、子供たちが騒いで邪魔をしないように、家庭教師が子供向けの遊びを用意するのがいつものことだった。その日によって、みんなでゲームをする

  • 私が死んだ日、夫は初恋を手にかけた   第16話

    母が現場に駆けつけて、ようやく透を説得した。それから、私の遺体は火葬されることになった。父も知らせを受けると、夜通し飛行機を乗り継いで帰ってきた。母は綾香と抱き合って泣き崩れ、透は悲しみのあまり意識を失い、そのまま病院へ運ばれた。私は石川家から除籍されている。だから、葬儀を執り行うことになった場所は、郊外にある私の別荘だった。そんなところへ――どこから私の転落死を聞きつけたのか、和哉が狂ったように駆け込んできた。「愛はどこだ!」玄関先で、和哉が取り乱したように叫ぶ。「愛が自殺するはずない!どこに隠したんだ?愛に会わせろ!」そこへ、透が姿を現した。真っ赤に充血した和哉の目を冷たく見下ろし、吐き捨てるように言う。「お前が愛と、そのお腹の子を殺したんだ。彼女に会う資格なんてない」「……お腹の、子……?」その言葉を聞いた瞬間、和哉は雷に打たれたかのように凍りついた。透は答える代わりに、テーブルの上に置いてあった分厚い資料を掴んだ。そして、それを和哉の顔めがけて叩きつける。「岩崎愛莉がこれまでやってきたことだ。愛を陥れた証拠、愛への暴言のすべてもここにある。自分の目でよく確かめろ」和哉は呆然としながら、床に落ちた資料を拾い上げ、一枚ずつ読み進めていく。透は、かなりの時間をかけて愛莉の過去を調べ上げていた。愛莉が海外へ渡ったのは、東山大輔という御曹司がこう約束したからだ。――海外の一流ダンスステージに立たせてやる。世界有数の名家にも人脈を持っているから、そこで人脈を広げさせてやる。そして、国際的なスターにしてやる、と。愛莉はその言葉を信じて、和哉を置いて海外へ渡った。けれど、そこで待っていた現実は、彼女が夢見ていた華やかな舞台とはまるで違っていた。彼女が連れて行かれたのは、富豪や金持ちの男たちが集まる、いかがわしいショーの舞台だった。愛莉はそこで、男たちの欲望を満たすための存在として扱われるようになった。それ以外に与えられた仕事といえば、三流の映画やドラマで端役を演じる程度。華やかなスターになるという夢は、いつの間にか跡形もなく崩れ去っていた。そして、何年か経つ頃には、富豪たちも、もう愛莉に興味を示さなくなった。大輔自身も、とっくに別の金持ちの女性と関係を持っていた。利用価値

  • 私が死んだ日、夫は初恋を手にかけた   第15話

    透の声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。「愛、いったい何やってるんだよ。和哉はもう自分を諦めてるのに、どうしてお前が尻拭いまでしてやるんだ?こうやって自分を苦しめる必要なんてどこにある?」私は静かに答えた。「別に理由なんてない。ただ、和哉が好きだから」その日、透は珍しく、それ以上私を責めなかった。ただ、じっと私を見つめていた。その瞳は、底の見えない井戸のようで、中に隠された感情など、少しも見えなかった。透は何か言いかけて、唇を動かした。けれど、結局その言葉が口から出ることはなかった。しばらくして、透はどこか寂しそうに言った。「……それがお前の選んだ道なら、俺は応援するよ」それだけ言うと、透はすぐに背を向けた。まるで――私に自分の顔を見られたくないかのように。その日を境に、透は長いこと私の前に姿を見せなくなった。和哉の世話に追われ、私は大学生活のほとんどを彼のために費やした。でも、もともとの成績が悪かったわけではないので、何とか卒業できる。しかし和哉は、最終試験を通過できそうにない。考えた末、私は顔立ちも体格も、和哉によく似た学生を探し出した。そして、彼に和哉の代わりに試験を受けてもらえないかと頼んだ。当然、最初は断られた。けれど私は、彼の母親が高額な手術費を必要としていることを知っている。その手術費を代わりに支払いすると告げると、彼は自分の将来を賭けて、私の依頼を受けた。試験当日。幸い、替え玉は誰にも気づかれなかった。和哉は無事に卒業に必要な試験を終え、卒業証書を手にすることができた。けれど――ここまで来れば、私と和哉が一緒に暮らしていることを、いつまでも隠し通すことはできなかった。ついに、両親が私のもとへやって来た。家族を取るのか、それとも和哉を取るのか。父と母から選択を迫られた私は、迷わず和哉を選んだ。そこまで振り返り、私は思考を現実へ戻した。ふと空を見上げると、いつの間にか夕暮れ時になっていた。空一面に広がる夕焼けは、燃え上がる炎のように鮮やかだった。それは、10年前のあの日と同じだった。A大学の門をくぐった私は、自信に満ちていて、これから始まる大学生活への期待を胸いっぱい抱いていた。けれど――10年経った今、私はもう、あの頃のような無垢な少女

  • 私が死んだ日、夫は初恋を手にかけた   第14話

    和哉は、そのことを愛莉の両親に伝えた。愛莉の両親は学校まで来たものの、愛莉の彼氏――東山大輔(ひがしやま だいすけ)という御曹司に言いくるめられてしまった。2人は愛莉を止めるどころか、「せっかくの機会なんだから、早く中退の手続きを済ませて、彼について海外へ行きなさい」と、娘を後押しした。和哉は、愛莉をこのまま行かせることができなかった。彼女を追って空港まで向かい、引き留めようとした。その際、愛莉が和哉に何かひどいことを言ったのだろう、空港から戻ってきた和哉は、まるで別人のように変わっていた。大学にも来なくなり、キャンパスの外に借りたアパートに閉じこもって、酒ばかり飲むようになった。昼も夜も関係なく酒をあおり、何もかも忘れようとするように、ただ日々をやり過ごしていた。私は、そんな和哉をどう慰めればいいのか分からなかった。それでも、放っておくことはできず、彼の世話をした。そうしているうち、私の成績は再び落ちていった。学年5位以内を維持していたのに、気づけばクラス20位まで下がっていた。両親は、そんな私の変化を気にも留めなかった。まさか私が、自分には一切振り向かない男に夢中になっているなんて、知るはずもない。大学に入って遊びに夢中になっているだけだと、そう思っていた。どうせ私は、いずれ家に戻って家業を継ぎ、相応な相手と政略結婚をするのだから。そんな私を、何度も気にかけてくれたのが透だった。透は何度も私のところへ来て、和哉のことを諦めるよう説得した。和哉にそこまで尽くす価値はない。彼が好きなのは、愛莉だけだと。しかし私は、その言葉を聞くたびに腹が立ち、とうとう透と大喧嘩までした。「もう、和哉の悪口を二度と言わないで!」最後には、冷たい声でそう言い切った。「一言でも和哉のことを悪く言ったら――私、透とは絶交するから」透はしばらく私をじっと見つめていたが、結局何も言わずに背を向けた。それから数日後。私は試験を控え、深夜まで机に向かっていた。その日は和哉のところへ行かなかった。夜になって、スマホに和哉からメッセージが届いた。【石川さん、今までありがとう。僕……もう疲れた、ここを離れようと思う。このまま生きていても、何もいいことなんてないから】メッセージを読んだ瞬間、血の気が引いた。

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status