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私はもう、振り返らない
私はもう、振り返らない
Auteur: 徐々

第1話

Auteur: 徐々
六年ものあいだ育ててきたはずの子どもが、彼女を自らの手で、犬だらけの檻の中へ突き落とした。

一夜が明けたころには、鷹宮澪(たかみや みお)の身体は十数か所を噛み裂かれ、息も絶え絶えのまま、檻の隅にもたれかかっていた。激痛に肺が締めつけられ、まともに息を吸うことすらできない。

檻の外では、鷹宮勇太(たかみや ゆうた)が段差の上に立ち、彼女を見下ろしていた。鷹宮恒一(たかみや こういち)と瓜二つの黒い瞳には、凍りつくような嫌悪が浮かんでいた。

「痛いか?」

幼い声は、その年齢には不釣り合いなほど鋭かった。

「ママの猫を死なせたとき、こんな日が来るなんて思わなかったでしょ。この家に来ただけで、ママの代わりになれると思わないで。

僕が大きくなったら、絶対お前をこの家から追い出すからな!」

喉を締めつけられるような苦しさの中で、澪はかすれた声を絞り出した。「猫は……寿命で死んだだけよ。私がやったんじゃない……」

「嘘つけ!」

勇太が檻を思いきり蹴りつける。金属の格子が大きく震え、その衝撃に怯えた犬たちは、かえって凶暴さを増し、彼女へと襲いかかった。

澪は反射的に身を引く。背中が氷のように冷たい檻の壁にぶつかり、もう後ろへ下がることはできなかった。

見かねた使用人が慌てて割って入る。「坊っちゃん、どうかお怒りをお鎮めくださいませ。確認いたしましたところ、あの猫は寿命によるものでございます。奥様の責ではございません」

「黙れ!」勇太は振り向きざま怒鳴りつけた。

「たとえ寿命でも、あいつの世話が足りなかっただけだ!」

そして再び、檻の中の澪を睨みつける。

「まだ出すな。徹底的に思い知らせろ」

低いうなり声が迫り、澪はそっと目を閉じた。爪が食い込むほど、拳を強く握りしめる。

――もう、六年。

この家で、彼女はいまだに居場所すらなかった。

どれほどの時間が過ぎたのか。

遠くにあったはずの足音が次第に近づき、やがて扉の向こうから、低く冷え切った声が落ちてきた――

「勇太、何をしている」

入口に立っていたのは恒一だった。隙のないスーツ姿に、冷えた眼差し。

血に染まった澪へ視線を走らせた瞬間、その瞳がわずかに細まる。だが次の瞬間には、感情を押し殺した声で命じた。

「出せ」

ボディガードがすぐ鍵へ手を伸ばす。

澪はすでに力を失っていた。支えられて檻の外へ出された途端、膝が崩れ落ちそうになる。

恒一が手を差し伸べた。

だが、その指先が触れた瞬間、澪は反射的に身を引く。

ほんのわずか、恒一の眉が寄った。

青ざめた彼女の顔を見つめ、低く問う。

「ここまでやられて、なぜ呼ばなかった?」

澪は睫毛を伏せたまま、答えない。

――呼んで、どうなるというの。

この家で、いったい誰が彼女の声に耳を貸すというのか。

沈黙が落ちる。

その沈黙に、恒一の瞳にかすかな苛立ちがよぎった。

「病院へ連れていけ」

執事にそう命じる。

病院は消毒薬の匂いが鼻を刺す。

澪はベッドに横たわり、医師が傷を処置する微かな音を聞きながら、痛みに指先を震わせていた。

やがて病室の扉が静かに開く。

恒一だった。

上着はすでに脱ぎ、シャツ姿のまま。襟元がわずかに乱れ、鎖骨には生々しい赤い痕が残っている。

澪の視線が一瞬、そこに留まる。

すぐに、逸らした。

――キスマーク。

見慣れすぎるほどに。

この数年、恒一の傍らに女の影が絶えることはなかった。だがその誰もが、澪の亡き姉・白石青葉(しらいし あおば)の面影を色濃く宿していた。

青葉を忘れられないから、代わりを探し続ける。

いま最も近い「代わり」は鳥谷愛花(とりたに あいか)。あまりにも似ているせいか、恒一はひと月のうち二十八日を愛花のもとで過ごしている。

けれど。

妻である澪は――その「代わり」にすら数えられていなかった。

澪は、実家から遠ざけられた私生児だった。幼いころから、重い病を抱えた母・沢村美智子(さわむら みちこ)と寄り添うように生きてきた。

青葉は姉だが、その歩んできた道は澪とはまるで違う。

青葉は生まれながらにして何不自由なく育ち、由緒ある名家の御曹司・恒一と恋に落ち、宝物のように大切にされてきた。

だが六年前、青葉は難産の末に命を落とす。生まれて間もない勇太を残して。

生まれたばかりの勇太の世話をする女が必要だった。

澪の実父・白石隆志(しらいし たかし)は、恒一という願ってもない婿を手放したくなかった。美智子の治療費を盾に、六年という契約を澪に突きつけ、鷹宮家へと嫁がせた。

――恒一と勇太の世話をしろ、と。

澪は、逆らえなかった。

その六年、恒一は澪を顧みることもなく、外では青葉に似た女を次々と抱いた。

勇太は澪を憎み、鷹宮家から追い出そうとあらゆる手を尽くした。

二千日を超える歳月を重ねても、彼らが彼女を受け入れることはなかった。

意識がはっきりしたころ、恒一が口を開いた。

淡々とした声で告げる。

「猫が死んだのは、お前の世話が行き届かなかったせいだ。勇太は気が立っているだけだ。少しは我慢しろ」

さらに言葉を重ねる。

「お前の母親は、退院してから体調が思わしくない。認知症の兆しもある。個室の療養施設を手配しておいた。今回の件は、それで終わりにする」

その口調はあまりに平静で、まるで取引条件を並べているかのようだった。

澪は、ふっと笑った。

しばらくしてから、ゆっくりと視線を上げる。声は驚くほど落ち着いていた。「結構です。最初に決めたはずでしょう。私は勇太の世話をするために、六年だけここにいると。残りは半月。半月たてば、私は出ていきます」

一瞬、恒一が言葉を失う。だがすぐに眉をひそめ、不快さを隠そうともせず言い放つ。

「何をそんなに意地を張っている。くだらない駆け引きに付き合っている暇はない。その話は聞かなかったことにする。療養施設はすでに手配した。これで終わりだ」

そう言い捨てると、恒一は大股で部屋を出ていった。その背中は振り返ることもなく、ひどく遠かった。

閉まった扉を見つめながら、澪はゆっくりと目を閉じる。

彼女は意地を張っているわけでも、駆け引きをしているわけでもない。

六年の約束は、六年で終わる。それ以上でも、それ以下でもない。

今度こそ、本当に去る。

――二度と、戻らない。

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