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第5話

Author: カフェイン中毒男
夕暮れが迫る中、則枝は葉月を連れて、以前から気になっていた小さなお店にやってきた。

ドアを開けると、暖色系の灯りが広がり、心温まる個性的な装飾が店内全体に活気を与えている。

お店を営むのは若い夫婦で、夫はキッチンで忙しく働き、妻はバーカウンターに立ち、1歳ぐらいの子供を抱いている。

子供はとてもおとなしく、騒ぎもせず、ただ丸々とした大きな目で通り過ぎる客を見つめている。

葉月はそのおとなしく可愛らしい子供を見て、心がほんのり温かくなった。

則枝は笑いながら葉月をからかった。「どうしたの、子供が好きなの?好きなら一人作ればいいじゃない。あなたと逸平の遺伝子なら、生まれてくる子が可愛くないなんてありえないわ」

この言葉をもしもっと前に聞いていたら、本当に心が動いたのかもしれないが、今はもう離婚寸前の二人だ。

「もう遅いわ」葉月は諦めたように笑った。

則枝は葉月の考えを一目で見抜く。「何を怖がっているの?逸平から精子を借りるだけだと思えばいいじゃない。養えないわけでもないし、その後は父親なしで子を育てればいいのよ」

「井上家が、私が子供を一人で育てるのを許してくれると思う?」

則枝は考え込んだ。確かに無理かもしれない。逸平にはまだ子供がいないのだから、最初の子を井上家が手放すわけがない。

葉月は静かにグラスの中のストローをかき混ぜ、氷がコロンと当たって澄んだ音を立てた。

「昨日……逸平が私の家に来たの」

葉月の声は優しく、まるで自分とは関係のない物語を語っているようだ。

それを聞いた則枝は机を叩きそうになる。「葉月、逸平はあなたの目の前で一体どんな芝居を演じたわけ?」

葉月は軽く笑った。「私にもわからないわ。勝手にやっとけって感じ」

「それに、私には理解できないけど、なぜあなたは裸一貫で家を出ていくの?バカじゃないの?こんな時こそ、あのクズ男からできるだけ多く搾り取るべきだわ!」

則枝は想像しただけで、この先の人生はもう安泰だと思った。

葉月の表情が少し曇った。きっと誰もが葉月を馬鹿だと思うだろう、逸平と3年間夫婦関係にいたのに、裸一貫で去ろうとするなんて。

しかし葉月自身はわかっている。こうしないと、自分の良心が許さないのだ。

3年前、清原ホールディングスは破産宣告まであと一歩のところまで追い詰められ、まるで風が軽く吹いただけで、清原ホールディングスの自社ビルが一瞬にして崩れ落ちるようだった。

葉月は一夜にして白くなった父の髭や、母の泣き腫らした目、そしてかつて兄弟のように親しかった叔父たちが避けるように去っていった様子を鮮明に覚えていた。

清原家はまさに、崩壊寸前だった。

葉月はそこで初めて、人間の心というのはここまで忌まわしいほどに腐り、これほどまでに邪悪になり得ることを目の当たりにした。

誰もが清原家を泥沼の中に沈めようとしたその時、逸平が葉月に救いの手を差し伸べた。

あの夜、清原家の前は借金取りで溢れかえっていた。

激しい雨が降る夜、葉月はびしょ濡れになって雨の中に立ち、冷たい雨水が髪の毛から襟元に流れ込むのを感じながら、父が背を丸めて何度も何度も頭を下げて謝る姿をただ見守るしかなかった。

その時、一本の黒い傘が雨の中を切り裂いた。

逸平の革靴で水溜りを踏みしめながら、葉月に向かって近づき、傾けた傘で葉月に降り注ぐ風雨を遮った。

「葉月」逸平の声は雨よりも冷たく、一切の温かみがなかったが、その瞬間、葉月の心に大きな安らぎを与えた。「俺の妻になってくれ」

逸平は葉月と政略結婚し、瀕死の状態だった清原ホールディングスを救い、清原家を守り抜いた。

逸平への恩義は、葉月の一生をかけても返しきれないものだ。

だから、なおさら逸平の財産まで受け取ることができるはずがないのだ。

それに、逸平は知らないが、逸平が葉月の目の前に立ち、「俺の妻になってくれ」と言ったあの瞬間、17歳の葉月が密かに抱いていた願いが、24歳の時に叶ったのだ。

澤口卓也(さわぐち たくや)が会員制クラブ「クラウド・ナイン」の入り口に立っていた。指にはタバコを挟み、スタイル抜群の美女が卓也の腕をしっかりと抱き、目元には色気たっぷりの表情を浮かべている。

卓也から2歩離れた場所で、逸平は石柱にもたれかかっていた。酒を飲みすぎたせいか、風に吹かれると酔いが回ってくる。

逸平の前にも一人の美女が立ち、タバコとライターを持ちながらタバコを一本差し出し、甘えた声で言った。「井上社長、一本いかがですか」

卓也が相槌を打った。「頼むよ、逸平。美人さんの顔を立ててやってよ」

逸平は不快そうに眉をひそめた。目の前の女の香水の匂いがむっとするほどきつく、吐き気を催そうだ。

逸平は顔を背け、冷たく言った。「離れてくれ」

美女は逸平がこんなに冷たい態度を取るとは思っていなかったらしく、タバコを差し出した手が宙に浮いたまま、しばらく手を引き込むのを忘れていた。

しかし、ちょうど美女が手を引こうとしたその時、美女の手首は大きな手に掴まれた。端正で整った顔が突然ぐっと近づいてきて、美女との距離は拳一つ分ほどしかなかった。

男は口を開けて美女の手にあるタバコをくわえると、眉を上げ、目に笑みを浮かべながら、曖昧な表情で「火をつけて」とぼそりと言った。

美女は男の色気に溺れそうになりながら、顔を赤らめてタバコに火をつけてあげた。

タバコに火がついた瞬間、「逸平、この浮気者!」という怒鳴り声がした。

声の方を向くと、則枝が葉月を連れて勢いよくこちらへ向かってくるのが見えた。

「やべえ、終わった!」葉月の姿を見て、卓也は正気に戻った。

卓也は逸平と葉月を交互に見て、「もうダメだ、さっきのところ全部見られてしまったに違いない」と思った。

卓也は慌てて隣の美女に抱かれていた腕を引き抜き、逸平の前に立ちはだかった。やや後ろめたそうだが、笑顔で言い訳を並べた。「則枝、これは全部誤解なんだ」

則枝は卓也を睨みつけ、「卓也、このクソ野郎、またでたらめを言ってんじゃないわよ!私たちが目が見えないとでも思ってるの?」と言った。

さっき向かいのデパートから出てきた時、道路を隔てて卓也の姿が見えたのだ。

最初はただ挨拶しに行こうと思っただけだったが、近づいてみると逸平もいることに気づいた。

そしてちょうど目にしたのは、逸平が他の女と親密にしている場面だった。

則枝の怒りは爆発し、すぐさま罵声を浴びせた。

卓也は止めようとしたが、則枝に強く押しのけられた。

則枝は卓也を指さして警告した。「卓也、血しぶきを浴びたくないなら、さっさとどっか行きな」

本来なら不倫現場を押さえられた逸平が狼狽するはずなのに、逸平はまるで傍観者のように、いつもの冷たい顔に薄笑いを浮かべ、他人事のように涼しい顔をしている。

葉月が自分を見た時には、わざと隣の女の肩を抱きながら、からかうような口調で言った。「どうした、葉月?もう離婚するっていうのにまだ浮気の現場を押さえに来るのかい?」

逸平が吐いた煙で、葉月は逸平の姿がかすんで見えた。

葉月はなんとか笑顔を作ろうとしたが、指先が掌に食い込むほど強く握りしめても、その痛みは胸の奥に広がる冷たさには到底かなわない。

見慣れた顔なのに、逸平はまるで別人のように感じられる。

則枝は逸平が女を抱き寄せ、葉月に酷い言葉を浴びせたのを見て、怒りで頭が沸騰しそうだ。

しかし、則枝は葉月の冷たい手に軽く押さえられ、怒りをぶつけようとした衝動を抑え込まれた。

長い髪が夜風の中で揺れた。

葉月は風に舞う髪を耳の後ろにかき上げ、逸平の目を見つめた。逸平の瞳にはまったく動揺が見られず、顔には淡い笑みが浮かんでいる。

「ご心配なく。私にはそんなことにかける時間も体力もないわ二人で楽しんでちょうだい」

逸平は頬杖をつき、冷たい笑みを浮かべた。「お前に会わなければ、もっと楽しかっただろうに」

「逸平!調子に乗るな!」則枝の胸は激しく波打ち、逸平を睨みつけた。その後、葉月の方を向いて急に声を柔らかくして言った。「葉月……」

葉月の表情は静かな湖面のように落ち着いていたが、微かに震える指先だけが感情の揺らぎを漏らしていた。

「お邪魔しちゃったわね。じゃあこれで失礼するね」

そう言うと、葉月は則枝の手を引いてその場を去った。

もはや騒ぎ続ける意味などない。

則枝は逸平の方を振り返り、「この最低のクズ男!」と叫んだ。

遠くの喧騒を運ぶ夜風の中、葉月の姿は道の角を曲がって消えていった。

二人はしばらくの間歩いた後が、則枝の怒りは収まるどころかますます募っていく一方だ。

「何なのあの男!昨日までようちゃんの前で情熱的なフリをしていたくせに、今日は平気で別の女とイチャついきやがって。さすが逸平、本当に吐き気がするわ」

葉月が黙っていると、則枝は続けた。「葉月、絶対に離婚するのよ!この件は譲れないわ!」

葉月は則枝の手を強く握り、その温もりから僅かにも力を得ようとしている。

則枝は葉月を抱きしめ、「大丈夫、葉月。私がついてるから」と胸を痛めながら言った。

葉月は則枝を抱き返し、必死に保っていた感情がついに抑えきれなくなり、顔を則枝の肩に深く埋めた。熱い涙が一瞬で則枝の衣服を濡らした。

葉月は肩を激しく震わせていたが、頑なに嗚咽一つ漏らさなかった。

夜風が葉月の押し殺したすすり泣きを吹き散らしていく。それはまるで、音のない決壊のようだ。

もう一度しっかり泣くのだ。泣き終わったら、本当にこの結婚生活に別れを告げるのだ。

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