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第366話

Author: 春うらら
洗面所に入るとすぐ、棚に置かれた二つのカップが目に入った。一つは青、もう一つはピンク色だ。

ピンク色のカップは新品のようで、中には同じくピンク色の、まだ包装されたままの歯ブラシが入っていた。

まるでペアカップのようだ。

結衣は口元を綻ばせ、そのカップを手に取った。

十分後、結衣は時子の病室の前に戻った。

ほむらは俯いて何かを打ち込んでいたが、足音に気づいて顔を上げ、結衣を見た。

「終わったか?」

「ええ」

結衣がほむらの隣に腰を下ろすと、彼は弁当箱を開けて彼女に手渡した。「まず朝食を」

ほむらが用意してくれた朝食は、豚肉のお粥とおにぎりで、どちらも結衣の好物だ。

朝食を食べ終え、結衣が弁当箱を洗いに行こうと立ち上がると、ほむらに引き止められた。

彼は結衣の手から弁当箱を取り上げてそばに置き、低い声で言った。「後でオフィスに持って帰って洗うよ。君といる時間を無駄にしたくない」

その言葉に、結衣の耳元が不覚にも赤くなった。

目を伏せ、昨夜ほむらからの電話に出られなかったことを思い出した。彼が自分を探していた時、きっと焦っていたに違いない。

「ごめんなさい、昨夜は心配をかけたでしょう?おばあちゃんが手術室にいる時、心配で、スマホがマナーモードになっているのに気づかなくて、あなたの電話にも気づかなかったの」

ほむらは彼女の手を握り、低く優しい声で言った。「謝る必要はないよ。責めてなんかいないよ」

結衣が何かを言おうとした、その時、そばから足音が聞こえてきた。

振り返ると、そこにいたのは涼介で、彼女は眉をひそめた。

涼介の視線は、彼女とほむらが握り合っている手に注がれ、数秒経ってからようやく逸らされた。

「時子さんが入院されたと聞いて、お見舞いに来ました」

結衣は唇を引き結び、低い声で言った。「ありがとうございます。でも、おばあちゃんはまだ目を覚ましていないから、病室には入れませんわ」

「ああ」

涼介はフルーツの籠を結衣の隣に置き、彼女をじっと見つめた。

結衣は目を伏せ、その顔は少しやつれて見える。涼介の胸に思わず痛みが込み上げてきたが、今の彼には、彼女のそばに座って慰める資格などない。

「時子さんはきっとすぐ元気になるわ。あまり心配しないで」

結衣は頷いた。「ありがとうございます」

二人の間に交わす言葉はもうなく、廊下は静
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