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第147話

Author: 藤原 白乃介
一ヶ月ぶりの智哉は、随分痩せて見えた。

元々深みのある目は少し窪み、目尻の皺が目立っていた。

こんなに落ちぶれた智哉を見るのは初めてだった。

佳奈は静かに立ち尽くし、智哉が一歩一歩近づいてくるのを見つめていた。

ずっと暗い表情をしていた智哉の顔に、佳奈を見た瞬間、かすかな笑みが浮かんだ。

掠れた声で言った。「佳奈、俺の案件を引き受けてくれてありがとう」

佳奈はすぐに目を伏せ、事務的な口調で言った。「市の指導者から依頼され、代理人を務めることになりました。では、案件について話しましょう」

録音機を取り出して傍らに置き、仕事に取り掛かろうとした。

そこへ智哉の切ない声が聞こえてきた。

「佳奈、一ヶ月ぶりだけど、元気にしてた?眠れない夜、俺のこと考えたりした?」

「佳奈、俺は毎日君のことを考えていた。本当に、本当に恋しくて」

深い眼差しで佳奈を見つめ、その整った顔には真摯な表情が浮かんでいた。

佳奈のペンを持つ指先が微かに震え、数秒の沈黙の後、やっと顔を上げた。

その瞳が不意に智哉の深い眼差しと重なった。

普段通りの声で言った。「高橋社長、私の時間は30分しかありません。清水さんの信頼を裏切るわけにはいきません」

智哉は彼女のそんな事務的な態度を見て、苦笑いを浮かべた。

そして案件の経緯を説明し始めた。

全てを話し終えると、智哉は熱い眼差しで佳奈を見つめた。「佳奈、本当にあの女性がいつ部屋に入ってきたのか分からないんだ。何もしていない。信じてくれ。俺は一生君だけしか触れない。君のために貞節を守る」

佳奈は持ち物を片付けながら、冷静な表情で彼を見た。

「高橋社長、ご安心ください。私はこの裁判に全力を尽くします。それ以外のことは、お気遣いなく」

そう言って、荷物を持って立ち去ろうとした。

「佳奈」

智哉は立ち上がって彼女を呼び、充血した目で彼女を見つめた。

「食事に行って。長いフライトの後だから何も食べていないだろう。ここのシーフードは美味しいから、高木に連れて行ってもらって。案件はすぐには終わらない。体を壊さないでくれ。心配になる」

佳奈は唇の端にかすかな笑みを浮かべた。「高橋社長、ご心配なく。あなたを救い出すまでは、しっかり自分の面倒を見ます。失礼します」

そう言うと、振り返ることもなく立ち去った。

智哉は彼女の決然とし
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