佑くんは顔をぷいっと背けて、こう言った。「パパ、ママにチューしてあげて。僕、なーんにも見えないよ」そう言いながら、小さな手で目を隠す。でも、指の隙間からこっそり覗いている。その様子があまりにも可愛くて、智哉はつい、その指の隙間をちょんと突いた。「見えてないの?目ん玉、半分出てるけど?」佑くんはくすくす笑いながら言った。「だって、ママがすごく大変だったから、ちゃんとチューしてあげてほしいの。でも、僕もパパにチューしたいんだもん」息子の言葉に、智哉の喉が少し詰まった。そして、そっと額にキスを落とし、優しく言った。「今はまだ危険な時期だからね。パパが近づきすぎると、感染しちゃうかもしれない。元気になったら、いっぱいチューしようね、いい?」佑くんは元気よく何度も頷いた。「僕、元気になったらパパと一緒に親子クラス行くの!みんな、パパは死んじゃったって言うんだよ?僕、パパがいるって見せびらかして、びっくりさせたいの!」「うん、パパがしっかり驚かせてあげるよ」パパに会えたことで、佑くんの回復は驚くほど早かった。たった二日で熱は下がり、三日目には、智哉が二人を連れて高橋家の本邸へ戻った。佑くんが入院している間、高橋家の誰も、他の知り合いたちも、病院には訪れなかった。三人きりの時間を、誰も邪魔したくなかったのだ。高橋お婆さんでさえ、会いたい気持ちを抑えて、病院には行かなかった。そして、久しぶりに智哉と再会した時。彼女は、そっと彼の頬を撫でた。声が震えていた。「本当に……うちの智哉だ。帰ってきたんだね……天は見ていてくれた……私の孫を返してくれたんだね……」その姿を見て、智哉はすぐに優しく声をかけた。「おばあちゃん、泣かないで。今度はもう、どこにも行かないよ。これからは、家族みんなでずっと一緒にいるんだから」「うん、もう二度と離れないよ……」征爾と奈津子も駆け寄ってきて、順番に智哉を抱きしめた。失ったと思ったものが戻ってきた――それがどれほどの喜びか、言葉では言い尽くせない。征爾は智哉の肩を力強く叩いた。「お前が生きて帰ってきたこと、それが何よりの幸せだ。でもな、この間、佳奈は本当に大変だった。全部ひとりで背負ってたんだ。ちゃんと支えてやれよ」「うん、分かってる」「よ
誠健は自由奔放な笑みを浮かべながら知里を見つめていた。その目には隠しきれない悪戯っぽさが滲んでいる。知里は怒り心頭で、思いきり彼のすねを蹴り上げた。「バカ!誠健、また下品なこと言ったら、マジでぶっ潰すからね!」誠健はすねを抱えて、その場で痛がりながらぐるぐると回った。「知里、昔から言うだろ?『一夜の夫婦は百日の情』ってさ。そんなに思いっきり蹴られたら、骨折れたらどうすんの?俺の下半身、どう責任とってくれるんだよ」「ぶっ潰せば静かになって、毎日ハエみたいにうるさくまとわりつかれることもなくなるでしょ」ふたりがじゃれ合っていると、病室のドアが開いた。扉の向こうには智哉が立っていて、顔いっぱいに悪戯な笑みを浮かべていた。誠健は彼のその顔を見てカッとなり、跳ねるようにして駆け寄ると、胸に一発拳を入れた。「てめぇ、やっと帰ってきたか!俺がどんだけ苦労したと思ってんだよ、この直球女に毎日ボコボコにされてよ!」智哉は口元でフッと笑った。「本当に家庭内暴力なら、お前むしろ喜んでるだろ。怖いのは知里に見捨てられることじゃね?」「帰ってきて早々、口の悪さは相変わらずだな。ケガしたついでにその口も治してくればよかったのに」そう言いながら、誠健はもう一発拳を入れた。だが、その目はうっすらと潤んでいた。男同士の間には、言葉なんていらない。ただの一発、それだけで十分だった。智哉はその様子を見て、静かに言った。「わざわざ来てくれてありがとう。俺が戻ったこと、家族に伝えてくれ。わざわざ全員に電話するのも大変だからさ。佑くんが退院したら、改めてお祝いしよう」誠健はうなずいた。「任せとけって。お前は佳奈をしっかり慰めてやれよ。ここんとこ毎日泣いてばっかで、うちのさとっちまで心配して痩せちまったんだから」感動していた知里だったが、その一言に思わず睨みつけた。「誰があんたのさとっちなのよ。変なこと言うんじゃないよ」「はいはい、違うなら違うでいいよ。じゃあ俺が『君の』でいいだろ?」「うち、ガラクタの引き取りはやってないの」「なんだと!?誰がガラクタだよ、ちゃんと説明してもらおうか?このイケメンセレブがどうやったらガラクタになるんだよ!」ふたりは言い合いながら病院を後にした。智哉は病室のドアを静かに閉めると
佑くんは、智哉が思っていたように彼の胸に飛び込んで号泣することはなかった。ただ、涙で目を潤ませながら智哉を見つめて、嗚咽まじりにこう言った。「パパ、ママのこと、僕が守ったよ……。パパに会いたかったけど、ママが悲しむと思って、言えなかった……」その言葉を聞いた瞬間、智哉の中でずっと堪えていた感情が、とうとう崩れ落ちた。ぽろぽろと涙がこぼれ落ち、佑くんの体に落ちていく。大きな手でそっとその小さな頬を撫でながら、掠れた声で言った。「ありがとうな、佑くん……お前は本物の男だ。パパはお前のこと、誇りに思ってる」そう言って、佑くんの頭を胸に抱きしめ、肩を震わせながら泣き続けた。たった二歳の子どもが、自分の寂しさを我慢するって、どれだけ辛いことか。その思いが積もり積もって、熱が下がらなかったのかもしれない。夜、静まり返った部屋で、パパを思って泣く息子。その傍らで、布団の中でこっそり泣く佳奈。その光景を想像しただけで、胸が張り裂けそうだった。大きな手で佑くんの頭を撫でながら、声がどんどん震えていく。「ごめんな……パパがいなくて、ママと二人で辛かったよな。もう大丈夫だ。もう絶対に、二人を苦しめたりしない」三人は抱き合って、声を上げて泣き続けた。どれくらいの時間が経ったのか。そのとき、知里が荷物を持って病室のドアに手をかけた。けれど、扉越しに見えた光景に、思わず手で口を覆った。涙が、頬をつたって止まらない。誠健が不思議そうに彼女を見て言った。「なんで入らないんだよ?泣いてどうする?」知里は涙を浮かべたまま、彼を見つめて答えた。「佳奈と佑くん……やっと待ち続けた人が帰ってきたの。智哉が、本当に帰ってきたのよ」誠健は信じられないという顔で病室を覗き込む。そこには、佳奈と佑くんを抱きしめて泣いている智哉の姿があった。彼の目にも、徐々に涙が滲んでいく。口元に苦笑を浮かべながら、ポツリと呟いた。「この野郎……ちゃんと帰ってきやがって……。もう少し遅かったら、俺があの世まで引きずりに行くとこだったぞ」そう言いながら、病室に入ろうとしたそのとき。知里が慌てて腕を引っ張って止めた。「ちょっと、どこ行くつもりよ!せっかくの再会なんだから、空気読みなさいっての!」「中のヤツが本当
佳奈は佑くんの言葉をうわごとだと思い込み、目を潤ませながら彼を見つめた。「佑くん、パパは必ず帰ってくるよ。私たちを置いていったりしない。だから、早く元気になって、ママと一緒に待ってようね、いい?」佑くんは扉の方を指差し、かすれた声で言った。「ママ、本当にパパが帰ってきたの。早く見て」佳奈はようやく後ろを振り返った。そして、ちょうどその瞬間――智哉の深みのある瞳と目が合った。普段は冷静なその瞳には、すでに涙が溜まっていた。彼は扉の前に立ち、優しい眼差しで二人を見つめながら、震える声で言った。「佳奈、俺だよ」何日も会えずにいたその人の姿、その声――佳奈は自分の目と耳を疑った。まるで夢を見ているかのような、現実感のない光景。彼女は唇を強く噛みしめた。口の中に血の味が広がるまで。その痛みでようやく、これは夢ではないと実感した。智哉が、本当に帰ってきたのだ。佳奈の身体はふらつき、椅子に崩れ落ちた。気づけば、涙は頬を伝っていた。震える声で言った。「智哉……本当に、あなたなの?」智哉はゆっくりと佳奈のそばに歩み寄り、冷たい指先で彼女の涙の跡をそっとなぞった。掠れた声で呟く。「佳奈、俺だよ。ごめん……佑くんにも、君にも心配かけた」その手の温もりを感じた瞬間、佳奈は堪えきれなくなった。彼の腰にしがみつき、息も絶え絶えに泣きじゃくった。「智哉……あなた、約束を忘れたのかと思った。もう帰ってこないんじゃないかって……どれだけ、私と佑くんが辛かったか、わかってるの?あの子、あなたを想って高熱が下がらなかったの。やっと峠を越えたばかりなのよ。もしあなたがもう少し遅れてたら、私は……もう限界だったかもしれない」彼女のあまりの悲しみに、智哉の瞳からも涙がこぼれ落ちた。その大きな手で佳奈の背中を優しく撫でながら、静かに慰める。「佳奈……ごめん。全部俺のせいだ。もう二度と、こんな思いはさせない。これからは、三人で穏やかに過ごそう」佳奈は胸が張り裂けそうな思いの中でも、冷静さを取り戻していた。すぐに顔を上げて智哉を見つめた。「お母さんが、あなた爆弾で怪我したって……どこをやられたの?ひどくないの?」そう言いながら、彼の身体を必死に調べようとする。智哉は彼女の手首をそっ
誠健は訳が分からず彼を見つめた。「知里は?どうして俺がここにいるんだ?」「昨夜、あなたが階下に降りて、キッチンで倒れたんですよ。私たちでここに運んできたんだけど、知里さんはそのこと知らないんです」そう言われて、誠健は悔しそうに歯を食いしばった。知里、君ってやつは本当に冷たいな。まさか俺に気づかれないように、うまく入れ替えやがって。覚えてろよ……。二日間の撮影はあっという間に終わった。誠健はというと、ずっと嫉妬しっぱなしだった。今回のエピソードは注目度が一気に跳ね上がり、話題沸騰。監督はデータを見ながら、嬉しそうに笑った。「やっぱり、みんなこういう展開が大好物なんだな」そんな中、誠健の元に一本の電話が入る。彼の表情が一瞬で緊張に変わった。大股で知里のそばに歩み寄り、耳元で小声で囁いた。「佑くんがマイコプラズマ肺炎で、高熱が下がらないって」その言葉を聞いた瞬間、知里は完全に固まった。十数秒後、ようやく我に返る。「どうして……もし佑くんに何かあったら、佳奈はどうすればいいの?」誠健はそっと彼女の頭を撫でた。「落ち着いて。とりあえず病院に行こう。専門医がもう対応を始めてる」そう言って、彼は知里の手を握り、病院へと急いだ。病院に着くと、佳奈と結翔が救急室の前で待っていた。彼らの姿を見るなり、佳奈の目から涙が溢れた。知里はすぐに駆け寄り、彼女を抱きしめて、震える声で言った。「佳奈、大丈夫。佑くんは絶対に助かるよ。ただの肺炎なんだから、命に関わるはずないって」佳奈は泣きながら答えた。「もう何日も熱が下がらないの。先生が言ってた、心に悩みがあるから症状が重いって。夢の中でずっとパパって呼んでるの。きっと、パパに会いたくてたまらないんだよ……」その言葉を聞いて、知里はすべてを悟った。たしかに佳奈は智哉から一通のメッセージを受け取ったけど、本人には一度も会っていない。そのメッセージが本物かどうかも分からない。智哉が本当に生きているのかどうかすら、誰にも分からない。佑くんは、きっとパパに会いたくてたまらなかった。でも、心配をかけたくなくて、ずっと我慢してたんだ。そう思うと、知里の胸が締めつけられた。そっと佳奈の頭を撫でながら、優しく言った。「大丈
一言で誠健の自信は粉々に砕け散った。だって、これって遠回しに「おじさん」って言ってるようなもんじゃないか?女性ゲストは空気が変わったのを察して、すぐに笑顔で取り繕った。「そんなつもりじゃありませんよ。光輝くんと比べたらちょっと大人っぽいってだけで、その成熟した男性って、逆に人気ありますから」誠健:そんな遠回しに年寄りって言う必要ある?配信のコメント欄は爆笑の渦だった。【あははは、石井さん、今さら自分が歳って気づいたの?時代に置いてかれてるよ?】【この女性ゲスト誰!?名前覚えておこう、マジで私の代弁者】【石井さんが嫉妬してるの見るの大好き。この番組、あの二人いなかったらとっくに観てないわ】知里と光輝は完璧にミッションをクリアした。番組から提供された豪華なロマンチックディナーを堪能し、さらに写真の「いいね」数が最多で、雑誌の表紙撮影のチャンスまで獲得。その一方で、誠健はアイスバケツチャレンジを受ける羽目に。男らしさを見せるため、光輝との賭けに従い、みんなの罰ゲームを一人で引き受けると宣言。結果、何度も氷水を頭からかぶることになった。監督は目を細めて彼の様子を見ながら、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべた。スタッフが心配そうに尋ねた。「監督、石井さんこのままだと風邪ひいちゃいますよ。薬持ってきましょうか?」監督は横目で彼を見て、冷たく笑った。「彼、医者だよ。自分の体のことはお前より分かってるさ。まあ、今夜は面白いことになるだろうね」案の定、夜中に知里が眠っていると、突然ドアをノックする音が響いた。その後に続いたのは、低くかすれた声。「知里……熱が出た……」その声は枯れていて、どこか頼りなくて疲れていた。知里はすぐにベッドから飛び起き、ドアを開けた。そこには毛布をぐるぐる巻きにした誠健が立っていた。顔には明らかに病んだ様子が浮かんでいた。「知里……熱があるんだよ。ほら、触ってみて」そう言って、彼は知里の手を取って自分の額に当てた。触れた瞬間、彼の熱が伝わってきて、知里は眉をひそめた。「隊医を呼んでくる」「いや、大丈夫。アイスバケツで冷えただけだし。生姜湯だけでいいから、お願い」知里は眉を上げて彼を見つめた。「なんで私が作るの?私はあなたのなんでもない