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第582話

作者: 藤原 白乃介
この老人は他でもない、智哉の外祖父、瀬名お爺さんだった。

だが、瀬名お爺さんは浩之に囚われてM国にいるはずじゃなかったか?

しかも、毒を盛られて昏睡状態のはずだ。

それなのに、目の前の老人は悠々と棋盤の前に座り、のんびりと将棋を指していた。

佳奈は深く考える暇もなく、隣のスイッチを押して扉を開け、そのまま部屋の中へと駆け込んだ。

だが、彼らが入った直後、ガラスの扉は自動で閉じられた。

そして部屋全体がゆっくりと下降し始めた。

その下降先は……まさにあの巨大な歯車が回転している場所だった。

佳奈は一瞬で顔色を変え、俊介の方を慌てて見た。

「これ……罠だったみたい」

俊介は部屋の中にある中枢操作台を見つめながら言った。

「慌てるな。これはセンターコンソールだ。歯車を止めるボタンさえ見つければ、助かる可能性はある」

そう言って、彼は操作台をじっくりと調べ始めた。

その時、部屋にまた少女の笑い声が響いた。

「佳奈、このセンターコンソールには九九八十一個のボタンがあるの。どれも一つ一つがトラップよ。

一つでも間違えたら、あなたたちはもちろん、そのお爺さんもまとめて即死。

信じられないなら、試してみたら?」

佳奈は操作台に並ぶ複雑なボタン群を見つめ、額に冷や汗を浮かべた。

色も形も違う大量のボタン……その中から正解の一つを見つけるなんて、天に昇るより難しい。

彼らが直面しているのは、歯車に潰されるか、トラップで吹き飛ばされるかの二択。

どうやっても生きて帰れる気がしない。

佳奈の声が震えた。

「田森坊ちゃん、ごめんなさい。私のせいで……」

だが、俊介の顔には彼女のような焦りはなかった。

代わりに、静かに微笑んだ。

「藤崎弁護士と一緒に死ねるなら、俺も悪くない人生だよ」

「でも……私はまだ死にたくない。帰りを待ってる人が大勢いるの」

父も、智哉も、佑くんも。

もし自分がここで死んだら、あの人たちはきっと悲しむ。

特に、佑くんの顔が浮かび、もう二度と会えないと思うと胸が引き裂かれそうになった。

あの痛みは、かつて赤ちゃんを失ったときのあの感情とそっくりだった。

どうして自分は、こんなにもあの子に執着して
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