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45話「動き始める企画」

Penulis: 団紡るう
last update Tanggal publikasi: 2026-07-31 07:00:18

 月曜日の朝、オフィスの空気がいつもと違った。

 エレベーターを降りた瞬間から、廊下の話し声が普段より多い。

「出版社案件らしいよ」

「大型企画みたいだね」

 誰もが噂だけを口にして、詳細を知る者はいない。瑠衣は自分のデスクに着き、いつも通りパソコンを立ち上げた。メールを開き、今日の予定を確認する。周囲のざわめきは気になったが、手を止める理由にはならなかった。

 修正依頼の対応が二件入っていた。メーカーとのやり取りを終えて、社内確認を済ませる。普段通りの仕事だった。ただ廊下の話し声は昼になっても続いていた。「大型案件」「出版関係」という言葉が、断片的に耳に入ってくる。瑠衣はその都度、画面に視線を戻した。

午前の仕事を終えた頃、部長から声がかかった。

「今日の午後、案件説明の場を設ける。第一営業局は全員参加で」

 昼休み。近くの定食屋に行くと、先に正木がカウンターで食事を取っていた。瑠衣の姿を見ると軽く手を上げた。隣の席が空いていた。

 腰かけて日替わり定食を食べると正木が話しかけてきた。
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  • 結婚式の端っこで、君と乾杯を   67話「育ててもらいました」

     午前中、瑠衣は資料室の奥で古い段ボール箱を開けていた。 表面は日に焼けて茶色く変色し、テープの跡がいくつも重なっている。角が少し潰れ、持ち上げるとかすかに軋む音がした。蓋を開けると、埃っぽい紙の匂いが立ちのぼった。奥の棚の隙間から、長年動かされていなかったことが分かる薄い埃の層が見えた。窓から差し込む光の中に、埃が細かく舞うのが見えた。  中には、灯火書房の創業当時のものらしい書類が詰まっていた。 手書きの帳簿。角の擦り切れたパンフレット。インクの色が薄くなった契約書の控え。表紙に書かれた年号は、瑠衣が生まれるよりも前のものだった。ひとつひとつを丁寧に取り出しながら分類していく。紙は乾いていて、扱うたびにかすかな音を立てた。 帳簿のページをめくると、几帳面な数字の並びが目に入った。誰の字なのか、瑠衣には分からなかった。パンフレットの隅には、今とは違う古いロゴマークが印刷されていた。 書類の束の下に、封筒に入った写真が何枚か重なっていた。封筒の紙はすでに黄ばみ、端が少し丸まっている。瑠衣はその封筒を手に取り、中身を確認しようとした指を止めた。何が入っているのか分からないまま、しばらく手のひらの上で重さを確かめていた。封筒の隅には、消えかけた鉛筆書きで日付らしき数字が記されていた。  封筒の口を開け、一枚を取り出す。 写真は全体的に色が褪せ、赤みがかった色調になっていた。小さな事務所らしき場所に、数人の男女が並んで写っている。机の上には古いタイプライターが置かれ、壁には手描きの案内板のようなものが掛かっていた。今の灯火書房とは違う、狭く簡素な部屋だった。段ボール箱が壁際に積まれ、床には配線コードがむき出しのまま這っている。窓には今はもう使われていないタイプのカーテンが掛かっていた。 端のほうに、まだ若い灯が写っていた。今よりも髪が長く、表情も硬い。少し緊張したような立ち姿で、カメラのほうをまっすぐ見ていた。 その隣に立つ人物の顔に、瑠衣は目を留めた。目尻の皺の寄り方、少し傾いた立ち方に、見覚えがあった。「......おじいちゃん」 声に出してから、瑠衣は思わず周囲を見渡した。資料室には誰も気づいた様子がない。御厨は棚の前で資料を確認しており、氷川は隅の机で別の作業に没頭していた。窓の外を、鳥の影が一羽横切っていった。  瑠衣はもう一度、写真に視

  • 結婚式の端っこで、君と乾杯を   66話「血のない家族」

     午後の資料整理をしていた瑠衣のスマートフォンが机の上で震えた。画面には母の名前が表示されている。手を止めて確認すると祖父の法事についての連絡だった。日時と場所を確かめてから短く返信する。しばらく画面を見ていたが、追加の連絡が来る様子はなかった。瑠衣はスマートフォンを伏せ、開いていた資料へ手を戻した。「ご家族の用事ですか?」 向かいの机から藤堂が顔を上げている。「祖父の法事です」「それは行かないとですね」「はい」 瑠衣はスマートフォンを鞄へしまった。資料の端を揃えてから、途中だった数字の確認を続ける。藤堂もそれ以上は聞かなかった。隣の机では御厨が画面を見たまま作業を続けている。いつもの午後だった。 法事の日は朝から曇っていた。駅から歩いていくと寺の門が見えてくる。境内にはすでに何台か車が停まっていて、親族らしい人たちが本堂へ向かっていた。見覚えのある顔もあれば、名前の分からない人もいる。瑠衣は軽く頭を下げながら、その中を通った。 靴を脱いで中へ入ると、父がすぐに気づいた。「せっかくの会社を辞めて、今はどうしてるんだ」「働いてる」「どこで?」「出版社」 父は一度瑠衣の顔を見てから、隣にいた親戚へ視線を移した。「出版社か。前よりはいいのか?」「普通」 母が横から口を挟む。「お給料は大丈夫なの?」「大丈夫」「そう」 母はそれ以上聞かなかった。瑠衣が座布団へ座ると、少し離れたところにいた真衣がこちらを見る。以前より大きくなったお腹を抱えるようにして座っていた。「お姉ちゃん、仕事辞めたんだっけ?」「うん」「ああ、そう」 真衣はそれ以上何も言わず、お腹へ手を添えた。瑠衣も正面へ向き直る。母が親戚の誰かと話し始め、父は別の人に呼ばれて席を

  • 結婚式の端っこで、君と乾杯を   65話「お願いできること」

     午前中、瑠衣は資料整理の机に向かっていた。前日に戻ってきた書類を年度ごとに分け、確認を終えたものからファイルへ収めていく。 電話が鳴ったのは、ちょうど一冊の背表紙を揃えたところだった。「資料整理の担当って、江品さんで合っていますか?」 受話器を耳に当てたまま、瑠衣は手元のファイルに目を落とした。「はい」 相手は営業部の高瀬と名乗った。数年前のイベント資料を探しているらしい。開催時期と資料の内容を聞きながら、瑠衣は空いている用紙にメモを取った。「少々お待ちください。確認します」 受話器を置くと、隣の机にいた御厨へ視線を向ける。「御厨さん。この年度のイベント資料なんですが……」「江品さんが担当した資料なら、江品さんが探した方が早いですよ」 御厨は画面から目を離さず、右手だけを資料庫の方向へ向けた。 瑠衣は一度だけ瞬きをした。それから手元のメモを持ち上げる。「分かりました。確認してみます」 立ち上がり、資料庫へ向かった。 受話器を置いたあと、瑠衣はメモした日付をもう一度確認した。三年前の資料だった。ファイル名だけでは判別しにくいものも多く、資料庫の配置を思い浮かべながら歩く。机の端に置いていたペンを戻し、メモだけを持って進んだ。 資料庫の扉を開けると、棚には年度ごとに並んだファイルが続いていた。瑠衣はメモを見ながら該当する棚を探し、背表紙を一冊ずつ確認していく。見つけた資料を机へ戻して中身を確認すると、探していたイベント名が目に入った。 必要なページを抜き出し、コピーを取る。原本を元の位置へ戻してから、コピーを封筒に入れた。 高瀬のいる営業部へ向かうと、何人かが机を囲んで資料を見ていた。営業部の机には、開いたパソコンと書類がいくつも並んでいる。高瀬は瑠衣に気づくと振り向いた。「これです」「助かりました。これ、ずっと探してたんです」 高瀬は受け取った資料をすぐに開き、目的のページをめくった。紙を押さえる指が止まり、探していた箇所を見つける。

  • 結婚式の端っこで、君と乾杯を   64話「知らないところで」

     昼休みになると、社員食堂が少しずつ混み始めた。灯火書房には部署ごとに席が決まっているわけではなく、空いている場所へ社員が自然に集まっている。瑠衣も藤堂、御厨、氷川と同じテーブルについた。 窓際では別の部署の社員が仕事の話をしている。食器の触れ合う音と話し声が重なる中で、氷川は食事より先に机の端へ置かれた雑誌を手に取っていた。「これ、先月のですね」「食べてからにしてください」「すみません」 氷川が雑誌を伏せたところで、藤堂が何気なく口を開いた。「そういえば、最近オルビット・コミュニケーションズが大変らしいですよ」 瑠衣の箸が止まった。 持ち上げたご飯が、そのまま少しの間だけ宙に浮く。瑠衣は静かに箸を下ろした。「大変、ですか?」「ええ。取引先の人がそんな話をしてました」 藤堂は煮物を一口食べてから、湯飲みに手を伸ばした。「前にうちと広告の企画をしていたところでしょう?」「そうです」 御厨が頷く。「少し揉めたみたいですね」 瑠衣は弁当の端にある卵焼きへ箸を伸ばした。味はいつもと変わらないはずなのに、口へ運ぶまで妙に時間がかかった。「広告の担当だった社員さんが、若い俳優さんと一緒にいるところを週刊誌に撮られたとか」 瑠衣の箸先が弁当箱の隅に触れた。 梨香子の顔が浮かぶ。 けれど、その名前は誰の口からも出なかった。「それで企画も変更になったらしいですよ」 藤堂は煮物の汁が蓋につかないように箸で端へ寄せている。「まあ、若い人ですしね」「若いからって、何でも許されるわけじゃないと思いますけど」 御厨が湯飲みを持ち上げる。「仕事と私生活は分けた方がいいと思いますけど」 瑠衣は顔を上げた。 御厨は誰かを責めるような顔をしていない。ただ湯飲みの

  • 結婚式の端っこで、君と乾杯を   63話「捨てないもの」

     午前中から資料室の整理をしていた。古いパンフレットや販促物、企画書の控えが入った箱を一つずつ開けて、保存するものと廃棄するものを分けていく。紙の端が擦れる音が重なり、机の上には細かな紙片が少しずつ増えていった。  瑠衣は確認を終えた資料を廃棄予定の箱へ入れていく。古いものほど文字が薄くなっていて、紙にも長くしまわれていた匂いが残っていた。  一枚の販促物を手に取ったところで、背後から声がした。 「それ、捨てないでください」  瑠衣の手が止まる。  振り返ると氷川が立っていた。視線は瑠衣ではなく、その手元に向いている。 「廃棄予定と書いてありますけど」 「書いてありますね」 「では、どうして……」  氷川が資料を受け取った。表と裏を確かめ、端を指先で軽く弾く。 「紙がいいんです」  瑠衣は資料を見た。  古い。少し黄ばんでいる。文字も今の印刷物より粗く見える。 「……紙が?」 「はい」  氷川は当然のように頷いた。 「この厚さで、この印刷なら残したほうがいいです」  瑠衣は廃棄箱と氷川の手元を交互に見た。 「でも、これ、もう使わないですよね?」 「使いません」 「じゃあ……」 「だからこそです」  氷川は真顔だった。  資料を机へ置くと、今度は紙の端を親指でゆっくり撫でた。 「見てください。表面が少しざらついているでしょう」 「はい」 「インクの乗り方も今とは違います。文字の周りが少し沈んでいるのが分かりますか」  瑠衣は顔を近づけた。 「……少しだけ」 「この時代の印刷は、紙に合わせてインクの量を変えていたんです。たぶん」 「たぶんなんですね」 「すみません。そこは資料を調べないと分かりません」  氷川は一度口を閉じた。  瑠衣がほっとしたのも束の間だった。 「ただ、紙についてはかなり分かります」 「そうですか」 「この厚さなら保存状態がよければ

  • 結婚式の端っこで、君と乾杯を   62話「同じようなもの」

     朝、瑠衣が灯火書房の扉を開けると、いつもの時間には聞こえる藤堂の声がなかった。受付を通り、資料室へ向かう途中で時計を見る。始業時刻を少し過ぎている。 いつもなら誰より先に来ている藤堂の机には、まだ鞄がなかった。昨日まで置かれていた小さな菓子袋もない。瑠衣が席についたところで、入口の扉が開いた。 しばらくして藤堂が入ってきた。息を切らしているわけでもなく、髪が乱れているわけでもない。鞄を机の脇に置くと、いつものように資料を抱えた。「おはようございます」「おはようございます」 それだけだった。 藤堂はパソコンを立ち上げ、昨日の続きの資料を机へ並べた。いつもと同じ手つきだった。 午前中、藤堂はいつも通り仕事をした。遅れてきたことには触れなかった。瑠衣も触れなかった。ただ、いつもより少しだけ動作が遅い気がした。資料を手渡すときも、机に置くときも、ほんの少しだけ。 昼休み、瑠衣が席を立とうとしたとき、藤堂の机の上に古い社員証のようなものが置かれているのが見えた。角が擦れ、写真も今より若い。藤堂はそれを指先でなぞっていた。 瑠衣の気配に気づくと、藤堂はすぐに裏返した。「昔のものです」「……そうなんですか」 藤堂は社員名簿を元の場所に戻した。丁寧に、ゆっくりと。それから別の資料に手を伸ばした。話は終わった。そういう空気だった。瑠衣は抱えていた資料を棚に並べながら、その背中を少しだけ見た。藤堂の肩幅は、思っていたより小さかった。いつも資料を抱えて歩いている姿しか見ていなかったから、気づかなかった。 午後、瑠衣が資料を運んでいると、資料室の隅で藤堂が古いファイルを整理していた。茶色く変色した紙が何冊も並んでいる。表紙には年度が手書きされていた。 瑠衣が一冊を持ち上げると、中から古い社員名簿が滑り出した。紙は薄く、端が少し波打っている。 目を走らせていくと、藤堂の名前があった。日付は二〇〇〇年代の初めだった。「藤堂さん、長いんですね」「そうですね

  • 結婚式の端っこで、君と乾杯を   1話「婚約破棄の夜」

     瑠衣は今日も仕事で帰りが遅くなった。  "江品"という表札の門をくぐった時に、違和感を感じた。実家なのに、自分が住んでいる家なのに、何か違う感じがした。そしてそれは、玄関に入った時に確信した  玄関に靴が多い。  父のスリッパ、母のパンプス、妹の真衣のスニーカー、それから男物のローファーが二足。 仕事帰り、鍵を回す手が一瞬止まった。いやな予感というより、答えの見えた数式を解く前の感覚に近かった。  リビングのドアを開けると、全員いた。父、母、真衣、婚約者の深内雅之、そして見覚えのある顔が二つ——雅之の両親だ。テーブルを囲んで

  • 結婚式の端っこで、君と乾杯を   7話「変な人」

    金曜日の夜、玄関を開けたら革靴があった。なぜか少し安心した。その事実に気づいて、すぐ気づかないふりをした。スーパーの袋を台所に置いて、地下書庫に向かった。灯は先週と同じ場所にいた。棚の前に立って、背表紙を眺めていた。「こんばんは」「こんばんは」それだけだった。いつも通りだった。夕食を作りながら、考えた。先週来た。今週も来た。偶然が二回続くと、習慣に近い。灯が「普段は別の場所に住んでいて、本が読みたいときだけ来る」と言っていたの

  • 結婚式の端っこで、君と乾杯を   6話「不意の来訪」

     金曜日だった。 仕事帰りの電車の中で、今週を振り返った。同情された。気を遣われた。案件は三件動いた。雅之からまた意味のわからないメッセージが来た。無視した。上司に「本当に大丈夫か」と四回聞かれた。四回とも大丈夫だと答えた。 豪邸に帰るのが、少し当たり前になってきていた。 それが嫌だった。当たり前にしていい場所ではない気がした。でも帰る場所はここしかなかった。 最寄り駅で降りて、いつもの道を歩いた。コンビニに寄ろうか迷って、今日は食材を買おうと思って、駅前のスーパーに入った。何を作るか決めていなかったが、野菜と豆腐と卵を買った。それだけあれ

  • 結婚式の端っこで、君と乾杯を   5話「広すぎる静寂」

     目が覚めた瞬間、ここが自分の家ではないことを思い出した。  天井が違う。染みがない。高い。白い。  ソファで寝ていた。ベッドは二階にあったが、昨夜は上がる気力がなかった。体を起こすと、リビングの壁一面の本が目に入った。昨日からそこにあった本が、今朝もそこにあった。当たり前だった。  スマホを見た。会社からの着信が二件入っていた。上司の番号だった。折り返した。 「無理して来なくていいぞ」 「出ます」  少し間があった。 「そうか」  それだけだった。電話が切れた。シャワーを浴びて、スーツに着替えた。 株式会社オルビット・コミュニケーションズ。広告代理店。勤続六

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