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第87話 言えない気持ち

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-06-21 20:29:51
宵闇がゆるやかに空を染め、 街に春の訪れを告げる桜祭りの日が、いよいよ始まった。

桜織の街は、淡い灯篭の光でやさしく彩られている。

一つ一つの灯篭には、亡き人への祈りや、叶えたい願いが丁寧に記され、夜空を彩る花火がこの街を一年で最も幻想的な空間へと変える。

……僕と美琴が出会ってから、まもなく一年が経とうとしていた。

この一年は、不思議なほどに早く、そして濃密で、気づけば彼女は僕の世界の多くを占めるようになっていた。

昨日の翔太とのやり取りが脳裏をよぎり、不意に顔が熱くなる。

『二人で回れよ!』

翔太の言葉に背中を押され、そして、僕自身が心から美琴と「一緒に過ごしたい」と願った結果……。

僕は…思い切って美琴を桜祭りに誘った。

数秒の沈黙が永遠のように感じられたけど、彼女は静かに…でも、嬉しそうに頷いてくれたんだ。

あの瞬間、なんだか、とても嬉しくて内心ではガッツポーズをしてしまった。

そして、まさに今、僕は胸の高鳴りを感じながら、紺色の浴衣に袖を通す。

袖を通した紺色の浴衣は、派手さはないが品のある一着。これは、父さんが母さんと出会った、あの桜祭りの日に着ていたものだと、随分前に聞かされていた。

その時は何気なく聞いていた話が、今になって特別な意味を持って胸に響く。父さんと同じ場所で、同じ祭りの夜に、大切な人と一緒にいる。

そんな都合のいい偶然に、柄にもなく、ほんの少しだけ期待してしまっている自分がいることに気づき、一人で顔が熱くなるのを感じた。

そんな時、美琴からのメッセージが届く。

《今から出ますね。》

《了解!気をつけてね》

たった一言、彼女からのメッセージが届いただけなのに、心臓が馬鹿みたいに跳ねるのが分かった。この高鳴りが、文字にまで滲み出てしまいそうだ。

僕は一度、大きく深呼吸をして、逸る心を無理やり落ち着かせる。そして、震えそうになる指で、できるだけ普段通りに見えるように、短い返事を打ち込んだ。

***

外にはすでに、灯篭の光がぽつりぽつりと瞬き、淡い橙色が夜を迎えようとする街を優しく照らしている。

そして──

「お待たせしました。」

聞き慣れた、けれどどこか特別に響く声が耳に届いた。

振り返ると、桜色の浴衣に身を包んだ美琴がそこに立っていた。

美琴の
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