Masuk「もしもし?」
一秒ほどの間の後、受話器の向こうから、おずおずとした声が届いた。
「あの、こちらは鳴海颯斗さんの携帯電話でしょうか」
その声を聞いた瞬間、練の眼差しに確信の色が灯った。
間違いない、これは睦弥の声だ。
練はスピーカーモードを解除し、スマートフォンをすっと耳元に寄せた。
「ええ、そうです。颯斗くんなら今、シャワーを浴びているところですが……。よろしければ私がご用件を伺いましょうか。後で必ず本人に伝えますので」
睦弥は一瞬言葉に詰まったが、やがて何かに思い当たったように、はっと息を呑む気配がした。「霧生……さん?あなた、霧生さんですよね」
練は口元を綻ばせた。「はい、その通りです。星
壮馬はその言葉を聞いた瞬間、顔を真っ赤にしたかと思えば、今度は青ざめるなど、表情を目まぐるしく変化させた。「俺はただの親切心だよ。博人さんに気持ちよくなってもらおうと思っただけだ。同じ男なんだし、たまには発散したい時だってあるだろ?」「俺には必要ない」博人は表情一つ変えずに答えた。「そういうことは、他の奴を当たってくれ」壮馬は目を丸くする。「何を言って……」「よく夜中になると、何人かの男がお前を一人で訪ねてくるだろう? お前らが一緒に出かけた後、戻ってくるのはいつも一、二時間後だ」「でたらめ言うなよ!」壮馬は逆上し、顔を真っ赤に染める。「俺がそんなふしだらな人間だって言うのか!? あいつらとは……ただトランプをしに出かけてるだけで……」「トランプをして帰ってきただけなのに、わざわざシャワーを浴びる必要があるのか?」博人の言葉は決して多くなかった。だが、その一言一言は、まるで狙い澄ましたように壮馬の痛いところを突いていた。ここは北国の寒冷地だ。毎日風呂に入る者など、ほとんどいない。それなのに壮馬は、夜中に他の男と出かけた後、帰ってくるたびに必ず石鹸の爽やかな香りを漂わせていた。博人はそれに気づいていながら、今まで何も言わなかった。ただ、そんな些細な違和感の一つ一つを、黙って心の中にしまっていたのだ。壮馬はいよいよ取り繕うことができなくなり、口元に引きつった笑みを浮かべた。「俺のこと、そんなふうに見てたのか? 俺が誰とでも寝るような、軽い男だとでも思ってたのか?」「そんなことは言っていない」「その目がそう言ってるじゃないか!」壮馬は悔しさのあまり涙をこぼし、勢いよく床から立ち上がった。「俺がおかしいって、変態だって思ってるんだろ!」「思っていない」博人も立ち上がろうとした。だが、少し身体を動かしただけで、足首に鋭い痛みが走る。「お前を見下してなんかいない。ただ、俺は本当にそういうことは……」「俺だって、好きでこうなったわけじゃない!」壮馬は博人の言葉を遮り、鼻水と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫び散らす。「俺みたいな良い男なら、みんな甘やかして、可愛がって、ご機嫌取りに必死になるっていうのに! それなのにあんたは、逆に俺を鬱陶しがるのかよ!?」「鏡で自分の顔でも見てみろよ。あんたみたいな奴に、俺が釣り合わ
博人はもともと、かなり羞恥心の強い性格だった。先ほどから続いていた際どすぎる質問だけでも十分に不快だったが、口下手な彼には話題を逸らす術もなく、結果的に壮馬の好きなようにさせてしまっていた。だが、壮馬の手が通気性の悪い作業ズボンの中へ入り込んできた瞬間、ついに我慢の限界を迎えた。博人はその無遠慮な手を強く掴み、こわばった声で壮馬を怒鳴りつける。しかし、壮馬はまったく気にする様子を見せなかった。甘えるような声で「博人さん~」と呼びながら、にやにやと笑ってさらに身体を寄せてくる。「俺、寒いんだよ~」普段、他人の前で見せている明るく無邪気な姿とはまるで別人だった。この時の壮馬の声は、綿のように柔らかく、甘くとろけてしまいそうな響きを帯びていた。「寒いなら服を多めに着ろ。俺のコートをやる!」博人は低い声で言い返す。だが、壮馬が続けて放った一言は、小屋の中にいる者も、外で聞き耳を立てている者も、誰もが呆然と固まってしまうほど衝撃的なものだった。「誰があんたの服なんか欲しいって言ったんだよ。俺が欲しいのは……あんたに抱きしめてもらうことさ」「お前……俺に……何をしろって言うんだ?」博人の頭は完全に処理能力を失ったかのように混乱し、舌までうまく回らなくなっていた。そんな彼の様子を見た壮馬は、思わず吹き出すようにクスクスと笑い、もう一度同じ言葉を繰り返す。「俺は博人さんに抱きしめてほしいんだよ。ねぇ、試
三人は必死に力を合わせ、ようやく博人を木材の下から引きずり出すことに成功した。救出された時には、博人の脚はすでに鮮血に染まり、骨もあり得ない方向へと曲がっていた。そんな凄惨な光景を初めて目にした壮馬は、恐怖のあまり完全に取り乱していた。だが、当の本人である博人のほうが、激痛に耐えながらも冷静で、自分は大丈夫だ、少し休めば平気だと、逆に壮馬を励まし続けている始末だった。「ごめんよ、博人さん……俺、わざとじゃなくて……」壮馬は涙をこぼし、声を詰まらせる。「泣いていたって何になるんだ。早く傷の手当てをしろ!」父親が傷つけられた姿を目の前にして、颯斗が気が気でないのは当然だった。だが、謝罪と涙を繰り返すことしかできない壮馬の姿が、余計に颯斗の苛立ちを刺激し、思わず荒い口調になってしまった。颯斗に怒鳴られた壮馬は、すっかり萎縮し、何も言えなくなってしまう。「落ち着け。頭を冷やすんだ」練は颯斗の肩に手を置き、軽く叩いた。その穏やかな声に、熱くなっていた颯斗の頭は急速に冷えていく。颯斗は父親のそばへしゃがみ込むと、何も言わずにコートを脱ぎ、さらにその下に着ていたシャツも脱いだ。それを応急処置用の包帯代わりにして、博人の脚の傷口をきつく縛り上げる。その間、練は周囲を見渡した。「この近くに、寒さをしのいで休めるような小屋はないか?」「ある」博人は手を上げ、北東の方向を指差した。「あちらへ十
伐採エリアに到着すると、博人と壮馬はそのまま一日の作業に取りかかった。颯斗と練はトラックの中でただ待機するような真似はせず、視察という名目で影のように二人の後を追った。博人が担当しているのは、現場の最前線での作業だった。主に伐採、集材、積み込みなどの工程を担っており、どれも高度な技術と体力を必要とする重労働で、誰にでも務まる仕事ではない。幸いにも博人は農業大学の卒業生で、専門分野も林業と深く関わっていた。そのため、中卒の作業員が多いこの林業所では、ひときわ高い作業能力を発揮していた。さらに、真面目で勤勉、弱音や不満を口にすることもなかったため、林業所からは何度も表彰を受けているほどだった。一方、壮馬との関係は、二人を対等な相棒と呼ぶよりも、むしろ先輩と後輩と言ったほうが近かった。壮馬はまるで小さな付き人のように、いつも博人の周囲をちょこちょこと動き回っている。そんな壮馬に対し、博人は頼りになる面倒見の良い先輩そのものだった。分からないことがあれば一から丁寧に教え、経験不足から失敗しても決して怒鳴りつけることはない。どこが間違っていたのかを、根気よく諭すように説明していた。森での作業は、忙しくなればなるほど時間の流れが早い。気がつけば、いつの間にか昼食の時間になっていた。作業員たちの昼食はいたって質素なものだった。おにぎりに漬物、そして目玉焼き。それだけの簡素な食事である。ただ、壮馬だけは少し違った。博人の隣に腰を下ろすと、自分の弁当箱に入っていた玉子焼きを、箸でつまんで博人の椀へ入れた。「俺の母ちゃんが作った玉子焼き、すげえ美味いんだ。早く食べてみてよ」「
助手席に座る若者の名は、小林壮馬。博人と同じく、この赤峰林業所で働く作業員だった。颯斗と練が車に乗り込んでからというもの、彼の口はまるで止まることを知らなかった。「あんたたち、どんな仕事してるんだ?ここの作業員って感じじゃないけどな」壮馬は後ろを振り返り、練の顔を見ながら人懐っこい笑顔で話しかける。「特にそっちの兄さん、すごく雰囲気があるよな。一目見ただけで、教養のある人だって分かるよ」「俺たちは視察に来たんだ」練は、颯斗が今は話しづらい状態であることを察し、壮馬の尽きることのない話題に、無難な返答を返した。「視察?」壮馬は目を輝かせ、明らかに興味を示す。「もしかして、科学者なのか?」「県から派遣されて、現地調査に来た地質専門家だ。ここ赤峰林業所の自然環境を調べている。ただ、その途中で道に迷ってしまってな……そうだ、これが俺の名刺だ」そう言いながら、練はポケットからあらかじめ用意していた名刺を取り出し、壮馬へ手渡した。名刺には「環境生態研究所」「政府特派専門家」など、いかにもそれらしい肩書きが並んでいる。どれも練が作り上げた偽りの肩書きにすぎない。だが、専門外の人間を納得させるには十分すぎるほどの説得力があった。「なんだ、県から来た人だったのか!だったら早く言ってくれよ。何か必要なことがあれば、遠慮なく言ってくれ。赤峰林業所は全部、俺の親父が管理してるんだから」名刺を見るなり、壮馬は満面の笑みを浮か
言葉が落ちるや否や、颯斗の背中に焼けつくような激痛が走った。銃弾を受けたはずの魇は、まだ息絶えてはいなかった。死の間際の最後の足掻きで鋭い爪を振り上げ、颯斗の隙を突いて背中へと一撃を叩き込んだのだ。不意打ちの一撃を受けた颯斗は、体勢を崩して前のめりに倒れ込む。足元が突然、何もない空間へ踏み出してしまったことに気づいた時には、すでに全身が宙へ投げ出されていた。視界がぐるりと回転する。断崖から落ちる寸前、颯斗は反射的に何かを掴もうと空中でもがいた。そして、やみくもに伸ばした手が、必死に練の腕を掴み取る。「颯斗!!」「うおおおおっ!」二人の叫び声が重なる。颯斗と練は互いの体を抱え込むようにして一つになり、そのまま崖下へと転がり落ちていった。季節は厳冬。山に積もった雪は、優に一メートルを超える厚さがあった。断崖は高いと言えば高く、低いと言えば低い。目測では三、四階建てのビルほどの高さだった。即死するほどではないにせよ、半死半生の重傷を負うには十分すぎる高さだ。しかも運の悪いことに、二人が落ちた場所はちょうど山道の真ん中だった。そこへ、少し離れた場所から一台のトラックがこちらへ向かって走ってくる。颯斗はなんとか起き上がろうとする。しかし、全身の骨が砕け散ったかのような激痛が襲い、少し動くだけでも歯を食いしばるほどの痛みに耐えなければならなかった。手足はまるで自分のものではないかのように、言うことを聞かない。森の中に、耳をつんざくような急ブレーキの音が響き渡った。颯斗が恐る恐る振り