純愛小説家の葉弥将志はとにかく困っていた。
一日中パソコンに向かっているからか、首も肩も背中も腰も凝っていてバキバキするし痛い。 「今回は……これかな……」 フリマアプリで検索した安眠枕を購入する。これで何個目だろう。すっかり安眠枕ジプシーだ。 良さそうなものはたくさんあるけれど、あまりお高いものは失敗した時に後悔しそうで購入出来ない。 必然的にお手頃価格の枕ばかりを購入するが、すぐにへたれてしまう。 「もう、思いきって高いの買った方が特なのかな」 けれど勇気が出ない。合わなかったら無駄になる。 「……とりあえず銭湯行こうかな……」 行きつけの銭湯にはマッサージチェアが置いてある。 昔のマッサージチェアがどんな物だったか知らないが、何やらタイムマシンのようにゴツい代物だ。 将志はそのマッサージチェアのリピーターだった。 しかし、問題もある。 ──近所の銭湯で置いてるマッサージチェア、あれ気持ちいいけど力加減が設定出来ないからかな、終わった後は体のあちこちが痛むんだよなあ。 一回三百円で十五分、値段を思えば十五分の間の極楽分は仕事をしてくれている。 ──そもそも、僕の体にマッサージチェアが合ってないのかも。 ぶっちゃけ、標準より筋肉も脂肪もない。ああいう物は人並みな人間を基準にしているかもしれない。 かといって、マッサージサロンには行きづらい。 将志とて、行った事はある。 しかし、その時はスタッフが終始「固い」「ツボに指が入らない」と言われ続けて──それでも気持ちよかったのでまた行ったら、後輩らしきスタッフに回された。 その時は、さすっているのか揉んでいるのか分からないような、少しの気持ちよさもない施術で懲りた。 「何か良い方法はないかなあ……」 呟きながら、スマホのマンガアプリを開く。息抜きになるので、毎日必ず何かしら読んでいる。 小説家ならば読むべきは小説だろうが、メンタルが弱いのか、影響を受けやすいから、気になるジャンルの作家が書いた小説もなかなか読めないのだ。 ──それにしても、最近はマンガアプリに闇がちらつく……。 ここのところ、よく見かける女性用風俗ネタは女性がセラピストに入れ込んで泥沼になるものばかりだ。 ──でも、これ、マッサージから施術を始めるみたいなんだよな。 そこは大変魅力的だ。 ──それなら高いお金を払うんだし、マッサージだけお願いしても許されるかな?失礼かな……いや、だけど背に腹はかえられない。 問題は男性が女性用風俗を使っていいかだ。 エチチな施術に突入されても困る。 それでも、ものは試しと検索すると、色々なサイトがヒットした。 ここのところ、そうしたサイトを眺めてはブラウザバックしている。 しかし、そうしている間にも、いよいよ凝りが耐えきれなくなってきた。 ──もう、何でもいい、解してくれるなら。 短絡的思考だが、切実なのだ。 将志は検索上位のサイトを開き、一覧になっているセラピスト達をよくよく見つめた。 ランキングで表示されていて、口コミも載っている。 しかし何というか、華々しい美青年から美丈夫まで、やたらと画面から主張してくる。 ──こういう人達は性的サービスをして当たり前って感じに見える……。 プロフィール画像だけでもフェロモンがすごい。 ──なんていうか、もっと普通な……。 親しみやすい人がいい。 一人一人をクリックして、売りやNGオプションを見てゆく。 そして、ランキング五位の「翼」が目に止まった。 彼は髪型も服装もナチュラルにまとめていて、和風のイケメンだった。 撮影場所も自然公園なのか、緑を背景にして爽やかだ。 どうにも彼のこだわりを感じるが、もの柔らかなイメージに徹した姿は好印象が持てた。 口コミも悪くない。「優しく癒してくれた」が目立つ。 ──マッサージサロンより高いけど……女性スタッフには僕の凝りって解すの苦行らしいし……その点、男性なら手の力もあるし、体力だって女性用風俗で働くくらいなら十分あるはず。 それなら心も痛まないように思える。 「翼君、か……あ、」 スケジュールを見たら、翼には明日の午後に空きがある。二時間コースなら大丈夫そうだ。 「……う……でも……いや、これも何かのお導き……」 マウスを使う手が汗ばんでくる。 胸がもぞもぞするような、落ち着かない気持ちと戦いながら──将志は清水の舞台から飛び降りる覚悟で予約に進んだ。 「初めての利用だからか記入欄多い……」 しかし、その頃には予約する事についてハイになっていた。怪しいドーパミンでも出ていそうだ。 「──明日の午後二時から二時間コース希望……予約確認をクリック……」 ──やった、予約を成し遂げた……。 昂揚感と虚脱感が心を満たす。ほろ酔いみたいな浮つく感覚がした。 すると、すぐスマホにメッセージが届いた。 ──え?まさか、予約出来なかったとか? 恐る恐る見てみると、予約受け付け完了の案内だった。 ──わ、これでマッサージしてもらえる。 だが、女性用風俗だ。風俗ならば、破廉恥な格好にならざるを得なくないか? ──裸なんて見られたくない……見たいわけでもないし……。 将志は今さらになって煩悶し、そこで一計を考えた。 幸い、今日のノルマは達成している。──明日に備えて買い物だ。 そこで、新たなメールが届いた。今度は担当編集からだ。 ──送ったプロット……変更がやたら多い。メイン設定もキーになるもの以外は変更の提案されてる。これじゃ丸ごと作り直しだ。 純愛とはいえ、送ったプロットでは二十歳の青年と小学生が主人公だった。どうにもロリコン扱いになるらしい。 ──がっかりしたけど、編集さんの提案を受け入れた方が、安全で面白い作品になるのが分かっちゃうんだよなあ。 仕方ない。今日はまだ昼下がりで時間がある。 将志はプロットを書き直しておこうと決めて、パソコンに向かい直した。 そのおかげで、凝りは明日まで待つのがしんどい程にひどくなったが、提案に従順になって書き直し、送ったプロットはオーケーをもらえた。 ──明日……明日、何としても揉み解してもらうんだ。 こうなると、もう前のめりになってくる。 将志は営業時間終了間近のデパートに駆け込み、目的のものを購入した。 それから帰宅して、のぼせそうなくらい湯船に浸かる。温めれば凝りも少しはマシになると思っている。 もっとも、それで楽になった事は一度もないが。 「……翼君、かあ……優しいといいな……」 風呂から上がり、寝支度を整えて、ベッドに潜る。 仰向けに横たわり──この姿勢が一番、凝りまくった体には楽なのだ──興奮して寝付けないかもと心配していたが、一日の疲れのおかげで落ちるように眠りに就いていた。 それでも気持ちは昂っている。翌朝の目覚めは早かった。 「まだ六時前……」 かといって寝直す気にもなれない。起きるしかない。 「荷物、バッグに詰めよう」 デパートで購入した物を、手持ちのバッグで一番大きい物に詰め込む。かさばるのでファスナーを閉めるのに苦労した。 それから、食欲はなかったが食べないわけにもいかないと言い聞かせ、冷凍ご飯でお茶漬けを作った。 これなら緊張していても比較的喉を通りやすい。 水分に頼って流し込み、三分間で食事を終えて片付ける。 およそ健康的とは言いがたいが、手の込んだ料理なんて作れないし、作る時間的余裕もないのが日常だ。 「時間を家で待つのも落ち着かない……じれじれする……」 手持ち無沙汰だが、それでも家を出る時間までは待つしかない。 仕事でも進めておこうか。そう思いもしたが、落ち着かなくて意欲が湧かない。 暇つぶしにテレビを観る習慣もない。マンガアプリの作品を読もうと思ったが、楽しむコンディションではなかった。 ──予約時間、早めてもらえないかな。無理だよなあ……ランキング五位の人だし。 待つだけの時間は苦行だ。何も手につかないならなおのこと。 ──起きてるのも怠いし、横になってみて……。 そう思い立ってベッドに寝転がる。しかし落ち着かなくて数分おきにスマホで時刻を確認してしまった。 ──何で僕、リラックスする為なのに気を揉んでるんだろう。 そう考えると自分を少しは俯瞰出来る。明らかに馬鹿げている。 ──もういいや、家を出て適当な喫茶店とかで時間を潰そう。閉じこもってたりするから、もやもやするんだ。 気分転換の為の気分転換。将志は大きなバッグを下げて、普段使いのバッグも持って家を出た。 幸いにも、指定した待ち合わせ場所の近くには喫茶店が多い。 そわそわしながらコーヒーを飲むのは、何とも呆気なくて時間がかからない事もあり、将志は喫茶店をハシゴした。 我ながらおかしいと思わざるをえないが、これも初体験をするのだから仕方ないじゃないかと思う。 四軒目の喫茶店で軽い昼食を済ませると、やっとの事で頃合いになった。 会計を済ませ、待ち合わせ場所へと向かう。大した脚力もないくせに足が急いてしまう。 ──この駅前の植え込みが待ち合わせ場所。 すると、サイトで凝視した人物が立っていた。 「翼さん……ですか?」 ──まさか、早くに来てくれるなんて。四軒目行かなければよかった。 悔やみながら声をかける。相手が向き直り、ほんのりとした笑顔を浮かべた。 「はい。この度はご指名ありがとうございます。将志さんですよね?」 「あ、はい。そうです。今日はその、よろしくお願いします」 「そんなにかしこまらなくて大丈夫ですよ。良い時間を過ごす為なんですから」 「あ……ありがとうございます」 ここで、翼はサイトの画像よりも実物の方が綺麗だと思えた。纏う空気が風俗と思えない程に澄んでいる。隠微な印象は微塵もない。 思わず見とれてしまっていると、翼がバッグに目をとめた。 「大荷物ですが、道具類の持ち込みでしょうか?」 「道具類?」 いわゆる大人のおもちゃを言っているのだろうか。だとしても、どれだけ大量に用意したらバッグがいっぱいになるんだ。 「違うんですか?」 「……あ、道具というかガウン二人分です……」 これこそが購入した品物だ。洋服姿では施術出来ないだろう。だけど裸にタオルというのも恥ずかしい。 「なるほど、分かりました。シャワー上がりの服装はガウンでのプレイをお望みなんですね?」 「えっ」 「えっ?」 ──プレイって言った?まずい、主旨を説明しないとエッチな事される。 「あの、その……全身が凝ってて辛くて……揉んで欲しいなと……」 「えっ?」 「えっ?」 思いきり拍子抜けした顔をされて、いたたまれなくなる。 しかし相手は接客のプロだ。ランキング上位は伊達じゃないようで、すぐに表情を切り替えた。 「大変失礼しました。大丈夫です、施術はマッサージのみをご希望との事でよろしいですか?」 「はい、何だかすみません……」 「大丈夫ですよ、萎縮する事なんて何もないです。悪い事をするのでもないですし、健康的に楽しんで頂きたいです」 「あ、あの、ありがとう……ございます」 将志がしどろもどろに礼を言うと、翼は春の花みたいな笑顔を浮かべて「行きましょうか。その荷物、俺に持たせて下さいね」と言って、大きなバッグを将志の手から離した。 こうして、いよいよ将志は未知の領域に足を踏み入れたのだった。純愛小説家の葉弥将志はとにかく困っていた。一日中パソコンに向かっているからか、首も肩も背中も腰も凝っていてバキバキするし痛い。「今回は……これかな……」フリマアプリで検索した安眠枕を購入する。これで何個目だろう。すっかり安眠枕ジプシーだ。良さそうなものはたくさんあるけれど、あまりお高いものは失敗した時に後悔しそうで購入出来ない。必然的にお手頃価格の枕ばかりを購入するが、すぐにへたれてしまう。「もう、思いきって高いの買った方が特なのかな」けれど勇気が出ない。合わなかったら無駄になる。「……とりあえず銭湯行こうかな……」行きつけの銭湯にはマッサージチェアが置いてある。昔のマッサージチェアがどんな物だったか知らないが、何やらタイムマシンのようにゴツい代物だ。将志はそのマッサージチェアのリピーターだった。しかし、問題もある。──近所の銭湯で置いてるマッサージチェア、あれ気持ちいいけど力加減が設定出来ないからかな、終わった後は体のあちこちが痛むんだよなあ。一回三百円で十五分、値段を思えば十五分の間の極楽分は仕事をしてくれている。──そもそも、僕の体にマッサージチェアが合ってないのかも。ぶっちゃけ、標準より筋肉も脂肪もない。ああいう物は人並みな人間を基準にしているかもしれない。かといって、マッサージサロンには行きづらい。将志とて、行った事はある。しかし、その時はスタッフが終始「固い」「ツボに指が入らない」と言われ続けて──それでも気持ちよかったのでまた行ったら、後輩らしきスタッフに回された。その時は、さすっているのか揉んでいるのか分からないような、少しの気持ちよさもない施術で懲りた。「何か良い方法はないかなあ……」呟きながら、スマホのマンガアプリを開く。息抜きになるので、毎日必ず何かしら読んでいる。小説家ならば読むべきは小説だろうが、メンタルが弱いのか、影響を受けやすいから、気になるジャンルの作家が書いた小説もなかなか読めないのだ。──それにしても、最近はマンガアプリに闇がちらつく……。ここのところ、よく見かける女性用風俗ネタは女性がセラピストに入れ込んで泥沼になるものばかりだ。──でも、これ、マッサージから施術を始めるみたいなんだよな。そこは大変魅力的だ。──それなら高いお金を払うんだし、マッサージだけお願いしても許さ
──この愛が、いつか色褪せるものなのだとしたら。その時は、僕の心全てが消えてなくなればいい。どうか君が消してくれ。君の手で、僕を変えた君の手で。* * *「……信じられない」ぽつりと、将志が呟いた。それは断罪かと、翼が覚悟する。「信じられない。……あんなにひどい事をした君が、心に住んでて……僕はそれを憎めないんだ」将志が続けた言葉は、翼にとって、にわかには信じられない言葉だった。「僕は──何で君をこんなに好きなんだろう?」「──将志さん、それは……」将志がはっと顔を上げて翼を見つめる。ひどい顔をして、美しく澄んだ瞳で。「こんなのが愛なのか?自分じゃ消せない気持ちが溢れてとまらないのが愛っていうのか?」翼は、将志の震える声ごと抱きしめたい衝動に駆られた。力いっぱい抱きしめて、唇から漏れるもの全てを吸い取りたい。「将志さん、すみません。……愛してます」「……知らなかった。こんな、どろどろに汚れて壊される愛なんて。君のせいだ……」「すみません。それでも将志さんへの心を偽れません」「──君が僕をこうしたのなら、責任をとってくれないか」将志の瞳は熱に浮かされたように潤んでいた。心の底から沸き上がる熱が、将志をそうさせた。「君は僕だけが動かせる。そうだろ?」それは、取り結んだ関係。いつしか変化した二人の間でも、形を変えて定まっている事実。「僕を最後まで愛して、何もかもが終わる時まで離れないでくれ」「……将志さんは、それを望んでますか?本当に?」「の、望んでる。……信じられないくらいに、君がいなくなる未来が怖い」もう駄目だった。翼は腕を伸ばして将志を抱き寄せる。将志のうなじに顔をうずめて、石鹸と肌の匂いが混ざる将志だけの匂いに酔った。「……俺はあなたを愛します。俺の一番は、いつだって将志さんなんです。いつの間にか、何より誰より一番になってました。……好きです、世界で一等好きです」「し、……信じていいんだな?」「信じて下さい。将志さんの心に巣食った俺は、将志さんを裏切りません」こくり、と小さく将志が頷いた。同時に、息を呑む音がした。「……キスしても、いいですか?」翼が顔を上げて真っ向からねだる。将志の頬が真っ赤に染まった。