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花に抱かれる彼、記憶に沈む私
花に抱かれる彼、記憶に沈む私
Author: 水の妖精

第1話

Author: 水の妖精
ネットの掲示板で、ある匿名の質問が流れてきた。

【事業が軌道に乗ったら、まず貧乏な恋人を捨てる。それって、本当に正しいの?】

たくさんの「いいね」がついたコメントには、こう書いてあった。

【当たり前じゃん!自分が一番大事に決まってるでしょ?

体しか能がない安っぽい女を捨てて、金持ちのお嬢様を捕まえれば、一気に上流階級の仲間入り。それで人生の勝ち組になれるんだから】

でも、コメント欄では【クズ男】って叩かれてもいた。

【はいはい、どうも。私がその、事業が成功した男に選ばれた『お嬢様』だよ】

コメントを投稿した人は詳細に説明した。

【あの男は私にアプローチしてきた時、ぜんぶ正直に話してくれたんだ。元カノとは5年間もボロアパートで同棲してたんだって。でも、起業が成功したとたん、その週のうちに別れたらしい。

それに、彼の元カノがどれだけバカだったか、みんな知ってる?

あの女のせいで彼の会社、マジでヤバいことになりかけたんだよ。ネットでめちゃくちゃ叩かれて、業界からも干されて、もう人生オワコンでしょ。あ、そういえば、確か彼女のお父さんも心労で倒れたとか。治療費だけでも、すごい借金抱えてるらしい】

彼女は、こう締めくくった。

【だから、愛情みたいな安っぽいものだけじゃ、ダメなんだって。いざという時に、なーんの役にも立たないんだから】

私は、元カレと5年間一緒に暮らした、あのボロアパートの階段に座りこんでいた。そして、ただ何度も何度も、スマホの画面を更新していた。

その上から目線のコメントを見て、私は呆れて笑ってしまった。

人って、ここまで厚かましくなれるんだ。

元カノである私が、本当のことを知らないわけないのに。

下にスクロールすると、コメント欄は炎上していた。

彼女を【苦労知らずのお嬢様】と非難する人もいた。

でも、【大人の世界にあるのは、損得だけだ】と言う人もいた。

【あの男は、世の男なら誰もが犯す過ちを犯しただけ。もっと良い暮らしがしたいって思っただけだ】

【苦労を共にすれば幸せになれるなんて、本気で信じてる?元カノが彼についていけなかっただけで、誰のせいでもないでしょ?】

一番新しいコメントは、あの投稿者本人からだった。

【お祝いありがとう。私たち、結婚することになった】

急にスマホが熱を帯びたように感じ、手から滑り落ち、音を立てて地面に転がった。

私はゆっくりとかがんでスマホを拾おうとした。冷たい地面に膝が当たり、ずきりと痛んだ。

3年前の、あの別れの電話もこんな風に突然だった。

あの時、私は電話を握りしめ、二人で使っていた狭いトイレに立ち尽くしていた。

電話の向こうからは、高級レストランで流れているピアノの音が聞こえていた。

伊藤勳(いとう いさお)は言った。「正直、お前を見ると息が詰まる。このまま一生、あのボロアパートで終わる気がするんだ」って。

その後、いろんなことがあった。仕事を失い、ネットで誹謗中傷に遭い、父は脳出血で倒れた。

借金の取り立てが毎日のように押しかけてきて、どうしようもなくなった時、私はこのアパートの屋上に立ったことさえあった。

あれから、3年が経った。

私は、どん底から一歩ずつ這い上がってきた。

父の体も少しずつ回復して、生活もやっと上向きになってきた。

私は、スマホの画面を消した。あの女の嘘を暴くために返信する気にはなれなかった。

渦巻いていた憎しみも、悔しさも、やりきれない気持ちも、この3年間ですっかり消え失せていた。

20歳の時、アプリを作るんだって言って、勳が私を誘って起業した。

3坪のボロアパートで、私はデザインを担当し、徹夜で宣伝文句を考えた。

SNSアカウントの運営にも挑戦して、ネットでの宣伝も手伝った。

最初のバージョンは、リリース直後にサーバーが落ちて、データも全部消えてしまった。

出資者は、その日のうちに資金を引き揚げてしまった。

勳は暗い部屋の隅で、一言も話さずに座り込んでいた。

私は、アルバイトでこつこつ貯めた貯金を下ろして、小銭まで全部かき集めて彼に差し出した。

「もう一回やってみましょう。私がそばにいるから」

勳は目を真っ赤にして、まるで焼き付けるように私を見つめた。

それから彼は、「奈津美(なつみ)がいなかったら、俺はとっくにあの冬に終わってた」と、よく周りに話すようになった。

初めてまとまった投資を受けた日、勳は私を狭い物件に連れて行ってくれた。

「頭金は、これでなんとかなる。ここが俺たちの家だ」

結局、私たちはそれを買わなかった。お金はすべて事業につぎ込んだからだ。

だけど彼は、赤いビロードの小箱を取り出した。中には古びた鍵が一本入っていた。

「両親が事故で亡くなって、唯一残してくれたのが実家の権利書なんだ」そう言って、勳はその権利証を保管している引き出しの鍵を私の手のひらに乗せ、強く握りしめた。

「奈津美、今日から俺のものは、半分お前のものだ。

もし俺がいつかお前を裏切ったら、この業界からきれいさっぱり足を洗って、無一文になってやる」

鍵が手のひらに食い込んで痛かったけど、彼の瞳は、あの部屋の電球よりもずっと輝いていた。

私は、勳を信じた。

勳も私も、裕福な家庭で育ったわけじゃない。

ただ、私には一つだけ彼より幸運な点があった。それは、私をすごく愛してくれる父がいたこと。

勳には言っていない。あの時渡したお金は、実は半分以上、父が出してくれたものだったことを。

父は体が丈夫じゃない。田舎暮らしで、大してお金も持っていなかったはずなのに。

……

会社がちゃんとしたオフィスビルに移転した日、お祝いにたくさんの人が来てくれた。

その中に、高木日和(たかぎ ひより)という女性がいた。彼女は、出資会社の代表の娘だった。

オフホワイトのスーツを着た日和は、笑顔で私と握手してくれた。とても綺麗で、育ちの良さが感じられる人だった。

「高木さんって、まさに高嶺の花だね」と私が勳に言うと、彼は笑って私の頭を撫でながら、「ばかだなあ」と言った。

幸せに浸っていた私は、日和が勳を見る目に、特別な光が宿っていたことには、全く気づかなかった。
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