Share

第2話

Author: イチゴヨーグルト
ちょうどその時、個室から人が出てきて、悠斗の言葉は不意にさえぎられた。

彼が私の方に少し身を寄せたのを見て、夏美は酔ってかすんだ目を細め、お酒の匂いをさせながらふっと鼻で笑った。

「梓、私があなたの代わりに説明をしたのは、昔の誤解をはっきりさせたかっただけ。あなたの恋を応援するためじゃないから。

昔、私が悠斗を奪ったって、すごく恨んでたじゃない。今度はあなたが同じことしちゃだめよ。

悠斗の彼女は、海外帰りの本物のお嬢様なの。私たちとは住む世界が違うのよ。

私ですら相手にされないのに、昔の関係をダシにして同情を引くつもり?悠斗とやり直せるなんて、夢でも見てるんじゃないの!」

「黙れ」

悠斗に睨みつけられると、夏美はおとなしく口をつぐんだ。そして私に冷たく鼻でフッと笑ってから、連れの男の人たちに支えられて去っていった。

私は淡々と掃除道具を持って個室に入り、そのままドアを閉めた。

悠斗が入ってこようとしたけど、私は言った。「高橋さん、​仕事の邪魔をしないで。

時間がかかると、給料が引かれてしまうから」

悠斗は尋ねた。「その分は俺が払うから。お願いだ、一度でいい。ちゃんと座って、二人で話をさせてくれないか?」

私は静かに微笑んで言った。「何を話す?私の恋愛話?

それとも、あなたの?

私たちにもう共通の話題なんてないわ。仕事の邪魔をしないで、じゃあね」

パタンとドアを閉めると、悠斗の悔やむような顔が見えなくなった。

私は静かに、彼らがわざと割ったお酒のビンの破片を片付けた。床に広がった汚い吐しゃ物も、ためらうことなく雑巾で拭き取った。

10年前の私は、この手でたくさんの難しい問題を解いてきた。悠斗に勉強を教えたりもしていたのに。

でも10年後の今、この手は一日中汚れ仕事に追われている。

夏美の言ったことは、一つだけ正しかった。今の私と悠斗は、天と地ほども違う。

あと数ヶ月もすれば、私たちは本当に「住む世界」が違ってしまう。

今さら、何を説明することがあるっていうんだろう。

3時間びっしり掃除をして、やっと長い仕事が終わった。私は疲れきった体を引きずっていた。

ドアを開けると、もう悠斗の姿はなかった。代わりに、彼の名刺が一枚置いてあった。

私はそれをゴミ箱に捨てて、家に帰ってお風呂に入って寝た。5時間後には、また次の仕事が待っている。

がん患者会の仲間は、私がダブルワークをしているのを知っている。「そんなに無理しちゃだめだよ、体が一番大事なんだから」って、いつも言ってくれる。

でも、くしゃくしゃになった末期がんの診断書を見ながら、私は思う。自分にはもう、無理をするための命なんて残ってない、と。

小さなお墓を一つ買うためのお金さえ、昼も夜も働かないと貯まらないのだ。

眠りにつく直前、スマホが震えた。

翔太かと思った。でも、画面を開くと知らない番号からのメッセージだった。

そこには、ただ一言だけ。【ごめん】と書かれていた。

誰からかなんて、番号を見なくてもわかった。

悠斗の他に、誰がいるっていうの?

10年前の私だったら、絶対に謝らない悠斗から【ごめん】なんてメッセージが来たら、うれしくて一睡もできなかっただろう。

でも今の私は、ためらいもなく指をすべらせて、そのメッセージを消去した。

今さら優しくされたって、冬の間に凍えた体は温まらない。

遅すぎた謝罪は、過去の傷を癒すことはできない。

早めにカフェに着いて、テーブルを一つ拭き終えたところだった。ふと顔を上げると、夏美の華やかな顔が目に入った。

その隣には、ブランド品で身を固めた、とんでもなく綺麗な女の子がいた。

柴田楓(しばた かえで)だ。

夏美のSNSで見たことがある。楓もすごく良い家の子で、留学中に夏美と親友になったらしい。

私を見ると、夏美は鼻にしわを寄せて、ふっと笑った。「梓、見かけによらず、やることがえげつないわね。

なに?昨日の夜、悠斗がお金持ちになったのを見て、またすり寄ってきたわけ?

恋愛ドラマの見すぎなんじゃない?悲劇のヒロインを演じれば、うまくいくとでも思った?いい加減現実みなよ!

よく見て。この方こそが悠斗の本命、柴田グループのお嬢様。そのブレスレット一つで、あなたの年収なんか軽く超えちゃうんだから!馬鹿な夢を見るのはやめて!」

夏美が歯を食いしばるようにして私をにらみつけたが、隣にいた楓はにこりと微笑み、優しい声で言った。「岩崎さん、夏美は思ったことをすぐ口にしちゃうだけだから、気にしないでね。

お会いするのは初めてだけど、悠斗からあなたのことは聞いていた。あなたのようにプライドの高い人が、そんなことをするはずないって、私は信じているよ。

それに、私と悠斗はもう婚約していて、来年には結婚式を挙げる。もちろん、彼のことは信じているし……あなたの状況は大変みたいだものね。もし何か考えがあったとしても、責めたりはしないよ」

口調は優しいけれど、言葉の端々にはトゲがあった。私が悠斗に言い寄っていると、遠回しに決めつけているのだ。

私は何も言わずに、二人のそばを通り抜けようとした。

自分の命はもう長くないんだから。こんなくだらない口げんかに、時間を使っている場合じゃない。

でも、二人の横を通り過ぎたとき、突然だれかに強く突き飛ばされた。私は勢いよく床に倒れ、ティーセットが砕け散った。

割れた陶器の破片が肌に突き刺さって、すぐに血がにじんだ。痛すぎて、立ち上がることができなかった。

痛みに意識が遠のきかけた、そのとき。また、あの懐かしい声が聞こえた。

「梓!」
Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 花火が消えた夜、私の棺から花が咲いた   第8話

    悠斗の後ろで、大泣きしながらも必死に唇をかみしめている楓を見て、複雑な気持ちになった。なんだか、昔のあの悲劇が繰り返されているみたい。でも、私は夏美じゃない。だから、私ははっきり言った。「悠斗、人って、いつまでも過去にとらわれてたら成長できないよ。あなたのこと、憎まないし、許しもしない。だって、あなたにはその価値すらないから。口では私のそばにいるためだなんて言ってるけど、結局は自分の欲望を満たしてるだけじゃない。昔も今も同じこと。今私のために柴田さんを捨てることは、昔、夏美のために私を捨てたことと比べて、別に立派なことでもなんでもないわ。それに、もうあなたにチャンスをあげるつもりはないの」「どうして!」いつもは落ち着き払っている悠斗が、私の目の前でなりふり構わず怒鳴りつけている。「梓、君のために俺はやったんだ。役員みんなの反対を押し切って、無理やり後藤家の株価を暴落させた。今や夏美の家は完全に破産して、彼女は一夜にして全てを失った。それどころか、莫大な借金まで抱えているんだ。もう君の仇は討ったんだ。なのに、どうして俺に少しの望みさえくれないんだ?」でも私は、愛と憎しみが入り混じった彼の顔をじっと見つめて、ふと笑ってしまった。「いい加減にして、悠斗。本当に私のために復讐をしたいなら、真相を知ったあの瞬間に、夏美と後藤家に手を出してたはずよ」悠斗は、はっと息を飲んだ。でも私は止まらない。言葉で彼をじわじわと追い詰めていく。「でも、あなたはそうしなかった。もしかしたら前から計画はしてたのかもしれない。でもあなたは、私の気持ちを晴らすために、その場で動くようなことは絶対にしない人なのよ。私が欲しかったのは、その場でスッキリすることだったのに。だからわかる?あなたのその、ふらふらしてて、何かを天秤にかけるような愛なんて、これっぽっちも私が欲しかったものじゃないの。だから、これからひとつだけ約束して。もう二度と、私に会いに来ないで。だって私は、一生、もうあなたの顔なんて見たくないから!」悠斗は、魂が抜けたみたいに去っていった。ずっと彼の後ろで、大粒の涙を流し、しまいには声を殺してむせび泣いていた楓のことにも、気づかずに。楓も悠斗について行くと思ったけど、突然私のベッドに近

  • 花火が消えた夜、私の棺から花が咲いた   第7話

    私の話は、そこでいったん区切りを迎えた。でも、だれも反論なんてできなかった。「実はあの時、悠斗のお母さんの恥ずかしい写真を流したのは、私だったの」と、夏美が酔ってこぼした言葉。私のスマホが、その音声をずっと流し続けていたから。しかも私が配信している間、夏美からのメッセージもひっきりなしに届いていた。最初は脅すような内容だったのに、最後には必死に許しを乞うものに変わっていった。そのやり取りのすべてを、私は配信の最後に、ひとつ残らずみんなの前にさらけ出した。その瞬間、ネットの空気はがらりと変わった。【うわっ、後藤って女、マジでやばいな。10年前のことでまだ懲りずに、また人をいじめるとか、最低すぎる!】【柴田さんってあいつの親友じゃん。柴田さんが高橋さんって人を好きになったのを逆恨みして、誰かを使って拉致させたって噂だよ。柴田さんが心を病んだのは、ひどい目に遭わされたからで、岩崎さんのせいじゃなかったんだ!】【てか高橋って男もロクなやつじゃないな。ちょっと吹き込まれただけで、長年の幼なじみを悪者だって決めつけるなんて、バカなんじゃないの?】【バカなんじゃなくて、もう手に入れたからどうでもよくなったんだろ。たぶん、とっくの昔に後藤とデキたかったんだよ。写真の件はただのキッカケじゃん】【岩崎さん、かわいそうすぎる。こいつらのせいで、人生を台無しにされたんだね……】カメラに向かいながら、私は夏美をののしるコメントをひとつひとつ目で追った。10年も胸につかえていた恨みが、やっと少しだけ晴れた気がした。でも、忘れるわけがない。私の人生を壊したのは、あの女だけじゃない。もうひとり、悠斗がいるんだから。肺の痛みがどんどんひどくなる。とうとうこらえきれず、私はカメラの前で、いきなり血を噴き出してしまった。この突然の出来事に、配信を見ていた人たちは度肝を抜かれた。【うわっ、大丈夫?すぐに病院に行ったほうがいいって!】【私、この人と同じマンションかも。今から様子を見に行ってくる!】【あれ、これは、末期がんって診断された患者さんとそっくりな症状……】【うわ、マジだ!私末期がんの症状、見たことある!】コメント欄は、私の病状を心配する言葉であふれかえった。でも、私にはもう返事をする力なんて残っていなかった。

  • 花火が消えた夜、私の棺から花が咲いた   第6話

    手持ちの金目のものをぜんぶ売って、なんとかお金をかき集めた。それで、評判のいい私立探偵にお願いしたの。お願いして2日も経たないうちに、証拠が見つかった。やっぱり、私を貶める書き込みをしていたのは夏美だったんだ。後藤家と悠斗はビジネスで付き合いがあった。夏美は、とあるパーティーでこっそり彼のスマホを盗み見て、あのメッセージを見つけたんだ。それに彼女は「楓の親友」を自称してる。だから楓のために、どうしても力になりたかったみたい。それでわざと話を大げさにして、私が楓を病気にした犯人だってみんなを誘導したんだ。だけど、証拠を手に入れただけじゃ不十分だった。私は冷静にライブ配信を始めた。私の名前ってだけで配信を見にきて、わけもなく悪口を書き込むコメントを眺めながら、調査でわかった事実を淡々と話し始めた。案の定、はじめは私の味方をしてくれる人もいた。でもすぐに、【本当に何もしてないなら、どうして相手はあなたをそこまで陥れようとするの?】って疑う声がでてきた。【あなただって、高橋さんとヨリを戻したいって気持ちが、少しはあるんじゃないの?】あっという間に流れていくそのコメントを目で追って、私はふっと笑ってしまった。「そう、どうして彼女は、私にそこまで執着するんでしょう?高橋さんみたいに、ハイスペックで一途で、おまけに私に未練がありそうな素敵な独身男性を前にして、どうして平気でいられるんですか?これから話すことを聞いてもらえれば、たぶん、みなさんにもわかると思います」私と悠斗は、確かに、色んないみで幼なじみだった。彼の父親・高橋充(たかはし みつる)も私の父も消防士で、命を預けあうほどの親友だったんだ。でもある火事で、充は父をかばった。それで、落ちてきた梁が直撃して、そのまま帰ってこられなかったんだ。このことは、父にとって一生の心の傷になった。彼はすごく責任を感じて、それからは悠斗のことも自分の本当の息子みたいに育てた。そして私と悠斗も、毎日一緒に過ごすうちに気持ちが深まっていって、いつも二人でいた。でも、そんな毎日は長く続かなかった。2年後、父が大きな火事に巻き込まれて、そのまま帰ってこなかった。父に頼りきりだった母は、ショックで心を病んでしまった。そして、マンションから飛び降りたの。それを学校帰り

  • 花火が消えた夜、私の棺から花が咲いた   第5話

    「これ……どういうこと?」一瞬、悠斗は息をのみ、足を止めた。そして、信じられないって顔で私を見ていた。私が黙っていると、悠斗はとっさに私の肩をつかんだ。そして、その大きな文字をすごい剣幕で指さして、どなりつけた。「聞いてるんだ、これ、どういう意味だって!なんともないのに、どうして自分のお墓なんて買うんだ。梓、教えてくれ。何かあったのか?」今にも壊れてしまいそうな悠斗の瞳を見ていると、胸に苦いものがこみあげてきて、複雑な気持ちになった。でも、私はぐっと涙をこらえて、冷静に言った。「別に、深い意味はないよ。私みたいに親も親戚もいない、一人ぼっちの人間が、自分の死んだあとのことを準備するのは当たり前でしょ。もし急に死んじゃったら、だれが後始末してくれるっていうの?」ちょっと自分を笑うような私の言葉に、悠斗はほっとしたみたいだった。でも、やっぱり私を責めるように言った。「ばかなこと言うなよ。たとえ俺たちが一緒になれなくても、俺にとってはずっと、家族みたいな大切な人なんだ。もし何か困ったことがあったら、俺が絶対に助けるから」彼の言葉は、胸を打つくらい本気だった。でも私は、無理やり鎮静剤を打たれて目じりに涙を浮かべている楓に目をやった。そして冷静に言った。「悠斗、もし本当に、私に対して少しでも悪いと思ってるなら……もう、他の人を私みたいにしないで」必死でもがいていた楓は、私の言葉を聞いて、ぴたりと動きを止めた。悠斗はその場で固まっていた。そして、何の未練もなく去っていく私の後ろ姿を、いつまでもぼうぜんと見つめていた。家に帰ってから、翔太に最新の検査結果をもらった。残された時間は、もう2ヶ月もなかった。私はその事実を静かに受け止めた。そして、いつも通りに制服に着替えてバイトに行った。それから2週間ほどは、不気味なくらいに、穏やかな日が続いた。楓がまた来ることはなかった。悠斗からのメッセージも、以前ほどは来なくなった。たまに、様子をうかがうように【一緒にご飯でもどうかな】って聞いてくるだけ。【君は以前、ステーキが大好きだったよね。おいしい店があるんだ。どうかな?】【前にスキーをやってみたいって言ってなかった?町の北のほうに新しいスキー場ができたんだ。一緒に行かないか?】彼が送ってくるお誘いの

  • 花火が消えた夜、私の棺から花が咲いた   第4話

    この言葉で、かろうじて平静をたもっていた楓の表情に、ついにひびが入った。「これでもまだ、あなたはわざとじゃないなんて言えるの?悠斗が私をカフェに誘ったのを知ってて、わざとそのお店でバイトしたんでしょ。悠斗が私と一緒に検査結果を聞きに来るって知ってて、今度は病院までつけてきた!夏美の言う通りだわ。あなたは、やっぱり悠斗のことが忘れられないのね。だからわざと彼の前に現れて、気を引こうとしてるんじゃない!」楓は言えば言うほどカッとなって、令嬢らしく振る舞うのも忘れ、持っていたバッグで私に殴りかかろうとした。「楓さん、やめろ!正気か!この子は……」翔太がとっさに私の前に立ちはだかり、楓の手を掴んだ。でも、「患者なんだ」という言葉を、彼はどうしても口にできなかった。「彼女が何だって?ねぇ、翔太さん、見損なったわ、あなたまでこの女にたらしこまれるなんて。あなただって医者でしょ?こんなふしだらな女と関わって、変な病気でもうつされるのが怖くないの?」パァン。翔太は怒りを抑えきれなかった。気づいた時には、彼が平手打ちしていた。頬をおさえて呆然とする楓。彼女は翔太と、そしてずっと黙っていた悠斗をにらみつけ、泣き叫んだ。「もういい!どうせみんな、こいつの味方なんでしょ!だったら私、死んでやる!」そう叫ぶと、楓は本当に窓へと駆け寄り、窓枠に足をかけて飛び降りようとした。悠斗と翔太がとっさに彼女を引き止めなければ、5階から飛び降りて、命は助かっても半身不随になっていただろう。泣きわめく楓を、翔太が無理やり診察室に連れて行って鎮静剤を打った。一方、悠斗は上着を脱ぎ捨て、疲れきった様子でソファに座り込むと、わしづかみにして自分の髪をかきむしった。私はそっとカルテを隠してその場を去ろうとした。でも、突然彼に腕を掴まれた。「梓、君は、翔太さんと本当に付き合ってるのか?」悠斗の口調は複雑で、どこかかすかな独占欲がにじんでいた。でも、今さらな彼の気遣いに、私はうんざりするだけだった。「悠斗、あなたの婚約者は、今も診察室で手当てを受けてるのよ。彼女を心配しないで、私のプライベートなことを聞くなんて、おかしいんじゃない?私たちが別れたのは10年も前よ。あなた自身が言ったじゃない。『これからは、お互い赤の他人だ』って」「あ

  • 花火が消えた夜、私の棺から花が咲いた   第3話

    突然、悠斗が現れて、とっさに私を支えようとした。でも私はその手を振り払って、足のけがもかまわず、黙って床の破片を拾い始めた。そして楓と夏美に向かって言った。「このけがは別にいいわ。でもこのティーセット、高いものだから弁償してもらう。どっちがやったのかは知らない。でも、防犯カメラを見ればわかることよ。言い逃れしても意味ないから」私の言葉が終わると、悠斗は彼女たちに顔を向けた。その目には、うっすらと怒りの色が宿っていた。夏美は目を吊り上げて、歯を食いしばって言った。「自分でこけたんでしょ!それを私たちのせいにする気?」一方で、楓は唇を噛み、悠斗をじっと見つめていた。落ち着いているようで、その声は少し震えている。「悠斗、私がそんなことするって、本気で思ってるの?場所を決めたのはあなたでしょ。私は先に着いて待ってただけ。なのに、あなたの元カノに濡れ衣を着せられて、あげくの果てにあなたにまで疑われるなんて。いいわよ、カメラを確認すればいいじゃない。どうせ私、柴田家ではいじめられっ子だもの。今さら一人、私を悪者にしたい人が増えたって平気よ」目に涙を浮かべる楓を見て、悠斗は肩の力が抜けたようだ。彼はやさしい声で言う。「楓、そういう意味で言ったんじゃない」二人の痴話げんかを、私は冷めた目で見つめていた。ふと、ふくらはぎにひんやりとした感覚がして、見ると床に血が流れていた。割れた陶器の破片に混じり合って、それは目に痛い光景だった。「それで」私は深く息を吸って痛みをこらえ、ティッシュで足を押さえた。それから血を拭うと、冷静に尋ねた。「弁償はどっちがするの?」夏美は鼻で笑い、楓はただ静かに涙をこぼした。そんな中、悠斗がため息をつくと、仕方なさそうに言った。「俺が払うよ。ただ、こういうくだらない真似は、もうやめてくれ」その言葉は誰に向けたものでもなかったけど、私にはひどくトゲのあるものに聞こえた。だって10年前、私が夏美を陥れたと彼が思い込んだときも、まったく同じことを言われたからだ。私は薄く笑みを浮かべると、壊れたティーセットの破片を手に、足を引きずりながらその場を離れた。悠斗は私の足を見て、思わず口を開いた。「梓、そのけがは……」「あなたには関係ない」胸が張り裂けるような痛みをこらえた。一歩進むたび

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status