確信したこの口ぶり。私と藍が幼なじみだって知ってるってことは……。「もしかして、柚子(ゆず)ちゃん!?」「そうだよ。わたし、円山(まるやま)柚子!萌果ちゃん、わたしのこと覚えててくれたんだ」「もちろんだよ~!」隣の席になった女の子・柚子ちゃんは、私が小学生の頃に仲が良かった友達。5年ぶりの再会に、私と柚子ちゃんは互いに手を取り合って喜ぶ。「柚子ちゃんも、この高校だったんだね」「うん。萌果ちゃんとまた同じ学校に通えるなんて、嬉しい!」私が福岡に引っ越すとき、柚子ちゃんは寂しいと泣いてくれて。手紙まで書いてくれた。当時は、お互いスマホを持っていなかったから。引っ越してから、連絡を取り合うことはなかったけれど。柚子ちゃんのことを忘れたことはなかった。「ねえ。こっちに戻ってきたってことは萌果ちゃん、久住くんとは会ったの?」柚子ちゃんに尋ねられた私は、言葉につまる。小学1年生のときに同じクラスになって仲良くなった柚子ちゃんは、私と藍が幼なじみで、私がいつも藍の世話を焼いていたのをそばで見ていたから。本当のことを言うべきかどうか迷った。だけど……。「いや。こっちに戻ってきてから、藍とは会ってないんだよね。福岡に行ってからは、連絡もとってなかったし」迷った末、私は藍とのことは柚子ちゃんにも隠すことにした。「そっかぁ。まあ、幼なじみって言っても高校生にもなれば、小さい頃みたいに仲良しってこともないよね。今や久住くんは、人気モデルだし」「そう、そうなの!いやあ、藍ったら会わない間にモデルになっててびっくりだよ」嘘をついてごめんと、柚子ちゃんに心の中で謝る。でも、今朝私は藍と同居のことは秘密にするって約束したから……!それから話題は藍から他へと移り、柚子ちゃんと会えていなかった5年間の積もる話に花を咲かせた。**始業式の今日は午前中に学校が終わったので、柚子ちゃんが校内を案内してくれることに。「ここの学校には、普通科の他に芸能科があるんだけど……」柚子ちゃんの説明を聞きながら廊下を歩いていると、2年A組の教室の前には何やら人だかりが。あれ?どうしてあそこの教室の前だけ、あんなに人であふれているの?しかも、いるのは女の子ばっかり。「ああ……あそこのA組が、今話してた芸能科のクラスだよ」「そうなんだ!」「だから、芸能科に自分の好きな俳
「きゃ〜。藍くんに睨まれちゃった」「冷たい久住くんも素敵!」女の子たちは、キャーキャー言っている。あ、あれ……?「ファンの子曰く、ああいう久住くんもかっこいいんだってさ」隣に立つ柚子ちゃんが、私にこっそり耳打ちしてくる。へぇーっ、そうなんだ。ファンの子からしたら、どんな藍も良いってことね。芸能人って人気商売だろうからちょっと心配になったけど、藍の人気に影響がないのならいいか。歩いていく藍のほうをしばらく見ていると、ふいに藍がこちらを向いた。──パチッ。あれ。今、目が合った?私に気づいたのか、先ほどまで無表情だった藍の顔つきが柔らかくなり、彼の唇が弧を描く。「……っ!」私に向かってふっと微笑まれたような気がして、心臓が跳ねた。「キャー、藍くんが笑ったわー!」「かっこいいー!」女の子が、さっき以上に騒ぎ立てる。ほんと、大人気だな。私もこっそりと藍に向かって微笑み、柚子ちゃんと歩き出そうとしたとき。──カシャッ、カシャッ!どこからか、カメラのシャッター音がした。反射的に、音のしたほうを振り返る。「やったあ。学校での藍くんのレアな笑顔、撮れたーっ!」金髪の派手な女の子が、藍へと向けてスマホを掲げていた。「いいなあ。その写真、私にもちょうだい?」「いいよ〜。ていうかこれ、SNSにアップしちゃおっかな」え?SNSに載せるって……。胸の辺りがモヤモヤする。いくら芸能人だからって、他人に勝手に写真を撮られたら嫌だろうし。そもそも盗撮なんて、やってはいけないこと。そのうえ、SNSにまで載せられたら……藍もいい気はしないよね?そう思うと居ても立ってもいられず、私は金髪の子に声をかける。「あの、今撮った写真消してくれませんか?」金髪の子が、眉をひそめる。「いくら相手が芸能人だからって、盗撮するのは良くないです」「は?いきなり何なの、アンタ」金髪の子の射るような目つきに、怯みそうになる。えっと、藍の幼なじみ……とは、さすがにここでは言わないほうが良いよね。「あのね、あたしは藍くんがデビューして以来のファンで。自分でこの写真を見て楽しむために、撮ってただけじゃない」嘘つけ。今、SNSに載せるとか言ってたじゃないの!「そうだとしても!もし自分が知らないところで勝手に写真を撮られて、SNSに載せられたら嫌じゃないですか?
己の身に受けるであろう痛みを覚悟し、私が咄嗟に目を閉じたそのとき。「……何やってるの?」辺りに、低い声が響いた。そっと目を開けると、私のすぐそばにはいつの間にか藍が立っていて、金髪さんの腕を掴んでいた。「ら、藍くん!?」意外な人物の登場に、先輩は目を大きく見開いている。「俺、盗撮する人は好きじゃない。昔の嫌な思い出のせいで、ただでさえ女子が苦手なのに。そんなことをされたら、もっと苦手になる。それに……」藍にギロリと睨まれ、先輩の肩がビクッと大きく跳ねる。「この子のこと、殴ろうとしたでしょ?それって人としてどうなの?相手が気に入らないからって、すぐに手をあげるなんて。俺、そういう人は嫌い」「……っ!ご、ごめ……写真消します」応援していた藍に『嫌い』と言われたのがショックなのか、先輩の目には薄らと涙が。「スマホのゴミ箱にあるのも」「はい……消しました」スマホの画面を、藍に見せる金髪先輩。「どうも。さっきはつい、キツい言い方をしてしまったけど……俺のこと、応援してくれてありがとう。これからは盗撮とかじゃなく、違う形で応援して欲しい」金髪先輩にそれだけ言うと、藍はスタスタと廊下を歩いていく。藍、私のことを助けてくれたんだ。小学4年生くらいから藍はモテていたけど、その頃は女の子をただ冷たくあしらうだけだった。でも、今はああいう盗撮をしていた先輩にも『応援ありがとう』って言えるなんて、すごい。藍も変わったんだな。「ら……久住くん、ありがとう!」私が藍の後ろ姿にお礼を言うと、藍はこちらを振り返ることなく片手を上げた。**その日の夕食の時間。久住家のダイニングで私は、藍と橙子さんと食卓を囲んでいる。「萌果ちゃん、今日はありがとう。俺のことを盗撮していた女子に、注意してくれて」「藍、盗撮とかああいうのは特に嫌いだろうなって思って。藍が嫌なことをされてるの、黙って見ていられなかったから」「やっぱり萌果ちゃんは、俺のことよく分かってるよね。物怖じせず、ズバッと注意する萌果ちゃん、かっこよかったよ」「そう?」「うん。萌果ちゃんは、昔からいつも俺のことを守ってくれて。そういう変わらないところ、好きだなぁ」サラッと言われ、私は飲んでいたお茶を吹きそうになった。す、好きって……藍ってば、橙子さんもそばにいるのに!向かいに座る藍を直視で
あーんって……。藍に口元にイチゴを持ってこられ、私は躊躇してしまう。「……っ、いい。自分で食べられるから。藍の気持ちだけもらっとく」隣に座る橙子さんの目が気になって口を開けることが出来なかった私は、藍の手からイチゴを受け取り口へと放り込む。「うん、美味しい」藍からもらったイチゴは、とびきり甘酸っぱく感じた。「そういえば、萌果ちゃん。髪の毛は、昔みたいに結んだりはしないの?」「えっ?」「ほら。萌果ちゃん、小さい頃はいつもツインテールにしてたじゃない」ツインテール……そういえば、中学生になってからは、ずっとしてないなぁ。藍の言うとおり、私は子どもの頃はよく髪をふたつに結んでいた。「あのときの髪を結んでた萌果ちゃん、すごく可愛かったから。久しぶりに、また見たいなって思って」「え!?」す、すごく可愛かったって!そんなストレートに言われたら、照れるよ。「そうねえ。藍の言うとおり、とても可愛かったわ。息子も良いけど、女の子も良いなって、あの頃の萌果ちゃんを見てて私も思ってたのよね」うう、燈子さんまで……。久住親子に褒められ、私の顔は一気に熱くなる。ほんと二人とも、お世辞が上手なんだから。「ねえ、萌果ちゃん。良かったら、リクエストしてもいい?」「リクエスト?」「うん。俺、髪結んでる萌果ちゃんを見たいなあ」私は、胸まで下ろした自分の髪にそっと触れる。「あっ。もちろん、今のストレートヘアの萌果ちゃんも素敵だけどね」藍の真っ直ぐな言葉に、私はうつむく。「だけど……もしも、萌果ちゃんが嫌とかなら、髪は無理に結んでくれなくて大丈夫だから」「うん。分かった」**翌朝。学校の制服に着替えた私は今、洗面所にいる。ボーッと鏡を見ながら、ヘアブラシで髪の毛を整えていると、昨夜の藍との会話がふと頭の中を過ぎった。『髪を結んだ萌果ちゃん、すごく可愛かったから。また見たいなって思って』もしも私が髪をふたつに結んだら、藍は喜んでくれるのかな?藍は担任の先生に用があるからと、今朝は早くに家を出て今はもういない。よし。昨日、藍にリクエストされたし。せっかくだから、今日は髪を結んで行こうかな。そう思った私はヘアゴムを手に取り、耳のところで髪をふたつに結んだ。**「おはよう、萌果ちゃん!」登校すると、柚子ちゃんが真っ先に声をかけてくれた。「おはよう
体育の授業は2クラス合同で行われるらしいのだけど、なんと私のクラスは藍のいる芸能クラスと一緒だった。「久住くーん」「藍くん、今日もかっこいいね」藍は今日も、沢山のファンの女の子たちに囲まれている。ムスッとしていて、相変わらず彼の愛想は良くないけれど。授業は男女別で行われるものの、同じ体育館に藍がいる。それだけで、なんだかとても嬉しかった。チャイムが鳴り、体育の授業が始まる。今日は、バスケットボールをするらしい。みんなで準備体操をしたあと、男子と女子がそれぞれ別のコートに分かれて練習開始。まずはドリブルやシュートの練習に取り組み、残りの時間で試合をすることになった。芸能科のA組と、私たち普通科のB組が対戦する。男子側のコートでは現在、藍のいるチームが試合をしている。そして今休憩中の私は柚子ちゃんと一緒に、体育館の端っこに体育座りをして、藍たちの試合を見ていた。ていうか、芸能科のクラスの人たちは俳優やアイドル、歌舞伎役者など、キラキラした人ばかりで、眩しさに思わず目を閉じてしまいそうになるよ。「キャーッ。藍くん、頑張ってー!」藍のファンの子だろうか。私と同様に、休憩中の女の子たちはみんな、芸能クラスの男子たちの試合に見入っている。かくいう私の視線も、無意識に藍へと一直線。「久住!」コートではチームメイトからボールを受け取った藍が、相手チームのディフェンスをかわしながら、ドリブルでゴールへと向かって駆けていく。──シュッ。藍が放ったボールは、美しい弧を描いてゴールへと吸い込まれていった。「きゃあああ」体育館は、大歓声に包まれる。藍、すごくかっこいい。藍って、バスケも上手なんだな。そのまま藍を見ていると、藍が偶然私のほうを向いた。「えっ」不意に藍と目が合い、ドキリとする。藍、もしかして私に気づいた?私のことを、しばらくじっと見つめる藍。私もそのまま彼から目を離せずにいると、少しして藍の口がパクパクと動いた。『か・わ・い・い』……っ、ええ!?ふわっと優しく微笑んだ藍が、両手を握り拳にして自分の耳元へと持っていく。えっ、あのポーズ……もしかして藍、私のツインテールに気づいてくれたの?それで『かわいい』って、褒めてくれたの?私は、ツインテールをぎゅっと握りしめる。どうしよう、嬉しい……。「キャーッ!今、藍くんが笑っ
夜。私は今、藍と燈子さんと一緒に夕食をとっている。ちなみに今日の献立は、サーモンとほうれん草のクリームシチューに、サフランライスとサラダだ。「それにしても、さっそく萌果ちゃんが、髪をふたつに結んでくれるとは思わなかったなあ」向かいに座る藍が、クリームシチューを口にしながらニコニコと話す。「それ、俺のためにしてくれたって思ってもいいんだよね?」今もまだツインテールのままの私を、藍がじっと見つめてくる。「べ、別に、藍のためじゃなくて。気分転換に、してみただけだから」素直になれず、うつむく私。「そっか。それでも俺は、嬉しかったよ。萌果ちゃん、昔と変わらずほんと可愛い」「……っ」藍の真っ直ぐな言葉に、身体が変に熱くなってくる。「また、髪ふたつに結んでくれる?」「き、気が向いたらね……ごちそうさまでしたっ!」ちょうど夕食を食べ終えた私は立ち上がり、自分の食器をシンクへと運ぶ。「あっ、燈子さん。今日の食器洗いは、私にやらせて下さい」同じく夕食を食べ終え、シンクの前に立った燈子さんに私は声をかける。「えっ。そんな気を遣ってくれなくて良いのよ?萌果ちゃんは、ゆっくりしてて」「いえ。いつもお世話になってるので。たまには、私にも手伝わせて欲しいんです」「まあ、なんていい子なの。藍にも、少しは萌果ちゃんを見習って欲しいものだわ」燈子さんが、食卓の椅子に腰かけたままスマホをいじっている藍を軽く睨みつける。「それじゃあ、せっかくだし……お願いしようかしら」「はい。燈子さんは先にお風呂にでも入って、ゆっくりしててください」私は燈子さんに、ニコッと微笑む。よーし。やるぞー!燈子さんが部屋から出ていくのを見届けると、私は腕まくりをして、スポンジを手に食器を洗い始める。今日は転校してから初めての体育があって、身体をいつもよりもたくさん動かしたからか、少し疲れたなあ。疲労感を覚えながら、しばらく洗い物をしていると。「ふわぁ」無意識に、大きなあくびがこぼれた。──ガシャン。「あっ」ぼんやりしていたせいか、うっかりグラスを落としてしまう。その衝撃で、シンクには粉々になったグラスが散らばった。「うわ、大変……どうしよう」とりあえず片づけなくちゃと、手を伸ばしたとき。「痛っ」グラスの破片で指を切ってしまい、血がにじむ。「萌果ちゃん!?」
「それより、大丈夫!?手、見せて」藍が、私の手をそっと掴んだ。「血が出てるね。少し、しみるかもしれないけど……」 藍は私の手を掴んだまま、流水で傷口を洗ってくれる。「……っ」 「やっぱりしみる?」「ちょっとだけ……でも、大丈夫」「グラスで切っちゃったの?」「うん。洗い物の途中で、うっかり落としちゃって」傷口を洗い終えると、藍は患部に触れないよう、ハンカチで水を拭き取ってくれた。「今、絆創膏持ってくるから待ってて」「でも、割れたグラスが……」「それは俺が片づけるから。萌果ちゃんは、触っちゃダメだよ」言われたとおり大人しく待っていると、藍が絆創膏を手に戻ってきた。「はい、指出して」「えっ……絆創膏くらい自分で巻けるよ?」「いいから」 なんでもない、ちょっとした切り傷なのに……藍は、すごく心配してくれて。優しく丁寧に、私の指に絆創膏を巻いてくれる。藍の真剣な表情に、胸がキュンとなった。小さい頃は、転んで怪我をした藍に絆創膏を貼ってあげていたのは私だったのに。いつの間にかそれが、逆転する日が来るなんて。「藍、ありがとう」「いいって」藍が割れたグラスを拾い、袋に入れていく。そういえばまだ、洗い物の途中だったな。グラスを片づけてくれる藍の傍ら、私が洗い物の続きをしようとすると。「あとは俺がやるから。萌果は休んでて」すかさず藍に、制されてしまった。「水に濡れたりしたら、傷がしみるでしょ?」「っ……」役に立つどころか、むしろ迷惑をかけてしまった。「ごめんね?」「ううん。萌果が謝る必要なんてないよ。洗い物は、できる人がやれば良いんだから」気にするな、と言うように、藍の手が私の頭にぽんとのせられた。「とりあえず、萌果ちゃんが大事にならなくて、ほんとに良かった」「そんな……藍ったら、私が少し怪我をしたくらいで大袈裟だよ」「そんなことない。自分の好きな子がちょっとでも怪我したら、居ても立ってもいられないよ」「藍……ありがとう」藍が私のことを、大切に思ってくれてるんだってことが伝わってきて。私の口からは、自然と感謝の言葉がこぼれた。**1週間後の朝。「あれ?」私が身支度を終えてダイニングへ行くと、いつもいるはずの藍の姿がそこにはなかった。「あの、橙子さん。藍は?」「あの子なら、今日は日直だからって、さっき
「えっ?」「あの子、細身のわりによく食べるじゃない? もちろん、萌果ちゃんのお弁当を食べても良いんだけど……」橙子さんは少食の私と食べ盛りの藍で、それぞれお弁当のご飯とおかずの量を変えてくれている。ウチの高校は私立だから、学食ももちろんあるけど……。藍が学食に行くとファンの子たちに囲まれて、ジロジロ見られながら食事することになるから。それが嫌で、学食は行かないって言ってたっけ。「萌果ちゃん、お願いしてもいい?」藍とは学科は違っても、同じ学校だし。何より私は、ここに居候させてもらっている身なんだから。橙子さんのお願いを、断るなんてできない。それに、橙子さんがせっかく早起きしてお弁当を作ってくれたんだもん。「分かりました。藍のお弁当は、私が持っていきます」「ありがとう。それじゃあよろしくね」私は笑顔の橙子さんから、藍のお弁当を受け取る。今をときめく人気モデルで、ただ歩くだけで注目の的になる藍にお弁当を渡すなんて、かなり難しいだろうけど。タイミングを見て、どうにか互いのお弁当を交換しなくちゃ。「あっ、そうそう。萌果ちゃん、今日は学校が終わったら、なるべく早く家に帰ってきてね」「分かりました」橙子さん、早く帰ってきてってどうしたんだろう?疑問に思いながら、私はトーストを口に運んだ。**「……はぁ。どうしたものか」今は、3限目の授業後の休み時間。私はタイミングが掴めず、まだ藍にお弁当を渡せていない。「どうしたの?萌果ちゃん。ため息なんかついて」私の席にやって来た柚子ちゃんが、心配そうな表情で私の顔を覗き込んでくる。「何か悩み事?」「な、何でもないよ」私は柚子ちゃんに、ニッコリと微笑んでみせる。藍と一緒に住んでることは、絶対に秘密だから。いくら相手が柚子ちゃんでも、こればっかりは言えないよ……。「柚子ちゃん、私ちょっとお手洗いに行ってくるね」授業が終わって休み時間になるたびに、私は藍のお弁当を手に、芸能科のクラスまで足を運ぶのだけど。「久住くーん」ああ、まただ。芸能科の教室の前は、いつ来ても沢山の女の子でごった返している。「藍くん、こっち向いてぇ」「……」教室の扉近くのファンの子に声をかけられるも、日直で黒板を消している藍はガン無視。学校で、藍と同居していることは秘密だし。こんなにも多くのファンの子たちがいる前で
藍と恋人同士になって、早いもので2週間が経った。 私の両親が福岡から東京に戻ってくるのが延期になったため、当初の予定の1ヶ月を過ぎた今も久住家で居候させてもらっている。 土曜日の今日は、燈子さんが朝からお友達と1泊2日の旅行に出かけていて家にいない。 夕食と後片づけを終え、私はリビングでまったりと過ごしていた。 そういえば、夜に家で藍とふたりきりなのは久しぶりかも。 単身赴任中の藍のお父さんが過労で倒れて、橙子さんが様子を見に行ったあの日以来かな? ふと、そんなことを考えていると。 「萌果ちゃん、お先ーっ」 お風呂上がりでスウェット姿の藍が、首から下げたタオルで濡れた髪を拭きながら現れた。 うわ。藍ったら、濡れた髪がやけに色っぽい。 「藍。髪乾かさないと、風邪引くよ?」 タオルで拭いただけの藍の濡れた髪を見て、思わず声をかける。 「大丈夫だよ。すぐに乾くから平気だって」 もう。またそんなこと言っちゃって。藍って、昔から面倒くさがり屋なんだから。 小学生の頃だって、髪をちゃんと乾かさずに寝ちゃって、何回風邪を引いたことか。 「私が乾かしてあげるから。こっち来て」 「えっ。萌果ちゃんが、乾かしてくれるの?」 藍の目が、キラキラと輝く。 う。私ったら、つい昔からのクセで……。 「それじゃあ、萌果にお願いしようかなー」 藍がニコニコと、私の前に腰をおろした。 ……仕方ない。久しぶりに、藍の髪を乾かしてあげよう。 私はドライヤーを手に、藍の髪を乾かし始める。 藍の柔らかい髪に指を通すと、ふわっとシャンプーの甘い香りがした。 「萌果ちゃんにこうして髪を乾かしてもらうの、久しぶりだね」 「そうだね。私が福岡に行く前だから、小学生以来かな?」 「懐かしいなぁ」 藍の髪は、あの頃と変わらず綺麗で。彼の髪を乾かしながら、私は目を細める。 「そうだ。萌果ちゃん、お風呂これからでしょ?お風呂から上がったら、次は俺が萌果ちゃんの髪を乾かすよ」 「えっ、いいよ」 「遠慮しないで。自分の彼女の髪、一度乾かしてみたかったんだ」 『彼女』 藍と付き合って2週間が経ったけど、その言葉を聞くと胸の奥のほうがくすぐったくなるんだよね。 「ねっ?だから、あとで俺にやらせてよね
【藍side】これは、俺たちが両想いになった日のお話。「あのね。私、藍に大事な話があるの」「大事な話?」「うん……」屋上で陣内が去ったあと、俺は萌果に大事な話があると言われた。「えっと、わ、私ね……」萌果は、今まで見たことがないくらいに真剣な面持ちで。まさか大事な話って、告白の返事でもされるのか!?萌果が福岡から引っ越してきた日。『俺は、今も萌果のことが好きだから』って伝えてから、特に萌果から返事とかはもらっていなかったから。やっべー。そう思ったら、急に緊張してきた。口の中が乾いて、胸の鼓動がバクバクと速くなる。思い返してみれば、先に萌果に告白していたとはいえ、付き合ってもいないのにキスしたり。抱きしめたり、キスマークをつけたりもしていたから。何より、お仕置きと言って萌果の弱い耳をわざと攻めたり、意地悪とかもしてしまっていたから。たぶん……俺とは付き合えないって言われるんだろうな。好きな子に、二度も振られるのは正直かなりキツいけど。萌果。振るなら優しい言葉じゃなく、潔くバッサリと振ってくれ──!「あの、私……藍のことが好き……!」……は?「まじで?萌果ちゃんが……俺のことを好き?」「うん」嘘だろ!?てっきり、振られるとばかり思っていたのに。萌果の口から飛び出した言葉は、まさかの『好き』で。俺は目を何度も瞬かせながら、ぽかんとしてしまう。「何それ。ドッキリとかじゃなくて?」「うん。私は藍のことが、弟でも幼なじみでもなく……ひとりの男の子として好きだよ」……嬉しい。俺は、萌果をぎゅっと抱きしめた。「やべぇ。萌果が、俺のことを好きだなんて……!夢じゃないよね?」「夢じゃないよ。ちゃんと現実だから」俺が彼女を抱きしめる腕に力を込めると、萌果も抱きしめ返してくれた。「それじゃあ……萌果はもう、俺のものだね」俺は、萌果の唇を塞いだ。「んっ……」俺は、萌果の唇に自分の唇を繰り返し重ねる。「まさか、萌果ちゃんと両想いになれる日が本当に来るなんて、思ってなかったから……すっげー嬉しい」ずっとずっと、こんな日が来ることを待ち望んでいた。だけど、俺は小学生の頃に萌果に振られているから。萌果と両想いになるのは、叶わない夢で終わるのかもしれないと思っていたんだ。「大好きな萌果ちゃんと、両想いになれて……俺、今
藍の今後の芸能人生を考えると、絶対に別れたほうが良いのは分かっているけれど。 私は、藍と……別れたくない。離れたくないよ。 社長さんの話の続きを聞くのが怖くて、私は目をギュッと閉じる。 「だが……」 ふぅと一息つくと、社長さんは話を再開する。 「藍も来年で18歳になるんだ。大人になる二人に、交際するなとも強く言えないだろう」 ……え? てっきり、もっと反対されるのかと思いきや。社長さんの口から出た言葉は、予想外のものだった。 「3年前。デビュー当時の藍は、自分のことを見て欲しい人がいると言っていた。自分はその子のことがずっと好きで、遠くにいる彼女のためにモデルを頑張ってみたいと。その人が、萌果さんだったんだな」 「はい。社長の言うとおりです」 社長さんのほうを見ると、先ほどと違ってとても穏やかな顔をしていた。 「萌果さんのおかげで今のモデルとしての藍があると思ったら、強く反対もできない。それに……私の経験上、恋愛をするのもマイナスなことばかりではないと思うからな。最近の藍は、前よりもいい顔をしているし」 「社長、それじゃあ……」 「ああ。君たちの交際を認めよう」 やった……!私と藍は、ふたりで手を取り合う。 「ただし、世間には絶対に秘密にして欲しい。当分の間、交際してることはバレないように。藍、羽目を外すんじゃないぞ?」 「はい。ありがとうございます」 「ありがとうございます!」 藍と一緒に、私も社長さんに深く頭を下げた。 ** 事務所を出ると、外は薄暗くなっていた。 「萌果ちゃん。帰る前に、寄りたいところがあるんだけど……いいかな?」 「うん。いいよ?」 「ちょっと歩くけど……大丈夫?疲れてない?」 「大丈夫だよ」 私は、藍に微笑む。 今日は、藍の仕事が久しぶりに休みだから。最初から、今日は彼の行きたいところに付き合おうって思ってた。 それに、藍から『萌果の1日を俺にちょうだい』って言われていたし。 私は藍と一緒にいられれば、どこだって楽しいから。 「ありがとう。そこは、俺がずっと萌果と一緒に行きたかった場所なんだ」 「私と……行きたかった場所?」 ** 藍とふたりで、事務所から歩いて向かった場所。 それは、街を一望できる見晴らしのいい小高い丘の上だった。 「う
──『萌果のことを、紹介したい人がいるんだ』藍にそう言われ、電車に乗ってやって来たのはオフィス街にある高層ビルだった。「えっ。ここって……」ビルを見上げて、ぽかんとする私。「俺の所属する、芸能事務所があるビルだよ」「げ、芸能事務所!?」「うん。萌果ちゃんのこと、社長とマネジャーに紹介しようと思って」「ええ!?」思わず、素っ頓狂な声をあげてしまう。「しゃ、社長さんに紹介って!」そんなことを突然言われても、心の準備が……!「ごめんね。予告もなく、いきなり連れてきてしまって」「ううん」「萌果との交際は、しばらく社長たちには黙っておこうと思ってたんだけど……」藍が、ビルを見上げる。「今日萌果とデートして。俺は、改めて萌果のことが大好きで大切だって思ったから。隠れて付き合わず、ちゃんと報告したいと思ったんだ」藍……。そんなふうに言ってくれるなんて、嬉しいな。「私も、藍がお世話になってる社長さんたちにご挨拶したい」「ありがとう。それじゃあ、行こうか」私たちは、芸能事務所のオフィスへと向かった。**芸能事務所は、ビルの上階にあるらしい。乗り込んだエレベーターが上がっていくにつれ、私の緊張感もどんどん増していくようだった。「ここだよ。おはようございます」「お、おはようございます……」藍に続いて挨拶をし、おずおずと事務所に足を踏み入れる。うわあ、広い!大手だからかな?芸能事務所なんて初めて来たけど、現代的で清潔感のあるきれいなオフィスだ。応接室に通され、ソファに座って待機。しばらくして、50代くらいのダンディーな男性とメガネの美女が部屋に入ってきた。「社長、お疲れ様です」緊張で肩が上がるのを感じながら、藍に続いて私もソファから立ち上がる。「藍。今日は久しぶりの休みだというのに、どうした?」「お時間を頂いてすみません。今日は、社長に報告したいことがありまして」「報告?」社長の視線が藍から私に移り、肩が跳ねた。「藍、こちらの女性は?」「はい。この子は、俺の彼女です。俺は彼女……萌果と、少し前からお付き合いしています」「お付き合い……」社長さんの眉が、ピクリと動いた。「はっ、初めまして。藍の幼なじみの、梶間萌果といいます」私は、社長さんにペコッと頭を下げる。「そう。君が、藍の幼なじみの……とりあえず、ふたり
私がヒヤヒヤしていると。「ねぇ。あの男の子、すごいイケメンじゃない?」 「本当だ。モデルさんかな?」そんな声が聞こえてきて、とりあえずバレてなさそうだとホッとする。「ねえ、藍。今日はどこに行くの?」「着くまで、ナイショ」それからしばらく歩き続け、藍が連れてきてくれたのは映画館だった。「映画のチケットは、もう先に買ってあるんだ」「そうなの!?ありがとう」藍、用意がいいなぁ。「ちなみに、何の映画を観るの?」「これなんだけど……」藍が見せてくれたチケットに書かれたタイトルを見て、ハッとする。うそ。これ、前に私がテレビのCMで見て面白そうって話していた、少女漫画が原作の恋愛映画だ。「萌果ちゃん、この映画観たいって言ってたでしょう?」まさか、藍が覚えてくれていたなんて……。じんわりと、胸の奥のほうが温かくなった。それから、売店で飲み物とポップコーンを購入。「足元、気をつけて。俺たちの席は……ここだな」藍と一緒に劇場内の予約してくれた席へと向かうと、そこはカップル用のペアシートだった。寝転べそうなほど広いソファには、ふかふかのクッションとミニテーブルが置かれていて、簡易的な個室のようだ。ここは少し高い仕切りで仕切られているからか、他の観客も見えなくて。まるで、藍とふたりきりのような感じ。なるほど。映画が始まれば、辺りは暗くなるし。ここなら、芸能人の藍と一緒でも周りを気にせずに楽しめそう。私は、藍と並んでソファ席に座った。ていうかこの席……カップル用の席で肘掛けがないからか、隣との距離がかなり近い。藍と、肩が今にも触れ合いそう。そうこうしているうちに映画館の照明が落ち、映画が始まった。私は、ポップコーンを食べようと手を伸ばす。すると藍も同時に取ろうとしたらしく、指と指が触れてしまった。「あっ。ご、ごめ……っ!」私が触れた指を引っ込めようとすると、藍にその手を取られてしまった。藍は指先を1本1本絡め、恋人繋ぎをしてくる。「ちょ、ちょっと藍……手!」「しーっ」藍が繋いでいないほうの人差し指を自分の唇に当てると、続けて私の耳元に唇を寄せた。「上映中はお静かに」「っ!」藍に耳元で囁かれ、肩がピクっと揺れる。「今日待ち合わせ場所で会ったときから、本当はずっと萌果と手を繋ぎたかったんだ。でも、我慢してた」耳元に藍の唇が
藍と、両想いになってから1週間。 少し前に陣内くんによって掲示板に貼られた例の写真は、女嫌いの藍が雑誌で女性と撮影をすることになり、事前に抱き合う練習をしていた……ということで話が落ち着いた。 そして、今日は藍と付き合って初めてのデートの日。 ──『近いうちに、仕事で1日休みがもらえそうなんだけど……良かったら、ふたりでどこか出かけない?』 私たちが両想いになる少し前に藍が話していた、久しぶりの休日がついにやって来た。 いつも藍の家で、お互いの私服姿は何度も見ているけれど。 今日は彼と付き合って初めてのデートだと思ったら、どんな服を着ていけばいいのか分からなくなってしまって。 昨日はひとりで、随分と頭を悩ませたものだ。 「……変じゃないかな?」 家を出る直前、私は玄関の鏡の前に立った。 ミントカラーの花柄ワンピース。 胸の辺りまで伸ばしたストレートの黒髪を、今日は少し巻いて。 私の誕生日に橙子さんからプレゼントしてもらった化粧品セットを使って、メイクもしてみたんだけど……。 「あら。萌果ちゃん、出かけるの?」 私が鏡に映る自分とにらめっこしていると、燈子さんが声をかけてきた。 「あっ、はい。今からちょっと出かけます」 「そう〜。藍もさっき出て行ったけど。萌果ちゃんも、今日は可愛くオシャレしちゃって……もしかして、二人でデート?」 燈子さんに尋ねられ、私の肩がピクッと揺れる。 「ら、藍とデートだなんて!ち、違いますよっ!」 私は思わず否定。 「あらあら。萌果ちゃんったら、そんなに顔を赤くしちゃってぇ」 私を見て、ニヤニヤ顔の燈子さん。 実は藍と付き合い始めたことは、燈子さんにも私の親にも、誰にもまだ話していない。 近いうちに、お互いの親にはもちろん話すつもりでいるけど。 藍と二人で話して、久住家で同居している間は、変にイチャイチャし過ぎないように節度を守るためにも、しばらくは黙っておこうということになった。 「そのワンピース、萌果ちゃんによく似合ってるわ。楽しんできてね?」 「ありがとうございます。行ってきます」 燈子さんに微笑むと、私はパンプスを履いて家を出た。 ** 藍とは、近くの駅で待ち合わせをしている。 黒のジャケットに白Tシャツ、黒のスキニーパンツ。至ってシンプルな格好で、藍は壁に背を預
「萌果ちゃん?」藍と互いの肩がくっつきそうなくらいの位置まで、移動した私。思えば、藍は私に好きだと伝えてくれていたけれど。私は、その言葉にちゃんと答えられていなかった。私も、藍に好きだと伝えたい。だから……。「あのね。私、藍に大事な話があるの」︎︎︎︎︎︎「大事な話?」「うん……」これから藍に告白するとなると、一気に緊張が押し寄せてきた。バクバク、バクバク。「えっと、わ、私ね……」無意識に声が震えてしまう。だけど、ちゃんと伝えなくちゃ。かっこ悪くたって良いから。藍に、想いを伝えるんだ。一度深呼吸すると、私は藍の瞳を真っ直ぐ見つめる。「あの、私……藍のことが好き……!」なんとか言い切った私は、藍の顔を見るのが怖くて。すぐに目線を下にやった。人生初の告白は、これまで感じたことがないくらいにドキドキして。心臓が今にも破裂しそうだ……。だけど、告白したからにはちゃんと目を合わせなくちゃと、私は前を向いた。すると、信じられないといった様子で目を見張る藍が視界に入ってきた。「まじで?萌果ちゃんが……俺のことを好き?」「うん」「何それ。ドッキリとかじゃなくて?」「うん。私は藍のことが、弟でも幼なじみでもなく……ひとりの男の子として好きだよ」もう一度伝えると、藍は私をぎゅっと抱きしめた。「やべぇ。萌果が、俺のことを好きだなんて……!夢じゃないよね?」確かめるかのように、藍が私を更にきつく抱きしめる。「夢じゃないよ。ちゃんと現実だから」私も藍の背中に腕をまわし、抱きしめ返す。「それじゃあ……萌果はもう、俺のものだね」「え!?」藍にニコッと微笑まれたと思ったら、私は藍に唇を塞がれてしまった。「んっ……」唇同士が、繰り返し合わさる。柔らかく触れて、かすかに浮くと、また角度を変えて重ねられる。「まさか、萌果ちゃんと両想いになれる日が本当に来るなんて、思ってなかったから……すっげー嬉しい」藍が、キスの合間に想いを伝えてくれる。「俺、小学生の頃に萌果ちゃんに振られても、今日まで諦めなくて良かった」「うん」「大好きな萌果ちゃんと、両想いになれて……俺、今すごく幸せだよ」「私も。すっごく幸せ」藍からの甘いキスを受けながら、気持ちがいっぱいに満たされていく。好きな人と、想いが通じ合った今。たぶん、世界中の誰よりも自分
「反省してるのなら、盗撮した私たちの写真……消してくれる?スマホのゴミ箱にあるのも全部」 「ああ」 私が言うと、陣内くんは素直に私と藍の写真を全て消してくれた。 「梶間さんと久住は……小学生の頃からもずっと、仲が良かったもんな。俺なんかが、全く立ち入られないくらいに」 「そんなの当たり前だろ?俺と萌果は、幼なじみという特別な関係なんだから」 藍が、私を陣内くんから隠すように私の前に立つ。︎︎︎︎︎︎ 「梶間さんが引っ越して、久住が芸能人になってからも、まさか二人の関係は今も変わらず続いていたなんて……羨ましいな」 陣内くんの顔は笑っているけど、なんだか少し泣きそうにも見える。 「陣内、分かってると思うけど……萌果に、もう二度とこんなことするなよ?」 藍が、陣内くんに釘を刺す。 「もちろんしないよ。ふたりとも……秘密の関係頑張って?お幸せにね」 陣内くんは立ち上がると、ひらひらと私たちに手を振って、屋上から出ていった。︎︎︎︎︎︎ 「陣内のヤツ、本当に分かったのか?」 陣内くんが歩いて行ったほうを、藍が軽く睨む。 「たぶん、陣内くんはもう大丈夫だと思うよ」 陣内くんが『お幸せに』と言ったとき、今まで見たなかで一番優しい顔をしていたから。 それに藍が屋上に来る直前、陣内くんは涙を流す私を見て『ごめん』と先に一度謝ってくれていた。 私が陣内くんの想いに応えられなかったからといって、彼が私たちを盗撮して脅すという行動に出たのは、簡単に許せることではないけれど。 いつか陣内くんと、クラスメイトとして普通に接することができたら良いなって思う。 「陣内のことを、信じてあげられるなんて。ほんとすごいなぁ、萌果ちゃんは」 藍が両腕を広げて抱きしめてこようとしたので、私は慌てて藍から逃げた。 「えっ、萌果ちゃん?」 藍が、目を大きく見開く。 「ご、ごめん……ほら、あんなことがあったあとだから。外では、周りにもっと警戒しないと」 もちろん、それもあるけれど。逃げた一番の理由は、藍のことが好きだと自覚して、多少の照れくささもあったから。 「そうだよね。俺、軽率だったよね。ごめん」 しゅんとした様子の藍が私から少し距離をとって、コンクリートの上に腰をおろす。 「元はと言えば、こんなことになったのも俺のせいだし。数学の補習のとき、俺が萌果
「萌果っ!!」えっ……。藍の声が聞こえて、私は目を見開く。まさか、ここに藍が来るわけが……そう思った次の瞬間──。「痛ててててっ!」「陣内、萌果に何してくれてんだよ!?」藍が、陣内くんの腕を捻り上げていた。「萌果のこと、泣かせて……ふざけんなよ!」「はっ、はなしてくれ!」藍は、無言で陣内くんを投げ飛ばす。そして、藍が鋭い目つきで陣内くんを睨みつけた。「やっぱり、あの掲示板に貼られた写真の犯人は、陣内……お前だったのかよ!?」「ああ、そうだよ。君たちがムカつくから、やったんだ」「はあ!?」素直に認めた陣内くんに、藍が殴りかかる勢いで向かっていく。「藍、やめて!」私の声が届いていないのか、藍は倒れたままの陣内くんの胸ぐらを掴んだ。血眼になって……こんなにも怒った藍を見たのは、生まれて初めてかもしれない。「なあ。どうせあの写真を餌に、萌果のことを脅しでもしてたんだろ?いいよ。あの写真、みんなにバラしたきゃバラせよ!」「だっ、ダメだよ、藍!そんなことをしたら、藍の仕事にもきっと影響が……!」私は、藍に向かって叫ぶ。「確かに、萌果の言うとおり。もしあの写真が流出したら、ファンの子たちは俺から離れていくかもしれない。萌果にだって、嫌な思いをさせてしまうかもしれない。だけど……」藍が、鋭い目つきで陣内くんを見据えながら続ける。「たとえそれで俺の人気が落ちたとしても、努力して這い上がってみせる。萌果のことだって、必ず守ってみせる。だって、俺は……頑張るって萌果に宣言したから。萌果もモデルの仕事も、どっちも絶対に諦めない……!」藍の言葉に目を瞬かせたあと、陣内くんはため息をつく。「……そうか。まさか久住に、そんなふうに言われるなんて……ああ、完全に俺の負けだよ」その言葉に、陣内くんの胸ぐらを掴んでいた藍がようやく手を離した。「俺、梶間さんをあんなふうに泣かせたい訳じゃなかったんだ。ちょっと困らせてやろうって思って……でも、それは間違ってたよな。梶間さんの涙を見て、目が覚めたよ」力なく笑う陣内くん。「これでも俺、梶間さんのことが本当に好きだったんだよ。俺、小学5年生のときにアメリカから梶間さんたちが通う小学校に転校してきて。クラスは違ったけど、初めて梶間さんを見たとき、すごく可愛い子だなって思って。一目惚れだったんだ」「えっ?