LOGIN「それでは、わたしはこれで失礼します。一階ラウンジにおりますから、部屋を出られる前に携帯を鳴らしてください。すぐに迎えにまいります」
手早くテーブルの上を片付けた二神は、一礼して部屋を出ていった。すべての所作にソツがないと、和彦が感心していると、御堂に呼ばれ、窓際のテーブルセットを示される。 御堂と向き合う形でイスに腰掛けたが、正面から秀麗な顔に見つめられると、やはりどうしても緊張する。いや、目のやり場に困る。「悪趣味なものを見てしまって、わたしの前でどういう顔をすればいいのかわからない、という感じだ」 からかうように御堂に言われ、和彦はムキになって否定する。「そんなこと思ってませんっ。悪趣味なんて……」 御堂と綾瀬の性行為を見て、生々しくて艶めかしいとは思ったが、嫌悪的なものは一切感じなかった。もし感じたとすれば、それは和彦自身の存在を否定することにも繋がる。「……恥ずかしい、というのも表現としてどうかと思いますが、ただ、自分の姿を、客観視ふっと口元に笑みを湛え、御堂は窓のほうへと顔を向ける。非の打ちどころのない横顔に、つい和彦は見惚れる。話を聞いているうちにずいぶん気持ちが和らぎ、こんな質問をぶつけていた。「……御堂さんは、自分の過去をどう思っていますか」 こちらに向き直った御堂は一声唸り、灰色の髪に指を差し込んだ。「苦いような、甘いような、複雑な感じだ。――大事に愛してくれたと思うよ。二人とも、わたしより遥かに大人だったから。いろんなことを教えてもらった。打算的なことを言うなら、あらゆる面で後ろ盾にもなってもらっている。君が見たとおり、今でもセックスできるぐらいだから、否定したい過去ではない」 ニヤリと笑いかけられ、和彦のほうがうろたえてしまう。「それに嫌いではない。オンナであった自分は。ただ……、君のほうは、わたしよりずっと大変だ。賢吾から聞いたけど、長嶺の三人以外とも――」「ぼくは淫奔なんです。束縛も執着もしない相手と気まぐれに、気軽に寝てきて――、それが今はこの状態です。束縛されて、執着されて……。嫌いじゃない、という表現では足りません。きっとぼくは、そうされることが好きなんです」「ふふ。いいことを聞いた。賢吾や千尋が聞いたら喜ぶだろうな」 和彦が慌てて腰を浮かせようとすると、御堂は片手を振った。「冗談だよ。これは〈オンナ〉同士の秘密だ」 なかなか際どい冗談だなと、和彦はぎこちない笑みをこぼしたが、次の瞬間には小さくため息をつき、コーヒーカップに口をつける。〈オンナ〉というのは、単なる言葉でしかない。どこか言葉遊びのような、そこに込められた淫靡な響きに妖しく胸を疼かせ、体を開く媚薬のようなものだ。だが、その単なる言葉が、どんどん和彦の中だけではなく、周囲の男たちにとっても重みを増し、まるで囚われているようだ。 このままでは危険だと、和彦自身、頭ではわかっている。しかしもう、その立場を捨て去った自分の姿が想像できなくなっている。日々を重ねるごとに、そういう生き物になっているのだ。 答えの見えない思索に耽っていると、聞き覚えのない着信音が響く。御堂の携
「それでは、わたしはこれで失礼します。一階ラウンジにおりますから、部屋を出られる前に携帯を鳴らしてください。すぐに迎えにまいります」 手早くテーブルの上を片付けた二神は、一礼して部屋を出ていった。すべての所作にソツがないと、和彦が感心していると、御堂に呼ばれ、窓際のテーブルセットを示される。 御堂と向き合う形でイスに腰掛けたが、正面から秀麗な顔に見つめられると、やはりどうしても緊張する。いや、目のやり場に困る。「悪趣味なものを見てしまって、わたしの前でどういう顔をすればいいのかわからない、という感じだ」 からかうように御堂に言われ、和彦はムキになって否定する。「そんなこと思ってませんっ。悪趣味なんて……」 御堂と綾瀬の性行為を見て、生々しくて艶めかしいとは思ったが、嫌悪的なものは一切感じなかった。もし感じたとすれば、それは和彦自身の存在を否定することにも繋がる。「……恥ずかしい、というのも表現としてどうかと思いますが、ただ、自分の姿を、客観視したような……、妙な感覚です」「佐伯くんは、本当に素直だ。――賢吾から、だいたいのことは教えてもらっただろう。そうしてほしいと、わたしから頼んだことではあるんだが」 一瞬顔を強張らせてから、和彦は肯定する。「御堂さんはどうしてぼくに、あの光景を見せたんですか」「明け透けな表現をさせてもらうけど、自分が男たちの慰み者になっている一方で、優男のわたしなんかが、総和会で肩書きを得て、南郷と渡り合っている――と、きっと思ったんだろうなと、連絡所での別れ際の君の顔を見て感じた。……違うかな?」 何もかも見透かされているなと、逃げ出したくなるような羞恥と惨めさを覚える。「……そこまでひどいことは思いませんでしたけど、似たようなことは……」 満足げに口元を緩めた御堂は背もたれに深く体を預け、足を組む。「落ち込んだ様子の君を見て、猛烈に腹が立ったんだ。君に対してじゃないよ。君を取り巻く男たちに対し
和彦の異変に気づいた二神が気遣わしげに眉をひそめる。それが申し訳なくて、ますます動揺しそうになったところで、すぐ側までやってきた御堂にそっと肩を抱かれた。「佐伯くん、これから時間はあるかな」「えっ……、あっ、はい。ぼくは予定はないので、大丈夫です」 御堂はわずかに目を細めてから、指先で二神を呼び、何事か耳打ちした。 和彦の見ている前で素早く打ち合わせを終えてしまうと、状況がよく呑み込めないまま和彦は、持っていたバッグを、御堂が伴っていた隊員らしき男に預けた。それから、御堂と二人で車に乗り込む。運転はもちろん、二神だ。 今日も御堂の護衛は厳重で、和彦たちが乗った車が走り出すと、ぴたりと背後から、もう一台の車がついてくる。 振り返ってそれを確認した和彦は、緊張しつつシートに身を預ける。自分がついてきてよかったのだろうかと、いまさらながら戸惑っていた。「……御堂さんは、何か用があったんじゃないですか?」 おずおずと問いかけた和彦に対して、隣に座っている御堂が意味ありげな流し目を寄越してくる。「用というほどのものではないよ。うちの隊は、法要の警備には加わらないからね。ひとまず夏の間に、隊としてきちんと体裁を整えて動けるよういろいろ準備をしているけど、動くのは、隊員や清道会の人間だ。隊長のわたしはこの通り、のんびりしたものだ」「清道会……」 綾瀬の顔と、低くしわがれた声を思い出し、つい視線を伏せる。生々しい光景が脳裡に蘇りそうになったが、御堂からの問いかけで意識を引き戻された。「――佐伯くんは、行くんだろう?」「あっ……、はい。いえ、法要のほうではなく、近くの宿まで。長嶺会長や千尋に誘われたんです。宿でゆっくりしていればいいと言われていますが、本当にそうできるかどうか……」「長嶺の男たちのお守は大変だろう」 迂闊に返事もできず和彦が口ごもると、御堂は軽やかな笑い声を洩らした。「素直な反応だなあ」「……相
走り出した車の後部座席で、普段より多い人や車の流れを眺める。せっかくの夏休みを、家族や友人、恋人と過ごす人は多いのだろうなと考えてから、我が身を振り返る。知らず知らずのうちに苦笑が洩れていた。 自分のことを〈オンナ〉にしている男たちのことを、世間ではどう呼ぶのだろうかと、少しだけ皮肉っぽく、そして自虐的に考えてみた。だからといって和彦は、長嶺の男を憎んだり、恨んでいるわけではない。執着され、庇護されるということは、一種の麻薬だ。苦しい反面、とても心地いいし、安堵感すら覚えるようになる。 まるで夏の陽射しだ――。 和彦はウィンドーに顔を寄せ、食い入るように外を見つめる。残念ながらスモークフィルム越しでは、どんなに強烈な陽射しも遮られてしまう。 ふと和彦は、ほんの数日前に味わった汗ばむほど熱い抱擁を思い出し、次に、こう心の中で呟いていた。 鷹津は今ごろ、何をしているだろうか、と。 ハッと我に返り、シートの上で身じろぐ。鷹津のことを気にかけた自分に驚いていた。 番犬として刑事の鷹津を利用し、必要に応じて体を与えるうちに情を通わせるようにはなっていたが、それでも離れてしまえば、心の隅に収納できるだけの冷静さ――分別があった。しかし今の和彦は、ごく自然に、まるで長嶺の男たちを想うように、鷹津を想った。〈オンナ〉という言葉の威力だろうかと、和彦は密かに慄然とする。鷹津とのやり取りが、いまさらながら耳元に蘇っていた。 マンションから本部に向かう途中、こまごまとした買い物を済ませるつもりだったが、そんな気分ではなくなっていた。 黙り込んだままの和彦を乗せ、 車は静かに総和会本部のアプローチを通り、駐車場へと入る。いつもより停まっている車の数が多いのは、明日の法要と関係があるのかもしれない。準備や警備などのため、今日出発する関係者もいるだろう。 ドアが開けられ、車を降りた和彦の傍らから、すかさず手が差し出される。「バッグをお持ちします」「いえ、大丈夫です。重くないですから」 何か言いたげな顔の護衛に対して、和彦は微笑で返す。そのまま歩き出したが、すぐにある光景が視界に入り、結局足を止めていた。 車
それでも、鷹津とのことを知られるわけにはいかなかった。当然、自分から口にするはずもない。 保身のためもあるが、自分のせいで鷹津が何かを失うのは、やはり嫌なのだ。「……何かあった?」 囁きながら千尋がもう一度唇を重ねてくる。和彦は、茶色の髪を優しく指で梳いた。「何も、と言いたいところだが、ここにいると、いろいろあるから……」 千尋の眼差しがスッと鋭さを帯びる。その変化を目の当たりにして和彦はドキリとした。「千尋?」「先生から目を離すと、危ないんだよな。自覚なく、性質の悪い男を引き寄せて、骨抜きにするから。――もしかして最近は、自覚があったりして」 口調は冗談っぽくありながら、千尋の表情は真剣だった。こういうときの千尋は、厄介だ。次の行動が予測できず、とんでもない暴走をしそうなのだ。 和彦の奔放さに対して、嫉妬や独占欲とのつき合い方は上手いと話す千尋は、事実、年齢に見合わない寛大さを示しているといえる。一方で、何かの拍子に激しい感情を発露させることもあるのだ。そうやって千尋は、荒々しい感情のバランスを取っている。とても危うく。 それを受け止めることは、自分の役割であり、義務ですらあると和彦は考えていた。「自覚があったら、ぼくを嫌いになるか?」「悪いオンナ、っていう自覚か……。エロい響き」 バカ、と一言呟いた和彦は、千尋の頭を軽く小突く。すぐに手を引こうとしたが、その手を千尋に掴まれた。子供が甘えてくるように額と額を合わせてきたかと思うと、頬ずりをされ、首筋に顔が寄せられる。肌に触れる息遣いがくすぐったくて、和彦は小さく笑い声を洩らした。「子犬にじゃれつかれているみたいだ」「子犬?」「……別に、可愛いという意味で言ったんじゃないからな」 和彦が念を押すと、千尋が唇を尖らせる。あざといほど子供っぽい仕種だが、和彦には効果的だと、千尋はよくわかっているのだろう。「悪いオンナの周りには、食えない大人の男ばかりだからね。――こういうのも新鮮だろ?」
「だってさあ、俺、せっかくの夏なのに、夏らしいこと何もしてないんだよ? 去年もそれなりに忙しかったけど、今年ほどじゃなかった。だからせめて、こういうときぐらい、楽しむとまではいかなくても、ゆっくりしたいなあ、って」「意地悪を言うつもりはないが、ゆっくりしたいなら、ぼくが行かなくてもできるだろ」「――長嶺の男たちが一堂に会するのに、あんたがいなくてどうする」 突然、二人の会話に割って入ったのは、いつからそこにいたのか、開いた襖の傍らに立った守光だった。入っていいかと問われて頷くと、守光が二人の傍らに座る。このとき、畳んだ服の山にちらりと視線が向けられ、和彦はさりげなく自分の背後に隠す。「すみません、片付けている途中だったもので……」「この部屋も、ずいぶんあんたの私物が増えた。どうにかしないとな」「クリニックが休みに入ったら、少しマンションに持ち帰ろうかと思っています」「いや、そういうことではなくて――……、まあ、今はそのことはいい。法要のことだ」 守光にひたと見つめられ、和彦は背筋を伸ばす。すると守光が、淡い笑みをこぼした。「堅苦しい話をするわけではないんだ。楽にしてくれないか、先生」「あっ、はい……」 そう言われて、和彦は肩からわずかに力を抜く。「先日、あんたが名簿を見たときに言っただろう。ちょっとした行事があると。それが、総和会が毎回執り行っている初代の法要だ。花見会は、世代を超えた交流会のような側面があるが、法要はあくまで内輪の集まり。花見会のように華やかな行事にはならん。形式にそって粛々と進むだけだ」 淡々とした口調でここまで話した守光が、次の瞬間、ニヤリと笑った。食えない笑い顔は、雰囲気が賢吾とよく似ている。「総和会として大事なのは法要だが、長嶺組……長嶺の家にとって大事なのは、そのあとだ」「あと、ですか?」「宿を移して、ささやかに休養をとる。今は、わしや賢吾だけじゃなく、長嶺の男として千尋もがんばってくれたからな。家族旅行のようなものだ」
鷹津を煽る言葉が、和彦の欲情を煽る。カッと体が熱くなり、触れられないまま紅潮する肌を、ワイシャツのボタンをすべて外し終えた賢吾が確認する。満足したように目を細めた賢吾が、優しい声で唆してきた。「さあ、先生、この下衆な男に見せてやれ。自分がどれだけ、長嶺組の組長を骨抜きにして、惑わせているか」 賢吾の熱い手にいきなり和彦のものは握り締められて、容赦なく扱かれる。呻き声を洩らした和彦は、咄嗟にソファの端を掴んだ。 片手が胸元に這わされ、すでに興奮のため硬く凝った胸の突起をてのひらで転がされる。片足を押し上げるようにして覆い被さってきた賢吾にベロリと舐めら
中嶋のそういう状況を救ったのが、秦なのだ。恩を感じる一方で、そんな相手を自分の利益のために利用するなど、果たして中嶋にできるのだろうか。 その疑問に対する答えを、和彦は持たない。秦も得体が知れないが、ヤクザであるという一点において、中嶋も同じだ。 車の後部座席に乗り込んだ和彦は、すぐにシートにぐったりと体を預ける。縫合手術だけなら普通はこんなに疲れないものだが、長嶺組の代紋を背負わされ、ヤクザに囲まれた状況でこなす手術は特別だ。体力よりも気力を消耗する。 中嶋と会話らしい会話も交わさず、流れる景色を眺めていた和彦だが、すぐに、ある異変に気づいた。
考えるべきことが多すぎる。すっかり映画はどうでもよくなり、顔を伏せた和彦が暗い足元に視線を落としていると、耳元でハスキーな声が囁いた。「先生、気分が悪いなら、外に出るか?」 顔を上げた和彦を、三田村がまっすぐ見つめてくる。思わず頷いていた。 促されるままロビーに出ると、まずイスに座らされる。ロビーにほとんど人の姿がないこともあり、さりげなく三田村に髪を梳かれた。「飲み物を買ってくるから、ちょっと待っててくれ」 こんな日でも、地味な色のスーツを着込んでいる三田村の後ろ姿が、角を曲がって見えなくなる。 それを待ってから
「長嶺組長は警戒心が強く、慎重です。外部の人間は信用しないし、まず関わりを持たない。まともに話ができるのは、身内に引き入れてからだそうです。身内にすれば、自分の腹ひとつで生殺与奪が決められるから、と物騒な噂を聞いたことがありますが。わたしは、そんな長嶺組長――長嶺組を後ろ盾にして、商売がしたいんです」 中嶋だけでなく、秦も野心家だ。しかも、危険な野心を持っている。毒気にあてられたような眩暈を感じ、和彦は頭に手をやる。「……本人にそう訴えたらどうだ。中嶋くんのツテを頼れば、会うぐらいはできそうだろ」「総和会を通す気はないんです