Mag-log in何も言わず秦が指をさしたほうを見ると、車道を挟んだ向かいのビルの前に、男が二人立っていた。一人は中嶋だ。もう一人は――。
「前に、会ったことがある。確か、中嶋くんが面倒を見ている子だろ?」 第二遊撃隊は隊員以外に、隊員たちが手足として使う若者たちを囲っている。中嶋は、若者の何人かを面倒を見ており、彼はそのうちの一人だ。 夜ということで、顔の造作まではっきりとは見えないが、立ち姿や髪型から判別はできる。若いながらもおそろしく鋭い空気を持っていたことが印象的で、なんとなくだが顔も記憶に残っていた。 中嶋と青年は向き合って何か話している。すらりとした中嶋よりさらに上背があり、精悍そうな体つきをした青年だが、ときおり慎重に周囲を見回す姿は、神経質なものを感じさせる。 有能で、飼い主に対して忠実な犬だなと、ふと和彦は思った。まるで中嶋を、危険から守ろうとしているかのようだ。「――中嶋は、彼と寝ているそうです」 和彦の隣に立った秦が、淡々とした口調で言う。最初は、何を言われたのか理解できなかった和彦だが、数回組員たちに頭を下げ、詫びの言葉を述べてから、中嶋がやっと和彦の傍らに立つ。 「先生――」 「とにかく、座ってくれ。目立つから」 頷いた中嶋が、加藤の隣に腰掛ける。次の瞬間、テーブルに額を擦りつけるようにして頭を下げられた。 「うちの隊の若いのが、本当にご迷惑をおかけしました。つい最近まで、組織同士のルールも関係なく好き勝手に生きてきた奴なので、と言い訳するつもりもありません。こいつの不始末は、面倒を見ていた俺の不始末です。長嶺組が求める処罰を、一緒に受けるつもりです」 いつもの中嶋らしくない硬い口調に、今の事態は自分が考えている以上に大事なのだと和彦は実感する。 どうしたものかと、困惑するしかなかった。和彦としては事を荒立てるつもりはなく、次からはせめて事前に連絡をしてくれという注意で済む類のトラブルだと思っている。しかし、この場にいる組員や中嶋の様子を見ていると、事はそう簡単ではないようだ。 「処罰については、ぼくはよくわからないから、組に任せることになると思う。だけど、君がぼくの目の前に現れなくなるのは困るから、そこはしっかりと、組に要望を伝えさせてもらう。加藤くんについても、隊に入ったばかりだというし、張り切り過ぎたうえでのことだともわかるから……、君から上手く伝えてやってほしい」 簡単な状況の説明を電話で伝えただけなので、すぐには和彦の話が理解できなかったらしい。中嶋が眉をひそめて、和彦と加藤を交互に見る。 「張り切り過ぎた、とは……?」 「ぼくのあとを尾行して、自分が護衛する状況をあれこれ考えていたらしい。黙って立ち去るつもりだったらしいけど、たまたま見つかったものだから――」 いきなり中嶋が、拳で加藤の頭を殴りつけた。驚いて目を見開く和彦の前で、中嶋は大きくため息をつき、再び頭を下げる。一拍置いて、加藤も倣った。 「……本当に、申し訳ありません」 「ぼくの立場だと、軽々しいことは言えないけど、それでも、組長のほうには穏便に済ませてほしいと頼んでみるよ。それに……、南郷さんにも」 そっと頭を上げた二人を眺めてから、和彦は別のテーブルの青年たちにも目を向ける。 「若いと、本当にいろいろと無茶
「ぼくの護衛につくことになるから、そのためのシミュレーションを一人でやってたって……、気合いが入りすぎだ。それに、護衛云々はまだ先の話で、今は勉強中なんだろ?」 「だから、ただあとをつけて、見ているだけのつもりで……」 「見つかったのは、予想外だったというわけか」 加藤がウソをついているとは思えなかった。せっかく第二遊撃隊に入って居場所と立場を得た青年が、和彦を襲う理由がそもそも見当たらない。蛮勇に駆られて何か企んでいたとしても、計画としてはあまりにお粗末だ。 つい加藤を庇う方向で考えてしまうのは、彼自身を無条件に信用したからではなく、中嶋と関係を持っていると聞かされたからだ。つまり和彦は、加藤を受け入れた中嶋を信用したといえる。 「――中嶋くんには連絡してあるから、多分もうすぐ来るよ」 和彦の言葉に、初めて加藤の顔に動揺の色が浮かんだ。その様子を一瞥した和彦は、焼けた肉を網の隅へと移し、今度は野菜をのせていく。 「君はまだピンとこないだろうけど、ぼくの扱いに対して、長嶺組と総和会は取り決めを交わしているんだ。連絡を取り合って、スケジュールを確認して、そうやって折り合いをつけて、無用な衝突を避けている。君の思いつきの行動は、そういう二つの組織の面子と苦労を踏みにじりかねなかったんだ」 「すみません……」 「ぼくは別に怒ってないけど、少なくとも長嶺組は、何様だと思うはずだ。君に対してだけじゃなく、第二遊撃隊、総和会、あとは――南郷さんにも。少し前まで堅気だったぼくでも、それぐらいは理解できるようになった。君は?」 加藤が固く唇を引き結び、あまり他人に説教をすることがない和彦は、言い過ぎただろうかと内心で焦る。焼けた肉を慌てて加藤のほうへと押しやった。 「ほら、食べて。今日はこのあと、何か食べられる余裕がないかもしれないから」 彼らのように、と別のテーブルで必死に肉を掻き込んでいる青年たちに目を向ける。そのときちょうど、店に飛び込んできた人物の姿に気づいた。軽く店内を見回したその人物と、いきなり目が合う。 和彦が軽く手を上げると、その動作に反応したように加藤が箸を置き、呟いた。 「中嶋さん……」 和彦た
他の組員に聞いて、歩いていける距離にいい焼き肉屋があるということで、希望通りに食事会が決定する。その場で組員たちがあっという間に打ち合わせを済ませると、和彦は安全のため車で移動することになった。大げさだとは思ったが、気遣われる立場であることは自覚しているので、口には出さない。 慌ただしく玄関から出ると、外はすっかり日が落ち、マンションの共用廊下には電気がついていた。部屋の窓には厚手のカーテンを引いたままだったので、外の様子がよくわからなかったのだ。 和彦は風の冷たさに首を竦めながら、二人の組員とともにエレベーターに乗り込む。一階に降りると、車を正面玄関まで回してくると言って組員の一人が走って行った。残った組員の隣に立ち、なんとなく、人気のない通りを眺めていた和彦だが、少し離れた場所に設置された自販機の陰で何かが動いたように感じ、目を凝らす。一瞬、気のせいかとも思ったが、そうではなかった。 何か、ではなく、明らかに人がいる。そう察したとたん、肌がざわりと粟立った。 和彦の視線の先をたどったのか、隣に立つ組員が一気に殺気立つ。素早い動きで和彦をエントランスの中へと押し込むと、次の瞬間には、弾かれたように通りへと駆け出した。 「お前、どこの者だっ」 腹に響くような怒声が聞こえ、和彦は咄嗟に体を強張らせる。ガラス扉の隅からそっと外をうかがうと、組員が、自販機の陰から人影を引きずり出しているところだった。勢い余ったように地面に倒れ込み、そこを逃さず組員が相手の襟元を掴み寄せる。 ここで、街灯の明かりに照らされて、相手の顔がはっきりと見えた。 「あっ」 声を洩らした和彦は、慌ててエントランスから飛び出し、二人に駆け寄る。気づいた組員がぎょっとしたように目を剥く。 「先生っ、中にいてくださいっ」 「違うんだっ。彼は――、その子は、ぼくの知り合いだっ」 組員がパッと手を引き、困惑したように和彦を見る。 「……知り合い、ですか? このガキと……」 和彦は頷き、組員が『ガキ』と呼んだ相手の傍らに屈み込む。こんな状況にあっても動じた様子のない切れ長の目が、じっと見つめてくる。和彦は硬い口調で問いかけた。 「こんなと
「んっ? ああ、あいつらに、あんたの身の回りの世話をさせるという話か。それは、まだ先のことだ。今から渋い顔をしないでくれ」 正面を向いた南郷に、和彦の表情が見えるはずもない。それでもズバリと言い当てられ、思わず眉間を指の腹で押さえる。南郷が短く笑い声を洩らしたように思えたが、多分、気のせいだろう。**** 捲り上げていたシャツの袖を下した和彦は、ふっと息を吐き出す。すかさず長嶺組の組員が歩み寄ってきた。 「お疲れ様です、先生。……申し訳ありません。せっかくのお休みなのに、来てもらうことになって」 「いつものことだから、気にしないでくれ。それに今日は、思っていたより軽い怪我ばかりだったから、いつもの仕事に比べたら――」 仕事を終えた気楽さもあり、和彦が口元に淡い笑みを浮かべると、それを受けた組員が大仰にしかめっ面を作った。 「まったく。ガキってのは、ときどきとんでもないことをしでかすもんですよ」 二人の視線は自然と、傍らで正座している青年へと向けられる。頬に大きな絆創膏を貼ってはいるものの、目立った怪我といえばそれぐらいだ。なかなかいい体つきをしており、坊主頭もあいまって、道ですれ違いたくないタイプに見える。だが今は、叱られた犬のように項垂れ、肩を落としていた。 昨日、南郷から紹介された、加藤や小野寺と同年齢ぐらいだろう。長嶺組の正式な組員というわけではなく、いわゆる組員見習いのようなものだ。組員から小遣いをもらいながら、仕事の手伝いをしているそうだが、ただの雑用もあれば、危険な橋を渡ることもある。 若いのだから、今からでもまっとうな仕事に就くことは十分に可能だろうが、食えないヤクザたちは、その辺りは巧みだ。彼らの居場所は組が作ってやるといわんばかりに、程々に世話を焼き、程々に厳しく躾をする。まるで、親代わりのように。そうやって囲い込み、組から抜け出せなくするのだ。 長嶺組だろうが総和会だろうが、人材を集めるためにやることは、基本的に変わらない。 和彦は視線を上げると、広めの室内をゆっくりと見回す。やけに窮屈に感じるのは、部屋にいる人間の数が多いせいだ
南郷が軽く手招きすると、少し離れた場所に立っていた青年がこちらに駆け寄ってくる。タンクトップの上からシャツを羽織った、一見ごく普通の若者らしい服装をした青年だった。女の子に騒がれそうな華のある甘い顔立ちをしているが、感情を押し殺した無表情は、青年から個性を奪っているように思えた。 彼のこともまた、和彦の記憶には残っていた。しかし、強く印象に残っているのは顔立ちよりも、青年の胸元で揺れるシルバーのネックレスと、耳にいくつも空いたピアスの穴だ。前に、南郷に騙されて呼び出されたとき、和彦をカラオケボックスの一室に案内した青年だった。 「こっちは小野寺だ。加藤もだが、この先、何かと先生と顔を合わせる機会もあるだろう」 どういう意味かと、和彦は首を傾げる。南郷は口元に薄い笑みを湛え、車を示した。 「いつまでも立ち話もなんだ。車に乗ってくれ」 素早く後部座席のドアを開けてくれたのは、小野寺だった。 車が駐車場を出てすぐ、助手席の南郷が話し始める。 「――あいつらには、ゆくゆくはあんたの身の回りの世話や、護衛を任せたいと思っている。今は、あんたが本部に滞在していたり、総和会の仕事をするときにだけ、うちからの護衛をつけているが、いつまでもそういうわけにはいかない」 「と、言うと?」 「俺は……というより、オヤジさんの考えでもあるが、常にあんたに護衛を張りつかせておきたい。何かあってからじゃ遅いからな。これからあんたの価値と存在感はますます増す。そのことは、総和会の外にも知られるようになるだろう。目敏い組織だったら、すでにもうあんたに注目していても不思議じゃない」 和彦が顔を強張らせると、その反応を読んでいたように南郷がちらりと肩越しに振り返る。ニヤリと笑いかけられた。 「心配しなくても、あんたの身はうちがしっかりと守る。例の刑事のような害虫は、金輪際近づけさせない」 言いたいことはあったが、ここで南郷に抗議しても仕方がない。南郷の背後にいるのは、守光だ。守光はよほど、鷹津の存在を不快に感じていたのだろうと、南郷の発言からうかがい知ることができた。 「さっきの若い二人だけじゃなく、使える人材はいくらでも欲しい。あんたの事業
これまで南郷にされてきたことが一気に蘇り、和彦は怒りで我を忘れそうになる。こうして同じテーブルについていることも、精一杯の自制心を費やしてのことなのだ。 和彦は、本能的に南郷を恐れている。近づいてはいけないと、頭の中でずっと警報が鳴り続いているような状態だ。そんな和彦に対して南郷の要求は、あまりに酷だと言えた。 顔を強張らせると、南郷に鼻先で笑われた。 「そう、露骨に嫌そうな顔をしないでくれ。さすがに傷つく」 言い訳もできずに和彦が口ごもっている間に、言葉とは裏腹に平然とした様子で、南郷はステーキを平らげ、スープもあっという間に飲み干してしまう。そして、テーブルに置かれた伝票を手に立ち上がった。 「外で待っている。あんたはゆっくり食べればいい」 そう言われても、優雅にランチを楽しめるはずもなく、和彦はどうにかパスタを半分ほど胃に収めて、急いで店を出る。途端に、物陰に身を潜めていた護衛の男たちにさりげなく囲まれた。少し大げさではないかと感じているが、鷹津に連れ去られた件が尾を引いているのかもしれない。 駐車場では、車の傍らに立った南郷が煙草を吸っていた。そんな南郷に、携帯灰皿を差し出すのは――。 「あっ……」 和彦が洩らした声が聞こえたのか、南郷はほとんど吸っていない煙草を携帯灰皿に押し込んだ。 「早いな、先生。慌てなくてよかったのに」 「そういうわけには……。それより――」 南郷の傍らで、頭を下げ気味にして控えている青年を見遣る。やはり、間違いなかった。何日か前に、中嶋と一緒にいるところを見かけた青年だ。 Tシャツがぴったりと張り付いた体つきは精悍で、全身から若さが漲っているなと半ば感心して眺めていた和彦だが、逞しい左腕に黒々とした影が差しているのを見て、一瞬ドキリとする。目を凝らしてやっと、肌に彫ってあるものだとわかる。袖で絵柄の大半が隠れているが、瑞々しいともいえる黒の鮮やかさから、かつて千尋が入れていたタトゥーを思い出した。 和彦の視線を追うようにして、南郷も青年に目を向ける。 「こいつが気になるか、先生?」 「えっ、ええ……」 南郷は素っ気ない手つきで、青年のあご
** 別れ際、玄関で秦に抱き締められてから、和彦は部屋をあとにした。 エレベーターの中で、もう二度と秦と会わないということはおそらく不可能だろうなと、ぼんやりと考える。秘密を共有してしまったということもあるが、秦との間に確かな結びつきができたことを実感していたのだ。 賢吾や千尋、三田村との間で生まれた結びつき――縁と、同種だ。肉欲と切っても切れない縁で、それはすぐに、情へと変化する。さすがに和彦も、それぐらいは学習していた。 複雑になった事態と人間関係を、自分はどうするつもりなのか、考えたくなかった。体も心も、秦から与え
「不愉快どころか、やけに楽しそうでしたよ、秦さん。いい店を先生に紹介しないと、と張り切ってもいましたし」「ならいいんだ。あの人、職業柄なのか知らないけど、よく気をつかってくれるから。ぼくみたいな人間につき合って、迷惑をかけても悪いしな」 和彦が、長嶺父子のオンナであることは、すでに知られている事実だ。いまさら千尋と甘い会話とキスを交わしていたからといって、他人に喜んで報告するような悪趣味なまねを、秦がする必要もない。 和彦が心配していたのは、そんなことではなく、純粋に今言った通りのことだった。 大きく息を吐き出しながら、中島がマシンをゆっく
「――先生」 呼ばれて、おずおずと振り返ると、そこに真剣な賢吾の顔がある。何か言われたわけでもないのに、和彦は小さく喘いでから賢吾の唇にそっと自分の唇を重ねた。すると、賢吾のもう片方の手に、和彦の柔らかな膨らみは包み込まれる。 「ひっ、あぁっ」 泡で滑る手に柔らかく揉みしだかれ、たまらず和彦は、ビクッ、ビクッと腰を震わせ、背をしならせる。下肢が、甘く溶けてしまいそうだった。 「あとでたっぷり、ここを揉んで悦ばせてやる。最近、弄られるのがよくなってきたみたいだからな。今は、洗うだけだ」 賢吾の的確に動く指は貪欲に、和彦の官能を刺激する
また指で呼ばれ、和彦は賢吾のあとについていく。工事後は待合室となるホールでは、施工業者の人間が集まって持ち込む機材について話し合っている。その様子を一瞥した賢吾は、奥の部屋へと向かう。 「……護衛の人間は?」 ホールを見て、賢吾が一人でこのフロアにやってきたのは確認した。 「物騒なツラした人間を、一般の業者がいる場所に連れてくるわけにはいかないだろ。設計士は前からの馴染みだが、業者のほうはそうじゃないんだ。クリニックを始める前に、妙な噂は立てたくない」 「自分は物騒なツラじゃない、と言いたいんだな」 皮肉でもなんでもなく、思ったまま