LOGINさすがに、この申し出を断ろうとは思わなかった。
和彦が守光とともに店を出ると、三台の車が待機していた。総和会の護衛の男たちは辺りに鋭い視線を向けて警戒しており、二人の姿を見るなり、あっという間に整列して人の壁を作り出す。 促されるまま素早く車に乗った和彦だが、助手席に座っている男の姿を認めてドキリとする。後ろ姿であろうが見間違えるはずもない。南郷だった。 今晩は一緒だったのかと、和彦は横目でちらりと守光を見遣る。守光とは電話で話すこともあったが、南郷とは、車で襲撃を受けた翌日に、病院まで付き添ってもらったとき以来だ。 その南郷が振り返り、後部座席の二人に向かって一礼したあと、前方に向かって合図を送る。静かに車が走り出した。 車中は静かだった。無駄な会話は必要ないとばかりに、誰も口を開こうとしない。和彦は静かにシートに身を預けたまま、すっかり暗闇に覆われた外の景色に目を向けていたが、程なくしてピクリと体を震わせた。守光の手が、腿にかかったからだ。 まったく知らないふりもできず、ぎこちなく隣に目を向ける。いつか話を聞きながら和彦の表情は緩む。いまだ会ったことのない稜人の様子を聞くだけでも可愛いが、それを話す千尋も、可愛い。自分から思いついたのか、周囲からのアドバイスに従ったうえでの行動かはわからないが、千尋は確かに稜人との距離を縮めようと努力している。「写真は撮らなかったのか?」 あっ、と声を洩らして目を見開いた千尋の肩を、和彦は軽く叩く。「これから撮る機会はいくらでもあるだろ」 同行する組員に頼んだほうが確実な気もするが、余計な口出しはしないでおく。 他愛ないことを話している最中に、千尋の腹が豪快な音を立てる。自分の腹をさすって、千尋が情けない顔をした。「今日は動き回ったから、腹減った……。和彦、晩メシはどうする?」「途中でどこかに寄ってもらえるとありがたい。買って帰ってもいいし、お前の予定に合わせる」 にんまりとした千尋は、すぐさま前列に座る組員たちと打ち合わせを始める。それを聞きながら和彦は、道路沿いにある回転寿司のチェーン店やファミレスを横目で眺める。手っ取り早くていいと思うのだが、長嶺組の男たちの選択肢には入っていないようだ。 結局連れて行かれたのは、いかにも老舗といった店構えの洋食屋だった。夕食時ということもあって混雑はしていたが、さほど待つことなくテーブルに案内される。家族連れが多いためか店内はずいぶんにぎやかだが、まったく不快ではなかった。楽しげにお子様ランチを食べている隣のテーブルの男の子に、つい目を細める。おそらく稜人と同じ年ぐらいだ。「和彦は何食べる?」 千尋がメニューを開いて見せてくれる。まっさきに目についたメニューの写真を和彦は指さした。「エビフライ」「んじゃ、俺は――」 同じテーブルには長嶺組の組員たちもついている。駐車場で待ってもらうのも悪いからと、和彦が誘ったのだ。「……昼、何を食べたんだ?」 ふっと疑問が口を突いて出る。注文を終えた千尋はきょとんとしたあと、ごそごそとパンツのポケットをまさぐる。「財布にレシートが入ってる。ちょっと待ってね」「あー、そこまでしなくて
少し離れた位置に長嶺組の組員たちがいて、目が合い軽く会釈を交わす。「わざわざ来てくれたのか……」 歩み寄った和彦の手から、当然のように荷物を受け取りながら、千尋が澄ました顔で頷く。「当然。ちょうど夕方から俺の予定が空いててよかったよ」 和泉家を出発する前に、何時の列車に乗るか知らせておいたが、和彦としては迎えを期待してのものではなく、一人でタクシーで帰るつもりだったのだ。 長嶺の男の過保護ぶりをいまさらながら噛み締めている間に、千尋から組員へと、荷物は渡っていく。「……ずいぶん疲れた顔してる。大丈夫?」「さすがに堪えた……。だけど、平気だ」 とにかくここから移動しようと、千尋の手がそっと背にかかる。待機していた長嶺組の車に乗り込んだとき、思わず和彦は吐息を洩らしていた。だらしなくシートに体を預けていたが、ハッと我に返って姿勢を正す。何事かと、千尋が目を丸くした。「和彦?」「あの……、今回は、ぼくだけじゃなく、祖父母のことまで気遣ってもらって、ありがとう。もちろんあとで、組長や会長にもお礼を――」「和彦は、俺たちの身内。香典を渡すぐらい当然でしょ。なんか、まったく繋がりがないわけでもなかったようだし。和彦のお母さんの実家と、長嶺の家って。じいちゃんもオヤジも意味ありげな様子だけど、俺には教えてくれないんだよなー。上の世代だけで秘匿しておきたいってことなんだろうけど」 口惜しそうに少し唇を尖らせた千尋だが、本気で探りたいわけではないようで、すぐに表情を改めて和彦にこう言った。「とにかく気にしなくていいよ。じいちゃんとオヤジは、きちんと義理が果たせたことに満足してるんだから」 頷いてはおいたが、あとで二人に帰着の報告をしておかなければならない。ずいぶん気をつかってもらったというのは、和泉家に滞在中、一度も様子をうかがう連絡がなかったことからもわかる。つまり、そっとしておいてくれたのだ。 ようやく気を緩めて再びシートにもたれかかった和彦は、自分のことを話すより先に、さきほどから感
「ぼくは一介の医者だ。立派な家柄でもなく、家族が増えたところで軋轢を生む人間関係もない。何もないからこそ、都合がいい。君にとって」 打算的だと賀谷は責めない。電話で打ち明けたときも同じ態度だった。「ずいぶん前に、総子さんから言われたことがあるんだ。うちの養子に入らないかって。そのときなんとなく感じたよ。将来的にご夫妻は、和泉家に君を迎え入れるつもりなのかもしれないと。たった一人男孫が同じ姓を名乗ってくれるだけで、ずいぶん心強くなる。総子さんは特に今は、君を気にかけているだろうしね」「……どうして断ったんですか。養子のこと」「ぼくは自分の姓にこだわりはなかったんだ。だけど紗香さんと出かけたとき、何かで記帳する機会があってね。そのとき嬉しそうに、〈賀谷紗香〉と書いてくれたんだ。だから、かな。彼女はもういないけど、心の拠り所を残しておきたかった。ぼくにとっても、紗香さんにとっても。結果として、君の力になれるんなら、うん、ぼくの選択は間違ってないはずだ」 賀谷からもっと実母との思い出を聞いてみたかった。同じぐらい、正時や総子との思い出も。「総子さんは、生き抜くための武器を君に与えると言っていた。ぼくの場合は、武器というには頼りないけど、いざというとき君が取れる手段の一つになれれば嬉しい。――紗香さんのようにはならないでくれ。これが、ぼくが〈息子〉に望むたった一つのことだ」 もう行こうかと賀谷に促され、和彦は立ち上がる。先に階段を上がる賀谷の後ろ姿を特別な感慨をもって見つめていた。 これが父の背かと心の中で呟きながら。**** 滞りなく正時の葬儀を終えると、その日のうちに俊哉は慌ただしく帰っていった。消沈と気忙しさから和彦は、俊哉とゆっくりと話せる時間が最後まで持てなかったが、心の半分では安堵もしていた。何もかも見透かしてしまいそうな俊哉と対峙するのは、正直当分は避けたい。 一方の綾香は、せめて初七日を終えるまでは正時の側にいたいと、屋敷に滞在することにしたそうだ。できることなら和彦も付き添いたかったが、連休明けのクリニック再開の準備がある。葬儀の翌日、総子
「できれば朝から来たかったんだけど、午前中は診療所を開けていてね。案の定診察が長引いて、こんな時間になってしまった」 賀谷の横顔には強い疲労感が漂っている。そこに悲しみも加わっているのは、腫れた両瞼が物語っている。「――……この階段は、和泉家の人しか使わない秘密通路みたいなものでね。下りた先に、正時さんの趣味の道具を仕舞ってある小屋がある。屋敷に持ち込まないのは、総子さんに見つかって小言を言われるのが嫌だって……。けっこう子供みたいなところがあったんだ。まあ、総子さんは全部知ってたんだけどね」「どんな趣味なんですか」「釣りだよ。川釣り。子供の頃から川遊びが好きだったらしい。ときどきぼくも連れて行ってもらってね。残念ながら、正時さんの指導のわりに、ぼくは全然上手くならなかったんだけど」 よく釣りの話をしていたという小屋で、賀谷はひっそりと思い出に浸っていたのだろう。 少しの間、二人の間に沈黙が流れる。それは息が詰まるような重苦しいものではなく、ただなんとなく、互いの存在を空気のように受け入れる自然なものだった。和彦は特別な感情を込めて、改めて賀谷の横顔に視線を向ける。「あの――」「前に君が打ち明けてくれただろう、〈これから〉のことを」 鷹津とログハウスで生活していたときのことだ。和彦は電話で賀谷にある相談をしていた。「君は可能性の一つとして言っていたけど、ぼくはずっと悩んでいたんだ。いままで返事をしなかったことで察しているけど思うけど」「……自分でも、迷惑を顧みないことを言ってしまったと思います。だから、忘れてもらっていたほうが……」「正時さんを看取りながら、ぼくは君のことを考えていた。――独身だったぼくには、父を亡くしてから身内と呼べる人がいなくてね。前にも言ったけど、そんな中、ずっとよくしてくれたのが正時さんと総子さんのご夫妻だ。……紗香さんのこともあるのに、本当によくしてくれた」 総子もずいぶん賀谷を頼りにしているようだったので、この言葉にうそはないとわかる。
「まあ、総子さんが出入りを許しているのなら、わたしがとやかく言う権利はないな」 俊哉はスマートフォンにちらりと視線を落としてから、とうとう電源を切ってしまう。目頭を押さえる姿を見て、和彦は声をかけずにはいられなかった。「父さんも少し休んだら。おばあ様の側にはぼくがついているから」「そうだな。お前と総子さんは、相性がいい」 なんと応じればいいかわからず、三人分の食器を洗い場に運ぶ。 一人になった和彦は、ひとまず総子に挨拶をしておこうと広間に行ってみる。思ったとおり、総子は正時の側にいた。「朝食は食べましたか?」 控えめに室内を覗く和彦に気づいて、総子がそう問いかけてくる。頷いてから、総子の傍らに腰を下ろす。「父さんと母さんは、少し休むそうです。昨夜は眠れなかったようなので」「夜、何度か様子を見に来てくれたんですよ。仕事を終えてこちらに移動するだけでも大変だったでしょうに。――でもおかげで、俊哉さんとはいろいろと話すことができました」 視線を伏せ気味だった総子が、ふっと襖のほうに目をやってから声を潜めた。「あなたが預かってきた香典だけど、後日、あなた宛てに香典返しと礼状を送ります。それをあなたから、〈あちら〉に渡してもらえますか? ただし、わたしの名は記しません。礼儀知らずな行為になりますけど、事情は汲んでもらえると思っています」 長嶺組と総和会と直接和泉家が繋がったという証を残す危険性を言っているのだ。それぞれ大きな組織を背負う父子が迂闊なことをするはずもないと信じたいが、全面的に信用するわけにはいかない総子の立場もよくわかる。礼状を送ることが精一杯の誠意なのだろう。「ぼくからきちんと説明しておきます。……大変なときに、おばあ様には面倒をかけてしまって――」「こんなの面倒のうちに入りませんよ」 そう言ってようやく総子が笑みを浮かべる。すぐにでも消えてしまいそうな儚い表情であっても、和彦には救いになる。正時を亡くしたばかりであっても、総子は決して絶望はしていないのだと。** 午後になってから湯灌と納棺
**** 和泉家の屋敷での家族揃っての朝食は、ひたすら静かなものだった。和彦は昆布入りのおにぎりを黙々と食べる。正面に座る俊哉は一見いつも通りに見えるが、少し離れた席につく綾香のほうは違う。憔悴しきった様子で、食欲がないのか味噌汁を一口、二口啜っただけで、箸はとまったままだ。 和彦は、昨夜はほとんど夕食が喉を通らなかったが、現金なもので今朝は、大皿にのる大量のおにぎりを見た途端に空腹を自覚した。他の器にはきんぴらごぼうや、牛肉のしぐれ煮、小松菜の卵炒め、ポテトサラダといった総菜が盛られており、好きなものを自分で取り分ける形式になっている。夕方からの通夜の準備で朝から慌ただしくしているため、手が空いている人から朝食をとるよう言われていた。今のところ食堂には和彦たち家族三人の姿しかない。 だからといって家族だけの会話があるわけではなく、俊哉は持ち込んだスマートフォンが点滅するたびに確認している。忙しい身ながら、少なくとも二泊する予定を立てる程度には、和泉家を尊重しているとも言える。 気を使い続けると沈黙したままになるため、和彦はおずおずと口を開く。「……父さん、兄さんから連絡は……?」「夜中にあった。やはり、仕事で身動きが取れないそうだ。子供じゃないんだ。来られるなら来る。無理なら来ない。それぐらい自分で判断するだろう」 俊哉ですらこちらに来ている中、英俊はもしかすると自分と顔を合わせたくないのだろうかと、ふと和彦は考える。わずかながら罪悪感を覚えなくもないが、たった今俊哉から言われたように、判断するのは英俊だ。 食堂の窓の外で、葬儀会社のスタッフたちが慌ただしく何かを運び込んでいる姿がちらちらと映る。通夜はこの屋敷で、葬儀は近所にある和泉家の菩提寺で執り行うことになっている。年明けに、和彦が紗香の墓参りのため訪ねた寺だ。生前の正時の希望だそうだ。 ガタッとイスを引く音がする。振り返ると、綾香が立ち上がったところだった。「少し……、部屋で休むわね。昨夜は全然眠れなくて」「…&hellip