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第50話(22)

Author: 北川とも
last update Petsa ng paglalathala: 2026-10-17 20:00:12

「あの……、おばあ様の様子はどうでしたか? 体調を崩されたりとかは……」

『賀谷先生がよく立ち寄ってくださっているので、心配ありません。食は細くなっていますが、精神的なもののようで、これはもう日にち薬に期待するだけです。むしろ心配なのは、娘さん――和彦さんのお母さんのほうですね。体調を崩して寝込まれて、初七日を終えたあとも数日ほど滞在されていました。当然かもしれませんが、ずいぶんと参っていました。総子さんともほとんど会話をされずに……』

 総子と連絡を取ったときに何も教えてくれなかったのは、心配をかけまいとする配慮だったのだろう。もしくは、教えたところで和彦はあてにならないと判断されたのだろうかと、自虐めいたことが頭の片隅を過る。案外、佐伯家の男全員がそう思われている可能性もある。

 とにかく、総子ではなく、綾香のほうが床についていたとは思いもしなかった。気になるため一度実家に顔を出したほうがいいかもしれない。歪な形で成り立っている家族ではあるが、情がないわけではない
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  • 血と束縛と   第50話(25)

    ** 九鬼から『釣りに』と誘われて頭に浮かんだのは、連休前に同じくオフィスで言われた『餌を撒きに』という言葉だった。 何か深い意味が込められているのではないかと勘繰り、誘いを断らなかったのだが――。 アウトドアチェアに腰掛けた和彦は、糸を垂らした釣り竿をゆっくりと上下に動かす。陽射しを受けて海面がキラキラと輝いていた。少し前まで薄曇りだったが、車で移動する間に頭上の雲はどこかに行ってしまった。「――息抜きで、たまに来るんですよ、この辺り」 隣でコンクリートの上に直に座り込んだ九鬼は、慣れた手つきで針に餌をつけている。 海上に張り出す形で数十メートル続く堤防には、同じく釣り人の姿が見える。出足が遅かったせいか、空いたスペースを見つけるのにちょっと難儀したぐらいだ。土曜日ということもあってか、父親に連れられた小学生ぐらいの子供の姿や、中学生だけのグループなどがおり、ときおり歓声を上げて楽しそうだ。 視線を少し先に向ければ、漁港が見える。釣果がなければ、漁港近くに並ぶ鮮魚店で買って帰りましょうとすでに九鬼に言われていた。「だから、車のトランクに釣り道具を入れているんですか」「考え事をするのにいいんですよ。海を見ていると、なんとなくストレスも軽くなってきますし。ただ、これからの季節はちょっとつらいですね」 それはそうだろう。すでにもう暑いのだ。今、和彦の頭には、途中で立ち寄った釣具店で餌と釣り針と一緒に買った麦わら帽子がのっている。九鬼はつばの長いキャップで、今日のラフな服装も相まって妙に似合っている。そもそも最初から釣りに出かけるつもりだったのだろう。事前に教えていてくれれば、和彦もそれなりに楽な格好をして行ったのだ。 スラックスで地面に座らせるわけにはいかないからと、アウトドアチェアを貸してくれたので文句はないが。 烏丸のほうは、保冷バッグを置きっぱなしにはできないともっともらしいことを言って、車で待機している。とはいえ、気を使ってくれて、手洗い用の水を汲んできてくれたり、飲み物を差し入れてくれたりと、短時間のうちでもちょこちょこと顔を出してくれる。 気楽に釣りを楽しみたいということで、九鬼

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    「他人に最初に目を通されるならと、わたし経由で手渡しすることになりました。日時や会場など秘密にするわけではないですが、気持ち的なものです。身内の儀式であって、それ以外の人間を介在させたくないといいますか」 総子や九鬼の配慮を大げさだとは思わなかった。物騒な男たちに囲まれて生活していると麻痺してくるが、堅気とヤクザとの関わりは本来細心の注意と慎重さが必要なのだ。「忙しいときに、気をつかわせてしまってすみません」「かまいません。和泉家の人たちのために動くのが、わたしの仕事ですから」 にこやかに言い切った九鬼の目が、やけに強い圧を放って和彦を見据える。言外に、『和泉家の人たち』の中に和彦も含まれていると言われたような気がした。「本当は、今回の品と案内状を一緒に渡せたらよかったんですけど、食品ですから早いほうがいいかと思いまして」 届いた案内状を手渡しするため再び九鬼に会うことになるが、これについては事前に連絡を入れてもらってから、クリニックの近くで昼休みにでも落ち合うことが決まった。用事としてはおそらく一分もかからず済むものだ。どうやら相談したいこととは、このことだったらしい。 ここで和彦は小首を傾げる。つられたように九鬼も同じ仕種をする。「あの……、もしかして、今日の用って、ここで会わなくても済んだのでは……」「済みましたね。でも、こうやって落ち着いて話はできなかったはずですよ。あっ、わたしと同じ空気を吸うのも嫌とかあります?」 本気で言っているわけではないのは、九鬼の大きくて薄い唇に浮かんだ笑みを見ればわかる。少々の軽薄さを含んだ関西弁のイントネーションも有効だ。しかしきわどい冗談だ。意趣返しではないが、和彦はまじめで真摯な言葉で応じた。「そんなこと思いもしません。九鬼さんには感謝しています。おばあ様が信頼している人だとわかっているからこそ、ぼくも信頼していますし。むしろ九鬼さんのほうこそ、ぼくと同じ空気を吸うのが本当は嫌なんじゃないかと心配です。和泉家に厄介事を呼び込みかねない存在ですから――」 驚いたように九鬼は目を丸くしてから、とんでもないと言うように顔の前で

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    **** 九鬼に会いに行くと電話で報告したときの、賢吾の微妙な反応が気になっていた。機嫌を損ねたというわけではないが、快く送り出すというには奥歯にものが挟まったような物言いだったのだ。もしかして和彦の予定を押さえたかったのだろうかと問うてみたが、それは否定された。やはり奥歯にものが挟まったような物言いで。 気にはなるが、会うのをやめるという選択肢はない。九鬼は和泉家の関係者で、今後和彦は何かと世話になるため、礼を欠く対応はしたくなかった。 ちなみに今日の手土産は水羊羹だ。何にしようかとデパートの食品売り場をうろついていて、涼しげな見た目に惹かれて購入していた。今日の天候は薄曇りだが、とにかく蒸し暑いのだ。 手で首元を扇ぎながら、『S&A合同会社』のオフィスが入るビルのロビーに足を踏み入れると、予想外に人の姿が多い。漏れ聞こえてくる会話の内容から、同じビルの中にあるカルチャーセンターの生徒たちだと見当をつける。肩身を狭くしながらエレベーターに一緒に乗り込んだ。 五階で降りると、前回同様、九鬼が廊下で待ち構えていた。今日は、フードパーカーにカーゴパンツ、それにスニーカーというラフさをきわめたような格好だが、全体の色合いが落ち着いているせいかなんとなくシックで品よくまとまっている。そもそもスタイルがいい男なのだ。だらしない格好をしたところでそれなりに様になるはずだ。 ドアを開けながら九鬼が言う。「――一階、にぎやかだったでしょう?」「カルチャーセンターの生徒さんたちみたいですね。けっこう年配の女性が多かったです」「午後からフラダンスの教室みたいですよ。他に、生け花もやってたかな」 心底興味なさそうに教えてくれる九鬼が、少しだけおもしろい。オフィスの奥へと進みながら、和彦は口元を緩めていた。 今日はオフィスに、前回見かけた中年の男女の姿はなかった。部屋を区切っていたパーティションは壁際に押しやられ、大きなテーブルの周囲が開放的に感じられる。 テーブルについた和彦の前に、すかさず冷蔵庫から出した缶コーヒーが置かれた。これは前回通りだ。手土産を渡すと、九鬼は中身を確認して、速やか

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    「あの……、おばあ様の様子はどうでしたか? 体調を崩されたりとかは……」『賀谷先生がよく立ち寄ってくださっているので、心配ありません。食は細くなっていますが、精神的なもののようで、これはもう日にち薬に期待するだけです。むしろ心配なのは、娘さん――和彦さんのお母さんのほうですね。体調を崩して寝込まれて、初七日を終えたあとも数日ほど滞在されていました。当然かもしれませんが、ずいぶんと参っていました。総子さんともほとんど会話をされずに……』 総子と連絡を取ったときに何も教えてくれなかったのは、心配をかけまいとする配慮だったのだろう。もしくは、教えたところで和彦はあてにならないと判断されたのだろうかと、自虐めいたことが頭の片隅を過る。案外、佐伯家の男全員がそう思われている可能性もある。 とにかく、総子ではなく、綾香のほうが床についていたとは思いもしなかった。気になるため一度実家に顔を出したほうがいいかもしれない。歪な形で成り立っている家族ではあるが、情がないわけではないのだ。『それと……、和彦さんのお兄さんが来られてましたよ。和彦さんのお母さん――ああ、もう、名前で呼ばせてもらいますね。英俊さんが突然来られて、ずいぶん長い間、一人で祭壇の前に座られてました。そのあと、綾香さんと一緒に帰られたんです』 寸前の、佐伯家の男に対する失礼な想像は取り消しだ。英俊はきちんと綾香を気遣っていた。 薄情なのは自分かと、和彦が洩らしたため息をどう受け止めたのか、九鬼は穏やかな口調でこう言った。『家族であろうと、事情はそれぞれ。思いやりの示し方もそれぞれですよ』「……ぼく、何も言ってませんよ……」『心の声が聞こえた気がしたんですが』 食えない男の食えない返答に、和彦は力なく笑っていた。疲労と空腹が重なって、気を張ったやり取りはできそうになかった。「わざわざ知らせてもらってありがとうございます。明日にでも、おばあ様と母に連絡してみます。それでは――」『ちょっと待ってください。本題は

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     総和会からの依頼は、男の顔を、顔写真の顔に近づけてくれというものだ。いまさら詳しい事情を聞いたりはしないが、顔写真付きの身分証明書が関わっているのではないかと推測できる程度には、和彦はこの手の仕事をこなしていた。賢吾の側に在り続けるとは、つまりこういうことだ。 急ぎ仕事なのは明らかで、一時的に見た目を変えろと言われて取れる手段は限られる。和彦が製剤入りの注射器を手に取ると、男がくぐもった声を洩らす。とてつもない痛みを覚悟しているようだが、昼間は一般の女性、ときには男性が意外に手軽に受ける施術で、体に負担はかからない。害のない製剤を皮膚の奥に注入するというもので、頬をふっくらさせたり、あごに丸みを持たせたり、鼻を高くしたりできる。男の場合は額にも打って、全体としてふくよかな印象を持たせる施術となる。メスを入れる場合とは違い、数か月も経てば製剤は自然に体に馴染んでなくなり、顔も元に戻るのだ。 用意した注射をすべて打ち終えてから、念のため体調変化を見るため、一旦待機となる。さんざん注射を打たれて精魂尽き果てた様子の男に、付き添いの男たちが揶揄めいた声をかけている。 和彦はその光景を横目に見ながら処置を行った部屋を出ると、殺風景ともいえる小部屋に入る。一応ここが休憩室のようだが、置かれているのはパイプイスと折り畳み机だけだ。大がかりな施術を行ったわけでもないため、クリニックに来てもらったほうが手間がかからなかったのではないかと思わなくもないが、総和会としては、ほんの数日前の騒動でピリピリしているのかもしれない。もちろん騒動とは、クリニックに玲が――伊勢崎組組長の息子が押しかけてきた件だ。 あらかじめ準備されていたお茶のペットボトルを手に取ると、一気に半分ほど飲む。気が抜けた途端に空腹を自覚した。いつもなら遅い夕食をどうしようかと悩むところだが、今日は事前に笠野から連絡があり、カレーのお裾分けをマンションに届けてもらうことになっている。おそらくもう、鍋に入ったカレーと、炊き立ての白米が和彦の帰りを待っているはずだ。業務用の大鍋で作られる本宅のカレーは美味しいのだ。 カレーのことを考えて、ますます空腹感が強くなってくる。アタッシェケースの中に、クリニックのスタッフからもらった飴を何個か入れたままにしていたことを

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