LOGIN唇を動かすだけで声が出ない和彦を見て、秦は薄い笑みを浮かべた。艶っぽいというより、冴えた表情なのだが、秦の美貌にはよく似合っている。まるで、別人に見えるぐらいだ。
ハッと我に返った和彦は、急いで非常階段に通じるドアに手をかけようとしたが、それより先に、秦が別のドアを開けてしまった。「そこはっ――」「ここは、この広さだと、仮眠室、といったところですか?」「……倉庫代わりに使おうかと思っています。それより秦さん、早くこの階段から一階に下りてください」 このとき、和彦を呼ぶ千尋の声が聞こえた。もうこのフロアに上がってきたのだとわかり、悪いことをしているわけでもないのに、本気で和彦は焦る。しかし秦のほうは、そんな和彦の反応を楽しむように、こんなことを言った。「わたしのことは気にしなくてかまいませんよ。お二人が話している間、この部屋でおとなしく待っています。せっかく先生が、わたしなんかのアドバイスを求めてくださったんですから、しっかり仕事はさせてもらいますよ」 予想外の秦の言葉「下で、うちの者たちが騒然となっていたぞ。お前がここに足を運ぶなんて、滅多にないからな。来るのは歓迎だが、せめて事前に連絡ぐらいしろ」「だったら俺も言わせてもらうぞ。――勝手に俺の〈オンナ〉を連れ出すな」 威嚇するように賢吾が低い声を発する。普通の人間なら、何かしら危険なものを感じて体が強張るだろう。和彦も例外ではなく、ビクリと身をすくめる。だが、さすがというべきか、守光は楽しげに口元を緩めている。千尋のほうは、巻き込まれたくないとばかりに和彦の側に寄ってきた。「先生は、うちの組で大事にしているんだ。ジジイの茶飲みにつき合わせるぐらいなら大目に見るが、得体の知れない輩がうろついている本部に連れ込むなら、まず俺の許可を取れ」「息子と孫が大事にしている先生を、わしの自宅に呼んだだけだ」「それだけじゃねーから、わざわざ俺が出向いたんだ。……俺が来なかったら、素直に先生を帰す気はなかっただろ」「どうかな」 遠慮のないやり取りは、父子だからこそだろうが、和彦はどうしても、二人から剣呑としたものを感じ取ってしまう。賢吾が背負う大蛇と、守光が身に宿す物騒な〈何か〉が、まるで威嚇し合っているような――。「先生、髪濡れたまんまじゃん」 突然、千尋が緊張感のない声を上げる。ぎょっとした和彦に、千尋はにんまりと笑いかけてくる。「あっちの部屋行こう。俺がドライヤーかけてあげるから」「いや、自分で――」 有無を言わせず広いリビングへと連れていかれ、ソファに座らされる。千尋は一度リビングを出て行ったが、戻ってきたとき、手にはドライヤーがあった。「……会長と組長は、大丈夫なのか?」 濡れた髪に温風を当ててもらいながら、和彦は背後に立つ千尋に話しかける。「平気、平気。あの二人は、だいたいいつもあんな感じだよ。さすが父子というか、食えないところがそっくりで、自分が背負った組織が何より大事。ただし、じいちゃんのほうが……欲張りかな」「欲張り?」「長嶺組も大事。だけど、今、自分がトップに立っている総和会も大事。寿命
** 重い瞼をなんとか持ち上げると、床の間の掛け軸が目に入った。 布団の中で大きく体を震わせた和彦は、朝の陽射しが差し込んでくる中で、じっと掛け軸の若武者を見つめる。意識が朦朧としながらも、若武者の美しい顔をずっと見ていた気がして、夢と現実の区別がまだ曖昧だ。 それでも、夜中、自分の身に何が起こったのかは記憶にある。はしたない夢を見てしまったと、ほんのわずかな間、羞恥に苛まれたりもしたのだが、内奥に残る疼痛や全身のけだるさは、否が応でも現実を和彦に突きつけてくる。 急に居たたまれない気分になって体を起こすと、下肢に明らかな違和感が残っている。行為の後どうやって後始末をされ、浴衣を直されたのかを思い出し、あっという間に全身が熱くなってくる。 何げなく枕元に視線を向けると、見覚えのない男性物らしきスカーフがあった。 深みのある紫色のスカーフに触れた和彦は、滑らかな手触りにゾクリと身を震わせる。寒いわけではなく、体の奥から疼きが湧き起こったからだ。間違いなく、行為の間ずっと顔にかけられていたものだった。 和彦は口元を手で覆いながら、夜の間の出来事をゆっくりと思い返す。自然に視線は、再び掛け軸へと向いていた。 どうすればいいのだろうか――。 そう自問しながらも、反面、考えたくないという思いもあった。貪欲なほど何もかもを自分の中で呑み込み、感情と理屈の折り合いをつけてきた和彦だが、さすがに〈これ〉は、処理が追いつかない。誰かに手助けしてもらわないと。 ひとまず、体に残る生々しい感触をどうにかしたかった。和彦はふらつきながら立ち上がると、自分の服を抱えて客間を出る。廊下に人気がないことを確かめて、足音を殺しながらバスルームに向かった。 シャワーを浴びながら、下肢に残る潤滑剤と、内奥に残された精をできる限り指で掻き出す。惨めさよりも、とにかく羞恥を刺激される作業だ。 体中にてのひらと指先が這わされ、内奥深くすら丹念に探られたが、和彦に覆い被さってきた相手は、唇と舌で触れてくることはなかった。そのため肌には、愛撫の痕跡が一切残っていない。唯一、淫らな行為があったことを示すのは、内奥に残る疼痛だけだ。これさえ、今日中
たっぷり与えられた潤滑剤と刺激で、はしたないほど綻んだ内奥の入り口に熱い感触が押し当てられる。嫌悪とも恐怖ともつかない感情に突き動かされ、逃げ出したくなった。 その瞬間、この家の主に言われたことが脳裏を過る。掛け軸の若武者が添い寝をしてくれるかもしれない、という言葉だ。今にして、あれが冗談ではなかったのだと知る。 和彦が布越しに見ているのは、胸をざわつかせるほど美しい若武者の姿だ。 そう思い込むことを、和彦は求められているのだ。 言葉の深意が、この異常な事態を受け入れさせる気遣いのためなのか、従順さを試すためなのか、それは知りようがないが、なんにしても和彦の体はあさましいほど反応してしまう。 火がついたように激しい欲情が燃え上がり、煩悶する。そんな和彦の体を敷布団の上に縫い止めるように、潤滑剤で潤んだ内奥を押し開かれた。「うっ、ううっ――……」 感じやすくなっている襞と粘膜を強く擦り上げられ、あまりの刺激に一瞬和彦の意識が遠のく。我に返ったとき、下腹部が濡れている感触に気づいた。絶頂に達し、精を噴き上げたのだ。 荒い呼吸を繰り返しながら和彦は、完全に相手に支配される。内奥深くに欲望を呑み込まされてしっかりと繋がっていた。 不思議なほど、組み敷かれて犯されているという意識は湧かなかった。恐怖や羞恥といった感情も薄れ、夢の中で交わっているような現実感のなさだ。そのくせ、体ははっきりと相手の欲望を感じている。 同時に耳は、乱れることのない、深く落ち着いた息遣いを聞いていた。ただ、相手は一切言葉を発しなかった。和彦に、必要以上の情報を与える気はないらしい。「あっ……ん」 内奥にしっかりと埋め込まれ、興奮による淫らな蠢動を堪能するように動かなかった欲望が、ふいに揺れる。完全に虚をつかれた和彦は、上擦った声を上げて身悶える。 誤魔化しようがなかった。正体の知れない相手に貫かれて、和彦の体は快感を貪り始めていた。 ゆっくりと内奥を突き上げられながら、和彦は布越しに相手を見つめる。目を凝らせば、相手の顔を捉えられるぐらい距離が近い。和彦はそこに若武者の美
ここで、和彦の体をまさぐっていた手がふっと離れ、布越しに見ていた影が大きく動く。何をしているのかと思って目を凝らしていると、いきなり視界がいくらか明るくなった。どうやら、布団の傍らに置いてあるライトをつけたようだ。ただ、明るさを最小に絞ってあるせいか、顔にかけられた布の色すら判別できない。 それでも相手にとっては、和彦の体の反応をつぶさに観察するには困らない明るさなのだろう。 身を起こした和彦の欲望の輪郭を指先でなぞったかと思うと、先端を擦り上げられる。このときの滑る感触で、自分がすでに先端を濡らしていることを知り、和彦は体を熱くする。そんな和彦を煽るように、さらに愛撫を与えられる。弄んでいるとも、可愛がっているともいえる手つきで。 否応なく和彦の呼吸は乱れ、意思に反して腰が揺れる。すると、相手の興味は別の場所に移ったのか、片足を抱え上げられた。秘裂をくすぐるように指先が行き来し、内奥の入り口を探り当てられる。 さすがに飛び起きようとした和彦だが、相手のほうが上手だった。秘裂に、トロリと何かが垂らされ、滑りを帯びた感触に和彦は身をすくめて動けなくなる。一瞬、唾液かとも思ったが、塗り込めるように秘裂に指を滑らされると、それが潤滑剤だとわかる。「ふっ……」 予期した通り、内奥の入り口をこじ開けるようにして指が入り込んできた。異物感に呻き声を洩らしていると、それに重なるように、内奥の襞と粘膜に潤滑剤を擦り込んでいく湿った音が重なる。 ねっとりと内奥を撫で回されてから、指が引き抜かれる。和彦は息を喘がせながら、同時に内奥の入り口も喘ぐようにひくつかせる。こんな状況にありながらも和彦の体は、与えられる愛撫に順応し、受け入れつつあった。 虐げられ、痛みを与えられれば、悲鳴ぐらい簡単に上げられるのだが、相手からは一切加虐的なものは感じられない。冷静に的確に和彦の体を探り、官能を引き出していくだけだ。 慎重に内奥を解されながら、施される潤滑剤の量が増やされる。比例するように、指が出し入れされるたびに響く湿った音は大きくなり、淫靡さを増していく。同時に、否応なく内奥から快感を引き出されていた。 付け根まで挿入された指が、内奥深くで
** 総和会会長宅に泊まっているという緊張感からか、この夜の和彦はなかなか寝付けなかった。 何度目かの寝返りを打ち、視線はつい、吸い寄せられるように掛け軸へと向く。守光に妙なことを言われたから、というわけではないが、横になってからも、どうしても気になってしまうのだ。 障子を通して、微かな月明かりが入り込んでいるが、それも室内すべてを照らし出すほどではない。じっと目を凝らして、ぼんやりと浮かび上がる掛け軸をなんとか捉えることができるぐらいだ。 見つめ続けていると、艶かしい若武者に、目だけでなく、魂まで吸い寄せられそうな感覚に襲われる。どこか妖しさを帯びた感覚だ。 やはり千尋にこの部屋で寝てもらえばよかったかなと、少しだけ和彦は後悔する。 実は横になる前まで千尋はこの部屋にいて、いつもと変わらず和彦にじゃれつくどころか、隣に寝るつもりで布団を運び込む気だったのだ。守光の手前、さすがにそれは勘弁してくれと頼み、なんとか別室に引っ込んでもらった。 子供でもあるまいし、床の間に掛けられた掛け軸が気になるから、やはり隣で寝てほしいと、口が裂けても言えるはずがない。気にはなりつつも、和彦は一人でこの部屋で眠るしかなかった。 掛け軸の若武者が怖いわけではないと、心の中で呟く。むしろ怖いのは――。 体を横向きにした和彦の背後で、何かが動く気配がした。まるで影が這い寄るように静かに、大きな獣のような威圧感を放ちながら。 金縛りにあったように体が動かなくなった。本能的に、振り返ってはいけないと理解したのだ。 気のせいではない証拠に、布団と毛布がゆっくりと捲られ、浴衣に包まれた体がひんやりとした空気に撫でられる。恐怖と寒さ、そしてそれ以外の〈何か〉によって、一気に鳥肌が立った。だが、やはり体は動かない。 ふわりと頬に柔らかく滑らかな感触が触れたと思ったとき、和彦の視界は遮断された。薄い布が顔にかけられたのだ。そして肩を掴まれて、仰向けにされた。 混乱して取り乱すべきなのだろうが、真夜中の侵入者の静かな気配に完全に呑まれてしまい、指一本動かすことができない。そんな和彦を刺激しないよう、侵入者は悠然と、しかし慎重に
** 妙なことになったと、畳の上に座った和彦は軽く困惑しつつ、浴衣の衿を直す。そして改めて、室内を見回す。 まるで旅館の客室のような部屋で、必要なものは過不足なく揃っていた。しかも、和彦が入浴をしている間に、抜かりなく布団も敷かれてしまった。まさに、もてなす気満々といった感じだ。 それが悪いとは言わないが、素直に好意に甘えるには、少々抵抗があった。なんといってもこの部屋は――。 和彦はまだ半乾きの髪を指で軽く梳いてから、ため息をつく。同じ屋根の下に総和会会長がいるのかと思うと、やはりどうしても寛げない。 夕食をともにしたあと、コーヒーを飲みつつ世間話をしたまではよかったのだ。ただ、あまり遅くならないうちにお暇を、と和彦が切り出したとき、即座に守光から提案された。 ぜひ、泊まっていってくれと。 乗り気の千尋と二人がかりで説得されて、嫌と言えるはずもない。遠慮の言葉すら口にできず、和彦は頷いていた。その結果が、総和会会長宅の客間で一人、所在なく座り込んでいるこの状況だ。 自分の立場の微妙さもあり、和彦はいまだに、守光とどう接すればいいのかわからない。かけられる言葉に甘え、打ち解けて見せた途端、何か恐ろしい獣が牙を剥きそうな本能的な怯えが拭えないのだ。 この状態で眠れるのだろうかと、もう一度ため息をつこうとした瞬間、視界の隅に鮮やかな色彩を捉えて、和彦はドキリとする。何かと思えば、床の間に掛けられた掛け軸だ。 派手な装飾品のない客間の中、この掛け軸は鮮烈な存在感を放っていた。描かれているのは、鎧を身につけた若武者が、栗毛の馬に跨っている姿だ。武具や馬具には、赤や朱、金という華やかな色が惜しみなく施されているが、何より鮮やかなのは、若武者そのものだ。 見惚れるほど美しい顔立ちをしており、表情は凛々しい。どこかを見据える眼差しは涼しげでありながら憂いを含んでおり、それが妙に艶かしい。 描かれたのはそう昔ではないだろう。作風は現代のものに近いと、美術に疎い和彦でも判断できる。 もっと近くで見たくて、床の間に這い寄ろうとしたとき、突然背後から声をかけられた。「――賢吾が生まれたときに、端午