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last update Last Updated: 2025-06-17 17:00:09

 ライブは日本時間の夜七時、渋谷のとあるライブハウスで行われることになっている。収容人数はスタンディングで百名ほど。ディーヴァとしては破格に小規模な上に配信もないライブだからこそ、いかに朋拓のディーヴァにおける執念が本気なのかが窺える。

「はーあ……ヘンにチケットの入手ルートなんて知らなきゃよかった」

 朋拓の執念に溜め息をつきながらも、そうまでして期待してくれている気持には応えたくはある。

 本番まであと五分。俺はステージにホログラム投影される画像にリアルに動作を反映させるためのセンサーを身体のいたるところに着けた状態で控えている。場所は通常のライブを行うステージの裏手の特別なスタジオで、ごく限られた関係者しか出入りできない。

「唯人、もう始まるよ。軽く水分取って」

 平川さんからボトル入りの水を差し出されたのを受け取ってひと口含み、ひとつ息をついて目を閉じる。脳裏に浮かべるのは今日のセットリスト。既存作品をランダムに取り込みつつアレンジを変え、そして新曲も披露する予定だ。

(今日のラストの曲、朋拓の好きな曲だったな……)

 俺がやめろというのに、モチベーションが上がって作業効率が上がるからと言って朋拓はよく今日のセットリストの中で最後に上がっている曲を部屋で大音量でかけていたのを思い出す。明らかに外れた音で唄いながら、するするとあの生きているような絵を描いていくのだ。

 自分の音楽や歌声が目の前で絵という作品の形になっていく様を朋拓の傍らで見ていると、その影響力の大きさを改めて思い知る。生きていく手段でもあり、自分の価値を定めてくれるものであった歌声とその評価を、ランキングとか音源ダウンロード数とかMVの再生数とか、数字で測れるようなものではないもので示されたのが衝撃だったことが、俺が朋拓に最初に強く惹かれた動機でもある。

 お互いの正体を知らずに、お互いの表現の結晶である作品に惹かれ合ったふたりだからこそ、その二人の血を受け継いだ子を宿して産みたいと思っているんだ。

 その想いを、彼にどう歪みなく伝えられるんだろうか――このところずっとそう考えている。

『ディーヴァ、本番三十秒前です』

 スタジオ内にアナウンスが入り、平川さんがブースの外に出て行く。俺は返事をして目を開け、座っていた椅子から立ち上がって一歩前へ出る。

 ――さあ、ディーヴァのステージの始まりだ。

 モニターに映し出された客席に手を振る仕草をしながら、俺は唯人であることを閉じた。

“――眼を閉じて浮かぶのは オマエを描いた空の色

 ほどけとけゆく想いの色

眼を閉じて浮かぶは オマエをなくした茜色

ながれとけいく愛の色――”

 『アイ・イロ』という曲を唄いながら、俺……ディーヴァはステージの端から端まで優雅に歩く。手を振り、精一杯の愛想を振りまいて客席を沸かせながら、声を張り上げ会場いっぱいに歌声を届ける。

 この曲は朋拓が好きな曲――つまり、今日のライブラストの曲だ。

 幾つもの目がディーヴァを射貫くように見つめてくるのをものともしないように振舞いながら、俺の目は彼を――朋拓を捜す。客席の顔は指先で操作すればモニターに自由にアップして映し出せるようになっているので、それを駆使してさり気なくざっと客席の顔を見ていく。

 客席をこちらのモニターにアップすると必然的にディーヴァと目が合う仕様になるため、気付いた観客は悲鳴を上げて喜んでいる。だから応えるように手を振ってやると、飛び跳ねんばかりだ。

 ただ、『アイ・イロ』はしっとりと歌う曲なので俺の視線ばかりが動くだけで客席は反応がしにくい。だからこそ捜しやすいとも言える。

 それを利用して最前列から照明の当たる範囲をぐるっと見渡していると、しっとりとしている雰囲気の中でひときわ熱い視線をこちらに送ってくるのを感じた。

 向けられる視線に辿るようにこちらから目を向けると――

(――あ、朋拓、いた……)

 見覚えのある金色に跳ねまくった髪が揺れている。人懐っこい顔がきらきらしていて子どもみたいだ。

 俺といる時にはほとんど見せないような無垢な表情に軽く嫉妬心を覚えながらも、それだけ俺が彼を虜に出来ているのだと思うと誇らしくも思えるし、彼がいるからこそこうして唄えるんだとも思える。

 だからこそ、どうしたら、どんなことをしたら朋拓との子どもを授かれるのだろう……つい、そう考えてしまう。

 朋拓は俺を愛してくれている。それは痛いほどわかる。

 だけど彼は俺が子どもを身ごもること――コウノトリプロジェクトなどに参加するのは反対だと言う。

(それでも俺は、朋拓との子どもが欲しい。そのためなら、この命を懸けたってかまわないのに――)

 そう唄いながら考えていたのが、良くなかった。

 一瞬だったけれど、俺はほんの一瞬唄い出しのタイミングを間違ってしまったのだ。沈黙して歌声が途切れたわけでも演出予定と違う動きをしたわけではなかったけれど、ステージ内容を把握しているスタッフ達には若干の違和感を覚えさせたかもしれない。

 それだけでもかなりプロとして失格なのに、俺は頬にひと筋の涙をこぼしていた。最新鋭のセンサーは細かな表情も読み取るので、リアルに涙も汗も画像に反映させてしまうのに、俺は頬には涙が伝う。ステージライトの強さや遠目からはわからないほどのものではあったけれど、俺自身は自分の頬に伝う感触に冷や汗をかいた。

 さり気なく涙をすぐに拭い歌唱を続けたことで特に滞るようなことはなくステージを終えることは出来たけれど、俺の気分は最悪だったのは言うまでもない。

「唯人、さっき何かあったの? 一瞬なんかヘンじゃなかった?」

 ステージを終えて着替えていると、平川さんからそう声を掛けられた。体調が悪いのかと訊かれたけれど、俺はそうではないと答え、「考え事なんてしてた。上の空なんて最低なことしちゃったよ」と唇を噛む。

「そんなことないよ、ライブは良かったよ。大きなミスでもないし、配信もないからそんな気にしなくてもいいんじゃない?」

 平川さんなりに慰めてくれているのだろうけれど、俺は世界のディーヴァなのだ。歌い手のプロの端くれとしてステージ上で感情を露わにして|面《おもて》に出すなんてプロとして失格だ。

 しかも今回はいつにないレアなステージで、ファンの期待値はとても高かったはずだから、それを裏切るように上の空で歌唱するなんてやってはいけない。

 だからチケット代を払い戻ししようと俺は言ったのだけれど、平川さん曰く俺の気持ちだけでそこまでの損害を出すことは出来ないと諭された。

 確かに運営していく上で感情のままに損害を出すわけにはいかないだろうし、今後のディーヴァの活動に関わるのだから、もっと違う形がいいだろう。

「唯人がディーヴァとして自分が許せないのはわかるけど、安易にファンが払ってくれたお金を返したらダメだよ。お金だってファンからの気持ちなんだから」

「でもそのお金をもらったのにあんなステージ見せちゃったんだよ? 何かお詫びみたいなのをしたいよ。申し訳なさすぎるもの」

 俺の言葉に平川さんも考え込み、楽屋で二人頭を抱える。事務所やライブ運営会社に損害をあまり出さないけれど、ファンに喜んでもらえそうなこと……それは決してお金では買えないものじゃないだろうか。

 ふと、その時俺は楽屋のモニターに今日の映像が映し出されていたこと思い出し、平川さんに訊いてみた。

「ねえ、平川さん。今日って配信してないんだよね?」

「そうよ、今日のは会場のみ。それが何か?」

「あのさ、ライブ本編のどれか一曲だけの映像を限定リンク貼って期間限定でチケット購入者の連絡先に送るのはどうかな? もちろん違法ダウンロードさせないようにしてだけど。ライブに来てくれた人には思い出になるし、来れなかった人へも宣伝にもなるんじゃないかな」

 俺の提案に平川さんはなるほど、とうなずき、早速映像班と話し合ってくると言ってくれた。その賛同に俺はホッとし、こうもつけ加える。

「限定配信にかかる費用は俺が出すよ。それならよくない?」

「そんなことさせられないよ! そこまで唯人が責任取らなくてもいいの!」

「いや、俺に払わせて。平川さん達が気にしなくていいってことをつついて大事にしたのは俺だし、そもそも俺がちゃんと唄えてればこうはならなかったんだから」

「……わかった、事務所とも相談してみる」

 結局は俺のワガママという事で扱われてしまうのだろうけれど、プロとしてやってはいけないことをしたのだからこれはケジメとしてやるんだ。

 会場を平川さんが運転する車に乗って帰っている途中で事務所からも限定配信の許可が出たので、俺は車の中で今日のライブ映像を確認してどれを配信するかを決めた。

 配信する映像を決めたら映像班に連絡をして編集をしてもらい、チケット担当へデータを送ってもらって今日の観客の連絡先へと配信する。勿論、俺からのお詫びのメッセージもつけて。

「唯人の考え、当たってたかもね。もう反響出て話題になってる」

 家に着く頃にはネット上でもすぐに話題になっていて、案の定朋拓からもテキストでメッセージが届いた。

『ライブお疲れさま。すごく良かったよ。俺らファンのこと考えて嬉しいサプライズをくれてありがとう! やっぱりディーヴァは最高だね』

 朋拓は直筆のイラスト付きでメッセージを送ってくれたほど上機嫌だったし、ライブ自体も喜んでいて褒めてもくれたけれど、俺はそれを素直に受け取っていいかわからず罪悪感を|抱《いだ》く。歌唱ミスの要因が彼にもあるとはとても言えないからだ。

 ライブを終えた翌日はオフで、家でごろごろしていたら朋拓からドライブの誘いを受けた。ライブの成功とねぎらいを兼ねてのデートに出かけようと言うのだ。

「で、わざわざ蒼介に車借りたの?」

 車は自動運転の電気自動車とは言えその走行距離やら頻度やらで最近は特に使い過ぎをうるさく管理させられている。そもそも蒼介だって仕事の移動で使うかもしれないのに、こんな私的な用件で使って良いのかと訊くと、朋拓は「この前蒼介のライブ告知サイトのデザインしたから、そのお礼だって」と言うので、そのまま出かけることにした。

 ドライブの行き先は俺の好きな海――それも、いまどき珍しく天然の砂浜である海辺の公園に向かっている。

「景観管理区域なんだっけ、そこ」

「うん。だから入所者数とかがうるさいんだけど、いま調べたら今日は空いてるみたいだからどうかなって思って」

「唯人は海好きだもんね。俺の作品でも海関係にかならず良いリアクションくれるし、ディーヴァでも海の曲多いし」

「そうなんだよなぁ……なんでだろ。拾われたのはふつうの街中の施設だったのに」

 そう言いながら車窓を流れる景色を眺める。いつ見てもどこで見ても、どんな海も薄っすらと青い。たとえそれが、人工管理下で着いた本当の色でないとしても、俺らにとってそれは紛れもなく“海”なのだ。

 首都高湾岸線を通り抜け、昔湘南と呼ばれた辺りに辿り着いた。江の島と呼ばれる古くからの名所を含むその辺りは景観管理区域として国から指定されていて、観光地ではあるけれども入所者数の制限があったりする。

 指定の駐車場に車を止め、俺らは散策ができる浜辺へと向かう。海は街中よりも陽射しが強く、常春の設定気温の中でも少し暑く感じられる。

「やー、何か潮のにおいってやつがするね。やっぱ本物の海だね」

「そうだね」

 珍しく人が少ない海岸の道を、俺らは前後に少し離れて喋りながら歩く。

 街中よりも強い日差しを浴びながら、朋拓は触れることができる波打ち際に降りて波と遊んでいる。静かに押したり引いたりする光景を眺めていると、ふと、そのさざ波の音が俺の聴覚を通って記憶の奥を刺激してくる。

 波の音……潮のにおい……眩しい日差しを手をかざして遮りながら眺める景色に向かって、俺は小さく歌を唄ってみた。

“――おねむりよい子 あまいミルクに つつまれて

    おねむりよい子 あったか毛布に くるまれて

    よいゆめを よいあすを おねむり おねむり――”

 波の音に消えるほど小さく、俺だけに聞こえるように口ずさんだその瞬間、耳の届く声が波の音の混じりながら記憶の中のやさしい声に代わっていく。

(――もしかして……俺、ここに来たことあるのかな……家族と……)

 確かめようがない記憶の破片は鋭く突くように俺の涙腺を刺激し、とめどなく涙があふれて頬を伝う。

「唯人?! どうしたの? 具合悪い?」

 波打ち際で遊んでいた朋拓が、振り返ったら泣いている俺に驚き、駆け寄ってくる。車に戻るかとかどこか影に入るかとか言ってくれたけれど、その必要はなかったので俺はゆるく首を横に振る。

「大丈夫、大したことじゃないから……」

「そう? じゃあ、気持ちが落ち着くまでこうしていていい?」

 気遣ってくれた朋拓が泣いている俺をそっと包むように抱きしめてくれて、それが一層記憶と涙腺を刺激していく。

 愛してくれている誰かに包まれながら、かつて俺はこの景色を見たのだろう。やさしく甘いあの歌を聞きながら、確かに俺と血を分けていた家族と。

 この景色を、もう一度俺は彼と、できることなら彼と愛し合った末に産んだ我が子と見たい。

(――ああ、やっぱり俺、血を分けた家族が欲しいんだ……)

 キリキリと胸が痛くなるほどに感じる本能的な渇望を改めて感じながら、俺は治療の成功とその末の新しい未来を願った。

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