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第2話

Author: 二十歳
「ネクタイが歪んでるよ」

陽菜の口調と笑みは、昨日のパーティーの時よりもずっと自然だった。

「もう、こっち来て、直してあげる」

その直後、背中を向けていた男が陽菜の前に歩み寄った。

「お前が急に掴むからだろ?危うく転ぶところだったぞ」

私はその場に釘付けになり、足に重りがついたように動けなくなった。

その背中は、見間違えようがない、私の婚約者、竜也だった。

陽菜は竜也の首に手を回し、抱き合っているも同然の距離だった。

彼女が親しげに首をかしげるた瞬間、ちょうど私と目が合った。

一瞬、陽菜の目の奥に浮かぶ笑みがはっきりと見えた。それは挑発ではなく、冷ややかな嘲笑だった。

それはまるで、私の独りよがりをあざ笑うかのように。

そして陽菜は私に今気づいたかのように、わざとらしい声で言った。

「葵、どうしてここにいるの?」

竜也は振り返り、そのままドアを開けた。

陽菜はその横で、無邪気で何一つ後ろめたいことのない顔をしていた。

竜也は説明など何もなく、私が持っているファイルケースに目を向けた。

「早く書類を渡してくれ」

私は無言のまま身動き一つせず、彼の胸元のネクタイをじっと見つめていた。

ネクタイは完璧に整えられていて、昨日見たものとほとんど同じデザインだった。

そこには、まるで陽菜の指の跡でも残っているかのように感じた。

「竜也の資料整理を手伝ってたの、ネクタイが曲がってたから直してあげてただけよ」

まるで今日の天気でも話すように、陽菜はさらっと言ってのけた。

その目の奥に、隠しきれないわずかなバカにしたような色がよぎった。

竜也は書類を受け取ると、「届けてくれて助かった、これ以上遅れたら大変なことになるところだった」と言った。

私は黙って彼の首元に残る口紅の跡を見つめた。

感情を押し殺した声で、自分の首元を指差しながら告げた。「そのままだと、仕事に影響が出るよ」

竜也はハッとして、心当たりがあるのか、気まずそうに自分の首を触りながらスマホを取り出して確認した。

「仕事で立て込んでいて気づかなかった、何かの拍子に触れたんだろう」

図星と言わんばかりだ。

陽菜はすぐにティッシュを差し出し、竜也はそれを当然のように受け取った。

「葵、心配しないで、竜也がミスなんてするはずないわ、仕事に影響なんて出るわけないじゃない」

陽菜の視線がこちらへ向いた。その目には隠す気すらない挑発が浮かんでいた。

「書類、届けたから、先に行くね」

背を向けたとき、後ろから話し声が聞こえたが、その内容を聞き届ける気力は残っていなく、私はそのままホテルを出た。

ホテルを出てすぐ、陽菜からメッセージが入った。

【葵、誤解しないでね、竜也とは本当に何もないの】

私はそれに返信せず、そのまま住まいに戻って荷物をまとめ、南区の邸宅へ向かった。

両親にどう説明すればいいか分からなくて、しばらくここに逃げ込むことにした。

その日の夜中12時近くになると、スマホが鳴り響き始めた。

竜也からだ。何度も着信が続く。

画面に「竜也」の文字が浮かび上がるたびに、押し込めたはずの気持ちがまた揺れた。

通話が自動で切れるギリギリのときに、私は電話に出た。

「もしもし、村田葵さんでしょうか?

石井社長が酔いつぶれていて、ずっとあなたの名前を呼んでいるのですが、迎えに来てくれませんか?」

電話の向こうは騒がしく、バーのような場所にいるようだった。

断る間もなく、相手は電話を切った。

私は眉をひそめながら、もう一度彼の方へかけ直した。

「なんでまだ迎えに来てくれないんだよ、俺を捨てる気なのか?」

竜也がこれほど取り乱しているのを初めて見た。

ため息をつきながらも、結局バーへ向かった。

指定された場所は、騒がしいバーではなく落ち着いた高級ラウンジだった。店内に入り、そっと視線を巡らせると、奥のプライベートルームのドアがわずかに開いていて、その向こうに竜也の姿があった。

テーブルの上には空の瓶がいくつも転がり、顔から首まで真っ赤に染まっていた。

相当飲んだらしく、見るからに苦しそうだった。

歩み寄ろうとした瞬間、竜也の横にもう一人いることに気づいた――陽菜だ。

竜也が彼女にしがみつくように抱きついた。「なんでこんなに遅いんだよ。

ずっと待ってたんだぞ、遅いよ」

子供のように甘えた声と、心を許した相手にしか見せない顔。

私には見せたことのない姿だ。

足が止まり、これ以上、一歩も踏み出せなかった。竜也が呼んでいたのは、私じゃなかった。

そうね、最初からずっと、本気だったのは私だけだったんだ。
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