Se connecter「私の気晴らしにって連れてきた場所がここ?」春海は不機嫌そうに柔らかなソファへ身を沈め、テーブルいっぱいに並んだ酒を眺めると、隣に座る令嬢仲間たちへうんざりした視線を向けた。春海は陶芸展で騒ぎを起こしたせいで、両親から2日間の外出禁止を言い渡されたばかりだ。ようやく今日になって外出を許されたところ、友人たちから近くに新しいバーができたからと熱心に誘われ、こうしてやって来たのだった。本当なら、大輔との仲を深める時間にしたかったのに。二人の令嬢は、春海を左右から挟むように座って口々に慰めた。「婚約者に言い寄る女がいるってことは、それだけ大輔さんが魅力的ってことでしょ?そんな女、いちいち気にする必要ないって」「そうそう。春海がその気なら、イケメンの男の子なんて10人でも20人でも呼んであげるからさ」そう言われると、春海の沈んでいた気分もいくらか晴れてきた。自分ほどの家柄なら、男に困ることなどない。ただ、政略結婚の相手が黒崎家の将来を担う男だからこそ、婚約そのものに価値があるだけだ。プライベートで多少遊ぶくらいなら、この世界では結婚後も自由にしている者など珍しくない。葵なんかのことで、いつまでも腹を立ててるほうが馬鹿らしい。そう思うと一気に気が楽になり、春海は何人かの男性スタッフを個室へ呼んだ。ただ整った顔を眺めながら酒を飲むだけでも、気分転換にはなる。その頃、個室の外では、一人の店員が人目を避けて電話をかけていた。「春海さんは確かに新しくできたバーへ来ています。男性スタッフも何人か呼びましたが、酒の相手だけです」「婚約者がいるくせに男を呼んで遊ぶなんて、随分好き勝手やってるのね」電話の向こうで、葵は悔しげに歯を食いしばった。もし自分が大輔の正式な婚約者になれたなら、春海のように外で男を呼んで遊ぶような真似は絶対にしない。春海なんて、大輔の婚約者という立場に居座っているだけの馬鹿な女だ。「そんなに男が好きなら、今夜は一人、たっぷり相手をしてくれる男を用意してあげて。あの友達二人は、私がどうにかするから」「分かりました」店員は物陰で電話を切ると、個室へ運ばれていく酒へじっと目を向け、ゆっくりと近づいていった。深夜、春海はほどよく酔いが回っていた。一緒に来た二人の友人は、どちらも車に傷をつけ
まるで空がいつも、凪が父親に言い返すのを黙って許しているように、大輔もまた、春海が葵に手を上げるのを止めなかった。「そんなの駄目!」葵は胸を押さえ、愕然として一歩後ずさった。大輔と春海は、まだ正式に結婚したわけではないが、このまま結婚して、大輔まで空のような愛妻家になってしまったら――自分が黒崎家の妻になる可能性は、本当になくなってしまう!そんなのは絶対に嫌だ。葵は怒りに全身を震わせたが、やがて冷静さを取り戻すと、いつものように健気で可哀想な女を装い、大輔のもとへ歩み寄った。「大輔さん、さっきは私が悪かったわ。斉藤さんを怒らせるようなことをしたせいで、あんな騒ぎにしちゃって……大輔さんにも恥をかかせちゃったよね……」その声を聞いた大輔は、すぐにいつもの表情へ戻った。「気にしなくていいよ。ただ、春海は一応俺の婚約者だし、昔から甘やかされてきたせいで気も強いからね。葵はこんなに優しくて物分かりがいいんだから、これからはあまり彼女を刺激しないほうがいい。怪我でもしたら大変だろ?ほら、こっちにおいで。頬は少しよくなった?」大輔が優しく一歩ずつ近づいてくると、葵の胸は高鳴った。その柔らかな眼差しが自分へ向けられているのを感じ、待ちきれないように大輔へ抱きつく。「大輔さん!やっぱり私のことを想ってくれてるんだね。何があっても、大輔さんが愛してもいない女と結婚するのを黙って見てなんていられない!」突然抱きつかれ、大輔は反射的に押しのけようとした。だが、少し離れたところにいる凪へ目をやった瞬間、思い直す。確かに、自分には婚約を壊してくれる人間が必要なのかもしれない。そこで大輔は葵の肩へ腕を回し、言い聞かせるような口調で呟いた。「俺だって嫌なんだ。でも、家の大人たちが……」「きっと方法はあるよ!絶対に何とかできる。大輔さん、私を信じて!」葵は必死な目で訴えた。その瞬間、大輔の瞳の奥に思惑どおりだと言わんばかりの笑みがよぎる。だが表向きは、どうにもならないと言いたげに小さくため息をついただけだった。あとは、自分に想いを寄せるこの女が、自ら進んで邪魔者を排除してくれるのを待てばいい。日が沈み、月が昇る頃、陶芸展も終わりを迎えた。今日は大勢の人に母の作品を紹介したため、帰る頃には喉がからからになっていた。そ
千晶は一人、その場に取り残された。空は本当に行っちゃったの!?十年以上も前から知っている自分より、政略結婚で妻になった年下の女のほうが大事だってわけ!?やがて案内役としてやって来たスタッフは、今にも人を殺しそうな千晶の目つきに怯みながら、おそるおそる尋ねた。「あの、目の具合でも悪いのでしょうか?」「何でもないわ!」千晶が鋭く言い返すと、その大きな声に周囲からいくつもの視線が集まった。それに気づいた千晶は、すぐに瞳の奥の嫉妬と悪意を隠し、余裕のある表情を作る。耳元の髪を優雅にかき上げると、唇に柔らかな笑みを浮かべた。「昔の友人とゆっくり話せなかったから、少し残念だっただけよ。それより、今はあなたにお願いするわ。いろいろな展示品を紹介してくださる?」案内役は笑顔を返しながらも、背筋に寒気を覚えていた。この人、さっきまで人でも食い殺しそうな顔をしてたのに、急にこんなに愛想よくなるなんて……なんて切り替えの早い人なんだ。千晶は案内役について歩き出したものの、その目だけはいつまでも空を追っていた。会社が潰れたことも、夫を失って結婚生活が終わったことも、すべて過去の話。今日こうして帰国した以上、かつて諦めた男を、今度こそ必ず自分のものにしてみせる。やがて千晶は空の隣にいる凪へ視線を移し、ふっと鼻で笑った。「若いから何?私と空には十年以上の付き合いがある。それに、これまで積み上げてきた経験だって私のほうが上……空は、絶対に私のものにしてみせるんだから」その瞳には揺るぎない自信が宿っていた。千晶はようやく視線を戻し、ひとまず案内役とともにその場を離れる。一方、春海は凪と空の邪魔をするつもりはなかったうえ、先ほどの騒ぎが両親の耳に入り、すぐに帰ってくるよう連絡まで来ていたため、慌ただしく大輔へ別れを告げた。「大輔、今日はちょっと取り乱してしまって、ごめんなさい。これからは、あんな感情的にならないように気をつけるから」「気にしなくていいよ」大輔は穏やかに笑った。まるで優しく思いやりのある婚約者そのものだった。その笑顔を見て春海も少しずつ緊張を解き、先ほどの騒ぎについて両親に説明するため、会場の外へ向かった。だが春海が姿を消した途端、大輔の目から温かさが消えた。冷えきった眼差しで空を睨みつけ、その
空も同級生たちとバスケットコートで夢中になって遊んでいたこと、彼の鞄にはいつも誰かがこっそりラブレターを忍ばせていたこと、そして、図書館が突然停電した夜、千晶を連れて外へ出たこと……話が進むにつれ、千晶は空と凪のすぐ目の前まで距離を詰め、楽しそうに笑った。「あの時は停電したうえに、外は台風だったでしょ?本当に怖くて仕方なかったの……でも、空が連れ出してくれて、安全な寮までずっと守りながら走ってくれた。しかも、自分の上着まで貸してくれて……」凪は黙ってその話を聞いていたが、なぜか胸の奥がちくりと痛んだ。どれも、自分の知らない空の姿。自分がまだ知らない、空の過去。凪はそっと空を見上げた。自分よりずっと年上の彼は、それだけ多くの時間を生き、たくさんの出来事を経験してきたのだ。高校時代など、空にとってはもうずいぶん遠い昔のことなのだろう――彼も、あの頃を懐かしく思うことがあるのかな?そんなことを考えているうちに、凪の意識はいつしか遠くへ漂っていた。だが千晶がいかにも意味ありげに過去を脚色し始めるにつれ、空の眼差しはますます冷えていった。そしてとうとう、冷淡な声で話を遮る。「あの停電した日、復習しなければいけなかったのに、俺と友人のノートをお前が持っていったから、台風の中をわざわざ探しに行ったんだ」「……」千晶の声がぴたりと止まり、目には明らかな動揺が浮かんだ。空、あんな昔のことをまだ覚えてるの?しかも、こんなに細かく?少しくらい綺麗な思い出に脚色させてくれてもいいじゃない!凪は不思議そうに首を傾げた。千晶の話では、あれほど自由でロマンチックな高校時代の思い出だったのに、結局はノートを取り戻したかっただけ?思わず唖然としている凪をよそに、空はさらに続けた。「千晶。会社が倒産して、結婚生活もうまくいかなかったことは知ってる。でも、だからといって昔の思い出を美化しすぎるのはやめたほうがいい。誰かに希望を託したり、綺麗な幻想にすがったりするより、せっかく帰国したんだから、自分の仕事を地道に立て直すほうがよほど現実的だ」空がそう言い終えた瞬間、千晶の顔から得意げな笑みが消え、残ったのは驚きと青ざめた表情だけだった。幻想?目の前に立つ空は、今も変わらず魅力的だった。それどころか、高校時代よりも大人の男と
思わなかった?凪はわずかに眉を上げ、胸の奥に妙な引っかかりを覚えた。空に馴れ馴れしく話しかけているだけでなく、その口ぶりはまるでドラマに出てくる正妻気取りだ。政略結婚の相手である凪にまで、上から品定めするような物言いをしてくる。それを聞いて不快になったのは、むしろ春海のほうだった。「あなたがどう思っていたかなんて、どうでもいいんですけど」「誰?」女が眉をひそめる。「自分から名乗りもしない人に、こっちからわざわざ名乗る必要なんかないわ」春海が冷たく笑うと、女の眉間に深い皺が寄った。それでも派手な赤茶色のウェーブヘアをかき上げ、親しげな笑みを崩さない。「空、あなたの奥さんのお友達って、みんなこんなに礼儀を知らないの?それとも私が何年か海外にいる間に、あなたの好みがここまで変わったのかしら。高校時代から仕事を始めるまで、あなたの周りには綺麗な女性なんていくらでもいたのに、この子のどこが気に入ったの?若さ?」その視線はわざと春海のあどけなさの残る顔に留まり、唇には侮るような笑みが浮かんでいた。春海がまた怒り出しかけたため、凪はそっと手で制した。知らない女を相手に、いちいち腹を立てる必要などない。それでも納得できない春海は、小声で凪に尋ねた。「凪さんって、ずいぶん気が長いんですね。あの人、自分が空さんの本命みたいな顔をしてるのに、それでも腹が立たないんですか?」凪は少しも慌てず、さらりと返した。「こんなことを言う人がどういう人間なのか分かりきっていることなのに、わざわざ私たちが真剣に相手をする必要があると思いますか?」「……」春海は称賛の目を凪に向ける。一方、その言葉を聞いた女の顔からは、さっと血の気が引いた。短い沈黙のあと、空が会場の隅から歩み出て、凪と女の間へ入る。「俺の高校の同級生で、石谷千晶(いしたに ちあき)っていうんだ」そう紹介しながら、空は凪の瞳に残るわずかな不満を見て、なぜか胸の奥が弾むのを感じていた。自分のことを気にしてくれているから、不満なのか?千晶はそのまま凪へ歩み寄り、微笑みながら手を差し出した。「さっきは少し意地悪を言いすぎたわね。ごめんなさい。空が結婚した相手がどんな性格なのか気になって、ちょっと試してみただけなの」凪と軽く握手を交わすと、千晶は今度
凪はすかさず春海の手をつかんだ。「向こうに非があるなら、向こうに弁償させればいいんです。でも斎藤さんが手を出したら、今度はあなたが払う側になってしまいます。それに……少しは周りの目も気にしたほうがいいかと」そう言って、凪は会場の隅にいる大輔へ視線を向けた。婚約者が見てますよ。その意味を察した瞬間、春海は我に返った。ゆっくりと手を下ろし、凪にしか聞こえない声で呟く。「確かにそうですね」凪はそれ以上何も言わず、峰行を呼んで明里に弁償額を請求してもらった。散々な目に遭った挙げ句、結局は自分で弁償する羽目になった明里は、周囲から向けられる冷ややかな視線と囁き声に耐えながら、歯を食いしばって葵を連れ、ひとまず会場を後にした。その後、峰行がスタッフを連れて展示スペースを元どおりに整える一方、凪は春海を連れて着替えに行き、ついでに乱れた髪も整え直した。会場へ戻る途中には、春海も先ほどまでの怒りからすっかり冷静さを取り戻し、いつもの気位の高い令嬢らしい姿に戻っていた。ただ、どこかあどけなさの残る顔で不満そうに唇を尖らせている様子は、少し可愛らしくも見える。「あなたの妹さんが騒ぎを起こすところには何度か居合わせましたけど、そのたびにあなたは公平に対処していました。以前は先入観を持ってあなたを見てしまっていて……本当にすみませんでした」「気にしないでください。それに私は、景山さんがせっかく準備した陶芸展を台無しにしたくなかっただけですから。それと、あなたと大輔さんはもう婚約しているんですし、個人的な揉め事を片づけるにしても、人前でやる必要はありません。ご家族も心配するでしょうし、黒崎家は……」凪はそこで言葉を切ったが、その先は二人とも分かっていた。絶大な力を持つ黒崎家だからこそ、ほかの家以上に世間体を重んじるため、今日のような暴力沙汰が大きくなって外へ広まれば、春海の立場まで危うくなりかねない。春海は感謝のこもった目で凪を見た。「今回は本当にお礼を言わないといけません。ありがとうございました」「お気になさらないでください。以前、婚約パーティーでちゃんとお二人のことを見ていられなかった、その埋め合わせだと思ってもらえればいいですから」凪はそう言って春海の肩を軽く叩いた。春海はむしろ、凪のこうした物事の処理の仕方を気に
「渉、食事が冷めるぞ」悠斗はそう言うと、エビを一つ、凪のお皿に乗せてやった。悠斗がその場を収めてくれてはいたものの、食事は気まずい雰囲気のまま、お開きとなった。帰り際、渉は凪をバス停に置き去りにすると、何も言わずに車を走らせて行ってしまった。……そのことについて、凪は特に何も感じなかった。静かにホテルに戻ると、彼女から渉に連絡することはなかった。凪はテキパキと雑務を片付けて、Y市でのしがらみを一つ一つ断ち切っていった。時折、直美から送られてくるメッセージを開いた。トーク画面には、ここ数日、二人が何をしたのかが、細かく報告されていた。心の痛みが麻痺してくると、
名家に生まれた人間であれば、直美に染み付いた育ちの悪さは一目で見抜けるものだ。どんなに取り繕ったところで、無駄なことだった。静香は凪のことすら気に入らないのだから、直美のことなど好きになるはずもなかった。凪が現れると、静香の怒りは一気にそちらへ向かった。「自分の男もろくに繋ぎ止められないなんて、だらしないわね。あんな女を家に上げるなんて」渉は直美を背後にかばい、冷たく威圧するような声で言った。「直美は俺の友達だ。おばさん、言葉には気をつけて!」凪は初めて中島家に来たときのことを思い出した。あの頃は家に入る前から、渉に何度も念を押されたものだった。中島家の人たちと
達也が不意に言った。「二宮さん、松浦グループに来る気はありますか?あなたには……」彼が言い終わる前に、凪はきっぱりと断った。「ありません!」その華奢な後ろ姿を見つめる達也の瞳に、特別な感情が宿った。それは感心であり、少しのときめきでもあった。……メモに書いておいた用事が、また一つ片付いた。凪はホテルで半日休んでから、家に戻った。庭はひどく荒れていた。直美が、彼女の服を着て、高そうなショールを羽織っていた。そして、まるで家の女主人のように、使用人たちに大切に育てられた花を根こそぎ引き抜けと指示していた。凪が車から降りるのを見て、直美は得意げな表情を浮かべた
「水でも飲んで。直美がまだ目を覚まさないから、そばを離れられないんだ。凪ちゃん、いい子だからさ。俺も疲れてる。これ以上、わがまま言って俺を困らせないでくれるか?」電話は、一方的に切られた。ツー、ツー、という無機質な音が耳に突き刺さり、凪は目の奥がツンと熱くなった。昔、胃穿孔で手術を終え目覚めたとき、渉は彼女を抱きしめて長いこと泣いていた。ベッドのそばにひざまずき、大きな体を丸めて、まるで迷子になった大型犬のように彼女の首筋に顔をうずめていた。その声はひどく嗄れていた。「凪ちゃん、俺も辛かった。お前が手術室にいた時、胸が張り裂けるほど苦しかったんだ。分かるか?お前は、俺の命そ







