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真琴は、朔也と莉奈が今どんな関係なのか、知ろうとも思わなかった。ただ仕事に集中した。朔也はスポンサーではあったものの、研究施設には機密情報が多く、内部へ入ることはできなかった。そのため毎日、研究所の入口で待ち、少しでも真琴の姿を見ようとしていた。けれど真琴は、会うたびに軽く会釈をするだけで、話しかける隙を与えなかった。そして、ついにプロジェクトが終了した。朔也は真琴の搭乗便を調べ、慌てて空港へ駆けつけた。「真琴!」スーツは乱れ、額には走ってきた汗が浮かんでいる。どこかひどく狼狽して見えた。声に気づいた真琴は足を止め、振り返った。「御堂社長?」その呼び方が、また朔也の胸を刺した。けれど、彼はもう昔のような未熟な少年ではなかった。本心を隠すことも覚えていた。「帰るなら、どうして教えてくれなかったんだ。車を手配できたのに」真琴は礼儀正しく笑った。ただし、その笑顔にははっきりと距離があった。「夫は、一見すると冷静な人なんですけど、実はかなり嫉妬深いんです。余計な心配をさせたくなくて」夫。その言葉は鈍い拳のように朔也の胸を打ち、彼は思わず足元をふらつかせた。「結婚……したのか?」「はい。入籍は済んでいて、今は結婚式の準備をしています」朔也の心は、一気に底まで沈んだ。ちょうどそのとき、空港のアナウンスが真琴の便の搭乗開始を告げた。「では、失礼します」真琴はそう言って、搭乗口へ向かおうとした。けれど朔也が、もう一度彼女を呼び止めた。「真琴、ごめん!昔、お前にしたことだけじゃない。本来たどるはずだった人生で、10年間もお前を苦しめた、あの愚かな俺のぶんまで謝りたい」真琴は驚いて足を止めた。けれど、振り返りはしなかった。「俺も、お前の両親も、莉奈も、同じ夢を見た。夢の内容は、何年か前にお前の友達が美穂さんを責めたときに言っていたことと、まったく同じだった。あれは、ただの夢じゃなかったんだろ?」真琴は答えなかった。けれど、その沈黙だけで、朔也には十分だった。「やっぱり、あれはただの夢じゃなかったんだな。俺たちは本当に、お前にあんなことをしていた。美穂さんも正典さんも、もうお前の前には出られない。俺も同じだった。どんな顔をして会えばいいのか、分からなかっ
真琴は、言ったことを本当に実行した。翌日にはさっそく、大学と提携している機密指定の研究プロジェクトへの参加申請を始めた。星奈は、真琴と離れることになると知り、長いこと泣いていた。一方、清人はチューリッヒで初めて再会した日と変わらず、涼しげな表情を崩さなかった。何を考えているのか、まるで分からなかった。ところが、真琴が研究施設へ到着したその夜、彼女は目の前の光景に言葉を失った。これまで各研究チームから何度も誘いを受けながら、そのすべてを断り、自分の会社に専念すると決めていたはずの清人が、笑みを浮かべて立っていたからだ。「こんにちは、高梨真琴さん。今日から同じ研究チームの仲間だ。こうしてまた会えて、うれしいよ」清人の瞳には、星の光が宿っているように見えた。その瞬間、真琴は自分の鼓動が乱れるのを感じた。時は、手の中からこぼれ落ちる水のように流れていった。気づけば、4年が過ぎていた。真琴はアカデミックガウンに身を包み、卒業証書を手に、自分だけの卒業写真を撮った。誰にも名前を奪われることはなかった。誰にも自分の場所を占められることもなかった。そして手元には、高梨真琴という一人の人間だけに与えられた卒業証書があった。以前作成した親子関係を清算するための明細書についても、大学3年のうちにすべて返済を終えていた。さらに大学院への進学も決まり、これから新たな学びの日々が始まろうとしていた。唯一、頭を悩ませていることがあるとすれば、星奈がほぼ毎日、朝昼晩と同じ質問をしてくることだった。「真琴、いつになったらお兄ちゃんと結婚するの?」真琴が再び朔也と顔を合わせたのは、大学院2年目に参加した国際共同研究のインターンシップでのことだった。かつての少年らしさは、もうどこにも残っていなかった。上質なオーダースーツを身にまとい、落ち着いた雰囲気を纏っている。整った顔立ちにも、他人を寄せつけない経営者らしい鋭さが加わっていた。ただ、その険しくなった目だけは、真琴を見た瞬間に赤く染まった。「真琴、久しぶりだな」低くかすれた声には、長いあいだ押し殺してきた想いが滲んでいた。けれど真琴は、穏やかに笑っただけだった。「お久しぶりです、御堂社長」朔也は今回のプロジェクトの単独スポンサーだった。
窓越しに、真琴は正典の背中が力なく丸まっていくのを見た。彼はその場に長いあいだ立ち尽くし、何度も振り返りながら、ようやく帰っていった。けれど、わずか3日後、正典はまた大学へやって来た。今度は、車椅子に乗った美穂を連れていた。真琴の姿を見つけた途端、美穂の目から涙があふれた。「ま、真琴……」脳卒中の後遺症はまだ残っていた。顔の片側は動かず、口元も歪んでいる。言葉を口にするだけでも、ひどく苦しそうだった。「お母さん……間違ってた……真琴に……償いたい……ケーキに……真琴の名前……」美穂は震え続ける手を懸命に持ち上げ、膝の上に置かれたケーキを指さした。真琴の睫毛が、わずかに揺れた。もう、この家族に何をされても、心が動くことはないと思っていた。それでも目の前の光景を見た瞬間、胸の奥にかすかな痛みが走った。18年間、18個の誕生日ケーキに、真琴の名前が書かれたことは一度もなかった。そして今、19個目のケーキには、ようやく真琴の名前があった。それも、真琴一人の名前だけが。けれど、あまりにも遅すぎた。今日が真琴の誕生日というわけでもない。真琴は手を強く握りしめ、無理やり気持ちを落ち着かせた。そして美穂を見つめ、一言ずつ告げた。「もう遅い。今の私には、もう必要ない」美穂は激しく首を振った。けれど焦れば焦るほど、うまく言葉が出てこない。車椅子を何度も叩きながら、声にならない声を上げた。正典は見ていられず、顔を背けた。真琴の胸には、さまざまな感情が入り乱れた。頭の中で、二つの声がぶつかり合っていた。——もう許してもいいのではないか。どれほどひどくても、自分を産み育てた両親なのだから。けれど、もう一つの声は言った。——情に流されてはいけない。10年後の自分を子どもを産むためだけの存在にし、家政婦のように扱い、嫌悪と怒りをぶつけ続けた二人を思い出せ。未来を変えられたからといって、本来の人生で受けるはずだった傷まで、なかったことにはならない。二つの声が激しくぶつかり、真琴は頭が割れそうになった。そのとき、清人と星奈がどこからともなく駆けつけ、真琴の前に立ちはだかった。「あなたたちが真琴の両親?真琴を傷つけていたときは、何を考えてたんですか?自分たちが間違っていた
寮へ戻ってからも、真琴にはまだ現実味がなかった。清人が、自分を好きだと認めた。しかも高校時代、無意識に真琴を気にかけるようになった頃から、いつの間にか惹かれていたという。頭の中が混乱したまま、真琴は清人が寮の前まで送ってくれたときに言った言葉を思い返した。「真琴。今はまだ、すぐに次の恋愛へ進む気持ちにはなれないと思う。それに僕も、君が弱っているところにつけ込むつもりはない。気を遣わなくていいし、これから顔を合わせるのが気まずいとも思わないでほしい。今の君にとっては、安定した収入ほど安心につながるものはないだろうから」真琴を見つめる清人の目は、まっすぐで澄んでいた。「恋人になることより、せっかく手に入れた新しい生活を、君に心から楽しんでほしい」胸の奥を、羽根でそっと撫でられたような感覚がした。真琴は布団を頭までかぶり、なかなか寝つけないまま、空が白み始める頃になってようやく深い眠りに落ちた。週末が終わる頃には、気持ちも整理できていた。清人の言うとおりだった。今の自分がすべきなのは、新しい生活を大切にし、少しでも多く稼いで、返すと決めた金を早く払い終えることだ。それから1か月後、真琴は最初のプロジェクトの報奨金を受け取った。その金を美穂の口座へ振り込み、摘要欄には「養育費返済」と入力した。送金完了の画面を見つめながら、真琴は改めて、自分の選択は間違っていなかったと確信した。その間、清人は告白のことを二度と口にしなかった。噂話が大好きな星奈でさえ、不思議なほど何も言わなかった。けれど、穏やかな日々は長く続かなかった。正典が突然、真琴の前に現れたのだ。まだ2か月も経っていないのに、正典の髪は半分以上白くなり、身体もひどく痩せていた。まるで10年以上、一気に老け込んだように見えた。「真琴……やっと見つけた」これまで真琴にはいつも険しい顔で説教し、妹に譲れと命じることしかなかった実父が、今は戸惑いと遠慮を浮かべていた。「お前が送ってきた20枚の写真は、俺も母さんも見た。俺たちが悪かった。これまでずっと、お前につらい思いをさせてきた。出生証明書を見て初めて分かったんだ。お前が母親のお腹の中で莉奈の栄養を奪い、そのせいで莉奈が身体の弱い子になったという話は、母さんが自分の責任から逃げ
激しい雨に足止めされ、真琴は大学の外にあるカフェの軒先に立っていた。ようやく取り戻した懐中時計を強く握りしめたまま、力が抜けたようにその場へしゃがみ込み、小さく身体を丸める。目の奥がひどく熱かった。やがて、傘を差した人影が真琴のそばまで歩いてきた。清人は手にしていたティッシュを、真琴の前へ差し出した。「ごめん。盗み聞きするつもりはなかったんだ。星奈が君に小さなケーキを買ってきて、渡してほしいって。気持ちが沈んでいるときは、甘いものを食べると少し楽になるかもしれない。食べてみない?」真琴は赤くなった目を上げ、そのケーキを見つめた。すると、もう涙を抑えられなくなった。18年間、真琴が食べてきた誕生日ケーキには、いつも莉奈の名前が書かれていた。自分だけのために用意されたケーキを、真琴は一度も食べたことがなかった。けれど、その日。真琴は初めて、自分だけのケーキを口にした。あの夜を境に、朔也は姿を見せなくなった。真琴もすぐに気持ちを切り替え、再び勉強と仕事に打ち込んだ。それから半月後、真琴が清人の会社で初めて参加したプロジェクトは、画期的な研究成果を上げた。その知らせを聞いた星奈は、すぐに会社へ飛んできた。そして、真琴と清人を連れて、どうしても祝いたいと言い張った。何杯か酒を飲むうちに、星奈はすっかり酔いが回り、ろれつも怪しくなっていた。幼い頃から清人と喧嘩ばかりしていた話を、次々とこぼし始める。真琴は静かに耳を傾けていた。すると、星奈が突然言った。「真琴って、きょうだいいないんでしょう?一人っ子って、やっぱりすごく幸せ?こんなにきれいで、頭もいいんだもん。お父さんとお母さんに、すごく大事にされてるんだろうな。羨ましい」真琴の目から、ふっと光が消えた。何も答えられず、黙り込む。酔った星奈は真琴の肩にもたれかかり、子どもの頃の話をしてほしいと何度もせがんだ。真琴の表情が急に沈んだことに気づいた清人は、何気ないふりをして星奈を引き離した。「ごめん。妹は酔ってるんだ」けれど星奈は、タコのように真琴へしがみついたまま離れようとしなかった。真琴は困ったように笑った。そのおかげで、胸に広がっていた暗い気持ちも少し和らいだ。「一人っ子じゃないよ。双子の妹がいるの」酒の
真琴は、朔也が今の大学まで追ってくるとは思ってもいなかった。手首が痛むほど強くつかまれ、振りほどこうとしてもびくともしない。真琴は何も答えなかった。けれど朔也は、もう答えを確信したかのようだった。構わず真琴を腕の中へ引き寄せ、失った宝物をようやく取り戻したかのように、強く抱きしめた。「ごめん。真琴を信じなかった俺が悪かった。あんな最低なことを聞いたのも、本当に後悔してる。許してくれないか?」真琴は疲れたように目を閉じた。「苦しくて息ができない。離して」朔也は反射的に腕の力を緩めた。次の瞬間、真琴は勢いよく彼を突き放した。「朔也、私たちはもう別れたの」「でも俺は認めてない!」「付き合うには二人の同意が必要だけど、別れるのに相手の許可はいらないでしょう。少しは大人になって」真琴の目があまりにも冷たかったからか。それとも、最後の一言が朔也の胸を刺したのか。彼は一瞬で感情を抑えられなくなった。「俺が大人じゃないって?じゃあ真琴はどうなんだよ!俺への当てつけで、何も言わずに転学して、こんな遠くまで来たんだろ!俺たちは2年も付き合ってきた。喧嘩らしい喧嘩だって一度もなかったのに、急に別れるなんて言い出した!真琴のやっていることだって、十分子どもじみてるだろ!」真琴は、激しく胸を上下させる朔也を静かに見つめた。かつては見るだけで胸が高鳴ったその顔も、怒りに歪み、以前の端正さを失っていた。「あなたへの当てつけじゃない」真琴はまっすぐ朔也の目を見た。「私が転学したのは、莉奈に大学への入学資格も、私の人生も奪われたくなかったから。それから別れた理由だけど、朔也。最後に二人きりで会ったのがいつだったか、覚えてる?どこへ行くにも、あなたは必ず莉奈を連れてきた。二人の約束だったはずなのに、いつも三人になった。莉奈のために、あなたが私をどれだけ傷つけてきたか、覚えてる?私は莉奈の姉だけど、だからって恋人まで譲るつもりはない。気持ちがもう莉奈に向いてるなら、別れるのは当然でしょう」朔也の顔から、見る見る血の気が引いていった。彼は慌てて言い訳した。「俺が好きなのは、ずっと真琴だけだ。莉奈には、その……真琴の双子で、同じ顔をしてるし、それに身体が弱いから、放っておけなくて……」「そう。