ログイン私は冥界で300年、せっせと働き続けた。徳を積み、「人間への転生チケット」を手に入れたと思った、その矢先―― 酒に酔った閻魔様が盛大にやらかした。 転生先を間違えられた結果、私はまさかの畜生道送り。 気づけば、財閥一家でぬくぬく暮らす、まるまる太った茶トラ猫になっていた。名前は茶々丸(ちゃちゃまる)。 さすがに閻魔様も後ろめたかったのか、お詫びとして百年分の寿命を上乗せし、さらに「赤ちゃんの心の声が聞こえる能力」までサービスしてくれた。 ここまで来たら文句を言っても仕方ない。 猫なら猫で、全力で満喫してやろうじゃないか。 そんなわけで私は、米沢家の一人娘・米沢美月(よねざわ みづき)と一緒に育ち、気づけば十数年が経った。 毎日ご飯は出てくるし、昼寝はし放題。完全に勝ち組猫ライフである。 今では美月は私の「終身スポンサー」。そして彼女もまた、私を家族同然に可愛がってくれていた。 ――そして今日。 美月が無事に女の子を出産し、私はVIP分娩室の前で、海外から取り寄せた高級フリーズドライのおやつを夢中でかじっていた、その時だった。 頭の中に、赤ちゃんのふにゃふにゃした声が飛び込んでくる。 (やだぁ……連れて行かないで…… パパが私を隠し子と入れ替えようとしてるの……! 施設なんて嫌!ママと一緒にいたいよぉ……!) 私は思わず咀嚼を止めた。 すると間髪入れず、もう一人の赤ちゃんの声が響く。 (フン、私が本物のお嬢様になったら、あの女も、あのデブ猫も真っ先に毒殺してやるんだから!) その瞬間、私はぴたりと食べるのをやめた。全身の毛が一気に逆立つ。 (にゃんだと?私が目をかけて育ててきた美月お嬢様に手を出そうなんて、百年早いよ!トラの尾を踏んだらどうなるのか、今日こそ思い知らせてやる!) 私は後ろ足に力を込めると、放たれた矢の勢いで分娩室へ突っ込んだ。
もっと見る5年の月日が流れた。明里もすっかり大きくなり、元気いっぱいの女の子へと成長していた。米沢家の血を色濃く受け継ぎ、頭の回転は速く、人懐っこくて愛らしい。そして何より――この子だけ私の言葉が分かる。私の方というと、赤ん坊の頃に聞こえていた彼女の心の声は、彼女の成長とともに聞こえなくなっていた。それでも私たちの間には、言葉なんてなくても通じ合える、不思議な絆が残っている。「茶々丸ーっ!逃げて!おじちゃんが私たちをお風呂に入れようとしてるよ!」5歳になった明里が、小さな足で庭を駆け回る。私もその後ろを全力疾走――とはいえ、丸々とした体が揺れまくっているのは否定できない。(にゃああ!風呂だけは勘弁だ!草むらに隠れてやる!)芝生の上では、ホースを手にした靖彦が呆れ顔でため息をついた。「明里!茶々丸を連れて逃げ回るな。今日のアイス、なしにするぞ!」すると明里は草むらの陰からひょこっと顔を出し、ぺろっと舌を出す。「おじちゃんのいじわる!茶々丸がお風呂イヤだって言ってるもん!」そのやり取りを見ながら、美月がティーセットを載せたトレイを持ってテラスへ出てきた。庭いっぱいに響く笑い声を眺め、自然と頬がほころぶ。あの日から5年。靖彦と美月が率いる米沢グループは、企業価値を3倍以上にまで伸ばし、財界でも揺るぎない地位を築いていた。かつて一家を覆っていた暗い影は、もうどこにもない。私はサンルームの寝椅子に寝そべり、ぽかぽかと差し込む陽だまりの中で目を細める。この数年を振り返る。いろんなことがあった。転生先を間違えられて猫になったときはどうなることかと思ったけれど――毎日おいしいご飯を食べて、大切にしてくれる家族がいて、しかも寿命は百年。これ以上の勝ち組猫がいるだろうか。「茶々丸」美月が私の隣にしゃがみ込み、ふわふわの毛並みを優しく撫でる。「ずっと私たちのそばにいてくれて、本当にありがとう」私はゆっくり目を開け、美月の笑顔を見上げると、満足そうに喉を鳴らした。(何言ってるんだ、家族なんだから当たり前だろ)そこへ明里も駆け寄ってきて、私の丸い頭をぎゅっと抱きしめる。「茶々丸は世界一優しいねこさんだもん!」その言葉に、私は尻尾を揺らした。もちろんだ。私は冥界で300年働き、
3ヶ月後――ようやく前足のギプスが外れ、私は無事に退院した。米沢家の屋敷へ戻ったその日、靖彦はとんでもない歓迎式を用意していた。玄関から屋敷の中まで真っ赤なカーペットが敷かれ、その両脇には黒服姿のボディーガードがずらりと整列。全員が一斉に頭を下げる。「茶々丸様、ご退院おめでとうございます!」私は胸を張り、堂々とレッドカーペットを進んでいく。これぞ英雄の凱旋というものだ。美月もすっかり回復していた。あの事件を境に、彼女は大きく変わった。恋だけを見ていたお嬢様はもういない。今では米沢グループの関連会社を任され、次々と改革を断行。その手腕は業界でも話題となり、「若き女帝」とまで呼ばれる存在になっていた。米沢家の失脚を狙っていたライバル企業も、靖彦と美月の兄妹タッグの前では歯が立たず、次々と姿を消していった。もっとも――家へ帰れば、彼女は誰よりも優しい母親だ。「茶々丸、お待たせ。今日のおやつは本マグロよ」美月は純金製の猫皿を私の前へ置き、嬉しそうに微笑んだ。私は遠慮なく皿へ顔を突っ込み、夢中で頬張る。脂がのった極上のマグロが口の中でとろけていく。ああ、幸せだ。やっぱり猫はこうでなくちゃ。生後3ヶ月になった明里は、ベビーベッドの中から大きな瞳で私を見つめていた。(ねこさんのご飯、おいしそう……明里も食べたい!)私はちらりと視線を向けると、前足で猫皿をしっかり抱え込む。(お子ちゃまが刺身なんて百年早い、ミルクでも飲んでてな!)明里は口をへの字に曲げたものの、すぐににこっと笑った。(大丈夫!明里、大きくなったらいっぱい働いて、ねこさんにお魚いっぱい買ってあげる!)私は満足そうに前足を舐めた。よし。その心意気だ。そこへ、靖彦が帰ってきた。ジャケットを脱ぎながら部屋へ入り、そのまま慣れた手つきで明里を抱き上げる。「明里、おじちゃんが帰ってきたよ」高い高いをしてやると、明里はきゃっきゃっと声を上げて笑った。「お帰り、お兄ちゃん。今日は早かったね」美月が微笑みながら声を掛ける。靖彦はうなずいたが、その目には一瞬だけ冷たい光が宿る。「今日は刑務所へ行ってきた。あの二人の様子を見にね」フルーツを切っている美月の手がぴたりと止まる。「……どうだったの?
どれほど眠っていたのだろう。ぼんやりと意識が浮かび上がる。身体がじんわりと温かい。規則正しく響く電子音が耳に届き、私はゆっくりとまぶたを開いた。視界いっぱいに広がったのは、真っ白な天井。どうやら私は、動物病院のICU装置の中にいるらしい。折れた前足にはギプスが巻かれ、全身には何本ものチューブがつながれていた。ガラス越しに見えたのは、やつれ切った靖彦の顔だった。目の下には濃いクマができ、瞳が充血し、無精ひげまで伸びている。何日も寝ずに付き添っていたのだろう。私が目を開けた瞬間、靖彦は勢いよく立ち上がった。「先生!茶々丸が目を覚ましました!」獣医たちが慌ただしく集まり、私の容体を確認し始める。「信じられません……本当に奇跡です」主治医はモニターを見つめたまま続けた。「搬送されたときは、複数の臓器損傷に大量出血。すでに心肺停止の状態でした。それなのに驚異的な自己回復力で持ち直したんです。こんな症例は見たことがありません」私は心の中で鼻を鳴らした。(そりゃそうだろ。閻魔様からもらった百年の寿命、伊達じゃないんだから)靖彦はようやく安堵したように息を吐き、強く握り締めていた拳をほどいた。ガラス越しに、そっと私のいる場所へ手を添える。「よく頑張ったな、茶々丸。お前は美月と赤ちゃんを救ってくれた。米沢家の恩人だ」そのとき、病室のドアが静かに開いた。車椅子に乗った美月が、看護師に付き添われて入ってくる。顔色はまだ青白いものの、あの日とは比べものにならないほど表情に生気が戻っていた。胸には、小さな赤ちゃんが大切そうに抱かれている。「茶々丸……!」私と目が合った途端、美月の瞳が潤んだ。車椅子を機械の前まで寄せると、大粒の涙をぽろぽろと零す。「ごめんね、茶々丸……私がもっと早く気づいていれば、あなたをこんな目に遭わせることなんてなかったのに……」私は無事なほうの前足を懸命に持ち上げ、ガラスをぽん、と軽く叩いた。(泣かないで。ほら、この通りピンピンしてるよ)赤ちゃんが小さな手をぱたぱたと振りながら、嬉しそうに笑う。(ねこさん、起きた!よかった!元気になったら、一番おいしいフリーズドライをいっぱいあげるね!)その無邪気な声に、胸がじんわり温かくなる。この子を守った甲斐が
その短い言葉が、陽介の胸を重く打ち据えた。「……どういう意味ですか?」笑みを消した陽介が、靖彦をにらみつける。靖彦は何も答えず、スマホの画面を彼に見せた。そこには、ニュース速報が映し出されていた。「本日、大規模な国際マネーロンダリング組織が摘発されました。関係するペーパーカンパニーはすべて差し押さえられ、数千億円規模の不正資金も全額凍結。さらに、首謀者である米沢陽介容疑者の海外口座についても、国際刑事警察機構の協力により凍結されています」画面を見た瞬間、陽介の目が見開かれる。映っていた会社名は――この3年間、自ら築き上げてきたダミー会社ばかりだった。「……ありえない」顔から血の気が引き、陽介は激しく首を振る。「そんなはずがない!俺は完璧に隠していた!バレるわけがない!」靖彦は彼を冷たく見下ろし、薄く笑った。「陽介。たかが三年、米沢家に婿入りした程度で、俺を出し抜けるとでも思ったのか?お前が米沢家に足を踏み入れた初日から、身辺はすべて調べさせてもらっていた。お前が海外へ持ち出した機密データは、こちらが用意した偽物だ。流した資金も、最初から俺の監視下にあった。お前を泳がせていたのは、背後にいる資金洗浄組織をまとめて炙り出すためだ。そして今――証拠は全て揃った。お前も、もちろん刑務所行きだ」その言葉を聞いて、陽介の全身から力が抜けた。自分が完璧だと信じていた計画は、靖彦にとってただの茶番にすぎなかった。膝から崩れ落ちた陽介は、もはや何一つ言い返せない。一方、風花も絶望し、完全に取り乱していた。彼女は美月の足元へ這い寄ると、何度も額を床へ擦りつける。「美月……私たちは親友なんでしょ?だから、許してくれない?私も娘も、一生あなたのために働くから!」美月は冷え切った目で彼女を見下ろし、その身体を軽く蹴り離した。「近づかないで……穢らわしい」そのとき、外からサイレンの音が近づいてきた。ほどなくして、数名の警察官が産科病棟へ踏み込んでくる。「米沢陽介さん、杉浦風花さんですね」先頭の刑事が逮捕状を掲げた。「殺人未遂、業務上横領、資金洗浄など、複数の容疑で逮捕します。署まで同行してください」カチャリ、と乾いた音が響く。手錠は陽介と風花、それぞれの手首にはめられた。