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第5話

Author: 西野翠夏
靖子は真相などどうでもよかった。仮に和枝が陰で真夕の悪口を言っていたとして、それがどうしたというのだ。

靖子にとって、息子の嫁である真夕は、赤の他人よりもどうでもいい存在だ。

「少し陰口をたたかれたくらいで、死ぬわけでもないわ」

靖子は露骨に軽蔑の色を浮かべ、吐き捨てるように言った。

「そんなに目くじらを立てて、家の中をめちゃくちゃにする必要はないわ。それに、和枝がもういくつだと思っているの。年寄りを相手にムキになるなんて、少しも寛容さがないのね」

慧は信じられないものを見るような目で靖子を見た。

「おばあちゃん!」

「もういいわ」

靖子は苛立たしげに慧の言葉を遮り、真夕を急かした。

「先に食事の支度をしてきなさい。今何時だと思ってるの。いつまでそこに突っ立ってるつもり?」

和枝は、自分がクビを免れたことを悟った。床にひざまずいたままではあるが、ちらちらと真夕を盗み見ている。その目には、陰湿な喜びと嘲りがはっきりと浮かんでいる。

ほかの使用人たちも、真夕を見る目には多かれ少なかれ軽蔑がにじんでいる。

真夕だって、そんな視線には慣れていた。この家に嫁いでからというもの、何度白い目で見られ、笑いものにされてきたことか。

だが、もう気にするつもりはない。誰に何を言われようと、自分が傷つかなければ、それでいい。真夕はソファに腰を下ろしたまま、涼しい顔で尋ねた。

「篠原家は破産でもして、使用人も雇えなくなったの?それとも、使用人がみんな死に絶えて、誰も夕食を作れないのかしら?」

「今なんと?」

靖子は自分の耳を疑った。これまで真夕が、こんな態度や口調で自分に言い返したことなど一度もなかったからだ。

真夕は冷ややかな目を向ける。「耳まで遠くなったの?」

靖子は怒鳴りつけた。「さっき和枝が、あなたは躾が悪いと言っていたけど、本当だったのね。年上を敬う気持ちがないの?いったい誰に向かってそんな口を利いているの!」

「どうしてそんなに怒るの?」

真夕は落ち着き払った様子でテーブルからみかんを一つ手に取り、靖子を横目で見た。

「さっき自分で言ったじゃない。『少し陰口をたたかれたくらいで、死ぬわけでもない』って。

それに、お義母さんもいい歳なんだから、私みたいな年下を相手にムキになるなんて、少しも寛容さがないのね。

こんなところを人に見られたら笑われるわよ。篠原家の恥になるんじゃない?」

靖子は怒りのあまり胸元を押さえた。「あ、あなた……!」

和枝はすぐに状況を察し、慌てて立ち上がると救心錠剤を探し出し、靖子に飲ませた。

真夕はただ静かにその光景を眺めるだけで、腰を上げようともしない。以前なら、とっくに駆け寄って、お茶や水を用意していただろう。

真夕はむいたみかんを慧に差し出した。

靖子はようやく息を整え、震える手で真夕を指差し、鋭い声で命じた。

「今すぐ仏間へ行って、そこで正座しなさい!」

これまで、靖子は事あるごとに理由をつけては、真夕を仏間で正座させてきた。

服装のセンスが悪い、お茶の淹れ方が違う、食事のときの姿勢が悪い、炊いたご飯が硬すぎる……

とにかく、どんな些細なことでも難癖をつけては小言を言い、最後には必ず「篠原家の恥だ、仏間で正座して反省しなさい」と締めくくった。

真夕は毎回、言われた通りにしてきた。

自分の努力が足りないのだと思っていた。もっと完璧に振る舞わなければ、靖子にとっての理想の嫁にはなれないのだと思っていた。

だから罰を受けるたびに自分の至らなさを反省し、次はもっと上手くしよう、もっと品格のある立派な名家の嫁らしく振る舞おうと努力を重ねてきた。

膝が青アザだらけになっても、雨の日に疼くようになっても、ずっと耐えてきた。

京介を困らせないために、篠原家の嫁として認められるために、ずっと黙って耐え忍んできたのだ。

だが今は違う。もうこれ以上、自分を責めたり、言いなりになったりするつもりはない。

真夕は小さく笑った。

「今の時代に、まだ正座させて嫁に罰を与える姑がいるなんてね。そんな古臭い因習を引きずっているなんて、いつの時代からタイムスリップでもしてきたのかしら」

靖子はまさか真夕が、自分に逆らうとは思わなかった。靖子の顔は怒りで真っ青になっている。胸が激しく上下し、今にもまた息が詰まりそうだ。

その場にいた使用人たちは、背中をさすったり、水を持ってきたり、薬を探したりと右往左往していた。

その騒ぎの中で、真夕だけが部外者のように、冷めた目で眺めている。

ちょうどそのとき、栄一の書斎から出てきた京介が、騒ぎに気づいて大股で歩いてきた。

「どうした?」

京介の姿を見た慧は、味方を得たと思ったのだろう。すぐに駆け寄って京介の手を握り、先ほど何があったのかを一部始終説明した。

まだ5歳とはいえ、その言葉ははっきりとしており、筋道もきちんと通っている。

その場にいる全員が、京介に注目し、彼の言葉を待っている。

京介はしばらく考えたあと、真夕に目を向けた。

「真夕、母さんにあんな言い方をするのはよくない。母さんに謝ってくれ」

「パパ!」

慧は眉をひそめる。

京介は慧の頭を撫でる。

「慧、パパは事実を言ってるだけだ。ママが悪かったのも確かだろ。おばあちゃんは年上なんだから、敬うべきだ。先生にも、年上の人を敬いなさいと教わっただろ?」

すると慧は、すぐに言い返す。

「先生は、年下の人を思いやりなさいとも教えたよ。おばあちゃんは間違っているのに、ママを正座させようとしたんだよ。ママは何も悪いことしてない!」

靖子は冷たい声で叱りつける。

「何も悪いことをしてないって?篠原家の嫁である以上、自分の言葉遣いや振る舞いに気を付けなければならない。

さっきの言葉を聞いたよね。下品でがさつで、教養も礼儀もない。篠原家全体の恥だわ。

こんなことを学校の友達に知られたら、慧はみんなに笑われるのよ。

厳しく教えなければ、人は何度でも過ちを繰り返してしまう。おばあちゃんは、慧のためを思ってそうしたのよ」

よくもまあ、そこまで口が回るものだ。白いものを黒いと言い張るような言い草だ。

真夕は、篠原家のすべてが心底嫌になった。

もうここにはいたくない。ただ、ここから離れたい。

真夕は慧を見た。

「慧、ママと一緒に遊びに行かない?」

慧がうなずくのを見て、真夕はその手を引き、出口へ向かって歩き出した。

「真夕!」京介は眉をひそめ、彼女の手をつかむ。

真夕は冷たく言い放つ。「離して!」

「真夕、言うことを聞いてくれ。ワガママを言うな」

京介は手に力を込める。真夕は痛みを感じた。骨が砕けそうなほどの力だ。

真夕は慧の手を離し、振り返りざまに思いきり京介の頬を叩こうと手を振り上げる。

だが、京介はあらかじめ警戒していた。真夕の手を咄嗟に掴み、彼女を自分の方へ引き寄せると、耳元で低い声で言う。

「真夕、やっとみんなが結婚式を挙げることを認めてくれたんだ。ここは一歩引いて、少しだけ我慢してくれないか?

俺たちの結婚式のためだと思って。お前、ずっと完璧な結婚式を挙げたいって言ってたじゃないか。慧にリングボーイをやらせるって約束しただろ」

その言葉を聞いて、真夕はふと私立探偵から渡された調査結果を思い出す。

当時、茉優は海外へ送り出されていた。

京介が海外へ行って茉優を探し出し、二人が密かに会うことを防ぐため、篠原家は京介のパスポートまで取り上げた。

しかし、結婚2年目の終わり、真夕が妊娠したころ、京介は突然、海外市場への進出を言い出した。

当時の真夕には、その理由が分からなかった。自分が妊娠しているのに、海外進出となれば、京介は今まで以上に忙しくなる。研究開発部の負担だって大きくなる。

篠原家の人間も当然のように反対し、激しい口論になっていた。茉優の存在は篠原家でタブーとされていた。だから真夕は、なぜ彼らがそこまで激昂するのか理解できなかった。

最終的に京介は、海外事業を任せてもらえれば、篠原グループを国内トップクラスの企業へと押し上げると約束した。

一族の繁栄を何よりも重視する篠原家の人間たちは、それでようやく折れたのだ。

当時、京介が真夕に語った理由は、結婚式だった。彼はこう言った。

「真夕、俺がここまで頑張るのは、全部お前のためなんだ。一族の実権を握ったら、盛大な結婚式を挙げよう。お前、ずっと完璧な結婚式を挙げたいって言ってただろ?その時は、この子にリングボーイをやってもらおう」

その言葉を信じたからこそ、妊娠中だった真夕は毎日遅くまで残業し、研究開発部を率いて昼夜を問わず働いた。

一方の京介も、国内各地を飛び回り、息つく暇もないほど忙しくしていた。

妊娠中、京介がそばにいてくれた時間は、ほとんどなかった。

真夕はつわりがひどくて食事もろくに取れず、栄養不足で倒れたこともある。

長時間働き続けたせいで腰や背中が痛み、足はむくみ、息苦しさまで感じるようになった。

夜中に足がつって寝返りも打てず、眠れない夜が続いても、何も言わなかった。京介に余計な心配をさせたくなかったからだ。

これまでのことを思い返すほど、真夕は笑いたくなった。自分はなんて健気で、二人の未来のために頑張っているのだと酔いしれていた。

けれど結局、馬鹿を見たのは自分一人だった。

京介があれほど焦り、必死になっていたのは、決して真夕のためではなかった。

過去の出来事が次々と脳裏にフラッシュバックする。妊娠中の苦しみ、出産の痛み、産後の回復の辛さ……それらすべてを足し合わせても、今のこの瞬間の惨めさには及ばない。

偽りの優しさを演じている京介の顔を見るだけで、吐き気がする。

反吐が出るほど、気持ちが悪い。

真夕の胸の奥で、抑えていた怒りが一気に燃え上がった。

京介の襟元をつかみ、力任せに下へ引きずり下ろすと、膝を曲げ、そのまま勢いよく蹴り上げる。

急所に一撃が入る。

「うっ!」

京介は完全に不意を突かれ、急所をまともに蹴られた。顔から血の気が引き、一瞬で力が抜ける。

真夕はその隙に京介の手を振りほどき、慧の手を引いて足早に外へ向かった。

京介が蹴られた場所は、男のプライドだけでなく、篠原家の跡継ぎにも関わっている。靖子は真夕にかまっている余裕などなく、慌てて京介を支え、ソファに座らせた。

靖子は痛ましそうに京介の額の冷や汗を拭う。

「真夕は頭がおかしくなったの?いったい何を考えてるのよ!

結婚式を許したからって、もう安心だと思ったら大間違いよ。式なんていつでもキャンセルできるんだから」

「母さん、結婚式はキャンセルしないでくれ!」

「京介!まだあの女を庇うの?いったいどんな魔法をかけられたのよ。そこまでして結婚したいだなんて。ただ顔が似ているだけなのに……」

その先の言葉は、靖子の口から出なかった。思い出しただけで、さらに腹が立った。

あの日、京介が結婚したいと言ったとき、靖子はてっきり西園寺家の令嬢と結婚するのだと思い、何のためらいもなくうなずいた。

ところが、京介が連れて帰ってきたのは真夕だった。

篠原家は京介に離婚を迫ったが、彼は頑として聞き入れず、真夕を連れて家を出てしまった。

家族がどれだけ追い詰めても、京介は「縁を切るか、俺が死ぬかだ」とまで言い出した。

そこまで言われてしまえば、篠原家も京介を追い詰め続けるわけにはいかなかった。そこで矛先を真夕へ向けた。

篠原家は一貫して、真夕を正式な嫁として認めようとしなかった。何かにつけて難癖をつけ、罰を与えた。真夕が耐えきれなくなり、自分から離婚を切り出して出て行くように仕向けたのだ。

そして、京介を西園寺家の令嬢と結婚させるつもりだった。向こうもずっと京介を想っていた。

しかし、真夕はあまりにも我慢強かった。どれだけ理不尽なことを言われても頭を下げ、従順に振る舞い、言われたことは何でもこなした。

靖子があらゆる手を使って辱めても、真夕は決して愚痴をこぼさなかった。

それほどまでに、真夕は京介を愛していたのだ。そうでなければ、あそこまで耐えられるはずがない。

やがて真夕が慧を産むと、栄一も慧のことを考え、靖子に「やりすぎるな」と釘を刺した。

今や結婚して7年が経ち、夫婦関係も一応安定している。

今さら京介に離婚させて、別の女性と再婚させることなど、現実的ではない。

そんな折、ニュースで茉優が海外でまた賞を取ったことを知った。

栄一の話では、ここ数年、里中家の事業は目覚ましい勢いで成長しているらしい。茉優が帰国するのも時間の問題だという。

京介の初恋の相手、忘れられない存在。あの茉優は、ここ数年でますます美しくなっている。仕事の能力も誰もが認めるほどだ。

篠原家は、京介がまだ茉優を想っているのではないかと本気で危惧していた。

だからこそ、栄一は京介にできるだけ早く結婚式を挙げさせ、真夕を正式な妻として世間の前に立たせようとしたのだ。そうすれば、茉優が帰国して京介と復縁しようとしても、もう手遅れだ。

あのとき靖子は、真夕の家柄には不満があったものの、従順で、京介のことを何より大切にしている点だけは気に入っていた。

だから、篠原家の嫁があの憎き茉優でなければ、それでいい。

真夕のことも、渋々ながら受け入れようと思っていたのだ。

それなのに、まさか結婚式を許した途端に、真夕が調子に乗って本性をさらけ出すとは思わなかった。

「やっぱり田舎育ちの娘は、礼儀を知らないのね。これだけ長く篠原家にいても、結局は上品な振る舞い一つ身につかないんだから」

「母さん!」

京介が真夕を庇うのを見て、靖子は頭痛を覚え、吐き捨てるように言った。

「もう勝手にしなさい。私は知らないわ。京吾のところへ行ってくる」

京介の兄である京吾は、ずっと篠原家で療養している。

篠原家は京吾のためだけに、専属の医療チームを雇っていた。

部屋を出る前、靖子はやはり心配そうに振り返った。何しろ京介が痛めつけられたのは急所だ。

「ねえ、京介。やっぱり病院で診てもらったほうがいいんじゃない?

ずいぶんひどい蹴り方だから、もし何かあったら、早めに治療したほうがいいわ。

ついでに、きちんと検査もしてもらったら?結婚して7年も経つのに、子どもは慧一人しかいないんだから……」

京介は手を振って靖子の言葉を遮った。

「母さん、俺は本当に大丈夫だから。早く兄貴のところへ行ってくれ」

京介は、自分の体に問題があるなど一度も疑ったことがなかった。男としての機能には、ずっと自信があったからだ。

だから、検査を受ける必要などないと思っている。

もし真夕がこれを知れば、きっと声を上げて笑い、彼のその自信に感謝すらするだろう。

もし篠原家の人間に、京介が重度の乏精子症だと知られてしまえば、慧の親権を真夕が勝ち取ることは、絶対に不可能になってしまうからだ。

ましてや、慧の苗字を変えることなど認められるはずもない。

何しろ、京吾は植物状態で跡継ぎが望めない。つまり、慧は篠原家にとって、たった一人の跡継ぎなのだから……

一方その頃、真夕は慧を連れて車に乗り込もうとしていた。そこへ、栄一付きの使用人である山中武(やまなか たけし)が立ちはだかった。

「坊ちゃまは夜にも授業がございます。今からお連れになることはできません」

慧が尋ねる。「今日は休みにしてもらえないかな?明日、ちゃんと今日の分も勉強するから」

武は融通の利かない口調で答える。「明日には明日の授業がございます。今日できることは今日のうちに、でございますよ。お忘れですか?」

栄一は慧に対して非常に厳しい。

数多くの習い事を詰め込み、それぞれの分野の一流講師を招いて指導させている。

それだけでなく、教育の専門家まで雇い、慧のためだけに科学的な学習スケジュールを組ませている。

スケジュールは毎月更新され、季節や慧の学習状況に合わせて、その都度、内容が調整される。

何時に何をするかまで、細かく決められているのだ。

真夕はずっと、子どもでいられる時間は短いから、そこまで勉強漬けにする必要はないと思っていた。心も体も健やかに育つことが、何より大切だ。

だから、そのスケジュール表を見たとき、真夕は異議を唱えた。しかし、篠原家の人間からは「視野が狭い」「庶民の考えだ」と一蹴され、そのうえ、京介まで責められた。

真夕は、京介が板挟みになって苦しむのを見たくなかった。

それに、篠原家は代々子どもに恵まれにくいと知っていた。自分と京介の間に生まれる子どもは、慧一人になるかもしれない。

だから、篠原家が慧に厳しくするのも仕方がないと受け入れていたのだ。

でも、今はもう違う。真夕は京介と離婚する。

これから、慧の教育方針も当然、母親である真夕が決める。

真夕は慧にエリートになってほしいなどとは欠片も思っていない。ただ心も体も健康に育ち、正しく生きてくれれば、それで十分なのだ。

真夕はしゃがみ込み、慧と目を合わせる。「慧は、授業を受けたいの?」

慧は、さっき真夕が吐いていた姿を思い出す。和枝が真夕の悪口を言っていたこと、靖子が理不尽に罰を与えようとしたこと、そして京介が真夕を庇おうとしなかったことを思い出す。

今、目の前にいる真夕の目には、はっきりと疲労の色が浮かんでいる。目の下には黒クマができている。

慧は痛ましそうに首を横に振った。「ううん。今日は、ママと一緒にいたい」

「分かった」真夕は慧の手を引き、武に向き直る。「そういうことよ。おじい様に伝えておいてちょうだい」

武は眉をひそめる。真夕はどうも自分の立場が分かっていないらしい。武はそう思い、親切心から忠告する。

「せっかく結婚式が決まったばかりです。大旦那様を怒らせるようなことは、なさらないほうがいいと思います。それは真夕様のためでもあり、坊ちゃまのためでもあります」

武の忠告には、相手を見下すような、恩を着せるような響きがあった。

真夕は淡々と答える。「結構よ」

そのつれない態度に、武は真夕を救いようのない愚か者だと感じ、呆れたように鼻で笑った。

「真夕様、余計なお世話かもしれませんが……」

真夕は容赦なく武の言葉を遮る。「余計なことだと分かってるなら、黙りなさいよ」

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    それは、篠原グループの公式サイトで発表された、役員人事の変更に関するお知らせだ。京介は眉をひそめる。誰がこんな告知を出した。真夕の退職については、本人が人事部で退職手続きを済ませても、最終的には社長である京介の承認が必要だ。京介は本来、承認するつもりはなかった。「どうしたの?」茉優は京介の表情が曇ったのに気づき、そばに寄ってスマホの画面をのぞき込む。「京介、もし彼女に辞めてほしくないなら、公式サイトから告知を取り下げてもらえば?」京介は気にする様子もなくスマホの画面を消し、茉優の手を握った。「じいさんがこの知らせを見て、君に何か言ってくるんじゃないかと心配なだけだ。それに、君が出産してしばらくは、仕事と家庭を両立するのは難しいだろ。だから、あいつを辞めさせるつもりはなかった。もし辞めさせるにしても、君の産後の休養が終わって、職場復帰してからだ。そうすれば、君も何の心配もなく仕事に集中できるからな」一見、京介の決断はすべて、茉優のことを思ってのものに見える。茉優は嬉しそうに尋ねる。「じゃあ、どうするの?もう発表されちゃったけど」豪が気にも留めない様子で言う。「いいじゃねえか。やるなら最後まで徹底的にやったほうがいいだろ。真実味があればあるほど、あいつも焦る。失って初めて、ありがたみに気づくってやつだ。どうせ、そのうち戻ってくるさ」京介は何も言わないが、間違いなく豪と同じことを考えている。茉優の顔に、晴れやかな笑顔が広がった。一方、真夕はそんな胸くその悪い企みなど知る由もなかった。慧の退院手続きを済ませるため、病院へ向かっていた。その後、京介と暮らしていた高級住宅街の邸宅へ戻った。庭のチューリップは見事に咲き誇っている。風に揺れる花々から、ほのかな香りが漂っている。本来、チューリップは秋に咲く花ではない。だが、金に糸目をつけなければ話は別だ。京介は大金をつぎ込み、このチューリップを秋の盛りに咲かせ、一面の花畑を作り上げたのだ。真夕はその光景から淡々と目をそらし、後部座席にいる祥子に指示を出す。「業者を呼んで、このチューリップを全部抜いて。1本残らずよ」「えっ?」祥子は驚いて口をぽかんと開けている。「チューリップが一番お好きじゃなかったのですか?これは京介様が真夕様のために、わざわざ植えさせたものです

  • 身代わりの私こそが本命?今さら笑わせないで   第25話

    「言っておくがな、絶対に後悔するぞ。そのときになって泣いて謝っても、京介はお前を許さない。俺がお前の立場なら、今すぐ篠原家に戻って、ちゃんと反省して、自分のしたことを謝る。こんなところで騒いで、恥をさらすんじゃなくてな」真夕は薄く笑いながら言う。「私があんただったら、今すぐ帰って、優秀な弟に尻尾を振って取り入るわ。甲斐甲斐しく世話を焼いて、ご機嫌取りでもしてればいい。こんなところで負け犬みたいに吠えてないでね」豪は怒りで頭に血が上り、怒鳴りつける。「話が通じねえな!せっかく親切に忠告してやってんのに、鼻で笑いやがって。お前、自分が何様だと思ってるんだ?田舎育ちの貧乏人のくせに。京介にくっついてたから、話しかけてやったんだ。調子に乗るんじゃねぇ」真夕は露骨に嫌そうな顔をして1歩下がる。「だったら話しかけるのも、近づいてくるのもやめてくれる?馬鹿がうつるから」「俺は女には手を出さない主義なんだけどな。今日は特別だ!」豪は歯ぎしりするほど怒っている。この前、京介の社長室で会ったときも、真夕がわざと自分を馬鹿にしたのではないかと、豪は疑っていたが、やはりそうだ。真夕はもう本性を隠そうともしない。今度は堂々と自分を負け犬扱いし、馬鹿だと罵ったのだ。今日こそ、思い知らせてやる。豪が手を出すなら、真夕は手にしている荷物をそのまま叩きつけるつもりだった。しかし次の瞬間、秀明が豪の腕をつかんで止めた。「落ち着けって。そんなにカッとなるなよ。話せば分かる」「お前、どっちの味方なんだ!」豪が怒鳴る。秀明はなだめるように豪の肩を叩き、真夕に目を向ける。「俺から京介に話しましょうか?」「結構」真夕はきびすを返して歩き出した。会いたくないなら会わなくていい。誰があんな男に会いたいものか。慧の傷害診断書を手に入れて、京介の不倫の証拠を集めたら、さっさと離婚訴訟を起こす。もう、あの男と話すのも面倒だ。真夕が去ったあと、秀明と豪は京介の社長室へ入った。豪はソファにどっかりと座り込み、秀明に文句を言う。「さっき、なんで止めたんだよ?俺は京介と茉優ちゃんの代わりに、あいつにたっぷり思い知らせてやりたかったんだ。あいつ、調子に乗りすぎだ!痛い目見ないと分からねえんだよ!」秀明はソファに深くもたれ、足を組んだ。コーヒーカップを指先でゆっくりとな

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