身代わりの私こそが本命?今さら笑わせないで のすべてのチャプター: チャプター 1 - チャプター 10

30 チャプター

第1話

結婚して7年目、夏目真夕(なつめ まゆ)はようやく知った。自分は、夫・篠原京介(しのはら きょうすけ)の初恋の身代わりに過ぎなかったのだ。しかも、その初恋の相手は、京介の兄の女、里中茉優(さとなか まゆ)だ。おまけに、茉優は京介の子を身ごもっているという。けれど、京介は自分が二度と子どもを作れない体になっていることを、まだ知らない。裏切った男なんて、もういらない。真夕は迷うことなく、離婚を切り出した。しかし、京介は頑として首を縦に振らない。眉をひそめ、威圧感のある低い声で問い詰める。「確かに俺は茉優ちゃんを抱きしめたが、それくらいのことで、離婚だと騒ぐのか?お前、結婚を何だと思ってる?俺のことを何だと思ってるんだ。いいか。俺がお前を愛してるからって、図に乗って結婚を軽く考えるのはやめろ。離婚の話は二度とするな。絶対に認めない」真夕は鼻で笑った。愛している?男の言葉なんて、信じられない。数日前、京介の社長室の前を通りかかったとき、ドアが少しだけ開いていた。室内から聞こえてきた会話に、真夕は足を止めた。「京介、茉優ちゃんが帰ってくるんだろ?まだ夏目と離婚しないのか?まさか、本当にあの身代わりを好きになったんじゃないだろうな?」ドアノブにかけた手が、ぴたりと止まる。離婚?身代わり?考える間もなく、室内から京介のかすかな笑い声が聞こえた。「まさか。俺が最初から最後まで愛しているのは、里中茉優だけだ」「だよな」そう答えたのは、京介の親友・須藤豪(すどう ごう)だ。その声には、あからさまな軽蔑がにじんでいる。「あいつはただの身代わりにすぎないだろ」れっきとした妻である自分が、ただの身代わりだと?昨夜まであれほど自分を大切にして、何度も「まゆ」と呼び、耳元で愛を囁いていたあの男が、その言葉を否定するどころか、別の女を愛していると言っている。つまり、京介が愛しそうに呼んでいた「まゆ」も、熱っぽく口にしていた「まゆ」も、深く愛してきた「まゆ」も、すべて「里中茉優」だったのだ。自分はただ都合のいい身代わりにすぎないのだ。あまりの理不尽さに目まいがする。込み上げる怒りが胸の奥を締めつける。心を無数の針で刺されるような痛みに襲われ、顔から血の気が引いていく。「身代わり」という言葉を聞いた京介
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第2話

「今夜、いつものメンバーで飲むんだけどさ。京介の門限、あと2時間くらい延ばしてやってくれない?」「よくそんな気分になれるね。ずいぶん余裕じゃない」真夕はわざと驚いたふりをして、すぐに心配そうな顔を作った。「そういえば、須藤家のあの隠し子、また大きな契約を取ったんだって。今、あちこちであなたたちを比べてるみたい。しかも、かなりひどいことを言われてるよ。聞かせてあげようか?」真夕は豪に断る隙を与えず、軽く咳払いをした。そして表情を一変させ、冷たい目つきで、露骨な侮蔑を込めて言い放つ。「須藤豪って、遊んでばかりで何の取り柄もない能なしだって。それに比べて、あの隠し子は別格で、まるで月とすっぽんよ。どっちが嫡出なのか分からないってさ……あら、怒った?そんな怖い顔しないでよ」真夕はすぐに表情を変え、いかにも心配そうな眼差しを浮かべてみせる。「人から聞いた話をそのまま伝えただけ。ちゃんと自覚しておいたほうがいいと思って。豪のためを思って言ってるんだからね」豪が「隠し子」という言葉を嫌っていることは、誰もが知っている。それは彼にとって、触れてはいけない話だ。だからこそ、そこを突かれれば、たちまち頭に血が上る。豪の顔は、苦虫を噛み潰したように歪んだ。それでも相手が京介の妻である以上、無下にはできない。彼は引きつった笑顔で言う。「だから今日、仲間を集めて相談しようと思ってるんだよ」「みんなに相談したって、どうにもならないと思うよ。結局、自分で頑張らなきゃ」真夕は諭すように、もどかしそうな態度を見せる。「そうしないと、そのうちあの隠し子に好き放題された挙句に、財産まで奪われるわよ。家から追い出されて、最後は路上生活なんてことになりかねないわ」あまりにも言いたい放題だ。豪の顔がさらに引きつり、ギリギリと歯ぎしりする音が聞こえる。その目を見れば、今この瞬間、真夕を殺したいと思っているに違いない。真夕は心の中で冷笑する。自分はただ事実を言っているだけだ。暴れ出しそうな豪を見かねて、京介が低い声でたしなめる。「真夕」「はいはい、耳の痛い話だっていうのは分かってる。でも、心配してるからこそ言ってるんだよ。京介の一番の親友なんだからね」たちまち人懐っこい笑顔に変わる。まるで自分には何の悪意もないと言わんばかりだ。
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第3話

時哉からは、藪蛇になるから下手に動くなと言われていたが、妻として、夫が他の女を抱きしめているのを見て無関心でいられるほうがおかしい。真夕はスーツケースを引きながら、ヒールを鳴らして大股で近づいた。今日はロングコートを羽織り、黒髪はすっきりとしたポニーテールにまとめている。耳元には、シンプルながら品のある宝石のイヤリングをつけている。白いシャツに黒のパンツを合わせた姿は、見るからに凛としている。歩くたびにコートの裾が翻り、その下からすらりと伸びた脚がのぞく。全体的に隙がなく、威圧感さえ漂うその装いは、こういう修羅場にはうってつけだ。真夕がすぐそばまで来て、ようやく京介がその存在に気づいた。京介は一瞬、驚いたが、すぐに平静を取り戻し、何事もなかったように茉優から離れ、笑みを浮かべる。「真夕……」パァン!真夕はためらいなく手を振り上げ、京介の頬を思いきりひっぱたいた。渾身の力を込めて叩いたせいで、京介の頬にはあっという間に真っ赤な手形が浮かび上がる。「京介!」茉優が悲鳴を上げ、眉間にシワを寄せて真夕を睨みつける。いけしゃあしゃあと真夕を非難する。「何するの!」「何するのって?」真夕は冷ややかな笑みを浮かべて茉優をねめつける。「そこの愛人さん。あなたがぎゅっと抱きしめていた男は、私の夫なんだけど?それを見て私が何をするって?もちろん、不倫現場を押さえに来たに決まってるじゃない!」声はそれほど大きくなかったが、周囲を行き交う人々の耳に届くには十分だ。何人もの人がこちらを振り返り、茉優を見る目には、あからさまな冷たさが宿っている。愛しい人の名誉が傷つくのを黙って見ていられるはずもなく、京介は顔をしかめて真夕を叱るように言う。「馬鹿なことを言うな!こちらは里中茉優。俺の幼なじみだ。今日はお前を迎えに来たんだが、ちょうど彼女が帰国する日でな。何年も会ってなかったから、再会の挨拶でハグをしただけだ」茉優の立場を守るためか、声のトーンは普段より一段高くなっている。周囲の人間に聞かせるためだ。愛する女が愛人だと誤解されるわけにはいかない。真夕はスマホを掲げて見せる。「二人が抱き合ってるところ、動画に撮ってあるけど、これをネットに載せて、本当に『再会の挨拶』なのかどうか、見てもらおうか?」茉優は赤いワンピースに
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第4話

時哉の考えはこうだ。真夕が空港ですでにひと騒ぎ起こした以上、もうそのまま離婚を切り出してしまえばいい。不倫の証拠を集め、離婚を切り出す。そうすれば無駄な時間を費やさずに済む。京介が疑うことはないはずだ。彼は単に、真夕が嫉妬して拗ねているだけだと思うだろう。事実、京介はまさにそう思い込んでいた。真夕は時哉と別れると、そのまま車を走らせて篠原家の本邸へ向かう。その道中、京介の車を見かける。意外そうに、真夕は眉を上げた。京介は茉優に付き添っているはずで、まさか本邸に戻ってくるとは思っていなかった。もし空港での一件がなければ、京介もそのまま茉優と一緒に過ごすつもりだった。しかし、慧から電話があり、いつ帰るのかと聞かれたのだ。真夕がもう帰路についていると聞き、京介は急いで本邸へ向かうことにした。真夕が帰宅してから茉優の帰国を口にすれば、祖父の栄一に知られて騒ぎになるかもしれない。それが心配だった。3か月後の結婚式は、何としても予定通りに挙げなければならないのだ。京介も真夕の車に気づき、窓を下ろして声をかける。「真夕」だが、真夕は返事をしなかった。そのまま窓を閉め、冷たい表情でアクセルを踏み込む。車は一気に加速し、あっという間に遠ざかっていく。京介は眉を上げ、ためらうことなくその後を追う。篠原家の本邸は、南山の中腹にある。山道は幾重にもカーブを描いている。真夕は落ち着き払ってハンドルをさばく。彼女の手にかかれば、車体もまるで手足の延長のように自在に動く。カーブでは華麗に車体を滑らせ、それでも速度を落とさない。車体は疾風のように駆け抜け、無駄のない滑らかなラインを描いていく。思わず見とれるほどの見事な運転だ。男という生き物は、どうやらスピードとスリルに弱いらしい。京介もすっかりその気になり、真夕の車を追ってアクセルを踏み込む。二台は互いに譲らず、追いつ追われつの攻防を繰り広げる。京介は何度も追い抜こうとしたが、そのたびに真夕に阻まれる。結局、二人はほぼ同時に、本邸へたどり着いた。京介はすっかり満足した様子で、口元に笑みを浮かべている。車のドアに無造作に手を預けながら、深い眼差しで真夕を見つめる。そこには、驚きと愛おしさが入り混じっている。「真夕、こんな運転までできるのか?」正直、京介はまたしても真
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第5話

靖子は真相などどうでもよかった。仮に和枝が陰で真夕の悪口を言っていたとして、それがどうしたというのだ。靖子にとって、息子の嫁である真夕は、赤の他人よりもどうでもいい存在だ。「少し陰口をたたかれたくらいで、死ぬわけでもないわ」靖子は露骨に軽蔑の色を浮かべ、吐き捨てるように言った。「そんなに目くじらを立てて、家の中をめちゃくちゃにする必要はないわ。それに、和枝がもういくつだと思っているの。年寄りを相手にムキになるなんて、少しも寛容さがないのね」慧は信じられないものを見るような目で靖子を見た。「おばあちゃん!」「もういいわ」靖子は苛立たしげに慧の言葉を遮り、真夕を急かした。「先に食事の支度をしてきなさい。今何時だと思ってるの。いつまでそこに突っ立ってるつもり?」和枝は、自分がクビを免れたことを悟った。床にひざまずいたままではあるが、ちらちらと真夕を盗み見ている。その目には、陰湿な喜びと嘲りがはっきりと浮かんでいる。ほかの使用人たちも、真夕を見る目には多かれ少なかれ軽蔑がにじんでいる。真夕だって、そんな視線には慣れていた。この家に嫁いでからというもの、何度白い目で見られ、笑いものにされてきたことか。だが、もう気にするつもりはない。誰に何を言われようと、自分が傷つかなければ、それでいい。真夕はソファに腰を下ろしたまま、涼しい顔で尋ねた。「篠原家は破産でもして、使用人も雇えなくなったの?それとも、使用人がみんな死に絶えて、誰も夕食を作れないのかしら?」「今なんと?」靖子は自分の耳を疑った。これまで真夕が、こんな態度や口調で自分に言い返したことなど一度もなかったからだ。真夕は冷ややかな目を向ける。「耳まで遠くなったの?」靖子は怒鳴りつけた。「さっき和枝が、あなたは躾が悪いと言っていたけど、本当だったのね。年上を敬う気持ちがないの?いったい誰に向かってそんな口を利いているの!」「どうしてそんなに怒るの?」真夕は落ち着き払った様子でテーブルからみかんを一つ手に取り、靖子を横目で見た。「さっき自分で言ったじゃない。『少し陰口をたたかれたくらいで、死ぬわけでもない』って。それに、お義母さんもいい歳なんだから、私みたいな年下を相手にムキになるなんて、少しも寛容さがないのね。こんなところを人に見られた
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第6話

真夕は、そこまで言われてもまだ分かっていないらしい。武は顔をしかめ、冷たい口調で言い放つ。「真夕様がこんなにも目先のことにとらわれ、自分のことしか考えない方だとは思いませんでした。坊ちゃまの将来を少しでも考えているのなら、そんなことは言えないはずです。だからこそ、篠原家の皆様も、あなたをよく思っていらっしゃらないのでしょう。坊ちゃまが大旦那様から直接教育を受けられることも、この家で暮らせることも、どれだけ恵まれたことか分かっているんですか?将来、この篠原家はすべて坊ちゃまのものになるかもしれないのですよ」「黙りなさいって言ったはずよ」真夕は無表情で武を見つめる。「やっぱり、人の話も聞けないし、口を開けばろくなことも言えないのね」武は信じられないといった顔をした。「何ですって?」武は何十年も栄一に仕えてきた。普段、京介でさえ武にはそれなりの敬意を払っている。栄一からも、篠原家の一員だと言われているほどだ。それなのに、真夕は武の面目を潰すような言葉を平然と口にした。武は冷笑した。「分かりました。真夕様がそこまでおっしゃるなら、どうぞご勝手に。後になって大旦那様が坊ちゃまを見限られても、後悔なさらないことですな」篠原家が慧を見限ってくれるなら、親権を争う上でむしろ好都合だ。真夕はふっと笑った。「それなら山中さん、しっかり働きかけて、おじい様が早くうちに慧を見限ってくれるようにしてね。期待してるわ」武はただの皮肉だと思ったようだが、真夕は本気で言っているのだ。真夕は慧の手を引き、さっさと篠原家を後にした。車の中で、慧は不安そうに口を開く。「ひいおじいちゃんが怒ったら、ママも罰を受けるの?」慧は普段、宿題をきちんと終えられないと栄一から罰を受けている。栄一は竹刀を持っている。それで叩かれるとひどく痛い。慧は、栄一が真夕まで叩くのではないかと心配している。真夕は優しい声で慰める。「大丈夫よ。ママは罰を受けたりしないわ。あの家には住んでないしね。それに、もし追いかけてきても、ママは足が速いから逃げられるわ。ひいおじいちゃんはもう年だから、私には追いつけないもの」慧はこくんとうなずいた。けれど、すぐに首を傾げる。「じゃあ、ママは今まで罰を受けたとき、どうして逃げなかったの?」真夕は心の中で小さくため
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第7話

慧は「わああっ」と声を上げて泣き出し、真夕の首にぎゅっと抱きつく。「ひいおじいちゃんが……ママの血筋が悪いから、僕がこんなにバカなんだって。うぇぇん……ひいおじいちゃん、嘘つきだよ……ママは悪くない。僕が……僕が頭悪いから、何もできないんだ」しゃくり上げながら言葉を絞り出す慧を、真夕は強く抱きしめる。頬には涙が次々とこぼれ落ちた。慧は、あの家で一体どんな日々を送っていたの。こんなに小さな子供に、どうしてあんなことができるのだろう。あの家の人間は、血が通っていないのか。真夕は怒りと悲しみが入り混じり、たまらなく心が痛んだ。自分が命がけで産んだ子が、こんな扱いを受けるなんて想像もしていなかった。篠原家が言っていた「エリート教育」とは、こういうことだったのか。そばで見ていた祥子も涙を拭いながら、慧を慰める。「坊ちゃま、そんなことを気にしちゃ駄目ですよ。真夕様はあんなに賢いんだから、坊ちゃまも賢いに決まってますわ」「うわあああん……」慧は声を上げて泣き続ける。篠原家で抑え込んでいた感情が、病気をきっかけに堰を切ったようにあふれ出す。「ママ、ごめんなさい……僕、もっと頭がいいって証明したかったんだ。ママがあの人たちにいじめられたり、バカにされたりするのが嫌なんだ。頑張りたかったのに。おじさんみたいに上手くできなくて、ごめんなさい。僕がバカだから、勉強してもできないんだ。うわあああん……」胸を切り裂かれるような痛みが真夕を襲う。真夕は慧の背中を撫でながら、優しく言い聞かせる。「慧は何も悪くないのよ。ママも悪くない。悪いのはあの人たちなんだから」真夕が車を運転し、祥子は後部座席でぐったりしている慧の面倒を見る。三人はそのまま病院へ向かった。家を出たところで、真夕は京介に電話をかけた。電話はつながったものの、真夕が口を開くより先に、電話の向こうから明るい女の声が聞こえてきた。「もしもし?どちら様?」真夕は反射的にスマホの表示を確認する。そこには確かに、【夫】と登録されている。一瞬で、電話に出た相手が誰なのか分かった。「里中さん、京介に代わって」「京介は今、お風呂に入ってるの」真夕は無言で電話を切り、そして時哉へ電話をかける。時哉の声は少し掠れていたが、相変わらず穏やかだ。「真夕、どう
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第8話

さっきの警察官のことを思い出すだけで、京介は腹の虫が治まらない。自分だけが蚊帳の外に置かれている気分だ。「なぜ警察に通報した?」警察に通報したことは、もう隠しようがない。篠原家から京介に連絡が入り、栄一は、事情聴取のために警察署へ出向いているということだ。真夕は鼻で笑った。「慧が、あんたのおじいさんにあんな目に遭わされたから、通報したのよ」「じいさんだって悪気があったわけじゃない。ただ、慧の将来を思って厳しくしただけだ。それに、あの世代はみんなそういうものだろ。『若い時の苦労は買ってでもせよ』って考え方なんだ。だからって、いきなり警察を呼ぶなんて非常識だろう!どうして俺に相談しなかったんだ?」「どうして相談しなかったって?彼女に聞いてみたら?」真夕は意味ありげな笑みを浮かべ、茉優へ視線を向ける。茉優は悪びれる様子もなく口を開く。「あのとき、京介は服が汚れてお風呂に入ってたじゃない。夏目さんから電話がかかってきたから、私が代わりに出たの。でも、何も言わなかったから、てっきり大したことじゃないと思って……」真夕は冷たく笑った。「豪に飲みに誘われたんじゃなかったの?それで飲んでいるうちに、里中さんの家に行き着いたってわけ?夜中にほかの女の家でお風呂に入ってる夫に、私が何を言えばいいのよ。それに、里中さんは電話に出て、『どちら様?』って聞いたわ。まさか、私の番号、登録してなかったの?」京介は少しも動じず、すぐに言い訳する。「スマホの調子が悪くて、連絡先が全部消えちまったんだ」京介はそれだけ言うと、すぐに話をそらす。「それに、豪が誘ったのは俺だけじゃない。みんな一緒だったんだ。飲んでる途中で服を汚しただけだ。その場には豪もいた。信じられないなら、あいつに聞けばいい。それより、慧のことをどうして俺に言わずに、いきなり警察へ通報した?こんなことが世間に知れ渡ったら、どれだけの影響が出るか分かってんのか?」篠原家の名誉にも、会社のイメージにも、傷がついてしまう。当然、株価にも影響が出かねない。「家の意向ははっきりしている。お前が被害届を取り下げて、自らじいさんに頭を下げに行かないなら、俺たちの結婚式は延期するしかない」真夕は思わず吹き出した。京介は、まだ自分が結婚式にこだわっていると思っているらしい
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第9話

京介のためなら、真夕は何だってするし、どんな犠牲も厭わなかったはずだ。――それなのに、どうして自分にこんな態度を取る?なぜ被害届を取り下げようとしない?もしかして、女の勘というやつなのか。自分と茉優ちゃんのことを、真夕は何か感じ取っているのだろうか?いや、そんなはずはない。結婚して7年、茉優ちゃんはずっと海外にいた。あの空港の一件だって、確かに茉優ちゃんを抱きしめはしたが、空港には大勢の人がいたし、一線を越えるような真似はしていなかったはずだ。たったそれだけで、真夕は見抜いたというのか?京介には、どうにも信じられなかった。女の勘とは、そこまで鋭いものなのだろうか。茉優は京介をなだめると、真夕のところへ歩み寄り、その手をつかんだ。「あなたが京介に腹を立てているのも、私に嫉妬しているのも分かるわ。でも、私と京介は本当に何もないの。それだけは信じて」「手を離して」「もう意地を張るのはやめて。京介は本当にあなたを愛してるんだから。それに、京介が自分でデザインした指輪やウェディングドレスだって、私に見せてくれた。すごく素敵だったわ。夏目さんなら、きっと世界で一番幸せな花嫁になれるわ」「離してって言ったはずよ」真夕は嫌悪感をあらわにして、その手を振りほどいた。「きゃっ!」茉優が悲鳴を上げ、よろめきながら後ずさる。あわや階段から転げ落ちそうになった。「茉優ちゃん!」京介は冷や汗をかき、血の気が引いた。その瞬間、京介の目に映っていたのも、心の中にあったのも、茉優だけだった。真夕を乱暴に押しのけ、とっさに手を伸ばして茉優の体を抱き止める。一方、突然押された真夕はバランスを崩し、腰を階段の手すりの角に激しくぶつけた。鋭い痛みに目の前が真っ暗になり、冷や汗が止まらない。立っていることさえままならず、必死に手すりへしがみつく。なのに、口ではあれほど愛していると言っていた夫は、今は別の女を抱きしめている。真夕が傷ついていることには、まるで気づいていない。しかも、その傷を負わせたのはほかでもない、京介自身だ。京介は茉優を抱きしめ、無事を確認してからようやく真夕に目を向ける。開口一番、怒鳴りつけた。「何やってんだ!?茉優ちゃんが妊娠してるって知ってるだろ!それなのに、どうして押したんだ!?」真夕は痛みに息を詰まら
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第10話

京介は途端に血相を変え、周りのことなど一切目に入らなくなる。身をかがめて茉優を横抱きにすると、足早に病室へ向かう。真夕のそばを通り過ぎるとき、一度たりとも目を向けない。それどころか、ドアを開ける際、またしても真夕にぶつかった。もともと腰を痛めていた真夕は、その勢いで床に突き飛ばされてしまった。ただでさえ痛むところに、さらに強い衝撃が加わった。あまりの痛みに、息が止まる。最低!真夕は痛みに耐えながら両手で床を叩き、心の中で京介を激しく罵った。非常階段の扉が開き、そして閉まる。茉優を抱きかかえて歩き出そうとした京介は、ふと足を止める。思いがけず、慧と目が合う。慧はどうしても真夕のところへ行くと言った。病室にいても、真夕と京介が言い争う声が聞こえてきて、真夕のことが心配でたまらなかった。莉桜も慧の願いを無下にはできなかった。それに、慧に京介の本当の姿を自分の目で見せるのも悪くないと思い、車椅子を用意して、点滴をつけたまま連れてきた。そこで慧の目に入ったのは、ほかの女を抱きかかえ、焦った様子を見せる京介だ。真夕の姿はない。慧は小さな顔を強張らせ、全身から冷たい空気を漂わせながら、低い声で尋ねる。「パパ、ママは?さっき、ママの痛そうな声が聞こえたよ」その冷たい眼差しが刃物のように京介の胸へ突き刺さる。京介の心臓がドクンと跳ねた。そのときになって初めて、真夕のくぐもった悲鳴が耳によみがえる。そういえばさっき、また真夕にぶつかってしまったような……京介は振り返り、真夕の様子を確かめようとした。「京介……」その意図を察した茉優が、弱々しい声で呼びかけた。その顔色はさらに青ざめ、目にはいっぱいの涙をためている。白く細い指で腹部の服をつかみ、必死に痛みに耐えているかのようだ。京介は途端に慌てふためき、真夕のことも、目の前にいる慧のことも、もう頭に入らなくなる。茉優を抱いたまま、大股でその場を離れていく。「慧、茉優ちゃん、具合が悪いみたいなんだ。パパは先にこの人を先生に診せてくる」どいつもこいつも最低ね!今度は莉桜が心の中で毒づいた。莉桜は慧の車椅子を押しながら、階段の踊り場へ向かう。そこには真夕が座り込んでいる。顔色は死人のように青白く、額には細かな冷や汗がびっしりと浮かんでいる。「ママ!」慧は泣き
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