เข้าสู่ระบบ貴臣は心愛が折れたのを見ると、すぐに隆に指示を出し、必要なものを持って来させた。それは、心愛が文子の病室に戻って間もなくのことだった。隆はプリントアウトされた「謝罪文」を手に、足早に現れた。「心愛さん、始めましょう。これが原稿です。社長は、これに沿って読んでいただければいいとおっしゃっていました」心愛は目を伏せ、原稿用紙に並ぶ、真実を歪めた言葉の列を見つめた。それはまるで、俊輔が犯人であることを既成事実のように定め、葵が騙されて弁護を引き受けたのだと語っているかのようだった。「私……」口を開いたものの、内心の葛藤はそのまま表情に滲み出ていた。心愛は唇を固く結ぶ。今は祖母の安否の方が何よりも重要だと分かっていた。祖母が戻ってきたら、必ず証拠を見つけ、俊輔の無実を証明する――そう、胸の奥で誓った。「心愛さん、お祖母様の病室はすでに手配済みです。名雲市でも最高水準の医療チームが待機しています」隆は金縁眼鏡を押し上げ、感情のこもらない声で告げた。これは、祖母の命を賭けた取引なのだ。心愛の瞳の奥が、少しずつ冷えていくのを自覚した。今や貴臣は取り繕うことすらしない。葵が彼にとってそれほど重要な存在なら、なぜ最初から自分と結婚したのか――そんな疑問が、遅れて胸に沈んだ。心愛はスマートフォンを取り出し、紙の上の文字をなぞるように見つめながら、読み上げ始めた。「私の弟、深水俊輔の事件に関しましては、多くの誤解がございました。明石弁護士は法廷で職務を全うされましたが、私個人が実情を正しく把握しておらず、弟のことを十分に理解していなかったため、皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます……」録音を終えると、隆が一度内容を確認し、静かに頷いた。「社長が確認します。お祖母様は、すぐこちらに戻されます」そう言い残すと、心愛に目も向けず背を向け、部屋を後にした。隆が去ると、病室は不気味なほど静まり返った。心愛は突然、底冷えのような寒気に襲われ、俊輔への罪悪感が激しく込み上げてきた。スマートフォンが一度、短く震えた。銀行からのショートメッセージだった。名雲病院で十年は賄えるほどの巨額が、彼女の口座に振り込まれていた。これが、貴臣のやり方。金で、人の口を封じる。心愛は、貴臣が自分を口説いていたあの頃
心愛は古い町並みに戻り、通りを何度も行き来しながら文子の姿を探し続けた。どれほど時間が経っただろうか。社長補佐の隆から電話が入った。「街の監視カメラはすべて故障しており、文子様の行方は確認できません」その冷ややかな口調は、貴臣と驚くほどよく似ていた。夜中まで人探しに駆り出されていることへの不満が滲んでいるのだろう。心愛は再び文子のスマートフォンに電話をかけた。呼び出し音が虚しく鳴り続けるだけで、誰も出ない。その単調なコール音が、不安をいっそう掻き立てた。やがて空が白みはじめ、あたりがぼんやりと明るくなってきた。心愛は警察に通報する決意を固め、タクシーを拾って警察署へ向かった。文子の特徴を説明すると、警察官は「ついさっき、裁判所の前で高齢の女性が倒れたという通報がありました。あなたのお祖母さまかもしれません」と告げた。心愛の胸がひやりと冷えた。文子が俊輔のことを知って家を飛び出したことが脳裏によみがえる。俊輔に判決が下されたのは昨日。倒れた老人が文子である可能性は、あまりにも高かった。パトカーがサイレンを鳴らしながら裁判所の前に滑り込むと、心愛はすぐにそれを目にした。文子が、そこにうずくまっていた。白髪交じりの頭部には痛々しい裂傷があり、周囲に広がった血だまりはすでに暗赤色に凝固している。心愛はよろめきながら駆け寄り、勢い余って膝を地面に強く打ちつけた。血と埃に汚れた文子の顔を見た瞬間、指先が小刻みに震えだす。「救急車……早く、救急車を呼んで!」心愛は振り返り、震える手でバッグからスマートフォンを探し出し、119番にかけようとした。その様子を見た警察官が、二人を病院まで送ると申し出てくれた。心愛は文子の手を強く握りしめながら、何度も頭を下げた。……市立中央病院。救急処置室の赤いランプが灯っている。心愛は文子の血が服に付着したままだったが、休む間もなく会計窓口へ向かわなければならなかった。廊下の向こうにある高級病室では、葵が鏡に向かい、不満げに唇を尖らせていた。「先生、まだ頭がふらふらするし、胸も苦しいんです」回診に来た医師に、甘えるような声で訴える。「もう少し入院して様子を見させてください。貴臣も、後遺症が残らないか心配してくれてるんです」医師はやれやれという様子で頷き、病室を後にした。葵
ポケットの中でスマホが一度、微かに震えた。取り出すと、画面がぱっと明るくなり、貴臣からのメッセージが表示された。【葵が帰国して最初に手掛けた案件を、お前たち姉弟が台無しにしたんだ。世間は今、彼女の実力を疑っている。速やかに謝罪と説明動画を公開しろ。そうすれば物議も鎮まる】画面越しであっても、貴臣の冷え切った眼差しがありありと浮かぶ。心愛はその一文を、じっと見つめ続けた。指先がかすかに冷たくなる。台無しにした?たった一人の弟が濡れ衣を着せられ、投獄されたというのに、貴臣の目には、それは葵のキャリアについた汚点としか映っていないのだ。その上、自分に謝罪しろと言う。胸の奥に何かが詰まったようで、返信を一文字打つ気力すら湧かなかった。彼女は躊躇なく、削除ボタンをタップした。ふと、祖母・深水文子(しみず ふみこ)の顔が脳裏をよぎる。俊輔の事件が起きて以来、心愛は文子にだけは事実を伏せ続けてきた。俊輔は遠方で缶詰の研修に行っていて、数か月は帰らない――そう説明してある。文子は高齢で、心臓も弱い。強い刺激に耐えられない。これ以上、何かあってはならない。そう思った瞬間、心愛はタクシーを拾っていた。「運転手さん、清水町まで」清水町は旧市街にあり、街灯さえどこか薄暗い。車を降りると、心愛は古びた集合住宅の中へ急いだ。三階まで一気に駆け上がり、玄関の前に立って鍵を取り出す。だが、差し込んでも回らない。中から鍵がかかっている。胸を撫で下ろす。おばあちゃんは家にいる。鍵をしまい、ドアを叩いた。「おばあちゃん、帰ったよ」返事はない。もう一度叩き、少し声を張り上げる。「おばあちゃん?私だよ、心愛だよ」嫌な予感が胸の奥を這い上がる。祖母は少し耳が遠いが、この音に気づかないはずがない。心愛はスマホを取り出し、文子の番号を押した。「おかけになった電話は、現在応答がありません……」諦めきれず何度もかけ直すが、返ってくるのは同じアナウンスばかり。不安が雪だるまのように膨らんでいく。「おばあちゃん!中にいるの?開けて!おばあちゃん!」その時、隣のドアが「ギィ」と音を立てて開き、隣人の主婦・田中優子(たなか ゆうこ)が顔を覗かせた。眠たげな目で心愛を見る。「心愛ちゃん、そんなに叩かなくて
「……被告人を、無期懲役に処する」裁判官の宣告が、鼓膜を震わせた。ブーン、と耳鳴りがする。深水心愛(しみず ここあ)の体がぐらりと揺らぎ、危うくその場に崩れ落ちそうになった。無期懲役……そんな……深水俊輔(しみず しゅんすけ)は、自分がずっと見守り、手ずから育ててきた弟なのだ。あの子が人を殺めるなど、あり得るはずがない!開廷前、桐生貴臣(きりゅう たかおみ)は何と言ったっけ?「わがままはよせ、心愛」眉をひそめ、苛立ちを隠そうともせず、彼はそう言った。「葵は海外から戻ったばかりで、専攻は法学だ。これは、彼女が帰国後に名を上げるための初陣だ。勝てば今後のキャリアにも箔がつく。お前の弟の弁護は、葵に任せておけば間違いない」弟の命運を、明石葵(あかし あおい)などに託してたまるものか。心愛は、即座に反論した。「貴臣、これは弟の命がかかっているのよ!葵が経歴に箔をつけるための踏み台じゃないわ」しかし、彼は聞く耳を持たなかった。その眼差しは次第に冷え、脅しにも似た色が浮かんだ。「だからこそ、葵に任せるんだ。お前はただ、俺を信じていればいい」――俺を信じろ、と。心愛は、そんな彼の言葉を受け入れてしまった。だが、その結果がこれだ。法廷での葵は、冒頭陳述を読み上げたきり、その後は俊輔のために弁護らしい弁護をほとんどしなかった。宇佐美紘(うさみ ひろし)側の弁護士が提示した証拠に対し、葵は反論するどころか、あろうことか相手の主張を認めるかのような素振りさえ見せたのだ。紘のたった数言の告発に対しても、葵は異議さえ申し立てなかった。そして、俊輔が無期懲役を宣告されるのを、ただ黙って見ているだけだった。それも当然だ。俊輔は葵の弟ではない。自分の弟なのだから、彼女が同じ痛みを感じるはずもない。心愛は、よろめきながら法廷を出た。廊下の冷気が肺を刺し、激しい咳が込み上げる。前方に、二つの人影が見えた。葵が貴臣に寄り添い、肩を細かく震わせ、涙をぼろぼろと零して泣き崩れている。「貴臣、ごめんなさい……私、本当に精一杯やったの。でも相手側の証拠の連なりが……あまりにも完璧で、どこにもつけ入る隙がなかった。もしかしたら……俊輔くんは、本当に有罪なんじゃないかって……」「もういい。お前のせいじゃない」







