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第7話

Author: ジョジョ
湊はそのまま入院することになった。

だが、小夜子が彼を見舞うことはなかった。

彼女は自宅で独り、淡々と自分の時間を過ごしていた。読書をし、映画を観て、着々と荷物を整理していく。

そんなある日の夜、執事から突然の電話が入った。

「小夜子様、どうか一度病院へ来ていただけませんか?湊様の持病の胃痛が再発してしまい、かなり苦しんでおられるのです。お医者様の薬もあまり効かないようで……冷や汗を流しながら、看護師さんを寄せ付けようともなさいません。

以前は、小夜子様がマッサージをしてくだされば和らぐとおっしゃっていましたが……私共ではもう、どうにもできなくて」

小夜子は窓辺へと歩み寄り、雨の幕に覆い尽くされた街を見下ろした。ガラスを激しく叩く雨音は、まるで世界すべてを呑み込もうとしているかのようだ。

執事の必死な訴えを最後まで聞き終えてから、彼女は静かに口を開いた。

「雨がひどいから、行かないわ」

電話の向こうで、執事が絶句したのが分かった。数秒の間、沈黙が流れる。あまりの返答に、自分の耳を疑っているようだった。

「さ、小夜子様……今、なんとおっしゃいましたか?」

執事がしどろもどろに問い返す。

「だから、外は雨がひどいから出かけたくないの。今夜は行かないわ」

「ですが、湊様が……っ」

「もう寝るわ」

小夜子は彼の言葉を遮った。

「おやすみなさい」

そのまま通話を切り、スマートフォンの電源を落とす。彼女はベッドに潜り込むと、外界の喧騒を一切断ち切って目を閉じた。

翌日、湊は予定を切り上げて退院し、屋敷へと戻ってきた。

その顔はまだ蒼白で、どこか痛みに耐えているような陰がある。リビングのソファで本を読んでいる小夜子の姿を認めると、彼はわずかに足を止め、やがて彼女の正面に立ちはだかった。

「昨夜……」

湊が口を開く。低く沈んだ声で、射抜くような視線を彼女に注いだ。

「執事から電話があっただろう」

「ええ」

小夜子は視線を本に落としたまま、静かにページを捲った。

「どうして来なかった」

湊の問いには、抑えきれない感情が滲んでいた。

「以前の君なら……どんなに雨や風が強くても、俺が少し体調を崩したと口にしただけで、すぐに駆けつけてくれたはずだ」

小夜子の指が止まった。

彼女はようやく顔を上げ、湊を見つめた。その瞳は凪いだ湖のように、一筋の波紋すら立っていない。

「あなたも言った通り、それは『以前』の話よ」

見つめ返す彼女の声はひどく穏やかだった。だが、その一言は鋭い刃のように、湊の心臓を静かに、深くえぐった。

「湊。人間、変わらないものなんてないわ」

湊は口を開きかけたが、言葉が見つからなかった。

確かに、人は変わる。

小夜子も変わった。

だが、今の彼女の変化は、湊の理解を遥かに超えていた。いつから、なぜ、彼女はこうなってしまったのか。その理由がまったく掴めないという事実に、湊はかつてない不安を覚えた。心臓が早鐘を打ち、足元が崩れるような感覚に襲われる。

彼は、小夜子が怒っているのだと思い込もうとした。理央を庇って自分が怪我をしたことへの当てつけで、冷戦状態にあるだけなのだと。

「数日後だが」

湊は重苦しい空気を払拭するように、あるいは自分自身に言い聞かせるように提案した。

「結婚記念日だろう。以前、君はずっと言っていたじゃないか。一度くらいは盛大に祝いたいと。今年はパーティーを開こう。知人を招いて、賑やかに祝うのはどうだ?」

言いながら、彼は小夜子の顔色を窺った。

小夜子は静かな瞳で彼を見返し、短く答えた。

「お好きなように」

また、その言葉だ。

湊の胸に再び苛立ちが込み上げる。

それでも、彼はパーティーの準備を進めた。彼女の機嫌を直すには、これしかないと思ったのだ。

最高級ホテルのバンケットルームを押さえ、一流のプランナーを雇い入れた。小夜子のためにオートクチュールのドレスを仕立て、さらに目玉として、とびきり高価なジュエリーを用意した。

当日、小夜子は湊が選んだドレスを身に纏い、その首元には都心の高級マンションが優に一軒買えるほどのダイヤモンドを輝かせていた。二人が腕を組んで会場に姿を現すと、ゲストたちの視線が一斉に注がれた。

「小夜子さんはお幸せですね」

「湊さんは本当に愛妻家だ」

「聞いたか?あのネックレス、先日のオークションで数億円の値がついた品らしいぞ」

周囲から漏れ聞こえる羨望の声。小夜子はその一つひとつに完璧な微笑みで応じていたが、その心は深海のように冷たく、何の感慨も抱いていなかった。

宴もたけなわという頃、小夜子は人いきれを避けてバルコニーへ出た。

夜風に吹かれて一息ついたところへ、背後からヒールの音が近づいてくる。

理央だった。

「どうしてここに?」

小夜子が振り返る。

「湊さんに招待されたのよ」

理央は小夜子の隣に並び、手すりに身体を預けた。

「今日は二人の大切な結婚記念日だから、その幸せを私にも見届けてほしいんですって」

そう言って、理央は口元を歪めて笑った。

「ねえ小夜子さん、あなた今、幸せ?」

小夜子は答えない。

理央がその顔に唇を寄せた。

「知ってるのよ、あなたが少しも幸せじゃないことくらい。湊さんの心の中にいるのは私だけ。あなたは可哀想で滑稽な、ただの身代わりなのよ! 昨夜だって、彼は私のために……」

「理央さん」

小夜子は静かに言葉を遮った。その声は、背筋が凍るほど凪いでいた。

「あなたって、本当に騒がしくて惨めな人。まるでお菓子がもらえなくて駄々をこねる子供ね。私と湊のことがどうなろうと、それは私たちの問題。そして、あなた――」

小夜子は一歩踏み出し、冷徹な視線を突き刺す。

「いつまでも過去に縋りついて、他人に嫌がらせをすることでしか自分の価値を証明できない敗北者に、私の感情を割いてあげる余裕なんてないの」

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