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第3話

Author: ジョジョ
小夜子は、一人で家に戻った。

広すぎる邸宅は冷え冷えとしていて、空虚な静寂に包まれている。彼女は靴を脱いで二階へ上がると、淡々と荷造りを始めた。

この日のために、少しずつ整理は進めていた。あとは最後の仕上げをするだけだ。

彼女はクローゼットから、かつての理央を彷彿とさせる服を一枚ずつ取り出し、丁寧に畳んで箱に詰めていく。

こんな服、もう二度と着ることはない。

階下でドアが開く音がした。

湊が帰宅したのだ。だが、足音は一つではない。

「久しぶりね、小夜子さん」

階段の吹き抜けに、理央の甘ったるい声が響いた。彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべてそこに立っていた。

小夜子は、何も答えなかった。

「理央がハクに会いたいと言い出してな」

湊が口を開いたが、その声にはどこか落ち着かない響きがあった。「久しぶりだから、どうしても見たいと」

ハクは、湊と理央が付き合っていた頃に飼い始めたサモエドだった。理央が海外へ逃げた後、犬は湊の元に残され、結婚してからはずっと小夜子が世話をしてきたのだ。

「好きにすれば」

小夜子は背を向け、自室に戻ろうとした。

「ハク!ハク、おいで!」

理央はすでに床に膝をつき、手を叩いて犬を呼んでいる。

部屋の隅から一匹の白いサモエドが駆け寄り、理央を見つけると、ちぎれんばかりに尻尾を振って飛びついた。

「まあ、ハクったらちゃんと覚えててくれたのね!」

理央は目を細めて犬を抱きしめた。

「よその女の人に何年も世話になってたみたいだけど、誰が本当のママか、ちゃんと分かってるじゃない。賢い子!」

その言葉には、隠しきれない挑発の色が混じっていた。

小夜子の足が止まった。

湊が眉をひそめる。

「理央、勝手に国を出てハクを捨てたのはお前だ。今さら親気取りで可愛がる資格なんてない。もう顔は見ただろう。そろそろ帰れ」

理央は不満げに唇を尖らせた。

「外はこんなに暗いし、雨まで降ってきたわ。一人で帰るなんて危ないもの。……ねえ、今夜だけここに泊めてくれない?」

湊は断ろうとした。

だが、窓の外では確かに激しい雨が降り始め、遠くで雷鳴が轟いている。

彼は無意識に小夜子の方を見た。彼女を説得し、同意を得ようとしたのだ。以前なら、理央が来るたびに小夜子は激しく詰め寄り、そのたびになだめるのが常だった。

しかし今回、彼が言葉を発するより先に、小夜子が口を開いた。

「ゲストルームなら一階の突き当たりにあるわ。シーツも枕カバーも清潔なものに替えてあるから」

彼女のトーンは、驚くほど平坦だった。

「泊まりたければ、好きにすればいいじゃない」

それだけを言い残すと、彼女は一度も振り返ることなく、自分の部屋へと消えていった。

湊は呆然と立ち尽くした。

理央も一瞬虚を突かれたようだったが、すぐに表情を崩して湊の腕にすがりついた。

「湊さん、聞いた?小夜子さんもいいって言ってるわよ」

湊は、すでに閉じられた小夜子の部屋のドアを凝視していた。胸の奥に澱のように溜まった違和感が、再びじわりと浮き上がってくる。

彼は、まとわりつく理央の手を振り払った。

「……大人しくしてろ」

折しもスマートフォンが鳴り、仕事の電話を告げた。

理央に鋭い視線を向ける。「勝手な真似はするな。いいな」

そう釘を刺すと、彼は足早に書斎へと向かった。

リビングには、理央が一人残された。

その顔から笑みが瞬時に消え失せる。彼女は小夜子の部屋の前まで歩み寄ると、乱暴にドアをノックした。

小夜子がドアを開ける。

理央はドア枠に寄りかかり、目の前の女を冷ややかに見極めるように眺めた。

「物分かりのいいふりをして、何様のつもり?そんなふうに従順にしていれば、湊さんが見直してくれるとでも思ってるの?無駄よ、小夜子さん。今から、あなたがどれだけ惨めな存在か教えてあげるわ。この数年間、あなたは彼の心を繋ぎ止めるどころか、一匹の犬の心さえ掴めていなかったんだってことをね」

理央が鋭く口笛を吹くと、ハクが弾かれたように駆け寄ってきた。

「ハク」理央は小夜子を指差した。「ほら、噛みなさい!」

ハクは一瞬戸惑う素振りを見せたが、自分を支配する旧主である理央の執拗な催促に抗えず、小夜子のふくらはぎに牙を剥いて飛びついた。

「っ……!」

不意を突かれた小夜子は、激痛に声を上げ、その場に崩れ落ちた。顔色は一気に血の気が引き、紙のように白んでいく。

理央は、その光景を恍惚とした表情で見つめていた。

「見たかしら?たかが犬一匹さえ手懐けられないあなたが、私から湊さんを奪おうなんて、百年早いのよ。……いい加減、身の程を知って消えたらどう?」

痛みと屈辱で全身が冷え切っていくのを感じながら、小夜子は唇を強く噛み締め、それ以上の悲鳴を喉の奥へ押し込んだ。

彼女は顔を上げ、氷のように冷たい眼差しで理央を見据えた。

「言い忘れていたけれど、理央さん。この家の廊下や階段といった共有スペースには、二十四時間作動の監視カメラがあるの。もちろん、音声も鮮明に録画されているわ。

もし、これからもこの家に留まって湊さんとよりを戻したいなら、私に構わないことね。さもないと、たった今の映像を彼に見せることになる。……そうなった時、彼はあなたをこの家に置いておくかしら?」

理央の顔色がさっと変わった。

小夜子はそれ以上彼女を見ることもなく、踵を返して自室に入り、鍵をかけた。

ベッドの脇へ歩み寄り、引き出しから救急箱を取り出す。傷口に塗った消毒液が焼けるように沁みたが、彼女の表情は能面のように動かない。

手当てを終えると、彼女はそのままベッドに潜り込み、目を閉じた。

いつものようにホットミルクを用意して彼の仕事が終わるのを待つことも、「おやすみ」を告げに行くこともない。

彼女は、泥のように眠りに落ちた。

深夜、小夜子は喉を焼くような煙の臭いで目を覚ました。

激しく咳き込みながら目を開けると、部屋中が白煙で充満している。

慌ててベッドから飛び起き、ドアを開けた瞬間、熱波が顔を打った。廊下はすでに紅蓮の炎に包まれていた。

火事だ!

壁を支えに、一歩、また一歩と出口へ向かおうとする。だが、数歩も行かないうちに、濃煙を吸いすぎた足から力が抜け、その場に崩れ落ちた。

床は高熱を帯びている。這い上がろうと必死にもがいたが、体は鉛のように重く、指一本動かせない。

もう駄目だ、ここで死ぬんだ――そう覚悟した瞬間、火の海を割って一つの人影が飛び込んできた。

湊だ!

煤だらけのパジャマ姿で、彼は血相を変えて何かを探している。

小夜子は彼を呼ぼうとしたが、焼けた喉からは空気が漏れる音しか出ない。

必死に手を伸ばした。ここにいる、と彼に知らせようとした。

けれど、湊は彼女に目もくれなかった。

彼は部屋の隅へと一直線に駆け寄ったのだ――そこには、ハクが小さく丸まり、恐怖に震えていた。

彼は迷わず犬を抱き上げると、躊躇なくきびすを返した。

一度として、妻である彼女を振り返ることもなく。

炎の向こうへ消えていく彼の背中を見つめながら、小夜子の口元からふいに笑みが漏れた。

乾いた笑いは、やがて涙へと変わる。

彼は、ただハクを助けに来ただけだったのだ。

湊の心の中で、私は飼い犬一匹にも劣る存在なのだと、残酷な炎が教えていた。

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