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第8話  

Author: むぎゅ
澄音はどう答えればいいのか分からなかった。うつむいたまま、長いあいだ黙り込んだ。

隣の病室から突然、ガシャン、ガシャーンと何かが砕ける大きな音が響いた。看護師が入り口から、早く来るようにと澄音を呼んだ。

澄音は慌てて靴を履いた。悠臣は彼女を支え、そのまま一緒に隣の病室へ向かった。

父が目を覚まし、怒りに任せて暴れていた。テーブルのそばにあった果物の籠や食器は、すべて床に払い落とされていた。看護師は父の興奮を抑えるため、すでに鎮静剤を打つ準備に追われていた。

父はいつも穏やかで、優しい人だった。

――どうして突然、ここまで激高したのか。

澄音はふいに、何かを察した。体をこわばらせたまま病室の外に立ち、中が再び静かになるのをじっと見つめることしかできなかった。

叔母の琴川佳代(ことかわ かよ)が涙を拭いながら歩み寄り、澄音の手を取って何かを言おうとした。悠臣はそれを見て、気を利かせてすぐに看護師を連れてその場を離れた。

「澄音、ここまで来たら、もう隠しても仕方ないね。お父さんが今回倒れたのは、大量の写真が届いたからなの。

澄音がきれいで、学歴もあることは、みんな分かってる。でも写真に写っていた男の人は、ひと目でうちなんかが関わっちゃいけない相手だって分かる人だったのよ。

乗っていた車も、従弟に調べてもらったら、最高級のセダンで数億円はするらしいじゃない。うちとは住む世界が違うの。まして、ああいう男の人たちは結局ただの遊びで、本気になんてしてくれないのよ。

今、地元では澄音が愛人として囲われているって噂になってる。聞いていられないような話ばかりなの。

澄音、おばさんの言うことを聞いて。お願いだから。お父さんの体のことも考えて、もうああいう人たちとは関わらないで。うちみたいな普通の家が、あんな相手に近づいちゃいけないの。

お父さんの言う通り、早く誰かを見つけて結婚して。これ以上、地元の人たちに好き勝手言わせないで」

澄音はその場に立ち尽くした。全身の血が凍りついたようだった。しばらくして、ぎこちなくうなずくことしかできなかった。

この騒ぎのあと、父の容体は悪化した。医師は、引き続き入院して治療を続ける必要があると告げた。

悠臣は時間が空くたびに病院へ駆けつけ、澄音を見舞った。さらに父を特別個室へ移す手続きに奔走し、名のある専門医にもつないでくれた。

澄音と悠臣は、それほど親しい間柄ではなかった。仕事関係の宴席で、何度か顔を合わせた程度だった。それなのに悠臣はここまで尽くしてくれた。自分には、この恩をどう返せばいいのか分からなかった。

けれど悠臣はいつも笑って、気にしなくていいと言った。今は安心して体を休めればいいと、そう言ってくれた。

半月後、医師は澄音に、もう体調は回復したと告げた。

退院後、澄音は結婚相談所に連絡した。ほとんど毎日、3人から4人の男性と会うようになった。

退院したばかりの体であちこちを回った。けれど、自分と一緒になってもいいと言う人は、1人もいなかった。

澄音は焦っていた。だが自分でも分かっていた。

――別の男の子を身ごもった女性を、妻として迎えたいと思う人間など、そう簡単にいるはずがないのだ。

40人目の男性に断られたあと、澄音は疲れきってホテルのティーラウンジを出た。

タクシーを止めようとしたとき、黒い車がふいに目の前で停まった。

窓が下がり、顔を出したのは悠臣だった。

澄音はあまりにも疲れていて、もう遠慮する余力もなかった。促されるまま助手席に乗り込んだ。

悠臣は澄音の疲れきった顔を見て、かすかに痛ましそうな表情を浮かべた。

前方の信号が点滅を繰り返していた。悠臣はようやく口を開いた。

「澄音、そんなに急いで結婚したいなら、どうして俺を見ようとしない?」

悠臣が急にそんなことを言うとは予想もしておらず、澄音は思わず固まった。

「桐生社長、今は本当に疲れています。冗談に付き合う余裕はありません」

だが悠臣は澄音を見つめた。その目は、少しも揺らいでいなかった。

「冗談じゃない。澄音、俺は本気で君と結婚したい。君が妊娠していることも気にしない。

君がその子を産みたいなら、俺はわが子同然に大切にする。産みたくないなら、手術にも付き添う。そのせいでこの先子どもを持てなくなったとしても、俺には何の問題もない。

俺の家族のことも心配しなくていい。君にこの話をする前に、もう家族には伝えてある。家族は俺の選択を尊重すると言ってくれた。俺が尊重するのは、君の選択だけだ」

澄音は信じられない思いで悠臣を見つめた。

悠臣の目に宿る誠実さと揺るぎなさに、澄音の胸は小さく震えた。清陽に「ただの遊び相手だ」と切り捨てられたあとだからこそ、誰よりも分かっていた。真心は、何よりも得がたいものなのだと。

「どうして、私にここまでしてくれるんですか」

悠臣は口元をわずかに上げた。

「何度も言ったはずだ。でも、君が信じてくれなかった。

初めて君を見たときから、俺は君が好きだった。けれど君の目には清陽しか映っていなかったから、黙っているしかなかった。

君が清陽を諦めると決めたなら、俺に一度だけ機会をくれないか?」

そう言うと、悠臣はポケットから小さな箱を取り出し、ふたを開けた。

澄音は箱の中を見て、息をのんだ。

そこには、まばゆく光を弾くダイヤの指輪が収まっていた。

――4年間、苦しいほど待ち望んできたものを、清陽は決してくれなかった。

――それを悠臣は、ためらいもなく自分の前に差し出している。

心を揺さぶられないはずがなかった。

長い沈黙のあと、澄音は答えた。

「悠臣さん、少し考えさせてもらってもいいですか?」

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