LOGIN「皇族に嫁いだからといって、私の家が無闇に力を増せば、やがて帝国政治に歪みが生じましょう。皇室への不信も招きます。ゆえに私の家は皇都から距離を置くべきなのです」
レイラの言葉に一気に貴族たちは驚きの声をあげた。「な、何と!?」
「それでは、ご実家の影響力は⋯⋯」 「皇后陛下自らが、権力の縮小を?」動揺の波が、ざわざわと貴族席を奔る。
レイラの論は、清冽だった。
まるで氷で磨かれた鏡のように、歪みなく真っ直ぐ。息を呑む音が四方から響いた。
未だ一人納得のいっていないネオラン侯爵を見て、レイラは彼を絶対に口説き落とそうと決めた。「ヴェライユ帝国がアルトメ王家を制圧してから、領地は領主を迎える事もなく放置されています。アルトメの民は信心深く真面目です。導き手の力によっては素晴らしい人材という財産が出来ましょう」
レイラはふと自分が祖国贔屓に会話している事に気がつく。これでは、野心家のネオラン侯爵のやる気を引き出せない。
彼女はあくまで優秀な侯爵にアルトメの民を豊かにして欲しいのだ。レイラは続けた。
「地図を見て分かる通り、地下資源が眠っている可能性の高い土地です」この情報をレイラに授けたのは、かつて彼女に求婚し断ると殺そうとしてきた西の帝国の皇帝だ。
ヴェライユ帝国と世界の力を二分しているとも言われるルートル帝国の皇帝クリフォード。彼に地下資源がある可能性を指摘された時に、周辺諸国の状況を鑑みるともっともだと思った。
しかし、採掘作業にかかる費用を考えると、資源が出なかった時の損失が大きい。
アルトメは貧しく、そんな博打を打てない。ネオラン侯爵家は国家予算レベルの財産を隠し持っている。
シリル・ネオランは金にも権力にも女にも貪欲な男。 レイラは帝国での生活にアルトメの民に足らないのは野心や向上心だと感じていた。「成程、絶世の美女と言われた王女アルベラがいた土地。行ってみる価値はあるかもしれませんな」
軽口で折れるシリル・ネオランに一気に議場が明るく笑いに包まれる。ーーその王女アルベラが目の前にいるのに誰も気が付かない。
レイラはその光景を虚しさを感じながらも不思議な感情で見ていた。
アルトメは女性の貞操に厳しいと言われるが、男性に対しても同等。対して帝国では『女遊び』というものが娯楽のように存在した。
結婚しても遊び続けているネオラン侯爵。娼館に訪れる男たちも同様だった。かつてのアルトメ王国でネオラン侯爵のような発言をすれば、淫らで不適格な言動だと断罪されただろう。
(これが、ヴェライユ帝国の価値観か⋯⋯)カインが、ゆっくりとレイラに向き直る。
黄金の外套がわずかに揺れ、そのルビー色の瞳には驚きと、深い感嘆が宿っていた。「見事だ、皇后」
「恐れ多いです。皇帝陛下」カインは玉座から降り立ち、レイラの隣に歩み寄る。
その動作だけで、武将のような威厳が室内を満たす。「そなたは己の利益より、この帝国の未来を選んだのだな。貴族の誰もが思いながら言えなかったことを、よくぞ口にした」
レイラは静かに頭を垂れた。カインは小さく笑みを浮かべ、ネオラン侯爵へ向けて声を張った。
「ネオラン侯爵、私はそなたを少し誤解していた。己の出世より帝国の利益を重んじてくれるのだな。そなたの中央での役割はこの会議で終わりだ。外務大臣の職もただいまを以てとく。次期外務大臣は追って決めるとする」 ネオラン侯爵は口をあんぐりと開けていた。 おそらく彼は中央での権力はそのままに、アルトメ領地で財を増やして戻ってくるつもりだったのだろう。そんな企みをカインが天然を装い止めてしまった。
レイラに惹かれ始めているカインは彼女を娼館送りにしたシリル・ネオランがどうしても許せなかったのだ。議場を出る時にレイラがカインの耳元でくすぐったく囁く。
「凄く楽しかったです。陛下もとても素敵でした。またご一緒させてください」
「勿論だ」 カインは反射的に応えた。そして、彼女の気持ちが徐々に自分に向いているのではないかと期待し、皇后の寝室にその晩も赴いた。夜の宮殿は、昼の喧騒をすべて吸い込み、深い青の静寂に沈んでいた。
皇后の寝室には、月明かりを透かす薄絹のカーテンが揺れ、銀糸のような光が床を細く照らしている。皇后は窓辺に座り、長い睫毛を伏せて外の庭園を眺めていた。
深夜の薔薇園は眠りにつき、ほんのり湿った土の匂いだけが微かに漂っている。ーーその静寂を破るように、扉が軋み、ゆっくりと開いた。
「入ってもよいか?」
カインの声は低く、慎重さすら帯びていた。
彼は普段の威厳を脱ぎ捨てたような姿で、まるで許しを求める青年のように立っていた。「クレア、待って! 私の代わりに貴女がクリフォード皇帝陛下の妻になったら?」「アルベラ様、クリフォード様は女好きで女なら誰でも良いと勘違いされてませんか? そんな方ではありませんよ」 クレアは心からクリフォードを信頼しているようにしか見えない口ぶりだ。 でも、ハーレムを持ち、既に側妃を三人も持っているような男は客観的に見てただの女好きにしか見えない。 アルベラの着替えがほぼ終わったころ、部屋の外で重々しい足音が止まった。 次の瞬間、侍従の低い声が響く。「陛下がお入りになります」 空気が一瞬にして張りつめた。 クレアはアルベラの背にそっと手を添え、耳元で囁く。「どうか、落ち着いて。怖がらなくて大丈夫です。私がいますから」 扉が静かに開き、クリフォードが姿を現した。 長身で、豪奢だが決して派手ではない黒の衣。 鋭い眼差しは、入室した瞬間からアルベラだけに向けられていた。「目覚めたばかりだというのに、ずいぶんと美しく仕上げてもらったようだな」 低く、言葉そのものが熱を帯びているような声。 アルベラは思わず身をすくませた。 クリフォードはゆっくり近づき、アルベラの一歩手前で立ち止まる。 以前のように威圧的ではなく、あくまで自然な存在感。 それが逆に逃げ場を奪っていた。「アルベラ。お前は誰より美しい。だからこそ、お前は私の隣にいるべきだ」 クリフォードは微笑した。その笑みは一見温かく見えるが、その目は獲物を観察する捕食者めいてもいる。「こんな誘拐のような真似をして、国家間の関係が悪くなったらどうするんですか?」 アルベラはクリフォードが『女好きの戦闘狂』と呼ばれているのを思い出した。(もしかして、わざと争いの種を生もうとしている?)「カイン・ヴェライユが俺の妻だと言い掛かりをつけて、君を取り返しにくるかもな。勿論、戦うさ。君は俺のものだ」 力強く容赦がないクリフォードの言葉。 アルベラはクリフォードが描いてい
温かい絹の匂いと、遠くで鳴る聞き慣れない楽器の音。 アルベラは重たいまぶたをゆっくりと開いた。 見知らぬ天蓋。豪奢な寝台。周囲には薄い紗のカーテンが揺れ、甘い香油の香りが漂っている。(胸がざわつく。ここは⋯⋯どこ?)「お目覚めになりましたか、アルベラ様」 アルベラは反射的に身を起こし、声の主を探す。そして固まった。 新聞で見た事があるリュシアン王国の王女だ。 若草色の髪に、垂れ目と泣きぼくろが印象的な方だった。 実際に会った事はないから間違っているかもしれないが、もしここがルートル帝国なら可能性が高い。 リュシアン王国はルートル帝国に三年前に滅ぼされている。「クレア・リュシアン王女殿下ですか?」「その名前で呼ばれるのは三年ぶりですわ。初めてお目に掛かりますね。アルベラ様」「どうしてあなたが、その服は?」 クレアは、簡素な侍女服に身を包み、恭しく頭を下げている。「本日より、アルベラ様付きの侍女として仕えるよう命じられております」 アルベラは信じられないといった思いで、クレアを見つめた。 クレアの祖国であるリュシアン王国ははルートル王国により一方的な武力行使で侵略された。 国民は王族も含めて皆、奴隷になったと聞いている。「ここはルートル帝国ね」「はい、ルートル帝国のハーレムでございます」 アルベラの問いに、クレアは微笑みながら答えた。 アルベラの胸に、不安と怒りと、説明しようのないざらついた感情が渦巻く。 気絶している間、クリフォードに瞬間移動の道具を使われここに移動してきたのだろう。(カインは大丈夫かしら?) クリフォードがあの恐ろしい風魔法で奇襲を仕掛けたとしても、五大魔法を使えるカインなら大丈夫だとアルベラは自分に言い聞かせた。(とにかくカインの元に戻らなきゃ) カインがアルベラの居場所に気がついても、遠く離れた彼がここに来るには半年以上かかる。
「なんだ? 泣くほど良いことでもしてたのか? アルベラ、お前がヴェライユの皇帝カインの妻になっていると聞いた時は流石の俺も驚いたぞ」 アルベラは息を呑んだ。ヴェライユ帝国にもルートル帝国の密偵がいるという事だ。 レイラがアルベラだと知っているのはカインを除けば水浴びを覗いた騎士だけ。(彼が密偵? いや、決めつけは良くないわ) 近くにいて真実を知っても、知らないふりをして自国に密告する。 だから、誰が密偵だったかなんて分からない。「アルベラ、久しぶりにお前の小鳥のような可愛らしい声を聞かせてくれよ」 急に自分を殺そうとした彼を思い出し、危険を知らせねばとアルベラは立ち上がる。 彼の恐ろしさを自分は身をもって知っている。(とにかく陛下に知らせなきゃ。彼ならきっと何とかしてくれる) 多くの騎士たちが寝入っている時に、あの恐ろしい魔法でも使われたらと思うと血の気が引く。 よろける彼女の手を引き、クリフォードは拘束するように抱き締めてきた。 アルベラの鼓動が小動物のように早くなる。「はぁ、凛とした姿も唆ったが今のお前も良いな。アルベラ、お前は思ってた以上の女だよ。双子の兄の首を切り逃げ切るなんてな」 アルベラは一瞬、何を言われたか理解できなかったが急に頭の中に映像が流れ込んで来た。 アルベラを逃す為に、泣きながらオリバーの首を切るリアンダーの姿。 あまりのショックに彼女はその場で気を失った。「アルベラ、お前のお陰でヴェライユ帝国から戦争を仕掛けてくれそうだ。本当に感謝するよ」 クリフォードは愛おしそうに気絶したアルベラを抱き上げると、彼女の長いまつ毛に軽くキスを落とした。「お前は戦争という最大の娯楽を与えてくれる傾国の美女だ。知ってるか何もかも持って生まれた男は皆退屈なんだ。そんな男にとって最大の娯楽が戦争だ。お前が引き起こすんだよアルベラ。どうか後世まで悪女として憎まれてくれ」 クリフォードは楽しくて笑いが止まらなくなる。 一瞬目の前が真っ赤なになり視界にカインが現れると、クリフォ
その後もしばらく、二人は他愛のない話をしていた。 山で見つけた食材のこと。 幼い頃の思い出。 カインが子どもの頃に一度だけ野生の兎を追いかけて、山道から外れて大騒ぎになったこと。 普段なら聞くことのできない話に、アルベラは何度も笑った。 カインもまた、そんな彼女を見ているうちに、いつの間にか頬を緩めていた。 テントの外では夜風が静かに吹いている。 焚き火の爆ぜる音を聞きながら、温かな料理を二人で分け合う。 皇帝と皇后、そんな身分さえ忘れてしまいそうな、穏やかな時間だった。 ――けれど。「陛下、そろそろ⋯⋯」 テントの外から、遠慮がちな兵士の声がした。 カインが顔を上げる。「何だ?」「その⋯⋯」 兵士は言葉を濁した。「皆、陛下と皇后殿下の間に、早く世継ぎが誕生することを願っておりますので……その、今夜は……」 アルベラの手が止まった。 先ほどまであれほど温かかった空気が、一瞬で冷えたように感じる。 カインも黙り込んだ。 テントの中に、気まずい沈黙が落ちる。 アルベラは俯いた。 夜伽をしていない。 それは二人の間では、ずっと触れないようにしてきたことだった。 けれど、周囲にとっては違う。 王と王妃なのだから、子を成すのが当然。 その当然を、二人はいまだ果たしていない。「余計なことを言うな」 低い声が響いた。 兵士が息を呑む気配がする。「申し訳ございません!」「俺たちが何をするかは、俺たちが決める。お前たちが口を挟むことではない」「はっ!」 兵士が慌てて離れていく足音が聞こえた。 しばらくして、カインは小さく息を吐いた。「悪かったな」
その後の移動は予定通りスムーズに進み、ヴェライユ陣営は二度目の野営の日を迎えていた。 山の夜は、火を焚いても肌寒い。 騎士たちが交代で見張りにつき、焚き火の周囲には簡素な鍋がひとつ据えられていた。 湯気の立つ鍋に、淡い香りがふわりと立ちのぼった。「まさか皇后陛下自ら、こんな山中で料理をされるとは」「旅の途中ですもの。できることをしたほうが、皆の疲れも和らぎますわ。このキノコは香りが強いから、こうして火にかけると甘い匂いが出てきますわ」 騎士たち恐縮気味に漏らすと、アルベラは静かに微笑んだ。 持ってきた食料はあったが、春とはいえ夜はまだ寒いので温かい汁物を出したいと思ったのだ。 そこで、彼女はアルトメが食糧難に瀕した時に身につけた知識で安全なキノコを採取した。 彼女が四歳の時に、大雨が続きアルトメ王国は食糧難に陥った。 アルベラは山にびっしり生えているキノコを食べれる物と食べられない物に選別する知識を国民に披露した。 一方、オリバーは誰も食べたことのない芋を持ってきて食べられるか試した。 アルトメの人々は芋を食べられるようになり、アルベラはオリバーの発想に感動した。 本来ならオリバーが次期国王になるべきだとアルベラ自身も思っていたが、異能の副作用でオリバーはひ弱で不完全な王子として姿を消す。 アルベラは毎時間のようにオリバーを思い出しては、自分が代わり消えるべきだったと感じ苦しんでいた。 彼女の手つきは迷いがなく、鍋をかき回す動作も流れるように滑らかだった。 何も食べられなくなったオリバーの為に、芋を柔らかく茹ですり潰しスープを作った思い出が蘇る。 カインのように万能でもないし、オリバーのように優秀でもない。 それでも、出来る事を確実にしてきたアルベラは、周囲から見ればとても万能で優秀な人間に映っていた。 風が静まり、焚き火の音だけが心地よく響く。 やがて、アルベラは味見をしてから頷き、椀によそった。「陛下、お待たせいたしました。山で手に入ったものだけですが、
「姫様。なぜ、ここに⋯⋯ここはヴェライユ帝国軍の陣営です」 リアンダーは戸惑いを隠せない掠れた声で言った。 その声を聞いた瞬間、アルベラの胸の奥が痛んだ。 アルメト王家に尽くしたリアンダー。 王家を滅ぼした男の妻になっていると聞いたら、どう思うか考えるだけで恐ろしい。「リアンダー、生きていてくれたのね。会えて嬉しい。私、今ね⋯⋯」 重い鎧の音を鳴らして、カインが駆け寄ってくる。 息も荒く、剣を構え、あらゆるものを斬り払ってでもアルベラを守ろうという気迫。 目を開けたら隣にアルベラがいなくて焦っているのだろう。 そして目にしたのはアルベラと彼女がかつて愛したという男。 カインはリアンダーと面識があり、彼のアルベラへの思いを知っていた。 でも、敢えて彼を無視するようにアルベラに駆け寄る「アルベラ、無事か? 隣に君がいないから、本当に心配した」「陛下、ご心配お掛けして申し訳ございません」 二人の仲睦まじい様子をリアンダーは信じられないと言うように見ていた。 その視線に気がついたアルベラは少し気まずそうに思いながらも、先に状況をカインに説明すべきだと判断する。「この方は祖国で私の護衛騎士をしていたリアンダー・ソリアル卿です」「知ってる。アルベラの昔の男だよな」 カインはまるで二人が夜の逢瀬をしているような場に出会し精一杯余裕ぶりたかった。「昔の男というか、確かに王女時代に私は彼と婚約をしておりました」「知ってる。美しい男だな。アルベラは結構面食いだな」 アルベラはカインは帝国内だけでなく各国の情報について詳しい事を思い出していた。 一方、カインは動揺を悟られないように精一杯虚勢を張っていた。 金髪に琥珀色の瞳をした見目麗しい騎士リアンダー。 まさか彼と再び会う事があるとはカインは思ってもみなかった。 彼がこんな山の中にいる可能性は二つある。 アルベラに極秘で会いにきたか、国の仇であるカインを暗殺しにきたとこ







