LOGIN黒手袋は冷たく告げる。
「――では始めよう。辺境伯令嬢、魔力を見せてもらう」私の心臓がぎゅっと縮まる。
レオンが一歩進み出る。
「立ち会いは僕が務めます。ヒスイから離れないでもらいたい」黒手袋は無表情のまま頷いた。
「好きにしろ。どの道、隠し事はこの場で全て露見する」その言葉に、私の指先が冷たくなる。
震えが止まらない。レオンの声が静かに、でも深く私に届く。
「ヒスイ、僕を見てください。大丈夫ですよ。僕はあなたを――絶対に渡しません」胸が熱くなる。涙がこぼれそうになる。
同時に、監査場へ向かう扉が重く、ゆっくりと開いた。黒手袋。
レオン。兄さま。そして、私。すべてが始まる。
そして――
私たちの運命が揺れ動く核心へ、足が自然と進んだ。レオンの背中を追うようにして、私は扉の奥の更に森の奥へ進んだ。
夜気は冷え、しかし魔力の流れだけが妙に温かく脈打つ。
異常な魔力の鼓動──それは、まるで誰かが助けを求める声のようだった。
「レオン、これは……」
「ええ。おそらく“魔力汚染”と呼ばれる類のものです。ここまで濃い反応は、本来あり得ません」
紳士然とした口調の奥に、わずかな緊張が混じる。
普段は決して感情を大きく見せることのないレオンでさえ眉根を寄せるほどの異常。
木々の隙間を抜けた先、ぽっかりと開いた空間に魔法陣があった。
淡い紫色の光がうねるように渦を巻き、地面の草を枯らし、空気すら震わせている。「……誰か、います」
ヒスイが囁くと同時に、魔法陣の中心で人影が崩れ落ちた。
それは──監査局の魔術官だった。
先日、ヒスイの魔力を正式に監査した、あの端正な顔立ちの青年。
その胸元は黒い魔力に侵食され、まるで闇に呑まれる寸前のように脈打っていた。<ヒスイの視界に“黒い影”が見えてから、わずか数分。二人はその魔力痕が示す、局の深層部──禁秘管理室へ向かった。重々しい扉の前に立つと、ヒスイの心臓がドクンと高鳴る。「……この奥だ。」レオンも表情を引き締める。「覚悟はいいか、ヒスイ?」「うん。行こう。」扉が軋みながら開いた。そこで二人を出迎えたのは──局の上層部に君臨する人物のひとり、副局長・クロードだった。「……やはり来たか、ヒスイ。そしてレオン。」ヒスイの喉が僅かに震える。「クロード副局長……どうして、こんな……」クロードは深いため息をつくと、まるで叱るような声音で言った。「私としては、君には“気づかれずに”退職してもらいたかったのだがね。」「なんで……?」レオンが一歩前へ出る。その目は怒りに燃えていた。「ヒスイの魔力体質に目をつけて、“封印破片”で誘導したのか……!」「誘導? いや、もっと単純だよ。」クロードの瞳が薄く笑う。「ヒスイの魔力は――“私が手に入れたかった”。」クロードは淡々と語り始めた。「この国の最高位結界の更新には、膨大で純質な魔力が必要だ。だが、近年は供給源が減り続けている。そこで私は考えたのだよ。」「まさか……」ヒスイは息を呑む。「才能ある若手を、徹底的に“磨り減らす”仕組みを作り、負荷に耐えた者だけを資源として利用する。」レオンが怒声を放つ。「それでヒスイを狙ったのか!!」「ええ。彼女の魔力量は規格外だった。あとは“追い詰めて開花さ
封印庫の奥。局内でも限られた者しか入れない“結界最深部”へ向かう通路は、冷気が漂っていた。レオンさんは私の手を離さないまま、前を歩きながら言った。「ヒスイ。あなたが視た“黒い痕跡”がある層には、誰も触れていないはずなんです。それなのに細工があった……ということは」「黒幕は、権限を使って……密かに侵入した?」「そういうことです。証拠さえ掴めば、もはや言い逃れできません」レオンさんの声は低く、いつもの柔らかさの奥に鋼が宿っていた。「僕は……あなたの力が必要です。あなたの“特異な視え方”がなければ、この調査は進まない」「……私で、いいの……?」「あなたでなければ、だめなんです」その一言で、胸がぎゅっと締め付けられた。(……こんな言い方されたら……)嬉しさと不安が甘く混ざり合う。最深部の扉が重く音を立てて開いた。中は──冷たい光が淡く揺れ、静寂が支配していた。一点。奥の結界壁に、ヒスイだけが“視えるもの”があった。黒い痕跡が、まるで誰かの手形みたいに結界に染みついている。「……いた……」「ヒスイ、視えるのですか?」「うん……レオン。あれ……上書きされた結界術式……しかも、魔力の癖が……強い」私は震える指でその方向を指した。なんとかレオンに魔力の癖の説明をする。「あの癖……この局で扱える魔術師は、一人しかいない」レオンの表情が険しくなる。
視界に揺らめいていた翡翠色の光が、徐々に薄れていく。暴れ狂っていた魔力は嘘のように静まり、私の体の奥に吸い込まれるように収まった。「……はぁ……っ……はぁ……っ」息が荒い。膝が震える。でも、倒れはしなかった。支えてくれる腕があったから。レオンが、私の背に手を添えたまま、真剣に覗き込む。「ヒスイ、大丈夫ですか……? 痛みは……?」「だい……じょうぶ……少し、力を使いすぎただけ……」「嘘はだめですよ。顔色が、いつもよりずっと白い」指先がそっと頬に触れた。くすぐったいのに、胸の奥がじんと熱くなる。「本当に……無茶をするんですから。でも……そのおかげで、大きな手がかりが得られましたね」レオンの言葉に、私は震える息を整えながら頷いた。「さっき……見えたの。結界の奥に、黒い魔力の塊があった。あれ、多分……人為的に隠されてた痕跡よ」「その“痕”を見れるのは……ヒスイだけでしょうね。 あなたの魔力特性は、隠匿術式と相性が良すぎるくらいですから」レオンさんの声は興奮と緊張が混ざっていた。いつもの紳士的な雰囲気の中にも、どこか熱がこもる。「黒幕は、おそらく……上層部の中でも“最上位”。 この結界層に細工できる権限を持っているのは、一名だけです」「じゃあ……名前は……?」「まだ確証はありません。 でも、次の層を調べれば決定的な証拠が得られるはずです」レオンさ
ヒスイの胸の奥に、ずっと微かに疼いていた違和感が確信に変わった。局内の封印庫に漂う、灰色に濁った魔力。それは彼女の“生まれつきの魔力体質”と危険なほど相性が悪いものだった。(……この濁り……ただの封印残滓じゃない。人為的に“歪ませてある”。)レオンがヒスイの顔色を見て、小声で囁く。「ヒスイ……無理をしていないか?」「違うわ、レオン。ここ……私の魔力を刺激する“何か”がある。」レオンの表情が鋭くなる。「……黒幕の仕込みか。」部屋の隅──封印器具の影に、小さな“魔力の粒”が震えていた。それは、黒幕が残した未解除の“封印魔術の破片”。ヒスイが一歩近づいた瞬間、破片がまるで彼女を“狙っていた”かのように震え、急激に魔力を放ち始めた。「っ……!」熱が胸に押し寄せる。視界が揺れ、身体の奥に眠っていた潜在魔力が逆流を始める。(……まずい……抑えられない……!)レオンが咄嗟に彼女の腕を掴んだ。「ヒスイ、下がれ! 君の魔力体質が反応している──!」だがヒスイは動けなかった。“封印破片”が、ヒスイの魔力を引き金にして暴発を始めている。荒れ狂う魔力がヒスイを飲み込もうとしたその瞬間、レオンの魔力が風のように伸び、彼女の魔力へ触れた。「落ち着け。俺が抑える──ヒスイ、聞こえるか?」(……レオン……?)彼の魔力は穏やかで、深く、体内の嵐を吸い込むように安定させていく
重い扉が開くと、厚い魔力結界が張り巡らされた無機質な部屋が現れた。 空気がぴんと張り詰めている。「ここなら、闇魔力の侵入は防げます」レオンは慎重に扉を閉め、複数の鍵をかけた。 ヒスイのためと分かっていても、閉ざされる音は胸に響いた。「……レオン、怖いよ」思わず漏れた声に、レオンはすぐそばに来た。「怖がらなくて大丈夫です、ヒスイ」レオンはヒスイの肩に手を置き、ゆっくりと抱き寄せた。「あなたが震えるなら、私はその理由をすべて断ち切ります。どうか……信じてください」 低い声が耳に直接触れ、体が震える。 彼の胸板は温かく、呼吸は落ち着いていて、まるでその温度だけがこの世界で唯一の安心のように感じられた。「レオン……私は……」「大丈夫。ここでは、あなたを傷つけるものは何ひとつ入れません」「……離れたくない」「離しません。どれほど危険が迫ろうと、決して」 腕の力が少し強まる。 その時──。 部屋の結界が微かに軋んだ。 ヒスイは息を飲み、レオンが即座に反応する。「……来ましたか」 冷たく鋭い声。 彼が完全に“監察局魔術官”としての顔に戻った。「ヒスイ、私の後ろへ」 ヒスイをかばうように前へ出て、魔力を展開するレオン。 結界の外側で、何かが蠢いている。 黒い靄のような、闇の塊のような──。「黒幕が、ヒスイの居場所を特定した可能性があります」 その言葉に、ヒスイの心臓が大きく跳ねた。 しかしレオンは微笑む。 強く、美しく、絶対に折れない意志の微笑み。「大丈夫です。あなたが恐れる必要はひとつもない。全部、私が──」 結
「王都内で闇魔力の反応が拡大──?」 局員の震える声が会議室に響いた瞬間、空気は凍りついた。 まるで部屋の温度が急に数度下がったような錯覚さえ覚える。 レオンは反応パネルを覗き込み、わずかに目を細めた。「……複数箇所。同時発生。これは偶然ではありません」「黒幕が動いたか……!」「副長、すぐに封鎖を──!」 怒号が飛び交う中、レオンは静かにヒスイの肩へ手を添えた。「ヒスイ。こちらへ」 その声は低く、落ち着いているのに、どこか焦りの影がある。「レオン……?」「ここは安全ではありません。すぐに、局内の隔離区画へ移動します」 レオンの手が熱い。 それだけで、ヒスイの足は自然と動き出した。 けれど──。「レオン殿、彼女を単独で連れていくのは……!」ライオネルが制止しかける。 レオンは振り返り、きっぱりと言い切った。「ヒスイを最も安全に導けるのは私です。 誰にも任せられません」 部屋が静まり返った。 言葉の端々に滲む“決意の強さ”が、誰の耳にもはっきり届いたからだ。 ライオネルは短く頷いた。「……わかった。責任は私が持つ。 彼女を頼む、レオン殿」「はい。命に代えても」 その言葉は重く、鋼のように強かった。 レオンはヒスイの手を握ったまま、局の奥へと続く廊下を素早く進んでいく。 外の騒がしさとは別に、ここはひどく静まり返っていた。「レオン……そんなに強く握ったら……」「申し訳ありません。ですが……少しでも離れてしまったら、あなたを見失いかねない」 紳士的な口調でありながら







