Masukそして予想通り、あの日を境に私の学院での受難の日々が始まった。 まずあんなにも尊敬され、憧れの的だった私は学院中の生徒から冷たい視線を向けられる嫌悪の対象となった。 そこにいないもののように扱われたり、陰口を囁かれることは日常茶飯事で。 さらにそれが加速し、私に面と向かって暴言を吐いたり、私の教科書やノートなどに手を出し、ボロボロにしたり、隠したりするなど、直接私に害をなす生徒まで現れた。 『あれはレイラ様のニセモノだ』 『あれにホンモノのレイラ様はいじめられて怯えている』 『あれのせいでホンモノのレイラ様は学院にも社交界にも戻れない』 そうあることないことを口にする生徒たちの声を何度聞いてきたことか。 噂の出所はもちろんあのイザベラ様なのだろう。 しかし、日に日に風当たりが強くなる生徒たちとは違い、ウィリアム様とセオドアだけは何も変わらなかった。 もうすでに私がレイラ様ではないと知っており、私に嫌がらせをしても、どうにもならないとよくわかっている2人だからこそ、変わらなかったのだろう。 ただ2人は本当に以前と何も変わらなかった。 私が嫌がらせを受ける現場を見ても、何事もないように私に接してくるのだ。 助けようとする素振りさえも一切見せない。 それでも、彼らが変わらず傍にいる間は、生徒たちも遠慮しているのか、あまり積極的に私に嫌がらせをしてこようとしないので、結果として、間接的に彼らに守られている形となっていた。 皆、ウィリアム様とセオドアの前では、粗相を起こしたくないらしい。 それがほんの少し私の心を軽くさせた。 彼らさえ傍にいれば、嫌がらせを受けることもない。彼らはここでの安全地帯のようなものなのだ。 あの2人が私の安全地帯になるとは、何とも皮肉なものだが。
スープに毒を盛られた日を境に使用人が私とは口を聞かなくなった。私の担当をしていた仲の良かった使用人たちは全てレイラ様の担当となり、新しく私の担当になった使用人たちは何故か私に冷たかった。だが、冷たいだけで仕事を放棄しているわけではなかった。私が使っているレイラ様の部屋の掃除ももちろんきちんとしてくれるし、私の身支度等も手伝ってくれる。しかし、その全てが必要最低限であり、仲の良かった使用人たちのように私への気遣いからくるその先のことは何一つなかった。何故、こんなにも急に冷たくなってしまったのか。やはり6年前のように嫌がらせが始まってしまったのか。そんなことを思いながらも、アルトワ伯爵邸内の階段を1人で登っていると、それは突然聞こえてきた。「ホンモノのレイラ様はあのお方なのに!どうしてニセモノがレイラ様として生きているの!?」廊下から聞こえてきた若そうなメイドの悔しそうな声に、思わず私はその場で足を止める。ニセモノって多分私のことだよね?どうしても話の内容が気になり、私はバレないようにそっとその声のする方へと歩みを進めた。そして廊下で何やら不満げに話をしているメイドたちの姿を見つけた。「ホンモノのあのお方のことを思うと胸が痛いわよねぇ。本来なら学院に通っていたのもあのお方なのよ?それなのに1日中ここに閉じ込められて、ニセモノが学院に通っているんだもの」「図々しいにもほどがあるわ。さっさとあのお方の場所を返すべきよ」「それなのにあのお方は常に笑顔でいらっしゃるからこっちももう苦しくて…」何故下っ端であるメイドたちがホンモノのレイラ様の存在を知っているのだろうか。彼女たちの話に聞き耳を立て、私はそんなことを思った。今ここにホンモノのレイラ様が帰ってきているということは、要らぬ混乱を招く為、伏せられているはずだ。あの日、ホンモノのレイラ様を見た使用
あの4人での演劇鑑賞から1週間後。今日もいつものようにアルトワ伯爵一家の皆様と私は共に夕食を食べていた。「この魚は今朝捕れたものだそうよ」机を挟んで向こう側に座る奥方様が本日のメインディッシュに視線を向ける。すると、セオドアの左隣に座るレイラ様の表情が明るくなった。「まあ、そうなの?それは楽しみだわ」魚料理が一番好きだというレイラ様が嬉しそうに、けれど上品にフォークを使って、魚料理に手をつける。それから美しい所作で魚料理を楽しんでいた。かつてセオドアに『姉さんは実は肉料理の方が好きだ。周りが勝手に姉さんが魚料理好きだと勘違いしていたから、心優しい姉さんは仕方なく、魚料理好きだということにしていた。姉さんが好きなのは肉料理』と教えられたことに疑問を持つ。もう1ヶ月以上、レイラ様のことを見ているが、どう見ても肉料理好きを隠して、魚料理好きなフリをしているようには見えないのだ。普通に魚料理好きに見える。6年前、レイラ様のことを何も知らなかった私は、とにかく一番レイラ様のことを知っていると思われるセオドアのアドバイスをよく聞き、完璧なレイラ様の代わりになろうと決めていた。そしてセオドアの助言もあり、完璧なレイラ様に近づけたのではないかと思っていたが、いざホンモノのレイラ様にお会いすると、私とレイラ様は似ても似つかないものになっていた。この1ヶ月レイラ様を見続けて思ったのだが、食の好み以外にも、選ぶものや身につけるものの好みなど、全てが若干セオドアが言うものと違う気がするのだ。セオドアのレイラ様像が少しだけ違ったのか、わざと間違いを教え続けていたのかわからないが、今はもうそんなことどうでもよかった。完璧なレイラ様の代わりに実はなれていなかったのだとしても、私がレイラ様の代わりを務めるのはあと数ヶ月ほどだ。もうどうでもいい話だろう。「アイリ
劇場内の準備が整い、ついに入場が始まる。ウィリアム様が私たちに用意してくれた特別席は個室のようになっており、たくさんの鑑賞席が並ぶ一般席の上から、舞台を観られるようになっていた。そしてこの落ち着いた空間にはきちんと4つの席があった。「さあ、どうぞ、レイラ」ウィリアム様に手を引かれ、まずこの部屋に入ったのは私だった。部屋に入った私は何となく目に留まった左端の席まで移動し、腰を下ろす。するとそのままウィリアム様は私の右隣に腰を下ろそうとした。…したのだが。「ちょっと待ってください」それをセオドアが冷たい声で制止した。「姉さんの隣には僕が座ります。ですからウィリアム様はそこには座らないでください」こちらにゆっくりと近づいてきたセオドアが、そこから動くようにとウィリアム様を促す。だが、そんなセオドアの言うことなどもちろんすんなり聞くウィリアム様ではなかった。「レイラの隣に座るのは婚約者である俺だよ」「違います。家族である僕です」にこやかだが、どこか目の笑っていないウィリアム様と、冷たい表情でウィリアム様を睨むセオドアの間にギスギスとした空気が流れる。何と嫌な空間なのだろうか。「…じゃあホンモノの家族の隣に座ればいいんじゃないかな?」お互いに一歩も引かない空気が続く中、ウィリアム様はセオドアにそうにこやかに提案した。「もちろんそうするつもりですよ。姉さんとアイリス姉さんの間に僕が座るんです」「ふーん。でも2人ともなんて少々わがままなんじゃない?1人くらいは俺に譲るべきだよ?」「どちらも譲れません」「強情だね」何を
sideリリーレイラ様が帰ってきて、1ヶ月が経った。この1ヶ月の間にウィリアム様から私へまさかの結婚の打診があったがそれを私は未だに保留にしていた。そもそも何故、何も持たない、何者でもない、私には勿体なさすぎる、あまりにも好条件なウィリアム様からの結婚の打診を未だに保留にしているのか。それは私、リリーが今後どうなるのか、私自身がわかっていないからだった。アルトワ伯爵家にとってシャロン公爵家との婚約はとても重要で大切にしなければならないものだ。例えばレイラ様と入れ替わり終えた半年後、セオドアの意向で、アルトワから籍を抜くことが許されず、今後とも私がアルトワのリリーであることが決まったのなら、きっとウィリアム様と私の婚約、結婚をアルトワは歓迎するだろう。だが、そうではなかったとしたら。私がフローレスのリリーへと戻れたとしたら。フローレスである私がシャロンと婚約、結婚などすれば、それはアルトワにとってとても大きな損害となってしまうだろう。そもそも私が望めば、おそらく私はフローレスへと帰れるので、きっとこのパターンが有力だ。私はアルトワ伯爵夫妻に恩がある。ここまで何不自由なく、整えられた環境で育ててくれたこと、没落寸前だったフローレスを助けてくれたこと、たくさんの数えきれない彼らへの恩から、私は彼らが望まぬことはしたくなかった。アルトワ伯爵家は何度も言うが、シャロン公爵家との婚約を重要視しており、望んでいる。それをフローレスへと戻ったアルトワとは何の関係もない私がするということは、アルトワにとって極めて重要であり、大切にしてきたものを横から奪うということで。そんなことやはり気が引ける。…それでも、それでも、だ。シャロン公爵家のウィリアム様と結婚すれば、フローレス男爵家は確実に安泰で…。しかしアルトワ伯爵家の支援のおかげでフローレスはもう安定しており、努力を続ければ、安泰とはいかずとも、没落することは恐らくないわけで…。こうしてぐるぐるぐるぐると
sideウィリアム「それじゃあまた明日、レイラ」「はい、ウィリアム様」大きな扉の向こうでこちらに微笑む彼女に俺は名残惜しそうに笑い、小さく手を振る。彼女の周りには弟であるセオドアとホンモノのレイラがいるのだが、俺の眼中には彼女しかいない。俺に手を振られた彼女は俺に応えるように小さく手を挙げ、柔らかく微笑んでいた。そして扉はいつものように閉められた。ああ、本当はアルトワではなく、シャロンに連れて帰りたい。そう扉の向こうに消えていく彼女を見る度に思う。それでもそうできないのはまだ彼女がアルトワの人間だからだ。名残惜しい、離れ難い気持ちで扉から離れ、シャロン公爵家の馬車へと乗る。それからしばらくして馬車は動き始めた。「…」動き始めた馬車から見える見慣れてしまった風景を何となく見つめる。あのシャロン公爵邸には劣るが、なかなか立派な屋敷には俺の婚約者である彼女がいる。彼女はレイラが帰ってきたあの日、レイラの代わりであるという価値を失った日、俺に言った。ただ元に戻るのだ、と。元に戻るとはすなわち、レイラの代わりではなく、没落寸前の男爵家の何も持たない娘、リリーに戻るということなのだろう。彼女はレイラが現れたことによって、自由になったのだ。今までの彼女は、アルトワ夫妻の顔色を伺い、レイラのように振る舞い、俺に婚約破棄されないように最低限のラインを守ってきた。完璧な令嬢になり、周りの人が求める言葉を欲しい時に吐き、望まれた行動をする。まるで俺たちの人形だったリリーはもう自由の身だ。何を選んでもいい、何をしてもいい、全てが彼女の自由。そこには婚約者の項目だってある。ーーー彼女は俺以外を選ぶ自由を得たのだ。彼女が、リリーが、俺ではない誰かを選ぶだなん
ホンモノのレイラ・アルトワ様が帰ってきた。あの玄関ホールでの喧騒は、レイラ様の帰還によるものだったようだ。最初こそ、レイラ様の成長した姿に、あのレイラ様であると、私は気づけなかった。だが、それでも、よく見るとレイラ様の面影を残す彼女と、そんな彼女との再会を喜ぶアルトワ伯爵一家を見て、私は彼女こそが、私がずっと代わりを務めてきたホンモノのレイラ様だと確信した。私が肖像画でいつも見ていた12歳のレイラ様は、可愛らしさの中にも美しさのある愛らしいご令嬢だったが、今のレイラ様は、その面影を残しつつも、美に全振りした絶世の美女になっていた。今のレイラ様は本当の弟、セオドアととてもよく似ている
ウィリアム様の「送るよ」とは、公爵家の馬車で伯爵家まで、という意味だった。初めはアルトワ伯爵家の馬車までだと思い、共にそこへと向かっていた私たち。だが、いざ目的地まで辿り着くと、ウィリアム様は何と私をシャロン公爵家の馬車の方へと乗せようとしてきたのだ。そこからまたあの2人の口論だ。「姉さんと一緒に帰るのは僕なんですけど。アルトワの馬車で」「送ると言ったよね?それはシャロンの馬車でアルトワ邸までって意味だよ?」「結構です。アルトワの馬車がありますので」「そう。じゃあセオドアだけその馬車で帰りなよ。俺はレイラとシャロンの馬車で帰るから」お互いに譲らない口論は何分も続き、最終的に私と
今日の帰りは、ウィリアム様が公爵家の馬車で、アルトワ伯爵邸まで送ってくれると言った。なので、私はウィリアム様のことを待ち合わせ場所である、学院内の噴水の前でずっと待っていた。…そうもうずっとだ。季節は夏休みが終わったばかりの夏。正直、夏の日差しの中で、長時間日陰のない場所に立ち続けることは辛い。額からはじわじわと汗が出ており、暑さが私を襲う。…遅すぎる。チラリと噴水から見える大きな時計に視線を向けると、時刻は16時半を指していた。ここでの待ち合わせ時間は16時だ。もちろん約束の5分前にはここへ来ていたので、もう30分以上もここでウィリアム様を待っていたことになる。またいつ
sideウィリアムこの国の王家とも並ぶ力を持つ、三大貴族のうちの一つ、シャロン公爵家の跡継ぎは完璧でなければならない。何もかも全て。婚約者に至るまで、だ。俺の完璧の一つだった完璧な婚約者のレイラが半年前、バカンスに行く途中で、馬車で事故に遭い、おそらく死んだ。行方不明扱いになってはいるが、こんなにも月日が経っているので、生きている方がおかしいだろう。この国の同世代の中で一番完璧だった彼女はもうこの世にはいないのだ。シャロン家がアルトワ家との婚約を望んだ理由はひとえにレイラの存在が全てだった。完璧な跡継ぎには完璧な婚約者を。ただそれだけだった。アルトワ家のレイラがいないのなら婚







