Chapter: 44.愛結果から言おう。あの厨二病呪文はものすごく効果抜群だった。私に呪文を言われたギャレットは、「はぁぁぁ!?」と不満げに叫びながらも私を抱き抱え、「…」バッカスもとても不満そうにこちらを見つめて、2人揃って走り出した。そして現在。私はギャレットとバッカスによってまたテオの元へ戻ってきていた。強制的にここへ私を連れて来なければならなかった2人の不服そうな視線が私にグサグサと刺さるが気にしない。気にしている場合ではない。何故なら私たちの目の前に広がる景色が、先ほど見ていたものが嘘だったかのように、むちゃくちゃになっていたからだ。ここは先ほどまで、見慣れたただ人が行き交う街だったはずだ。それが今ではどうだ。おそらく激しく闘ったのであろう闘いの跡がところどころにあり、たくさんの建物が無惨に壊れている。こんなにもめちゃくちゃな街でヘンリーたちは無事なのだろうか。焦りながらも辺りを必死に探せば、この異常な街で平然と1人立っているテオと、その側で、大量の血を流して倒れているヘンリーたちの姿を見つけた。テオは本当にヘンリーたちを殺す気なのだ。「テオ!もうやめて!」この場で唯一立っていたテオに私は必死に叫び、テオを止める為にもテオの元へと駆け寄る。「…あぁ、咲良、やっと帰って来た。おかえり」そんな私を見て、おそらくヘンリーたちの血を浴びたテオが満足そうに笑う。その姿に私は恐怖を感じた。これがテオ…いや、魔王本来の姿なのだろうか。「ヘンリーたちをもう傷つけないで!あと話が全然違うことになっていたのはどう言うつもり!?説明して!何で人間界に帰さずに、こんなところに私を閉じ込めたの!?」それでも私は気を強く持ち、テオを責める。恐れて何も言えないようではこの問題は解決できない。「帰したくなかったからだよ。咲良とずっと一緒に2人だけで居たかった。咲良には僕だけがよかった。咲良にはずっと僕だけだったでしょ?それなのにどんどん咲良は自分の味方を増やして。僕を蔑ろにした」仄暗い雰囲気でテオがおかしそうに笑って私を見つめる。まるで私の方が悪いと言いたげ視線だ。どういう思考回路なんだよ!もう!「蔑ろになんてしていない!そもそも人間界に帰ることが永遠の別れでもないでしょ!?だから帰して!」「…そう思うのは記憶が戻ったからだよね?それまではここが
Last Updated: 2025-10-31
Chapter: 43.大切なものどこまで走ってもこの街には一切色がない。今、動いている私たち以外の全てがモノクロだ。そんな街を目の当たりにし、私はここが私の知っている世界ではなく、テオの作った世界なのだと、嫌というほどわかってしまった。こんな世界のどこに逃げれば、元の世界に帰れるのだろうか。そもそもヘンリーとエドガーとクラウスは無事なのだろうか。『咲良』ギャレットとバッカスと共に、街を駆け抜ける私の頭の中に、突然誰かの声が聞こえる。いや、これは誰かではない。ちゃんと私が知っている人物の声だ。『咲良、帰っておいで。じゃないとヘンリーもエドガーもクラウスも殺しちゃうよ。今一緒にいるギャレットとバッカスも、みーんな』テオだ。テオのおかしそうな声が頭の中で響く。何がどうなっているだ。テオはどうしてこんなことをするのか。私は何故、彼らを信じて彼らと逃げることを迷わず選べたのか。わからない。もうすぐでわかりそうなはずなのにどうしてもわからない。だが、彼らが…、ヘンリー、エドガー、ギャレット、クラウス、バッカスが殺されるのだけは絶対に嫌だった。「…ギャレット、バッカス」私は気がつくと、その場で足を止めていた。「…声が聞こえるの。テオが帰って来なければみんなを殺すって。どうしたら…」震える声を何とか抑えて、私は2人に視線を向ける。今どの選択をするのが最善なのか、状況を理解しないまま逃げ続けている私にはわからない。「構わない。そのまま逃げ続ければいい。もうすぐで咲良は帰れる」そんな私に答えたのはバッカスだった。無表情だが、優しい目でバッカスが私を見つめる。どうしてだろうか。すごく嫌な予感がする。「…ねぇ、もしかしてだけど、みんな自分の命を犠牲にして…とか、そんなおかしなこと考えていないよね?」嫌な予感を胸に秘めながらも、私は変な笑顔を浮かべる。自分で言ったことだが、彼らが自分の命を犠牲にするなんてあり得ない。彼らは魔界を滅ぼすと言われたほど己の欲望に忠実で自由な悪魔だ。そんな彼らが誰かの為に命を張るなんて。あり得ないはずなのに。「「…」」ギャレットとバッカスは私に答えることなく、曖昧な笑顔を浮かべた。ああ、そうなんだ。「そんなこと!私が望んでいると思うの!?私がみんなを殺してまで帰りたいなんて!」涙が溢れる。どうしてこうなってしまったのだ
Last Updated: 2025-10-30
Chapter: 42.消された記憶「エドガー…」「…咲良っ、お前!」彼の名前…おそらくエドガーの名前を口に出してみると、目の前の男は驚いたように顔を上げた。彼の名前はエドガーだ。それだけは何故だかはっきりとわかる。「記憶が戻ったのか!?俺が誰だかわかってんのか!?」「…エドガーだよね。でもごめん。それ以上は…」信じられないものでも見るような目で、嬉しそうに私を見るエドガーだが、彼のことは名前しかわからないので、じわじわと申し訳なさが込み上がってくる。ぬか喜びさせているようで心苦しい。それでも私は今、新たにエドガーから情報を得ることができていた。どうやらエドガーの話によると私は何かを忘れており、どこかに閉じ込められているらしい。名前しか知らない人にそう言われても、不審にしか思えないが、何故かエドガーの言葉ならすんなりと受け入れられた。そしてずっと感じていた違和感の正体もきっとそれなのだと思った。「咲良!」私の名前を呼ぶ誰かの声がまた向こうから聞こえてくる。また知らないはずなのに知っている聞き慣れた声だ。声の主を確認しようと、声の方へと振り向くと、その声の主がいきなり私を抱きしめた。「咲良ぁ…、会いたかったよ。咲良ぁ」感極まった声でそう言っている彼はクラウスだ。「「「…」」」クラウスの後ろからヘンリー、ギャレット、バッカスも現れる。皆、感極まった顔でこちらを黙って見つめていた。彼らが一体何者なのかわからない。それでも何故か彼らの名前だけははっきりとわかる。「…クラウス。気持ちはわかるがそこまでだ。時間がない」その中でも、ヘンリーはすぐに冷静な表情を取り戻し、私に抱きついていたクラウスの腕を掴むと、さっさと私から引き剥がした。するとクラウスは「…はーい」と不満げにだが、すぐに私から離れた。「何一つ意味がわからないだろうが、どうか俺の話を聞いて欲しい」何も状況を理解できていない私をヘンリーが真剣な表情で見つめる。その表情にはどこか焦りも感じられた。本当に時間がないようだ。「まずは俺たちのことだ。俺たちはお前と契約をしている悪魔だ。お前の願いならどんなことでも叶える絶対の味方だと思って欲しい」「…うん」「そして今の状況だが、お前は人間界へ帰れていないどころか、テオ…魔王のギフトによって、作られた偽りの世界に閉じ込められている上に、これも魔王の
Last Updated: 2025-10-28
Chapter: 41.偽りの日常短大を卒業して5度目の春が来た。社会人5年目、25歳にもなると毎年少しずつ後輩ができ、すっかり会社での私の立ち位置は新人から中堅だ。つまり任される仕事が増えた。疲労感しかない顔で、一歩一歩、私は何とか足を踏み出し、一人暮らしのマンションの階段を登る。仕事帰りにこの階段を登る度に引っ越しが頭をちらついた。家賃と部屋の綺麗さを優先した結果がこれだ。そろそろせめてエレベーターのあるマンションに引っ越そう。今日も決意を固めたところで、やっと自分の家の前まで辿り着くと、私はふぅと一息つく。それからいつものように呼び鈴を鳴らし、扉が開くのを待った。「咲良!おかえりなさい!」笑顔のテオによってガチャ!といつものように勢いよく扉が開かれる。彼は私と同居しているおそらく外国人の男、テオだ。何故、おそらくなのかというと、きちんとテオに確認をしたことがないからだった。だが、テオの見た目は紫の肩まである柔らかい髪に血のように濃い赤の瞳をしている。それも地毛と裸眼でだ。そんな地毛と裸眼の日本人がいる訳がない。さらに顔立ちも可愛らしく、日本人とは違う雰囲気があるので、私は勝手にテオを外国人だと思っていた。ちなみにテオはこんなに可愛らしく、中学生にしか見えない見た目だが、成人らしい。テオが何者なのか私は本当に何も知らない。それでも私はもうずっとそんなテオと一緒に暮らしていた。多分世間は私たちの関係を見れば〝恋人〟だと言い、この現状も同居ではなく〝同棲〟と言うのだろう。「ただいま、テオ」私は今日も私を出迎えてくれたテオに優しく笑った。テオの愛らしさは疲れを吹き飛ばすものがある。「咲良、ほら、こっち」慣れた手つきでテオが私の荷物を受け取る。そしていつものように愛らしく笑って自分の側にくるように手招きをした。「はいはい」テオの方へ行けば、頬に軽くキスを落とされる。いつもと同じ夜。「?」あれ?テオにキスをされた頬を触って、私は首を傾げた。本当にいつも〝こう〟だっただろうか。こんなにも甘くて満たされる時間があっただろうか?「…咲良?何、固まっているの?もう一度キスしようか?今度は口にでも」この状況に違和感を感じていると、先に歩き始めていたテオがこちらに振り向いて意地悪く笑った。「い!いい!大丈夫だから!」そんなテオに慌てて返事をして5
Last Updated: 2025-10-27
Chapter: 40.強制送還テオの話を聞き終えた5兄弟たちは皆、同じようなリアクションをしていた。「…そんなこと、俺は…」ヘンリーは信じられない様子で「…嘘、だろ?」エドガーは驚きを隠せないように、「…どうして?」ギャレットはまだ理解が追いついていない表情で、「…そんな」クラウスは今にも泣き出しそうな顔で、「…」バッカスは無表情だがどこか辛そうに、全員が絶望していた。「…咲良。最後の仕上げだよ」そんな5兄弟たちなんて無視してテオが今度は私に向けて冷たく微笑む。「契約者は契約している悪魔に絶対の〝命令〟ができる。咲良がヘンリーたちに魔界を滅ぼさないように命令してしまえば魔界が滅ぶ未来も来ない。だから咲良は今ここで彼らにそう命令するんだ。それが最後の仕上げだよ」「…」「大丈夫。どんなに気に食わない命令でも彼らは君を殺せない。だからこそ咲良、君が予言の人物なんだよ」そしてテオはそう言い切ると私の側までやって来た。これで全部終わるんだ。私が命令すれば魔界はヘンリーたち5兄弟に滅ぼされない。私も約束通り人間界へ帰れる。だけど私はもう少しだけここに居たかった。「咲良は呪文苦手だよね?僕と一緒に呪文唱える?」急な展開に追いつけず、呆けている私にテオが優しく何かを言っているが、うまく聞き取れない。「…咲良」そんな私の名前をエドガーが突然呼んだ。「行かないでくれ。まだここに居てくれよ。お前の命令ならどんなものでも従うからさ。まだ帰らないでくれ」エドガーの方を見れば、エドガーが辛そうにそう懇願している。「そう、だよ。俺たち同志でしょ?まだ一緒に見たいアニメもやりたいゲームもあるんだよ?いきなり帰らなくたって」それを見たギャレットも同じように私に懇願する。「…咲良がいなくなるのは嫌だ。行くな」「僕もバッカスたちと一緒だよ。お願いだから、まだ行かないで」バッカスもクラウスも私をまっすぐ見つめてそう懇願した。エドガー、ギャレット、バッカス、クラウスの気持ちが痛いほど伝わってくる。「ああ、こうなるとわかっていたのならば俺はお前と契約しなかったのに。…咲良ずっと側に居てくれるんだろう?まだ帰るなよ」最後にヘンリーはそう言うと、絶望したような表情のまま冷たく笑った。私だってまだ帰りたくない。あと少しだけ、彼らと居たいと思ってテオに嘘を付いたのだから。
Last Updated: 2025-10-25
Chapter: 39.咲良の願いヘンリーと契約をして数日。人間界へ帰れる条件をもう満たしている私だが、そのことを魔王であるテオに私はまだ伝えていなかった。理由はただ一つ。いつでも帰れる状況になった途端、ならば今すぐではなくてもいいかと思えてしまったからだ。ここでの生活を、彼ら5兄弟たちとの日々を、私はいつの間にか気に入っており、もう少しだけ彼らと居たいと思ってしまった。「さーくら」そんな日々が続いていたある日のこと。いつものようにナイトメアでバイトをしているとミアに可愛らしく声をかけられた。テオは私に正体を明かした後も基本的にはミアとして私の前に現れることが多かった。魔王の姿だと目立つし、ミアの姿の方がいろいろと都合がいいのだろう。ちなみにテオが未だにナイトメアでミアとしてバイトをしている理由は単純に私に会いたいかららしい。前に一度だけ気になって聞いてみた時に、そう恥ずかしげもなく言われ、心臓が無事に死んだ。あんな美少女or美少年にまっすぐ「会いたいから」と言われると誰でも死んでしまうだろう。心臓に悪い。ある意味テオは私の心臓を狙うテロリストだ。「どうしたの?ミア?」「ちょっと聞きたいことがあってね。こっち」私を呼んだミアの方に視線を向ければ、ミアは私の手を引いて、誰もいないスタッフルームへと連れて行った。そんな私たちの行動を見てもユリアさんは特に何も言わない。今の時間帯はお客さんも少なく、そこまで従業員がいなくても大丈夫な為だ。パタンっ、とミアによってスタッフルームの扉が閉められる。「契約の方はどう?クラウスと契約を結べた話までは聞けたけど…」「…」そしてミアは心配そうな表情で私を見た。ミアはどうやら私と5兄弟たちの契約の進行具合を確認したかったようだ。クラウスのことを報告して以来、何も言えていないので、ミアもさすがに心配になってきたのだろう。「魔界へ来てもう一年が経つでしょ?そろそろヘンリーとの契約もできそうなんじゃないかな、て。難しいなら私…いや、僕も魔王として協力するし」こちらを未だに心配そうに見つめるミアは何て優しくて天使のような子なのだろう。中身があの魔王、テオであるとわかっていても、ミアの評価は私の中でどうしても崩れない。ずっと大好きな友だちのままだ。「大丈夫。もう少しで契約できそうだから。いつもありがとね」私はミアの優し
Last Updated: 2025-10-24
Chapter: 20.happy end side白ウサギside白ウサギ「私はここに残りたい」裁判後、〝不思議の国のアリス〟の主人公と同じように意識を手放したアリスが次に目覚めた場所は、僕の小さな家だった。そして全てを知ったアリスは僕に力強くそう答えた。「…っ!アリス!」嬉しさのあまり思わず、僕はアリスに飛びつく。あぁ、やっと。やっとだ。ついにアリスを手に入れた!アリスがこの世界に残ることを決めた時、僕は歓喜で震えていた。ーーーやっとアリスがこの世界を選んでくれたから。アリスがこの世界を選ぶまで、僕は何度も何度も同じ時間を繰り返した。アリスは毎回、そして今回も、初めてこの世界で冒険していると思っているが、それはもう何十回と繰り返されてきたことだった。この世界の住人の誰も知らない真実。同じことを何度も何度も繰り返された世界。誰もが昨日と今日が、今日と明日が、同じであったこと、あることを知らない。…まぁ勘の鋭い者は薄々気づいていたかもしれないが。だが、そんなことどうでもいい。全てはアリスに正しい答えである、こちらの世界を選ばせる為に。アリスはいつもあちらの世界を選んだ。何故か帰ることに執着していた。アリスを殺した世界だというのに。いやこれには語弊がある。正しくは殺そうとした世界、だ。アリスは僕に「私はもうあっちでは死んでいるの?」と、自分の生死を尋ねた。僕はそんなアリスに「死んでいる」と答えたが、実はアリスはまだあちらで辛うじて生きていた。きっと体に魂を戻せば息を吹き返すだろう。だがそれがどうしたという?あのまま生きたってアリスはただ死んだように、死を望みながら、生きることしかできなかったはずだ。
Last Updated: 2025-10-03
Chapter: 19.happy end.帽子屋屋敷を出て、次に向かった場所はもちろん白ウサギが待っている女王様のお城。女王様のお城は帽子屋屋敷の倍広く、最初の頃は1人だとよく迷子になっていたが、ここでの生活も長いので、もう迷子になることはなくなった。今日も歩き慣れた廊下を歩いて、目的の場所へ向かっていると、メイドさんたちに会い、目的の場所へではなく、何室もある内の中で、1番豪華な応接室に案内された。「あぁ!私の可愛いアリス!」そこにはすでにソファに腰掛けている女王様と白ウサギがいた。そして私が部屋に入るなり、女王様は満面の笑みを私に向けた。「こんにちは!女王様!」私もそんな女王様に応えるように笑みを浮かべる。すると女王様はいつもの調子で「相変わらず愛らしい娘ね」とうっとりした顔で私を見た。「アリス、こっちへおいで」「うん」白ウサギに手招きで呼ばれ、私は白ウサギの隣に座る。女王様は机を挟んで、向かい側にゆったりと座っている。「女王様、白ウサギ、お仕事お疲れ様。はい、これ差し入れだよ」席に着くなり、私は手に持っていた袋からクッキーが入っている箱を取り出した。女王様の表情は、私がいるからなのか、とても上機嫌でにこやかだが、目の下には化粧でも隠し切れていない濃い隈があるし、どこか疲れたがある。それに対して白ウサギは飄々としているが。「帽子屋のお茶会のクッキーだよ。味はとっても保証します」「やったぁ!ありがとう、アリス」「さすが、私のアリスだわ。丁度甘いものが食べたかったのよ。そこのメイド、このクッキーに合う紅茶を用意しなさい」私作のクッキーではないのだが、このクッキーがとても美味しいことを、私は知っている。
Last Updated: 2025-10-03
Chapter: 18.不思議の国のアリス「アリスー!起きてー!朝だよー!」目覚まし時計の代わりに、白ウサギの声が私に朝を告げる。この世界に留まることを決めて何日、何週間、何ヶ月経ったのかわからない。でも私は随分長いことここで生きた気がする。「まだぁ…あと5分…」「そう言って30分も寝続けてるでしょ!今日は帽子屋のところに行くんだよね?」まだまだ眠たい私は布団に潜って再び寝ようとしたが、それはバサァッ!と勢いよく白ウサギに布団を剥がされたことによって、阻止されてしまった。「うぅー!布団…っ」「はい、起きるー。おはよー」必死に布団を取り返そうとする私をひらりとかわして、白ウサギは私が起き上がらないと取れないような場所に布団を置く。…これはもう起きるしかない。ここは白ウサギと共に暮らしている小さな一軒家。もちろん帽子屋屋敷や女王様のお城みたいに豪華絢爛、超巨大な建物ではない。ごくごく普通の2人で住むには丁度よいサイズの木の家だ。ちなみに私がこの世界に残ることを決めた時に寝ていた部屋もこの家の部屋だった。今ではそこが私の部屋だ。いつもの水色のワンピースに袖を通して、身支度をする。それから白ウサギが用意してくれていた朝食を白ウサギと共に食べ始めた。「そういえば白ウサギは帽子屋の所には行かないの?」「うん。僕もアリスと行きたい気持ちは山々なんだけど、お城での仕事があってね」温かいスープを口にしながら、白ウサギを見つめれば、白ウサギが残念そうな顔をしてこちらを見る。あれからこの世界はいろいろ変わり、白ウサギはこの世界での何と宰相のようなポジションをすることになったらしい。なので、時折こうやって、お城に行かなければならない日があった。「そっか…。残念だね。あ!あとで差し入れ持って行くよ」「本当!忘れないでよ?アリス」2人でクスクス笑い合いながら朝食を食べる。幸せだなぁといつもこういった瞬間にふと感じた。何気ない日常に幸せを感じられる。元に戻る選択をしていれば、得られなかった幸せだ。本当にここへ残る選択をしてよかったと心から思った。*****この森を少し歩けば、帽子屋屋敷に着く。何度も歩いて見慣れてしまった帽子屋屋敷までの道のり。そういえば、この森でチェシャ猫に会ったんだよね。小さな私の上から降りてきた。それがチェシャ猫だった。「アーリス」チェシャ猫との出会
Last Updated: 2025-10-02
Chapter: 17.白ウサギ瞼をゆっくりと開ける。まず私の視界に入ったのは、見慣れない天井だった。それから下に感じるのはふわふわのマットレス。それだけで私は知らない部屋のベッドの上で寝ていたことを察した。全部思い出した。私は榊原アリス。この夢のような物語は全て私が望んだことだった。生きることを諦め、自殺した私が。…私は死んだのか。「アリス」目を覚ました私に誰かが優しく声をかけてきた。この声は…「白ウサギ」体を起こして私に声をかけてきた声の主の名前を呼ぶ。ずっと私は白ウサギを探していた。会いたかった。ここへ迷い込む前からずっと。その白ウサギが今、私の目の前にいる。「…っ」気がつくと涙が溢れていた。真実を知ったことによって、白ウサギへの印象が随分変わった。私の願いを叶える為に、白ウサギはどれほど頑張ってくれたのだろう。頑張って頑張ってやっと私に会えた時、私が死にかけていたなんて。だから白ウサギはたまに泣きそうな、悲しそうな顔をしていたのだ。「泣かないで、アリス。笑って」泣き始めた私に対して、白ウサギは泣きじゃくる子どもをあやすように、優しくそう言って笑った。白ウサギの細く長い指が、私の涙を丁寧に拭う。「し、白ウサギ、ごめんね」「どうして謝るの」「だって、私は白ウサギが頑張っていたのに死のうとした…」「だから何?」止まらない涙を拭いながらも、謝る私に白ウサギが今度はおかしそうに笑う。「あんな形でしかアリスは救われなかった。ただそれだけだよ。肉体が死んでしまっても、魂さえ生きていれば魔法でどうにでもなるし。僕の方こそ遅くなってごめんね」そして最後はまたあの悲しそうな笑顔を浮かべて、私をまっすぐ見つめた。「ねぇ、白ウサギ」私の涙も落ち着いてきたところで、白ウサギの名前を再び呼ぶ。「何?」「ここはアナタが魔法で私の為に作り出した世界なんだよね?」「そうだよ」「世界が同じ1日を繰り返すのも、同じことしかできない登場人物たちも全て?」「そう」 私の質問に白ウサギがにこやかに淡々と答えていく。「アリスの望みは〝不思議の国のアリスのように冒険したい〟でしょ?だから毎日この世界はアリスの為に〝不思議の国のアリス〟の物語として動いているんだよ」「その登場人物たちには、私や白ウサギみたいに意思はあるの?」「もちろん。彼らは知らず知らずのうち
Last Updated: 2025-10-01
Chapter: 16.榊原アリス私の名前は榊原アリス。日本有数の由緒ある一族、榊原家の娘、だった。家族は姉が2人と兄が2人。それから両親がいて大きなお屋敷には祖父母や使用人、たくさんの人がいた。あぁ、だけどそうだった。あそこにはたくさんの人がいたけれど、私の味方なんて誰一人いなかった。あそこには私の居場所などなかった。いや、あそこだけではない。世界中どこを探しても、そんな場所はなかった。何故なら私の髪が生まれつき色を持たず、日本人でありながら真っ白な髪だったから。血筋や伝統を重んじる榊原家において、私はただただ異質なものでしかなかった。「お前なんて産まなければよかった。お前は榊原の恥よ」物心ついた頃からそう実の母親に言われて生きてきた。榊原の恥と言われ、なるべく表舞台に私が立たないように幼少期からずっと家に閉じ込められて。幼い私の世界はあの家が全てだった。そして、その全てである家の中で、私はいつも孤独だった。「嫌っ!痛いっ!」グイッと白く長い私の髪を掴まれて、私は悲鳴にも聞き取れる声を上げる。「うるせぇな」「気持ち悪いんだよ」「化け物」私を囲って歪んだ笑みを浮かべる兄弟たち。彼らは毎日私を虐めた。「はっ離して!」頭皮と髪の境目が引き裂かれそうだ。だが、どんなに痛くても実際には、なかなか引き剥がされることはなく、髪と一緒に体が上へと持ち上げられていく。「気持ちが悪い」「何でそんな色なの?」「普通じゃない」「化け物」「近寄るな」「こっち見んな」「お前なんて生まれて来なければよかったのに」私に悪意を向けるのは決して兄弟たちだけではない。両親や祖父母、私の家族と呼べる存在は、全員私を見るたびに私に悪意をぶつけてきた。終わらない言葉の暴力。心も体も痛くて痛くて。抵抗しようともがいても、私にはなんの力もない。幼い私はただただその暴力を無力にも全て受けることしかできなかった。…だが、しかし。12歳の春。あの春だけは私は1人ではなかった。「白ウサギ!」私と同じ真っ白な子ウサギ。私はその子ウサギに大好きだった絵本、〝不思議の国のアリス〟から白ウサギの名前をもらい、〝白ウサギ〟と名付けた。この子ウサギの白ウサギは、榊原家の敷地内で弱っていた所を、たまたま私が見つけて、誰にも内緒で保護した子だった。そして私の部屋でこっそり飼っていた。白ウサギは名
Last Updated: 2025-09-29
Chapter: 15.裁判ギィィィィッと、重みのある低音と共にゆっくりと扉が開かれる。「うわぁ…」扉の向こうに広がっていた世界は、絵本そのものの裁判会場で、思わずこんな時だが、感嘆の声が漏れてしまった。赤と白と黒のみで統一されたおかしな空間。罪人席には、帽子屋、チェシャ猫、ヤマネの姿があり、裁判長席には大きな座り心地の良さそうな椅子に腰掛けた女王様の姿がある。「…連れて来たぞ」「…」私たちがいるのは、そのちょうど中間あたりで、三月ウサギは裁判会場に入るなり、最悪の機嫌で女王様に声をかけた。だが、女王様は微笑むだけで返事を一切しない。無視だ。さらに目も笑っていない。「アリスよく来たわね、こちらへいらっしゃい」相変わらず目の笑っていない女王様が、私にそう優しく声をかけ、手招きをする。「…っ」なんて恐ろしい笑顔なのだろう。あまりにも美しく、そして他者の心を恐怖心で支配する女王様の笑みを見て、私は思わずその場で硬直してしまった。「あら?どうしたのかしら?早くいらっしゃい、私の可愛いアリス」そんな私を見てクスクスと少女のように女王様が笑う。いつまでもこうしている訳にはいかない。私の目的は帽子屋たちを助けることなのだから。私は意を決して、女王様の元へ一歩、また一歩と歩みを進めた。そして、やっとの思いで女王様の元へ辿りつくと、女王様はそんな私を見て満足げに微笑んだ。「アナタを待っていたのよ、アリス」「…」私はそんな女王様を恐れることなく、まっすぐ見つめた。恐ろしく、何よりも美しい、この女王様から、何度も言うが、私は帽子屋たちを助けなければならないのだ。今は怯んでいる場合ではないのだ、と自分を鼓舞する。「挑発的な眼差し、嫌いじゃないわ」何も言わず、ただ女王様を見つめ続けるだけの私に愉快そうに女王様はその瞳を細める。「さて、それでは裁判を始めましょうか」それから女王様は私から名残惜しそうに視線を逸らすと、裁判会場全体に目を向け、会場にそのよく通る声を響かせた。ーーーーついに裁判が始まるのだ。まず最初に口を開いたのは、女王様と帽子屋たちの間に立っていた、身なりの整った中年男性だった。「帽子屋、チェシャ猫、眠りネズミ、三月ウサギ。彼らの罪状は反逆罪でございます。先日のクロッケー大会の時、彼らはあろうことか我らが崇拝すべき絶対の存在であられる女王様に
Last Updated: 2025-09-27