Mag-log inとある日の昼下がり。「あっはっはっは!」お昼時を過ぎ、客足も落ち着いてきた飲食店に、看板娘の笑い声が響いた。「…本当、笑えるよね」窓際の席で力なく項垂れ、そう呟いた私に、看板娘のアメリアが堪えきれない、といった様子で肩を震わせる。その度に、後ろに一つにまとめられたチョコレート色の髪が、ゆらゆらと揺れた。「いや、確かにアンタは綺麗だよ!?私、こんなにも綺麗な人、見たことないもの!だけど魔性の女の器ではないでしょ!?」細められたアメリアの桃色の瞳には、笑いすぎて涙も溢れている。アメリアと知り合ったのは、この街に来てからだ。その為、付き合いはまだ長くない。しかし、歳が近かったこともあり、私たちはすぐに打ち解け、今のような砕けた間柄になっていた。「もう、これも全部セオドアとウィリアム様とライアンのせいだよ…」笑い続けるアメリアを横目に、本日何度目かわからないため息を漏らす。そう、私は今はここにいないあの3人のせいで、街中で〝魔性の女〟と呼ばれてしまっていた。…彼らがあまりにもどこででも私の婚約者面をするからだ。ある時は、セオドアが、ある時は、ウィリアム様が、ある時は、ライアンが。代わる代わる隣にいる男が変わる私に、街の人たちがそのような印象を抱いても仕方ないとは思う。…が、これでは私が何人もの男を手玉に取る加害者だ。間違いなく、加害者ではなく、被害者であるというのに。…ああ、最悪すぎる。恥ずかしいがすぎる。「魔性の女ってのはああいう、ミリア姉さんのような人のことを言うよねぇ」落ち込む私に、笑いながらもアメリアが他の場所へと視線を向ける。そこには、豊満な胸を主張する何とも布面積の少ない服を着ている美女がおり、彼女の周りには頬を赤く染めた男性が集まっていた。まさにあれこそが男を手玉に取る魔性の女の見本だろう。私の噂だけ聞いた人は、私があんな色気漂う女だと思っているに違いない。「…穴があったら入りたい」「あははは!よ!魔性の女!」頭を抱える私に、アメリアはまた楽しそうに笑った。「…で、その魔性の女さんに聞くけど、そのめっちゃ高そうなネックレスはどの婚約者様から?」「あぁ、これ…」おかしそうに桃色の瞳を細めながら、アメリアが私の首元を指差す。そこには、アメリアの指摘通り、確かに高そうな宝石が輝いており、見る人が見れば
薄暗い寝室。静まり返った部屋を照らすものは、ベッドサイドのランプが放つ淡い光だけでーーー。今日もいろいろなことがあった。朝からライアンがベルモンド商会として営業に来て、ウィリアム様とにこやかな言い合いをして。ライアンもウィリアム様も相変わらずで。それでもたくさんの収穫もあった、充実した1日だったと思う。今日1日を振り返りながらベッドへと腰掛ける。そして、ランプを消そうとした、その時。「リリー。今日は僕もここで寝るから」当たり前のように現れた寝巻き姿のセオドアに、私は言葉を失った。え、なんて?ここで、寝る?白のシルクのガウンに身を包むセオドアに、思わず怪訝な顔をする。だが、そんな表情をされてもセオドアは平然としていた。「…さすがに一緒には寝ないよ?」「なんで?」私の言葉に、意味がわからない、といった表情を浮かべるセオドアに頭が痛くなる。なぜ、そんな顔ができるのか。「…私たちは赤の他人で、しかも男と女なんだよ?」呆れつつも説明すると、セオドアはおかしそうに表情を歪めた。「少し前のお前なら僕と寝たはずだ。それなのに今更何で寝ないと言うんだよ?」「そりゃあ、前はね。私とセオドアは姉と弟だったんだから。でも今は違うでしょう?」「じゃあ僕はお前の何?」「…弟ではない人?」私の曖昧な答えに、セオドアが綺麗な顔の眉間にシワを寄せる。私の答えが気に食わないのだと、その表情一つでよく伝わる。「はっきり言えよ。他に言いようがあるだろ?」「…」何と難しい要求なのだろう。
ライアンが帰った昼下がり。開けられた窓から吹く風によって、ゆらゆらと揺れるカーテンを横目に、私は大きなソファに腰掛け、趣味である刺繍をしていた。白いハンカチに、金色の刺繍糸が一針一針縫われていく。普通の刺繍糸とは違うそれは、見る角度によって、様々な煌めきを見せた。この糸は先ほどライアンからもらった魔法具のうちの1つだ。願いを込めながら縫うとその願いが叶うというもので、呪具にも近いものだった。手を動かすたびに、ハンカチに思い描いていた模様が浮かび上がっていく。この時間が私は何よりも好きなのだが、横からの刺さるような視線のせいで、どうにも落ち着かない。…気が散る。手元からちらりと迷惑な存在を盗み見ると、彼は優雅に長い足を組み、不満げにカップに口をつけていた。にこやかな笑みを浮かべたまま。「リリー」スッと流れるような美しい所作でカップをお皿に置き、ウィリアム様が私を優しい声音で呼ぶ。だが、その声音とは裏腹に、ウィリアム様の黄金の瞳はまったく笑っていない。「何でしょうか…」さすがに刺繍をしながら聞くわけにもいかず、私は手を止め、ウィリアム様を見つめた。するとウィリアム様はそんな私に柔らかく微笑んだ。「あれは浮気だよ、リリー。君の婚約者は俺だというのに、俺ではない男を優先して、ましてや密室で2人きりになるなんて」笑みを絶やさず、私を責めるウィリアム様に、深いため息を漏らしそうになる。…が、私はそれをぐっと堪えて、ただ眉をひそめるだけに留まった。「何度も言いますが、ライアンが私の許嫁ではないように、ウィリアム様も私の婚約者ではありません。あれは浮気でもなんでもないんです。それにアナタの婚約者はレイラ様で…」「違うよ。レイラの代わりであった君の婚約者だ」
「リリー。それは聞けないお願いかな」「聞いてください。私は今、ライアンの話を聞きたいんです」「聞かなくてもいいよ、彼の話なんて。シャロンの方がよっぽど有意義な提案ができる」「それでもです」困ったように眉を下げるウィリアム様に、私は態度を変えなかった。強い言葉で、断りを入れ続ける。何度かやり取りを続けていくうちに、ウィリアム様はようやく私が本気だと悟ったようで…。「わかったよ、リリー。けど、俺はあくまでこの部屋にいないだけだからね。扉のすぐ向こうで君を待つから」そうわざとらしく寂しそうに微笑んで、やっとこの部屋をあとにした。…とはいえ、言葉通り、扉のすぐ向こうにいるだけだが。「お前、いろいろと苦労してるんだな」やっと落ち着いたところで、ライアンが労うようにそのグリーンの瞳を細める。「まぁ、フローレスで男爵令嬢をやってた時の方が気楽だったのは確かかも」私はそんなライアンに大袈裟に肩を落としながら、自嘲気味に、はは、と乾いた声で笑った。フローレスのリリーだった時は本当によかった。男爵令嬢とはいえ、没落寸前だったため、ほぼ平民のようだったし、そんな私には貴族のようなしがらみもなく、まさに自由だった。お金はないが、質素でも十分幸せだった。しかし、今ではどうだ。貴族のしがらみから何とか逃げたかと思えば、そこには貴族の象徴とも言えるセオドアとウィリアム様がいるではないか。おまけに過干渉すぎる2人に、何度頭を痛めたことか。けれど、強く彼らを突っぱねられない私もいた。6年という歳月を共にした時間がそうさせているのか、わからない。だが、歪んでいるが、私たちには確かに絆というものがあった。彼らといる時間は辛いものばかりではない。楽しいと思える時間もあるのだ。…本当におかしな話だが。複雑な気持ちになっていると、ライアンは明るい声を出した。「リリー。紹介したい魔法具がまだまだたくさんあるんだ。これなんか、おすすめなんだけど…」そして本来の目的であった、ライアンによるベルモンド商会の魔法具の営業が再開された。その後、数十分ほど興味深い話を聞き終えた後、今回はサンプルや試作品をもらう、という形で話は終わった。その中でも特に興味を引いたのは、どんな環境でも清潔さを保てるという指輪だった。忙しい人や過酷な環境に身を置く人にとって、間違い
「ライアン。今日はベルモンド商会の魔法具を見せに来たんでしょう?営業に来たんでしょう?」「それもそうなんだけど…」私に詰められて、ライアンが何とも歯切れの悪い返事をする。何か言いたげではあったが、ライアンは「まぁ、いいか」とガシガシと一度頭を掻くと、表情を変えた。あの大富豪、ベルモンド商会の者としての表情に。「アルトワのリリー様。本日はお時間をいただき、ありがとうございます。お見せしたい商品なのですが…」先ほどの威勢はどこへやら。にこやかな好青年のような雰囲気で、ライアンがこちらの様子を窺う。昔から知るライアンとは違うその姿に、違和感しかない。「…気持ち悪いよ、ライアン。普通でいいから」「そうか?これが俺の営業モードなんだけど」「営業モードじゃなくていいから」「わかったよ、リリー」眉をひそめる私に、ライアンはぱちんっとウィンクをした。******ベルモンド商会の魔法具の営業を受けるために、私たちは応接室へと移動した。机を挟んで目の前には、大きな箱を横に控えたライアンがおり、私の隣にはなぜか当然のようにウィリアム様がいる。「まずはこれ。これは壊せば目標地点に一瞬で移動できるものだ」最初に箱から出てきたのは、アメジストのように見える、ただの紫色の綺麗な石だった。あれがそんな優れものには見えないが、ライアンの話が本当なら驚きだ。「次にこれ。これは水さえやり続ければ、1週間で花が咲く種だ。寒色系から暖色系までランダムにいろいろな色の花が咲くんだ」次に見せられたものも、見た目はただの種だった。どんな花が咲くかわからない、けれど、結果
sideリリー「ベルモンド商会の者です。本日はアルトワ伯爵家のリリー様に特別な魔法具をお持ちいたしました」玄関ホールに降り注ぐ太陽の光を受け、彼のオレンジの短髪がいつもよりもさらに炎のように揺らめく。彼はベルモンドとして、とても丁寧な言動を取っていたが、細められたグリーンの瞳はいたずらっ子のようだった。「ラ、ライアン…?」昨日再会したばかりの幼馴染が、まさか仕事としてここに来るとは夢にも思わず、私は驚きでいっぱいの表情を浮かべる。「…」そんな私の言葉に、隣にいたウィリアム様の雰囲気は、一気に刺すようなものへと変わった。相変わらずの笑みを浮かべているウィリアム様だが、その目には一切の温度がない。品定めするように、じっとライアンを見つめるウィリアム様に、私は内心冷や冷やしていた。*****ライアンと再会した昨晩のこと。私はいつものようにウィリアム様とセオドアと共に夕食を食べていた。…が、あることが原因で、あまり食事が喉を通っていなかった。「幼馴染で許嫁…ね」手に持っていたナイフとフォークを置き、静かにそうウィリアム様が呟く。微笑みこそ消えないが、伏せられたまぶたの奥から怒りのようなものを感じて、頭が痛くなった。昼にあった出来事を、セオドアがあの場にはいなかったウィリアム様に話した瞬間、これだ。ライアンと別れた後、私は馬車内で散々セオドアに責められた。『婚約者は僕だけだ』『お前が適当だから勘違いするやつが出てくるんだろ』『貞操観念はどうなっているんだよ、お前』こうなったセオドアを止めることは、ほぼ不可能だ。仕方なく、た
次に目を覚ました時、私は死んでいなかった。見覚えのある天井に自分が今、レイラ様の部屋にいるのだと把握する。何となく体を起こす前に誰かの気配を感じたので、横を見てみれば、そこには椅子に座り、ベッドにうつ伏せになって寝ているセオドア様の姿があった。何故、ここにセオドア様が?疑問に思いながらも体をゆっくりと起こす。すごく重たい感じはするが、それ以外に特に目立った異常は感じられない。毒を飲んだ割には至って正常だ。今までの毒の中でも強力なものだと思っていたのだが、そうではなかったのかもしれない。「…ん」私が起きた気配を感じたのか、セオドア様も目を覚まし、体を起こした。それから至って
アルトワ伯爵家に来て早、1ヶ月。少しずつここでの生活にも慣れてきたのはいいのだが、セオドア様の私に対する嫌がらせは、現在も当然のように続いていた。相変わらず私のものはよく壊されるし、わざと物置や小さな部屋に閉じ込められる。さらには食べ物や飲み物に微量な毒まで入れられて、体調不良を起こすことも度々あった。嘔吐に腹痛に頭痛に熱まで。一通りの症状をここ数週間で全て経験した。しかし本当に微量の毒だったので、ちょっとした不調にしかならず、苦しんでも2日ほどだった。なので、私の体調不良をアルトワ夫妻は、環境が急に変わったストレスによるものだと思っているようだった。「あら、ちょうどいいところに
気まずすぎる夕食を終えた後、私は私に与えられたレイラ様の部屋で、明日やる勉強の予習と今日の勉強の復習を行う為に、机へと向かっていた。 白色と星空のような深い青色の家具で統一されたレイラ様の部屋は、1週間経った今でもあまり落ち着かない。 男爵家にいた頃は必要最低限のごくごく普通の家具たちに囲まれて生活していた。 それが今ではこんなどれもとても高そうなものばかりに囲まれて生活しているのだ。 どこかふわふわして落ち着かないのも無理はない。 「…はぁ」 そんな落ち着かない部屋で私はじっとノートを睨みつけ、今日も深いため息をついた。 …わからない。わからないから頭に全く入ってこない。
その日、没落寸前の男爵家の一人娘、リリー・フローレスは死んだ。 「リリー。お前は我がフローレス男爵家建て直しの為に、アルトワ伯爵家に行くんだ。アルトワ伯爵家のたった1人のご令嬢、レイラ・アルトワ様として」 私の向かい側に座るお父様がそう神妙な面持ちで言う。 同じくお父様の隣に座るお母様もずっとお父様と同じような表情で、時折、心苦しそうに私から視線を逸らしていた。 12年間生きてきた中で初めて乗った豪華な馬車。 私たち没落寸前の男爵家の力では一生乗ることのできなかったもの。 そんなものに今乗って移動しているのは、私が今日からレイラ・アルトワ様になるからだ。 レイラ・アルトワ様。







