神殿の空気は重く湿り、剣戟の音と呪文の詠唱が交錯していた。
リディアの率いる影の戦士たちは、ただの幻影ではない。過去の思念が具現化し、実体を持ったかのように斬撃を繰り出してくる。「ユスティア、左!」
「わかってる!」魔法陣から放たれた光弾が敵を吹き飛ばすが、その影はすぐに形を取り戻す。
エリシアは敵の間を縫い、リディアに迫ろうとした。だが、そのたびに鏡の光が強まり、視界が一瞬揺らぐ。「……また、過去が……!」
目の前に、まだ幼い頃の自分が映る。
王城の広い庭で、誰にも心を開けず一人で花を編んでいた日々。小さな手の温もり、胸に刺さる孤独感。(こんな時に……!)
エリシアは頭を振って意識を引き戻す。
目の前にリディアが現れた。彼女の剣さばきはしなやかで、迷いのない一撃がエリシアを襲う。「リディア姉さん!」
クレインが間に入る。「もうやめてくれ!」「……クレイン。私たちはこうするしかないの。」
リディアは悲しげに剣を振るう。クレインの脳裏にも、故郷での思い出があふれ出す。
母が作ってくれた温かいシチュー。弟妹と取り合った焼きたてのパン。小さな家の中で笑いあった記憶。胸が痛む。それでも彼は剣を構え直した。「姉さん、俺は……今の居場所を選ぶ!」
カイラムが背後から敵を払いのけ、短く声をかける。
「迷うな、クレイン。お前はもうこっち側だ!」リディアの影に囲まれながらも、クレインは一歩前へ踏み出した。
風が渦を巻き、鏡の光が強く脈動する。神殿の床がきしみ、天井から小さな破片が落ちてきた。「鏡が……耐えきれない!」
ユスティアが警告する。「早く決着をつけないと!」<南門での戦いから二日が経った。街は少しずつ平穏を取り戻し、人々は忙しくも穏やかな日常を過ごしていた。だがエリシアたちは知っている。この静寂が長く続くことはないと。朝、作戦室に集まった仲間たちは、前回確保した荷車の調査結果を共有していた。ユスティアが魔道書と結晶を並べながら口を開く。「この魔力結晶、外部から命令を送れる仕掛けが組まれてる。俺が解析した限りだと、遠隔で結界を破壊するためのものだ。」「つまり、まだ敵の指示を待っているってこと?」ネフィラが首をかしげる。「そうだ。これを利用して逆探知できるかもしれない。」ユスティアはペンを走らせ、複雑な陣を描きながら続けた。「ただし、向こうも察するだろう。下手にやれば、また奴らが動く。」カイラムが低く唸った。「奴らの目的が読めない以上、街の外にも罠を張ったほうがいいな。」「それなら俺がやる。」クレインが即座に手を挙げた。その瞳は力強く、もはや迷いはない。「俺は街の外でも戦える。兄さんが何をしようと、俺は俺の道を進む。」エリシアは短く頷く。「ありがとう、クレイン。じゃあ、カイラムと一緒に偵察をお願い。」「了解。」カイラムが立ち上がり、クレインと視線を交わした。ヴァルドが腕を組んで笑う。「俺は防壁を増築してくるさ。ネフィラ、お前は街の噂を追え。」「任せて。」ネフィラは軽やかに微笑んだ。会議を終えたエリシアは一度家へ戻り、母の焼いたパンを頬張った。父が肩を叩き、「無茶をするなよ」と優しい声をかけてくれる。胸の奥が熱くなる。守りたいものは、やはりここにあるのだと改めて思う。その後、クレインとカイラムは街を抜け、南西の丘を進んでいた。風が草を揺らし、遠くにはかすかな人影が見える。「……あれは?」クレインが目を細める。カイラムが剣に手をかけ、低く答えた。
朝焼けが街を包む頃、エリシアは石畳を踏みしめて作戦室へ向かっていた。夜明けの風は冷たく、しかし胸の奥を研ぎ澄ますような鋭さを含んでいる。彼女が扉を開けると、仲間たちはすでに集まっていた。カイラムが剣を研ぎ、ヴァルドは大きな戦斧を肩にかけて立っている。ネフィラは地図の上に細い指を走らせ、動線を確認していた。ユスティアは魔道書を片手に結界の計算式を書き込んでいる。その横で、クレインは真剣な表情で武具を整えていた。「状況は?」エリシアが問いかけると、ネフィラがすぐ答える。「夜明け前に南門近くで不審者が出たけど、追跡中に姿を消したわ。民間の被害は出ていない。」「このまま見逃せば、次はいつ来るかわからない。」カイラムが短く言う。その声には緊張と決意が宿っている。ユスティアが顔を上げた。「結界はあと二時間ほどで完成する。今回は前よりも強固だよ。俺がいる限り、簡単には突破させない。」「頼りにしてる。」エリシアは頷き、皆の顔を見回す。「今度こそ、完全に食い止める。準備を進めて。」「了解。」クレインの声は澄んでいて、これまでの迷いが消えているのがわかった。彼は剣を握り、静かに言った。「俺はもう、何も後ろを振り返らない。」数時間後、街の南門に偵察の報告が届いた。「敵影確認、三刻以内に接触!」門兵の声に、作戦室の空気が一気に引き締まる。「行くぞ。」カイラムが立ち上がり、ヴァルドが低く笑った。「よし、待ってましたって感じだな。」エリシアは剣を腰に収め、仲間を見回した。「これが私たちの街。絶対に通さないわ。」太陽はまだ高く昇りきっていない。だがその光は、彼らの決意を照らしている。隊は南門へと向かい、兵士たちはその後を無言で追った。足音が石畳に響き、戦の予感が街全体を包んでいく。◆◆◆南門を出ると、草原の向こうから砂塵が舞い上が
夕陽が街を黄金色に染める頃、エリシアは両親の屋敷を再び訪れていた。母が台所でスープを煮込み、父は小さな庭で新しい柵を組み立てている。窓から差し込む光の中で、彼女はふと立ち止まり、胸にこみ上げるものを感じた。「お母さん、ただいま。」「おかえりなさい、エリシア。」母は微笑み、鍋の蓋を開けて湯気を立てた。「今夜は特別よ。あんたの好きなハーブをたっぷり入れておいたわ。」「お前の活躍は街中で話題だぞ。」父が笑い、柵を打つ手を止めてこちらを見た。「ただ、無茶はするな。」「……うん。今度こそ、みんなを守れるようにするから。」食卓を囲んだその時間は、嵐の前の静けさを感じさせるものだった。パンの香り、スープの温もり、両親の笑顔が、エリシアの胸に力を与える。一方その頃、作戦室ではカイラムたちが次なる防衛計画を練っていた。クレインは魔導書を広げ、敵の荷車から回収した結晶を調べている。「これ……まだ封印されてる。だけど、正しく使えば街を守る結界の強化に使えるはず。」ユスティアが目を輝かせる。「なるほど、その理論なら俺の結界術と合わせられるかもしれない。」「やってみる価値はある。」カイラムが頷き、地図を指さす。「ただし、奴らが来る前に準備を整える必要がある。」ネフィラが街の噂をまとめて報告する。「敵はまだ潜んでる。でも、民衆の間に恐れはあっても、あなたたちへの信頼もあるわ。皆、次の戦いに備えている。」ヴァルドが拳を握り、声を低くした。「ならば俺たちがその期待に応えねばな。」夜風が窓を揺らす。街の外れでは火の見櫓が建てられ、見張りの兵士が交代で巡回を続けていた。平穏の中に、次なる嵐の気配が潜んでいる。その夜、エリシアは自室の窓辺に座り、月明かりを見つめながら剣を磨いた。剣に映る自分の瞳は、もう迷いを知らなかった。「…&hellip
夜が明けたばかりの街。鐘の音が響き、人々が新しい一日を迎えるために動き出していた。昨日の報告を受け、エリシアたちは再び作戦室に集まっていた。壁には地図が広がり、敵の動向や隊商の情報が書き込まれている。「クレインの兄が……」と、ユスティアが慎重な口調で口を開く。「その情報は重い意味を持つわ。敵がどこまで組織だっているかを示している。」クレインは、昨日の夜を思い返すように目を閉じた。だがその表情には、これまでのような迷いはもうなかった。「あのとき、俺は迷った。でも……もう二度と、迷わない。」カイラムが剣を研ぎながら目を細める。「その言葉、簡単じゃないぞ。」「わかってる。」クレインははっきりとした声で答えた。「兄さんが敵になった理由は、これから知る。でも、俺の選ぶ道は変わらない。この街と、この仲間を守る。それが俺の決意だ。」エリシアはその言葉に優しく微笑み、剣の柄を握った。「なら、頼もしい限りね。」「……情報を持ち帰ったあの隊商、今度は東の丘を越えるらしい。」ネフィラが報告する。長い髪をかきあげながら真剣な目を向けた。「今ならまだ追いつけるわ。」「よし、準備を整える。」ヴァルドが立ち上がり、戦斧を肩に担ぐ。「向こうも前より強く警戒しているだろう。こっちも気を抜くな。」出発の準備を進める中、エリシアは両親の屋敷へ立ち寄った。母は相変わらず薬草を摘み、父は道具の手入れをしている。「また出かけるのね。」母が静かに問いかける。「ええ。でも、ちゃんと帰ってくるわ。」エリシアの答えに、父は力強くうなずいた。「お前は私たちの誇りだ。戻ったらまた一緒に夕食を食べよう。」その言葉を胸に刻み、エリシアは仲間のもとへ戻った。クレインはすでに剣を帯び、カイラムと肩を並べている。「準備はいいか?」とカイラムが問う
昼過ぎ、街はようやくひと息ついたように見えた。瓦礫は片付けられ、商人たちが慎重に屋台を並べ始めている。広場には香ばしい焼きたてパンの匂いが漂い、子どもたちが走り回っていた。まるでつい昨日まで戦闘があったことが夢だったかのように、街は平穏を取り戻そうとしていた。エリシアは父と母が営む小さな屋敷の庭を訪れていた。母は薬草を摘み、父は木材で椅子を修理している。「無事でよかったわね、エリシア。」母は娘の手を取り、傷がないか確かめるように撫でた。「あんたが戦いに出ていくたび、胸が締めつけられるのよ。」「ごめんなさい……でも、私はここを守りたい。」エリシアは穏やかに答えた。父が微笑む。「お前はもう、私たちの自慢だ。だが、自分も大事にしろ。」その言葉が胸に沁みた。まだ街を守る責務が重くのしかかる中、両親の温もりは彼女にとって何よりの支えだった。その後、広場に戻ると、仲間たちが作戦会議を始めていた。カイラムは地図を広げ、警備のルートを見直している。ユスティアは新しい結界の設計図を書き、ネフィラは商人たちから聞き込みを行っていた。ヴァルドは防壁の補修計画を確認し、クレインは台所で傷ついた兵士たちのための特別なスープを煮込んでいる。「みんな、ありがとう。」エリシアが声をかけると、ネフィラが軽やかに笑った。「こちらこそ。あなたがいるからこそ、私たちも頑張れるのよ。」そのとき、門番が駆け込んできた。「報告!北の森で不審な隊商が目撃されました。外套を着た者たちが……!」空気が一瞬で張り詰めた。「すぐに確認しに行くわ。」エリシアが答えると、カイラムが立ち上がる。「俺も行く。」クレインは鍋の火を止め、真剣な眼差しを見せた。「俺も行きます。戦うために剣を握るって決めたから。」「待って、街はどうする?」ユスティアが問いかけると、ヴァルドが
森の戦いを終えてから数時間後、エリシアたちは夜明けとともに街へ戻った。まだ空が淡い群青に染まる頃、街の門をくぐると、人々が徹夜で瓦礫を運び出している姿が目に入る。暖かなスープの匂いが漂い、救護所ではメイドたちが包帯を交換していた。「……みんな、おつかれさま。」エリシアが低く声をかけると、作業していた人々が振り向いて笑みを見せる。だが、その笑顔の裏には不安が潜んでいるのを彼女は見逃さなかった。カイラムは無言で剣を拭きながら、門の外を見つめている。「あの仮面の男……あのまま帰したのは気に食わん。」「でも、あれ以上やってたら被害が出てたわ。」ユスティアが肩をすくめる。「情報を持ち帰らせてしまったことも気になるけどね。」クレインは腰を下ろし、手のひらを見つめていた。まだ微かに震えるその指に、戦いの重さが宿っている。「……彼、最後に俺を見ていた。何か言いたそうに。」「それでも、あんたは剣を振るった。立派だったわ。」エリシアは優しく微笑むが、その胸には痛みがあった。ヴァルドが大きな手で肩を叩く。「戦いは戦いだ。迷うのは当然だが、それを乗り越えるのもまた力だ。」「……はい。」クレインは力強くうなずく。そのとき、ネフィラが舞うような足取りでやってきた。「街中でまた噂を聞いたわ。西門の近くで、外套を着た怪しい連中が夜な夜な動いているらしいの。」「……やっぱり、街の中にも潜んでる。」エリシアは眉をひそめ、すぐに作戦を練り始めた。「まずは夜警を増やすわ。ユスティア、結界を強化できる?」「もちろん。」集まった仲間たちの間に、決意の熱が再び生まれる。だが同時に、誰もがまだ見えぬ脅威を感じていた。◆◆◆夜が明けきる頃、街の広場では小さな集会が開かれていた。焚き火を囲