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真一の夢は確信していく

Author: 吉乃椿
last update Last Updated: 2025-06-08 17:32:27

エレベーターの扉が閉まったあとも、真一はしばらく無言だった。

(……また、同じ夢だった)

焼けつくような空気。

剣戟の音、血の匂い。そして――

白い衣を纏い、祭壇の前で祈るように膝をついていたあの人。

夢の中のその姿が、朝の光を浴びた梨央の横顔と、何度も重なった。

(あれは――彼女だ)

自分でも、なぜそんな確信があるのかわからない。

けれど、否定しようとすればするほど、胸の奥が疼いた。

眠りが浅く、何度も目が覚めた夜。

あの夢がまるで現実の続きのように繰り返されるたび、後悔と痛みが身体に染みついていく。

(……俺は、彼女を……)

思い出せない。けれど、確かに「何か」を彼女にしてしまった。

そして、今――目の前にいる彼女が、同じ夢を見ているとしたら。

(話すべきだ。怖くても)

彼女が怯えているのがわかる。

あのときのように、何も知らずに傷つけてしまうのは、もう嫌だ。

「今度こそ、守りたい」――そう思った気持ちが、夢の中での“誰か”の台詞ではなく、自分自身の叫びだったと、今ならわかる。

(……梨央さん。君に、話したいことがある)

過去がどうであれ。

夢が何を告げていようと。

今、この手で守れるものがあるのなら――

彼は静かに拳を握った。

まだ確かな言葉にはできない。でも、心の奥にはもう決意があった。

「篠原さん、ちょっとだけ……時間、もらえますか?」

昼休み直前、有馬は声をかけた。

普段と変わらぬ丁寧な口調。でも、どこか言い淀むような、迷いがにじんでいた。

「はい……どうかしました?」

「いえ、ちょっと……話したいことがあって。外の空気、少し吸いませんか?」

梨央は一瞬戸惑ったが、頷いた。

会社の裏手にある小さな中庭。

ベンチに腰かけ、ふたりの間に静かな風が吹き抜ける。

有馬はしばらく何も言わなかった。

指先で紙コップのフチをなぞりながら、ようやく口を開いた。

「……変なことを言うようですけど、最近、夢を見るんです」

梨央は、手に持っていたお茶のカップをぎゅっと握りしめた。

心臓の音が、また大きくなっていく。

「夢……?」

「はい。炎が立ちこめる戦場のような場所で……あなたによく似た人が、白い衣で、祈っている。……それを、ただ見ているしかない自分がいて……」

そこまで言ったとき、有馬はふっと息を吐き、視線を遠くに向けた。

「ただの夢かもしれない。記憶のすり替えかもしれ
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