「ガネーシャお嬢様、お目覚めでしょうか?」
メリナの控えめな声が聞こえてきて、私は「起きているわ」と返事を返した。 前世では一度もダリア達を出迎えた事はない。 けれど、今回は違うわ。歓待するかのように出迎えて、ダリア達の出鼻をくじくのよ。 「洗顔とお茶のご用意が出来ております」 「ありがとう」 「本日のドレスはいかが致しましょうか?」 今日の為に、選んでおいたドレスは二着。最先端の流行を捉えた若草色のドレスと、淡い黄色で袖とスカート部分に白いレースをふんだんに使ったドレス。 ダリアに悪印象を与えてはいけないわ。初めが肝心よ。穏やかで可憐な令嬢のイメージを与えるものを選んだのだけど、迷うわね。 ベッドで紅茶を頂きながらメリナが出してくれた二着を見比べていると、不意にベリテの声が聞こえた。 「偵察に子爵家を見てきたけど、ダリアは黄緑色のドレスを選んだみたいだ」 黄緑色……若草色と被るわね。似たような色味で豪奢なドレスを着ていたら、それだけでダリアは劣等感から憎しみをいだくかもしれないわ。 「ガネーシャ、返事は声に出さなくても心の中で語りかければ僕に伝わるよ」 ──そうなの? 試しに問い返すと、ベリテは頷いた。 「そう、それでいい。声に出していたら怪しまれるからね」 確かに、私が天使を召喚した事は、まだ誰にも知られる訳にはいかないわ。特にダリア達には。何がダリアに悪魔を召喚させる起爆剤になるか分からないもの。 ──ベリテ。淡い黄色のドレスならダリアに己と見比べさせる心配もないと思うのだけど。 「その方がいいだろうね。何にせよダリアは悪趣味……いや、流行りに疎いドレスしか持っていないようだから、反感は避けられないだろうけど。それでも真っ向からコンプレックスを刺激するのは良くないだろうし」 ──そうよね。……それにしても悪趣味って……お父様も最低限のドレスは買い与えているのよね?我が子がそんなドレスを着ていたら止めに入りそうなものだけど。 「我が子だから甘やかしてしまうんじゃないかな。愛人の子にさせてる負い目もあるから、あまり文句も言えないだろうし」 ──そういう考え方もあるのね。という事は、我がままに育てられて社交にも疎いのかしら。日陰の身ならお茶会にも呼ばれないでしょうし。まあ、それは置いておいて、ドレスは決めたわ。 「メリナ、今日は淡い黄色のドレスを着るわ。淡い色は太って見えやすいから、コルセットをきつく締めてちょうだい」 「はい、かしこまりました。お出迎えの後は昼餐を控えておりますので、あまりきつく締めますとお召し上がりになれないのではと心配ですが……」 「大丈夫よ」 コルセットには幼い頃から慣れているもの、どうという事もないわ。 そして私は身支度を整え、ひりひりするような緊張感の漂う朝餐をお父様と済ませた。 「お父様、兄妹の方々とは仲良くして頂けるかしら。せっかく家族になるのですもの」 「お前が心を開いて優しく歩み寄れば、大丈夫だろう」 ……何かしら、嫌味に聞こえるわ。私は今生で嫌がる素振りを見せてはこなかったわよ? 「ええ、お父様。私は一人娘でしたもの、兄妹が出来る事は楽しみですわ。お相手のお二人が心を開いて下されば嬉しいのですけど……」 まあ、愛人の子として肩身の狭い思いをしてきたのだから難しいでしょうね。 ──ベリテ。相手が卑屈になっている可能性もあるわよね? 「それは大いにあるね。むしろ育ちからして卑屈になるなという方が無理だろうし」 私は内心で溜め息をついた。それを覆すには、骨が折れそうね。思い切り歓迎してやろうかしら? どこまでも無邪気に計算高く、やって来るのを喜んでやるのよ。 「お父様、私はお化粧を直すのでお先に失礼致しますわ。万が一にもお相手に粗相をしてはいけませんもの」 「ああ、そうしなさい」 本当はお化粧も崩れてなどいないけれど、気合いを入れる為に一息つきたいわ。 私は自室に戻って、メリナにミントを効かせたハーブティーを淹れてもらった。鏡を見ても、丁寧に結い上げた髪型と薄化粧は清楚な印象だわ。 高貴で近寄りがたい令嬢。それが親しみをこめて出迎え喜ぶ。ダリアはどんな反応をするかしらね。 どちらにしても大勝負だわ。 「ガネーシャお嬢様、もうじき子爵家の方々がお見えになる時間ですわ」 「そう、ダリア様は愛らしい方だとお父様が仰っていたけれど、可愛い妹が出来るなら楽しみだわ。──出迎えに行くわね」 「ご武運を」 メリナ……長い付き合いなだけあるわ。私の立場を分かっているわね。 ゆっくりと廊下を歩み、屋敷の扉を開いてもらう。使用人はいるけれど、お父様は見えない。ダリア達が後から執務室へ挨拶に行くようね。 この辺りは所詮、愛人の子ね。 そんな事を考えていたら、執事が私に「そろそろご到着なされます」と教えてくれた。 愛想よく、朗らかに、嫌味なく……繰り返し自分に言い聞かせながら待っていると、数人の人が見えてきた。あの中にいる、特に若い二人がマストレットとダリアね。 私は固い面持ちで歩いてくるダリアに、迷いなく小走りで駆け寄った。レースがひらひらと風を受けてはためく様は我ながら妖精のようだと自覚している。 「あなたがダリアさんね?何て可愛らしい方なのかしら!公爵家には私しか子供がいなくて寂しかったのよ。こんなに可愛い妹が出来て嬉しいわ」 ダリアは流行遅れもいいところの、いっそみすぼらしいドレスを着ているけれど、そこには触れないわ。 「えっ?あの、私は……その……」 私の喜びようを目の当たりにして、ダリアは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。意表を突くのは成功したようね。 こうしてダリアと向き合って観察すると、目鼻立ちは整っているけれど華やかさはない。 顔はうぶ毛だっていてお手入れも行き届かず、まだ垢抜けない子供、という印象がある。 それだけではなく、貴族として育ったか疑わしくなる程、肌にも髪にも艶がないのよ。そこまで貧しく暮らしていたのかしら? これが将来、社交界で周囲を味方につけて、私を破滅させるだなんて。 私は内心でこそ鼻白んだものの、露にも見せずに視線を隣に移した。 「そちらはマストレットお兄様?初めまして、お二人ともお疲れでしょう。この日の為に公爵家ではそれぞれのお部屋を準備しておりましたのよ。お父様にご挨拶された後は、ごゆっくりお休みになられて下さいませ」 そこでマストレットが口を開いたわ。ぼそぼそとして聞き取りにくい声は、辺りを警戒して窺うような眼と相まって卑しさを感じさせる。 「ありがとうございます、ガネーシャお嬢様。お言葉に甘えさせて頂きます」 「……よろしくお願い申し上げますわ、ガネーシャ様」 ダリアは裏表がないか警戒しているわね。裏なんて見せる訳ないじゃない。 「まあ、今日からは私達家族になるのですもの、気軽にお姉様と呼んでちょうだい。マストレットお兄様も、お嬢様だなんて他人行儀な呼び方はなさらないで下さいませね?」 二人は顔を見合わせて、驚いたような気まずいような微妙な面持ちになっている。まさか愛人の子達に公爵家の令嬢が親しげに話しかけるとは思っていなかったようね。 「これから、少しずつでも仲良くなれたら嬉しいわ。私は一人で……お父様もお忙しいし、家には親しく出来る人がいなかったの」 そう悲しげに言って、口もとに手をあてる。たっぷりと使ったレースの袖から覗く肌は白く薄くて、薄化粧を存分に引き立てる。 マストレットが息を呑むのが見て取れた。仮にも妹に向ける目ではないわ。気色悪いけれど、ここは我慢よ。 「本当に清楚で愛らしいわ、ダリア。これからよろしくお願いするわね」 「は、はい……あの、ガネーシャお姉様。とてもお優しい方のようで安心致しました」 「マストレットお兄様も、お兄様が出来るなんて頼もしいですわ」 「え?ああ、二人になった妹達を守れるように努めますので……」 「お父様の執務室には執事が案内してくれますわ。お二方の到着を心待ちにしておいでよ」 ……この時点では、まだダリアは悪魔を召喚していないはずよね? 「ガネーシャ、ベリタの気配がない。そこはまだ安心していいよ」 ベリテの声に、ほっと息をつく。 それにしても、いつ召喚するのかしら?初対面からして変わってしまったから、ダリアが私に憎しみを感じるようになるかも分からない。 そもそも、ダリアはなぜ私を処刑台に送るほど憎むようになるのよ。 「それは、単純な話だよ。正妻の子というだけで、愛人の子は簡単に妬むし恨めしく思うし憎むものだ」 ──生まれだけで?腑に落ちないわ。結果、こうして公爵家にも迎え入れてもらえたというのに。 「その気持ちも分かるよ。あと、決定打として、ガネーシャは王太子との婚約が決まるからだろうね。王太子って見た目だけは良いだろう?単純で騙されやすい温室育ちだけど」 私が王太子と婚約する事。前世では毎回破棄されてダリアに乗り換えられているけれど。 ──何やら苦い思いを感じるわ。でも、それにしても王太子に言いたい放題ね、ベリテ。 「王太子だろうが平民だろうが天使には関係ないからね、人間の身分なんて」 言い返す言葉がないわ。天使からすれば人間は皆平等なのかしら……。 ベリテとつかの間やり取りしていると、執事が私に声をかけた。 「では、ガネーシャお嬢様、お二方を執務室へお連れしてまいります」 「ええ、お願いね」 この執事はかなりの古参で、人柄も温厚だから二人を偏見も差別もしないはず。 「あなたになら安心して任せられるわ。馬車に揺られて疲れているでしょうから、ゆっくり歩いて差し上げてね」 「はい、かしこまりました。──マストレット様、ダリア様、どうぞこちらへ」 「はい。──行こう、ダリア」 「ええ、お兄様。……でも不安だわ。お父様は子爵家にいた頃のように親しくして下さるかしら……」 「安心しろ。僕達を案ずるから引き取って下さったんだから」 ずいぶん尊大な物言いに出たわね。妹であるダリアを支える為ならば、目の前にいる正妻の子が何を思うかも慮らないのかしら。 「そう……そうよね……」 というか、お父様が親しく接する?私はドレスや宝石は存分に与えられてきているけれど、親しみをこめて接して頂いた記憶はあまりないわね。 私のお母様より愛人が良かったというの?腹立たしい。それを思い知らせるように見せつけてくる、この二人のやり取りは間違いなく挑発よね。誰が乗ってやるものですか。 「引きとめてしまって申し訳なかったわ、お二方とも。お父様とお会いになられてきて」 いい加減、猫を被っているのも疲れたわ。さっさと行って欲しい。 とはいえ、これからは一緒に暮らすのよね。ダリアは私を陥れようとしてくる日が来るし。 「ガネーシャ。でも、初対面は上出来だったんじゃないかな」 ──そうかしら?なら良いけれど。 「それに、君の父親──実の父親が迎え入れてくれた日に着古したドレスで来ているからね。ダリアは貧乏子爵家の出とはいえ、父親はちゃんと欲しがるドレスも買い与えていたのに、そこからは選ばなかった」 ──やはり買い与えているのね。私のお母様より愛した愛人が生んだ子供な訳だから、それは可愛いと感じているでしょうに……なぜこの日に限ってみすぼらしいドレスを選んだのかしら? 「母親を喪った哀れな子を装うつもりだったんだろうね。実際、親を亡くして間もないのに派手な装いは不謹慎でもあると考えたんだろう」 ──派手ではなくとも、上質なドレスくらいあるはずと思うのは、ダリアがどの程度悪趣味なのか分からないからかしら……もしかしてダリアって、そんなに賢くないの?私を処刑台に送るくらいだから、ずる賢い印象があったけれど。 「そこは、ベリタが賢いからね……」 ──つまり私は、あの程度の子にやられてきていたのね……召喚した悪魔の力を借りていたにしても屈辱だわ。 「ガネーシャお嬢様、お体が冷えますのでお部屋にお戻り下さいませ」 メリナが気遣わしげに声をかけてくる。私は苛立ちを隠して、鷹揚に頷いた。 「そうね。熱いお茶を頂きたいわ。ローズヒップをメインに、甘い香りの果物をブレンドしたハーブティーを淹れてもらえるかしら」 「かしこまりました。さ、参りましょう」 初手の挨拶は済んだ事だし、晩餐までは時間がある。しっかり心を落ち着けないと。 とりあえず今のところはダリアも残念な思考で動く子だと分かったし、取るに足りないはずよ。 今後について、ダリアを観察しながら上手く立ち回るわ。 「だけど気をつけて、ガネーシャ。ダリアからは悪魔の気配こそしないけれど、妙な黒いオーラと匂いがする」 ──黒いオーラと匂い?ダリアそのものの気性から立ちこめているものかしら? 「違うと思う。でも、悪魔以外の悪しきものと繋がっているかもしれない」 ──それは見過ごせないわね。 「彼女は手段を選ばず我が身の為にだけ動く人間なんだと思う。推測だけど、公爵家に入る為に一働きしてるんじゃないかな」 ──でも、それは実母を亡くしたから引き取られたのでしょう? ふつふつと嫌な感覚がする。勝手な想像にすぎないけれど、油断禁物だと思わせる。 いつかは私に牙を剥くもの。──これで、あとはダリアに王太子殿下との子が宿るのを待つだけね……。「あれだけ人目もはばからず逢瀬を重ねてるんだから、近い未来のことだろうね」王太子殿下もどうしようもない方だと言わざるを得ない。婚約者を差し置いて浮気相手にのぼせ上がるのはともかく、避妊もしないなんて。──まあ、構わないわ。それよりも、第三王子殿下は私が未来の聖女だと知っても、意外なことに驚かなかったのよね。「そこには、いかにも国を思う聖女らしい行動をしてきた、ガネーシャの実績があるからこそだよ」──そう言われると照れくさいわ。でも、汚染された水も安全な水にできることを知って、喜んでくれた……。「多くの民が救われるからね」──けれど、なぜ井戸水は汚染されたのかしら?これは素朴な疑問だった。工場汚染でもない、王都での汚染は普通に考えてありえない。それについて、ベリテが声を低めて答えてくれた。「──ダリアだよ。闇の精霊を使役するために、王都に瘴気を集めた結果だ」──あの、実の母を死に追いやった闇の精霊ね……そうまでして……民を苦しめてまで、己の利を求めるなんて……なんて、おぞましい子だこと……。だから、私という聖女も覚醒するのだと納得がいく。国難に面したときに現れる存在だから。「そうだね、──だから、もう終わらせないといけない」──ええ。終わらせるわ。必ずよ。そのためにも、私は貞淑で慈悲深い令嬢として振る舞い続け──王太子殿下に浮気された令嬢とか、妹に婚約者を寝盗られた令嬢だとか、そんな言われ方をする余地も与えなかった。もちろん、民のために活動することも怠らない。今や私が作らせる石鹸や洗髪粉は、香料などの配合具合によって貴族向けから庶民向けまで幅広い。貧民には、香料や保湿剤を使わないものを、無償で提供して使わせているのよ。おかげで衛生観念が広まり、不潔からくる病はなりを潜めた。皆が私の働きを称賛してくれる。──その一方……王太子殿下は、ダリアの誕生日パーティーでしでかした失態が水面下で広まり、このことは国王夫妻も頭を悩ませているとか……。「しかも、多額の血税を浮気相手へのプレゼントに使い込んだことを、第三王子が証拠も揃えて提出してあるから、もう崖っぷちだろうね」──そうね、もはや、王太子殿下は最後の一本の藁で崩れる荷馬と変わらないわ。私はベリテとやり取りして、
私が上級悪魔と契約している──そのやり取りを、白い世界で見ていたのよ。ダリアたちの勘違いには笑うしかないわ。それはともかく、不思議に思うことがある。白い世界に行くための砂糖菓子は、なくなることも減ることすらもない。「どうしてかしら?口にすれば、その分減るものでしょう」私の疑問に、ベリテが答えた。「それはね、ガネーシャが正しい道を歩んでいるから、その証だと思えばいい」──正しい道……。「私は復讐に心を滾らせて、ダリアと王太子殿下を地獄に落とそうとしている悪女なのに?」「彼らは絶対的悪だ。君が繰り返し火刑に処されたあと──聖女が出現しないがために、国は滅びの道を歩むしかなかったんだよ」──聖女は国難を救う導きの光……私が今生で覚醒したとして、具体的に何ができるかはまだ分からないけれど、国に必要なものが火あぶりにされていたことになるのよね。「とりあえず、今後について話そう。彼らの誤解をどう使うか」「……ダリアならば、メイドを脅して噂を流せと言うわね」「そうだろうね。──ただし、ガネーシャのように抱き込んで言いふらさせはしないだろうし、聞かなければ折檻でもする、屋敷から追放もする」「力で服従させようとするわけね。あさましいこと」私はミーナのことを思い出しながら、虫酸の走る思いになった。それに気づいてか、ベリテは気を取り直させるように言ってくる。「その点、ガネーシャは平民から支持を得ている今があり、貴族たちからも好感を持たれている事実がある。相手の悪意も上手く使えば好機にできる」「……ならば、好きにさせてみましょうか。国民感情とダリアの流す噂を衝突させるのよ」企みに本気のいたずらな笑みを浮かべた私へ、ベリテは興が乗った様子で笑みを返してきたわ。「いいね。悪評高いダリアと、支持されているガネーシャ。噂で一騎打ちさせたら、今までの根回しの効果も確かめられる」「ええ。ダリアがどれほど悪女として周知されているか……私を陥れることしか考えず、何も成してこなかった重みが彼女にのしかかるわ」想像しただけで黒々とした心も踊る。私は白い世界から戻り、心をときめかせながら眠りに就いた。そうして翌日になり、ダリアはさっそくメイドたちを脅し始めた。「ご容赦くださいませ……私ごときにはガネーシャお嬢様を貶める言葉など……」「お嬢様?──私も同じ公爵家の
ダリアと王太子殿下には好きにさせておくと決めると、週に一度のお茶の席の日には必ず王太子殿下が王城を抜け出し、ダリアと密会するようになった。ダリアが当て擦りと挑発のためにやっているのはお見通し、誰が乗ってやるものですか。もっとも、これも予想の範囲内よ。むしろ、王太子殿下の失態になるもの、好都合だわ。私は第三王子殿下と情報をやり取りして、表向きは妹に婚約者を寝盗られた令嬢を装いつつ、裏では二人を追い詰められるように事を進めていた。すると、ある夜の晩餐でダリアが卑屈なほど躊躇いがちに言い出したの。「……お父様、私も十六歳の誕生日を迎えますわ。当日は催しを何か出来たら嬉しく思うのですが……」すると、お父様の言葉も待たずにマストレットが口を挟んできた。「誕生日といえば、ガネーシャは湯水のように金を使って祝わせています。なのにダリアは……不公平かと思います」──何を言っているの?私は自分で稼いだお金で使用人たちに料理を振る舞っているだけだし、依頼する王都のレストランにも、潤うように報酬を支払っているわ。それは、お父様も似たようなことを考えたらしい。渋面で口を開いた。「ガネーシャは私財を投じて、高貴なるものの義務を果たしているだろう。ダリアにマストレット、お前たちにそれが可能となる才覚はあるか?尽力をしてきたか?」──これはお父様の言う通りよ。私は浪費をしてなどいないし、家門の名声を高める結果になるよう、考えを巡らせて動いているもの。「それに、ダリアもマストレットも、今現在ただのお荷物にしかなってないからね。役に立つ働きがないから賞賛もないのに、僻んで妬むのは一人前だ」──まったくよ。褒められたいなら真っ当な働きをするべきでしょうに。すると、マストレットは羞恥で顔を真っ赤にして黙り込み、ダリアは声を震わせて言い募った。「私にはお姉様のような才覚もございません……ですけれど、公爵家の娘として……どうか、ささやかなパーティーだけでも……そこで他家の令嬢方とも親しくなれましたら、私も貴族として活動できるようになりますもの」「ダリア、お前も私の娘だ。誕生日のパーティーくらいは開いてやる。──ただし、恥の上塗りにならぬようガネーシャに手伝わせる。いいな?」「……はい……ありがとうございます」恥の上塗り……お父様も言うものだわ。まあ、ダリアは王太子殿下と
ダリアをどう陥れようか、どんな落とし方にしようか、私なりに色々考えてみた。結論は、貴族も平民も合わせて、世論を使い続けること。まだ存在しない世論は、この手で作り出す。自己保身や自己満足、あるいは野次馬としての娯楽感覚で、他者を傷つけても罪悪感を抱かない人間なら、いつの世も必ずいるわ。私も繰り返してきた人生で散々苦しめられたもの。──だから、今生ではそれを利用する。皆に悪役となってもらおうじゃないの。見境なく、誰かしらに八つ当たりして鬱憤を晴らしたい人たちには、私の奏でる復讐の音で踊ってもらうわ。「それは、ダリアを人々の娯楽のタネにするって意味だね?」──そうよ。考えてもみて。誰も傷つけずに済むのは、人や他のものに牙を向けることのない、物言わぬ愛玩動物の生涯くらいのものでしょうけど……その点で、ダリアはあまりにも私に悪いの牙を向けすぎたわ。報いは受けさせる。「ガネーシャ自身は手を汚すことなしに、だよね?」──もちろん、そうでなければ。だから皆に踊ってもらうの。幸い、ダリアは禁忌を犯しているから、何の気兼ねもないでしょう?──そのためにも、何か決定的な事件が起こればいいのだけど……取り返しのつかないようなことを、ダリアと王太子殿下が仕出かしてくれれば。「二人の間に不義の子ができるとか?」──さすがに、それはないわよね?廃人状態でも一国の王太子殿下が、避妊もせず未婚の令嬢と……なんて。「まあ、普通はね……」ところが、ある日の晩餐で驚くべき事実が分かった。その晩餐は、いつになく豪華で──ダリアの好物ばかりが並んでいたの。当然、不思議に思った。ダリアの振る舞いで褒められるところなんて、ひとつもなかったもの。「今夜は随分豪勢なお料理が多いのですね?」慎重に言葉を選んで疑問を口にすると、ダリアがわざとらしく頬を染めながら答えてくれた。「お恥ずかしいですわ……実は、私、月のものが始まりましたの……」──え?今になって始まるだなんて遅いわね?元いた家は裕福ではなかっただろうけれど、日々の食事に困るほどではなかったでしょうに。──ベリテ、こういうのは個人差があるとは聞いていたけれど。「どうやら、ダリアは嘘をついているわけでもなさそうだよ」──ベリテは天使として長い時間を生きてきたから、人間も相当見てきたのよね……?「うん。だから、この
──『兄上には、想う方の生家の跡取りとなって頂き、幸福に添い遂げさせようと考えております。どの令嬢にも望む結末を迎えられますよう』ナプキンに隠されていた、第三王子殿下からの書簡には、そうしたためられていた。──つまり第三王子殿下は、廃太子に追い込む覚悟を決めたのね。加えて、王籍も剥奪する方向で動くようだわ。私は簡潔な返事をすることにした。携帯用のペンとインクならば用意があるので、書簡の隅に書いて再びナプキンにしのばせる。──『王宮の使用人たちを使ってくださいませ。あのものたちならば、わたくしが温室で受けている扱いを目にしております』これで、王太子殿下とダリアの件は一層二人の首を絞めるはず。私は一人、温室でのお茶をゆっくり頂いて帰宅した。すると、通りかかったダリアの部屋の前で、異様なかっこうをして雑巾がけをしているメイドを見かけたの。「──あなた、どうして服が全体的に湿っているの?」見過ごせなくて声をかけると、メイドは一瞬怯えた目をしたけれど、それから低く答えた。「ダリアお嬢様が……」「ダリアがあなたをずぶ濡れにしたの?」「いえ、あの……実は、ダリアお嬢様のお支度には、毎朝メイド三人がかりでコルセットを締めるのですが、その間ずっと怒鳴られ続けて……」「まあ……コルセットを締めるだけで、令嬢なのに怒鳴り声を……」「それだけでは済みません。お支度を終えると、手際の悪さを責められて……冷たい井戸水を桶で三回浴びてから仕事に戻るよう命じられるのです……」あまりにも残酷で、私は眉をひそめた。「……それは、いつから繰り返されてきたのかしら?」「はばかりながら、ガネーシャお嬢様が十五歳のお誕生日を迎えられましてから……毎日でございます」つまりは、私がダリアの振る舞うスープの邪魔をしてからなのね。なんという陰湿な執念なの。「私はもう十六歳よ?……それほど長く、メイドに虐待を……」「メイドたちは、もう耐えられません……ダリアお嬢様の暴言にも、腰周りの太さにも……」──太さ……メイドには悪いけれど、吹き出しそうになってしまったわ……。あの子、言われてみると、迎え入れられてから──毎食、卑しいほど肉料理を食べているものね。「まあ、笑いたい気持ちも分かるよ。ダリアって、鴨肉や豚肉の脂を特に好んでるよね。余計に太る原因を作ってるんじゃないかな?」
運命を決める十六歳を迎えて、私はベリテと話し合っていた。──聖女とは、そもそもどういったものなのかしら?「まず、魂に宿っている光属性の魔力が目覚めを迎える。この属性の魔力は、聖女や聖人しか持ちえないし、そうした人間が生まれることも稀だね」──光属性の魔力……魔力だなんて、おとぎ話のようだわ。人間が持ちうるものなの?「ごく稀にね。だからこそ、尊ばれる。……光あるところには影が出来る事には気づけないまま」──影?光属性の魔力には、何か裏があるというの?ベリテの言うことはもっとものようにも思えるけれど……影とは何かしら。「聖女は怪我や病を治癒出来るし、浄化の力で豊穣ももたらせる──それは知っているよね?でも、実はそれだけじゃない」──あら?そうなると、聖女に光と影が宿るということ?私は光の聖女に相反する影の存在が覚醒すると思ったのだけれど。「それはないよ。影になる闇の魔力は悪魔しか持たない。──聖女はね、怪我や病や大地の穢れ、そしてその苦しみを取り出して癒し、取り出したものは致死性のない毒薬として、小さな瓶詰めにして保管出来るんだ」──聖女が、毒を持てる?意外だけれど……そうね、持てたら使いようによっては……私の復讐に役立ってくれそうだわ。もちろん、ダリアを追いつめるために。心身ともに絶望させることを目的にね。──良いことを聞かせてもらったわ、ありがとう。お礼を言う私に、ベリテは改まって問いかけてきた。「王太子はベリタの力でダリアに魅了されて操られてる。それは本来なら本意ではないだろう?──ガネーシャには彼に同情する気持ちはある?」──いいえ、少しも。地位に慢心して驕れるものに、王としての器はないわ。王太子殿下は出逢ったときから、人を見下して傲慢に振る舞うことの間違いを省みようともしていなかったもの。「そう、それなら構わないよ。──前世での復讐を果たすのに、同情心は妨げになるから」──そうね……幸い、私にはない感情だけれど。……ねえ、ベリテ。思いついたことがあるわ。聞いてくれる?「ダリアを追いつめるための布石だね?協力者として聞かせてもらうよ」私はにこりと笑んで、ベリテに計画を話したわ。──そして数日後、お茶会を庭でひらいた。集まる令嬢達は流行りに敏いものだけを招待して。「本日はようこそお越し下さいました。……季節外れの暑さ