ダリアはさっそくベリタに目くらましをかけてもらい王太子殿下に会いに行ったわ。 お父様もすっかり騙されていて、「ガネーシャが王太子殿下と相互理解や親睦を深められるなら」と馬車を出させた。「これは、ガネーシャ様。王太子殿下でございましたら、今は自室にてお過ごしにございます」「そ、そう。──王太子殿下とお話しがしたいのですけれど、人払いをして下さるかしら?」「ここのところ、殿下は荒れておられまして、自室では物に当たっておいでですので……お気をつけ下さい」「私なら大丈夫ですわ」周りには完璧に私だと見えているようね。「──王太子殿下、私でございます」ダリアは不躾にドアを開けて、部屋に入っていった。当たり散らした物が散乱して、ひどい有り様だったのには面食らったようだったけれど、王太子殿下がダリアを見た瞬間、態度をがらりと変えた事で気を取り直したようね。「誰だ?──君か、なぜここに……いや、それよりも会いたかった……!」王太子殿下にだけは真実の姿で見える。他の者には私にしか見えないから、「あれだけ冷遇してきたガネーシャ様に……」と熱烈な歓待に驚きを隠せない。「私もお会いしたくございましたわ……その為に無理を押して参りました」「──お前達、何を呆けているんだ。早く退出して私達を二人きりにさせろ!」「は、はい。申し訳ございません。午後の執務まで、どうかごゆっくりなされて下さいますよう」「午後の執務はウィンリットに回せ。そのような事よりも、彼女が逢いに来てくれて共に過ごせる時間の方がよほど有意義だ」「ですが……」「二度言わせるな。──早く行け!」「……はい……失礼致します」魅了をかけられる前から賢明とは言えなかった王太子殿下だけれど……よりによって第三王子殿下に仕事を押しつけるとは愚行を極めてる。第三王子殿下もまた、王妃殿下がお生みになられた嫡子なのだから。──それは
ダリアはさっそく王太子殿下に泣きついたらしい。ダリアの誕生日パーティーから数日後、王太子殿下とお茶を頂く席で、私は立たされたまま散々罵倒された。「お前、せっかくのダリアの誕生日パーティーに、ダリアに対して悪意的な人間ばかりを招待して、彼女に恥をかかせたそうだな!何という悪女なんだ、ダリアは心から悲しみ、孤独で身の置き所もなかったと涙を流したんだぞ!」──私には贈り物だなんて考えた事もないくせに、ダリアに分不相応な贈り物をしたからでしょうが。私とダリアの立場の違いを弁えられないとは、全く悪魔の魅了も大したものね。「姉として祝うべき身が、妹を虐げる!それが高位貴族の令嬢として正しい行ないか?!恥を知るがいい!──破廉恥な令嬢だと心ない言葉を囁かれるダリアが、あまりにも憐れではないか!それも全てお前に謀略されたゆえの事、到底許されるものではない!」ダリアが破廉恥と言うなら、そう言われる原因はダリア本人が作ったものだもの、私は堕ちてゆくダリアを見ているだけで、手をくだしていないわ。「──もう腹黒い貴様とは少しの時も共にする気はない!今後は定められた日に登城しても、閉ざされた温室で一人過ごすがいい!ゆめゆめ私が捨て置く事を吹聴して同情を買おうなどと、恥知らずなまねはするな、いいか?!」「──かしこまりました。己を戒め、身を慎もうと存じます」──初顔合わせの時から私を嫌悪しているようだった上に、悪魔の魅了まで加わった今では、成り立つ会話なんて何もないわね。従順なふりをして、好きにさせておけばいい。王太子殿下は荒々しく立ち上がると、こちらを一瞥もせずに足音も荒く立ち去った。──国王陛下や王妃殿下の耳にも、いずれは入るでしょう。その時が見ものだこと。魅了されているとはいえ、婚約者のいる王太子殿下ならば、立場の重さが彼を許しはしないわ。いずれ、何らかの叱責なり責任を取らされるなりするはず。私は立ち尽くしていても仕方ないので、早々に屋敷へ戻った。それから週に一度、私は王宮の温室で一人のんびりとお茶を頂くようになった。──すると、これまではお茶のみで茶菓子なんて出た事もなかったのに、必ず私が好みそうな茶菓子が添えられるようになったのよ。「そこのあなた、これはどなたのご配慮なのかしら?」「それが……第三王子殿下が、せめて少しでも心が癒されるようにと気配り
ダリアに公爵家から追い出されたメイド達には、用意した家で数日休ませてから紹介状を用意してあげて、高位貴族の屋敷で働けるように手配した。私が紹介したどの屋敷にも、社交界で発言力のある夫人あるいは令嬢がいる事は、言うまでもない事よ。まずは使用人達の間でダリアについて広まれば良い。そうすれば、いずれはお仕えする主の耳にも入るから。こうして、裏で手を引いていると、案の定ダリアの暴挙は陰で広まりを見せたわ。「お聞きになられて?ガネーシャ様の妹君は、使用人にひどい扱いをなされているとか……」「私も聞き及んでおりますわ。侍女につらく当たって、紹介状もなしに追い出してらっしゃるとか」「──どうやら、その哀れな侍女達に勤め先をお与えになられているのが、ガネーシャ様だとか」「まあ、何とお心の優しいこと。ご自分に仕える者でもございませんのに、慈悲深いのですね」「そうですわね、それに比べてダリア様は……言うのも憚られますけれど……王太子殿下と格別に親しくなされておいでだとか。王太子殿下にはガネーシャ様というご婚約者がおりますのに」「姉君のお相手を奪うとは、恐ろしい事ですわ」もう、こうなるとダリアは孤立無援よ。さらに態度を悪化させて、侍女に当たり散らす事でしか鬱憤を晴らせない。それが、自分の首を絞めてゆくとは思い至らないのね。私は内心で小気味が良いと嘲笑っていたけれど、ある日の晩餐で、ダリアが不仲になりつつあるお父様に甘えた声を出したわ。「……お父様、私も十五歳の誕生日を控えております。ささやかなお祝いのパーティーをと願っておりますの。そこでお友達が出来ましたら、どれだけ嬉しい事でしょう」正直、お父様は私の婚約者に手を出したダリアを、徐々に醜聞を撒き散らす家の恥と思い始めている。かといって、あからさまな冷遇をしても、それは醜聞になってしまう。それは頭痛のたねだけれど、ダリアに王太子殿下の寵愛がある以上、致し方ないようね。「そうか、お前にも友人は必要だろ
夜を迎えて、私とベリテは白い世界からダリアの部屋を見下ろしていた。「……なるほど。ベリタにはダリアの穢れが宿っているみたいだね」「穢れ?」「うん、血の契約に不都合があったんだろう。──疑問だったんだ、なぜベリタの顔に黒い染みがあるのか」「その黒い染みは、なぜベリタに出来たのかしら?ダリアの穢れで悪魔が影響を受けるだなんて、理解が追いつかないわ」「ああ、正確には、ダリアが召喚に穢れた血を使ったんだよ。でも、何に穢れたのかまでは分からないな」「……だけど、それによってベリタは、本来の力に枷がついているのよね?」「ご名答。ダリアの愚かさが僕らを優位に立たせてくれる」詳しい事は分からないまでも、ベリタの力が削がれている事と、結果として将来ベリタを倒すのに有利な状態なのだとは分かるわ。今はまだ、私が聖女として覚醒していないから時期の到来を待つしかないけれど……その間にも、やるべき事はあるもの。「……幸い、ダリアは私のせいで血を使った洗脳も出来ないし……私という婚約者がいる王太子殿下に手を出してくれた。腹違いとはいえ、姉である私の婚約者にね。ダリアを陥れるのに利用させてもらわないと」「そうだね、時を戻す前の君はダリアの策略にはまったけど、今は違う道を歩めてるよ。逆にダリアは悪手を打って──味方になる令嬢も作れない」「そうね」それに、ダリアの実兄であるマストレットは、もはや有益な手駒としての使い道もないのよ。頼れるのは王太子殿下のみでしょうけど……彼もまた愚かだもの。「──足場を固めて、とことん落としてやるわ。ダリアはもちろん、王太子殿下も」その為になら、私は時を待てるし耐えられる。心に決めて、元の世界に戻った私はベッドに横たわって目を閉じた。朝になれば、定められた王太子殿下との面会がある。週に一度、二人でお茶を頂く事は──私から放棄する訳にいかない。何しろ相手の立場は王太子だし、交流を深めて信頼関係
程なくして、ダリアがマストレットに悪魔の力を使った事を、私はベリテと共に白い世界で知る事となった。「お兄様、私を見て?……そう、目を合わせて……ほら、お兄様はお姉様の事が欲しいのでしょう?私はお兄様を応援するわ。それが私の幸せに繋がるのよ。……私の幸せの為にも、お兄様はご自分の欲望に従ってちょうだい。出来るわよね?」妖しく光る眼に、怪訝そうな表情を浮かべて見ていたものの、それは虚ろなものへと変化した。「私の欲望がお前を幸せにする……罪もお前が幸せになるなら、私は……」マストレットは、あっけなくダリアの手に落ちたようね。そうして、私はウィンリット王子殿下から頂いたブローチを常日頃身に着けるようになったのよ。効果は確かなようで、マストレットも私に魔の手を伸ばそうとがむしゃらに接触を図り出した。でもね、彼は毎回あえなく敗残している。悪魔の力で動いているのは分かるのだけど……悪魔の力は、残念ながら影響を及ぼすだけで、能力は与えないのだと知るのに時間はかからなかった。マストレットは、口ごもりながら言葉を絞り出してきたのだけど、それがお粗末で──このような感じだった。──「ガネーシャ、私と二人で書庫に行かないか?ええと、その、学びになる書物を読めば、人生の肥やしになるだろう?」「お兄様はお父様から鍵を与えられて許された身でございましょう?それに、学ぶのでしたらお一人で行かれた方が読書に集中出来ますわ。後継者としての学びの邪魔は致しません」──「ガネーシャ、そのドレスは初めて見るな。新しく作らせたのか?ダリアのドレスと趣きが全然違っている。……まあ、何だ、いかにも高位貴族の令嬢らしいドレスだ」「このドレスはクローゼットにございましたものですのよ。私は貴族の娘として品位は重んじますが、豪奢なドレスは好みません」──「ガネーシャ、今日は天気も良い。中庭で一緒にコーヒーを飲まないか?兄妹水入らずで飲むコーヒーは格別だろう」「あいにくですが、風が冷たいものですから遠慮させて下さいませ。冷えは女性の大敵でござ
王太子殿下とダリアの仲は、私という婚約者を差し置いて浮気している後ろ暗さを超えて、熱愛と言ってもいい程になったわ。もっとも、ダリアは打算的に王太子殿下を操っているのだけれど、悪魔の力で魅了された王太子殿下は「ダリアと出逢えて真実の愛を知った」とのたまう程、骨抜きにされている。もう、本音は可愛げがないと思っている私よりも、媚びて甘えるダリア可愛さに目がくらんで、ダリアと婚姻を結びたいところでしょうね。ダリアも後ろ指をさされているのに、王太子殿下をウィル様と親しげに呼んで、はばかる事を知らない有り様だもの。でも、王太子妃に必要な教育どころか、貴族令嬢としての教養さえもダリアは身につけていない。お父様がウィリード王太子殿下の希望に合わせて、私からダリアに婚約相手を変更したところで、ダリアには王太子妃としての素養がないのよ。一国の王子の正妻は寵愛を受けるだけで務まる程甘くないもの、国王夫妻もまず許さないでしょうね。かと言って、まだ聖女として覚醒していない私では出来ることも限られる。魅了も解けない。けれど、ベリテがいてくれる。ベリテは私に的確な情報と指南を与えてくれるから、とても頼もしい。屋敷の私室で人払いをして、私は彼と話し合った。「ベリタの魅了の力は、年に一度、相手も一人に限られる。となると、ダリアが講じなければならない策は分かるよね?」「──つまり、一年経てば魅了の効力がなくなるのよね?ダリアは王太子を繋ぎ止めておきたければ、毎年王太子を魅了する必要があるわ。そして、それをすれば魅了で都合のいい手駒は作れない。合っているかしら?」「ご名答。ダリアが傀儡に出来るのは、王太子を諦めない限り彼しかいない。つまり、貴族令嬢の間で悪評の立っているダリアを、君の父親は庇いきれないんだ。公爵閣下としての立場を忘れるような魅了を受けないからね」「なるほどね……でも、ダリアの立場は公爵家に迎え入れられても、生まれが愛人の子よ。王太子殿下が庇護欲を掻き立てられても──魅了はまやかしの愛だわ。それに溺れて身勝手な振る舞いを続けたら、王太子殿下自身の立