LOGIN遥side
朝、薄いレースのカーテンから太陽の光が差し込んで私の顔を照らす。その眩しさに、目を細めてまぶたを開けると、ニューヨークのビル群と、目の前にはまだ眠っている直人さんの姿があった。
「ふふ。直人さん、まだ眠っているのね……」
直人さんの寝顔を見ていると、ついつい笑みが零れる。こうして、誰かと一緒に朝を迎えるのは久しぶりだ。
一度目の結婚生活は、私にとって静かな戦場だった。奏多を起こさないよう注意を払いながら、物音を立てずにベッドを抜け出し、急いで朝食の準備に取り掛かっていた。奏多の寝顔を眺める余裕も、朝起きてゆっくりする
麗華side夜、静まり返ったリビング。帰宅して何気なく点けたテレビの液晶が、青白い光を放ちながら一組の男女を映し出した。『――AIモデルの先駆者・ハリー・ボンド氏が絶賛する東宮遥氏と月島直人氏が提案する新しい会計の形は、日本のビジネスシーンに革命をもたらそうとしています……』「……っ!」反射的に手元にあったリモコンを掴み、勢いよく電源を切った。プツンと音がして、真っ暗になった画面に、怒りと嫉妬で醜く歪んだ自分の顔がうっすらと映り込む。かつての遥は、地味で、控えめで、何を言われても唇を噛みしめるだけのつまらない無様な女だった。私がどれだけ嫌味を言っても、奏多と親密に寄り添っても、何も言い返せない。踏みつければ簡単に折れる、そんな道端の雑草のような存在だった。それが今や、洗練された知的な笑みを浮かべて世界中から注目を浴びる次世代の希望としてメディアに持て囃されている。「目障りね……どうすれば、あの二人を消すことができるのかしら……」テーブルに置かれた冷めきったコーヒーを口にしたが、安物の粉で淹れたコーヒーは、泥水のように色が薄く、味気なくて美味しくない。そのことが、私の不快感をさらに増長させた。
遥side朝、薄いレースのカーテンから太陽の光が差し込んで私の顔を照らす。その眩しさに、目を細めてまぶたを開けると、ニューヨークのビル群と、目の前にはまだ眠っている直人さんの姿があった。「ふふ。直人さん、まだ眠っているのね……」直人さんの寝顔を見ていると、ついつい笑みが零れる。こうして、誰かと一緒に朝を迎えるのは久しぶりだ。一度目の結婚生活は、私にとって静かな戦場だった。奏多を起こさないよう注意を払いながら、物音を立てずにベッドを抜け出し、急いで朝食の準備に取り掛かっていた。奏多の寝顔を眺める余裕も、朝起きてゆっくりする時間など存在しなかった。それに、もし私が、奏多が起きる前に顔をじっと見ていたりすれば、彼は怪訝そうに眉を寄せ、「何をしているんだ。首でも絞めるつもりだったのか」などと吐き捨てただろう。私は奏多の表情を三つしか知らなかったのだと、今になって実感させられる。一つ目は、仕事に真剣に向き合っている時の顔、二つ目は私を見下すような冷ややかな顔、そしてもう一つは深夜の暗闇で月明りで微かに見える意地悪に笑っている顔だ。目の前で眠る直人さんの姿は、あまりにも無防備で、そして愛おしかった。少し長めの前髪が、彼の長いまつ毛にかかっている。それが気になるのか、時折「んん……」と寝ぼけた声を漏らす様子は、普段の仕事をしている時には想像もできない。子供のような可愛さに、彼を起こさないように、そっと指を伸ばす
遥side「遥、行こうか」搭乗手続きを済ませて荷物をカウンターに預けてから、私たちはラウンジでシャンパンを飲んで出発までの時間を過ごしていた。飛行機の旅は長い。初日の今日は、何もスケジュールは入っておらず移動で一日が終わる予定だ。「普段は、花蓮や誰かが常に周りにいるから二人だけって不思議な感じね」何気なく言った一言に、直人さんは顔を傾けて私の顔を覗き込んでくる。「……嫌?僕は、とても嬉しいよ」視界に彼の唇と伏せた睫毛が大きく映る。その仕草が何とも艶っぽくて、私の胸はピクンと反応している。「嫌なんかじゃないわ。私も嬉しい。けれど、何だか夢みたいで恥ずかしさもあるの」「そうか。でも、飛行機に乗って向こうに着いたら誰も僕たちのことを知る人はいないよ。せっかくハリーや俊さんが用意してくれたんだ。二人だけの時間を思いっきり楽しもう」「……ええ、そうね」飛行機に乗り込むと、直人さんが私の肩に手を回してきた。守られている感じもするけれど、まだ慣れなくてどうすればいいか身体が硬くなってしまう。緊張している私をほぐすかのように、ふっと優し
遥side私たちが開発した製品は右肩上がりで売上を伸ばし続け、連日メディアの注目を集めていた。販売開始から三か月が経ち、目立ったトラブルもなく日々の受発注業務も安定している。直人さんと私は、共同経営者である兄の俊とハリーの計らいで用意された視察旅行へ行くことにした。社員たちも長年一緒にやってきたメンバーばかりなので、内容もトラブルが起きた時の対応も一通り熟知しており、視察の件を話したら快く見送ってくれた。出発を数日後に控えたある日。打ち合わせが予定より早く終わり、私たちがオフィスに入ろうとエントランスのドアを開けようとした時だった。中から楽しげな笑い声と共に社員たちの会話が漏れ聞こえてきた。「ねえ、ぶっちゃけ社長たちって実際のところどうなんですかね? お互いに絶対好意持ってますよね」「やっぱりそう思う? あの二人、打ち合わせ中も息がぴったりだし、もしかしたら、もう付き合っていたりして」「あり得るな。でも、社長たちってお似合いじゃないですか。仕事は仕事でキッチリ切り替えているし、もし本当なら、僕は全力で応援したいな」「私も。二人とも本当にいい人だし何より美男美女で並んで歩くだけで絵になりますよね」まさか自分たちがそんな風に噂されているなんて。気恥ずかしさと認められている安堵感が混ざり合い、顔が火照る。
麗華side「なんであの女が社長なんかに?それも、私と違って世間からも注目を浴びるなんて……」ネットであの女の記事を見て奏多に言いつけると、相手にしてもらえないどころか資料の提出を指摘されてしまった。そんなの、部下に丸投げしているから分かるはずがない。そもそも、私が社長を引き受けてあげたのは、奏多のメンツを保つためであっておじさんたちの面倒を見るためじゃない。(ああー、もう! 何よ、奏多もあの女のことを罵るかと思ったら、何も言わないなんて……。でも、電話の声はひどく不機嫌だったわね。あの月島って男と一緒に写っていたから? 私もあの生意気な男のせいで就任パーティーの時は恥をかかされたし……。そもそも、一つの会社に社長が二人もいらないわ。二人まとめて消えてくれればいいのに)社長業というのは、私が夢見ていた華やかな世界とは程遠い地味で退屈だった。特に五十嵐のような地方の中小企業では、華やかなパーティーも高級ホテルでの会食も皆無。たまにある接待といえば、地元の居酒屋だ。せっかく最新のトレンドを取り入れたネイルを施しても、誰も分かってくれる人はいない。それに自分の親ほど年の離れたおじさんたちに褒められても嬉しくも何ともない。それどころか、仕事に拘束されるせいで、買い物に行く時間もエステやジムに通う時間も削られていく。
奏多side「遥と月島が新会社の社長だって……?」ネットでニュースサイトを確認していると、『東宮グループ』の文字が流れてきた。反射的にタップして詳細を開くと、そこには眩いばかりのライトを浴びた二人の姿が、鮮明な画像と共に掲載されていた。『米・ハリー・ボンド氏と東宮グループが、AIと国際会計システムを駆使した次世代会計ソフトの販売を開始。共同出資の新会社を設立し、日本の会計業界に大きなAI旋風なるか。新社長、月島直人氏と東宮遥氏を直撃。』四ページにわたるロングインタビュー。写真の遥は、知的な光を宿した瞳で前を見据えている。その隣で、月島が彼女を誇らしげに見つめ、時折、二人が視線を交わして微笑み合っていた。対談の内容を流し読みしたが、二人のやり取りからは、言葉にせずとも伝わる深い信頼関係が見える。それが、妙に癪に障ってすぐに画面を閉じた。「……ふざけやがって。あの二人、月島銀行の監査が終わったら接点はなくなったんじゃないのか。あの時点からこのプロジェクトを進めていたのか?それとも、最初から仕事とは関係ないところで……」監査に来た時の月島のことを思い出す。あの時から、彼が遥に向ける視線にはビジネスパートナー以上の熱がこもっていた気がしてならない。苛立ちを紛らわすようにスマホをデスクに放り投げた瞬間、『星野麗華』の文字が画面が浮かび上がった。
麗華side「奏多に送ったメッセージ、既読にはなったけれど返信はないわね。どうせ買ったら駄目なんて言わないだろうし、事後報告でもいいわよね」返事を待ってから購入しようとは一応思っていたけれど、奏多の連絡よりも先に外商が私のマンションに来る時間になってしまった。『限定品』という言葉は、抗えない魔力を持っている。今日を逃したら、次の時にはもう販売されていないかもしれない。私の気持ちは買い一択だった。「星野様、よくお似合いになっておられます。星野様の細くて綺麗なデコルテが、このネックレスを纏うことでより洗練された美しさになりますね」
奏多side「社長、私は貴方を信じて経営を任せていました。それが何故、メインバンクである月島銀行に特別監査をされなくてはいけないのですか? 分かるように説明して下さい」翌日、呼び出した子会社の社長である五十嵐は、俺の顔色を窺うように声を震わせながら口を開いた。その様子は、嘘が見つかってしまった子どものようで俺の神経を逆撫でさせる。 デスクを
奏多side「奏多! 聞いたわよ。月島銀行が監査に来るんですって? 面倒なことになったわね。私のパパから月島銀行の役員に話を通してもらうようにしましょうか?」秘書の制止を振り切って入ってきた麗華は、俺にねだって手に入れたばかりの限定モデルのブランドバッグを乱雑にデスクに置いた。
遥side「花蓮、朝よ。調子はどう? 起きられそうかしら。お熱を測りましょうね」柔らかな日差しが差し込むベッドサイドに座り、私は花蓮の脇に体温計を滑り込ませた。まだ眠たげにしている花蓮の頭を優しく撫でると、花蓮はうっすらと目を開け、ふにゃりと力なく笑った。







