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「注目されているのは、ハリーだかって人と作った会計システムが話題を呼んでいるからなのよね。でも、それに問題があると分かれば注目は一気に非難の目に変わるはずよね……」
期待が大きければ大きいほど、逆の意見が出た時のインパクトは大きい。もしあの商品に欠陥があったり、あるいは関係者のスキャンダルがあると分かれば、世間は一気に手のひらを返したような非難に変わるはずだ。
募る思いでSNSで新製品に対する批判的な意見を探したけれど、画面に並ぶのは「使いやすそう」「画期的」「早く導入したい」という称賛の声ばかりで、不具合を訴える声など一つも見当たらない。
奏多side面会を拒絶され続けても、俺は東宮グループのオフィスに毎朝通うようになった。冷ややかな視線を向けられようとも、今の俺にはそれしか縋るものがない。鞄の中には、弁護士から手渡された示談書と慰謝料の支払い書類が入っている。示談書は、内容が微妙に異なるものが二通手渡されている。 一通は、麗華が犯した誹謗中傷と名誉棄損に対する謝罪と賠償を認めるもので、これには迷わずサインをした。俺が直接手を下したわけではなくとも、住吉家の敷地内から発信された記録が残り、証拠のPCが押収された以上、責任は免れない。しかし、もう一通についてはどうしてもサインが出来なかった。交渉するためにも、東宮俊と会いたいのだが、オフィスに出向いても門前払いをされるばかりで願いは叶わないままだ。(文章や弁護士を通してではなく、このことだけは、直接会って自分の言葉で思いを伝えたい……)その日も、拒否をされてしまい肩を落として自社に出社すると、秘書の佐藤が焦燥を滲ませた表情で部屋に入ってきた。「社長、先日仰っていた東宮家の女児……花蓮ちゃんの件で、詳細な報告が入りました」心臓が嫌な音を立てて跳ねる。佐藤は手元の資料を捲りながら、声を潜めた。「
奏多side「このスープは誰が作ったんだ?」向井という家政婦を呼び止めて尋ねると、彼女は「どうしてそんな分かり切ったことを聞くのだろう」と不思議に思いながらも丁寧に答えた。「スープ、ですか? そちらは林シェフが作ったものですが……何かお気に召さない点でもございましたか?」「……いや、シェフはまだ厨房にいるのか? 少し聞きたいことがあるんだ。ここへ連れてきてくれ」五分後、何か重大な失態でも仕でかしたのかとシェフの林が緊張で肩を強張らせながら応接間に入ってきた。俺は努めて穏やかな声を意識し、林に話しかけた。「急にメニューを変えてもらってすまなかった。林、このスープは君が作ったものだな。誰かにレシピを教わったり、あるいは一緒に作ったりしたことはあるか?」その問いの真意を察したのだろう。林シェフの肩が、目に見えてピクリと跳ねた。「それは……」「このスープ、少し味は違うが、俺は以前どこかで飲んだ記憶があるんだ。だが、それは君とは別の人間が作ったものだった。その人物は、自分のオリジナルだと言っていた。……林、君のその反応を見る限り、俺が何を言いたいか分かっているようだね
奏多side東宮グループのオフィスビル。そのエントランスを、遥と月島、そしてあの少女が三人で手を繋いで去っていった。その背中を見送った瞬間、俺は胸を鷲掴みにされたような息苦しさと敗北感を覚えた。結局、その日は東宮俊社長にも会えず、俺は何もできないままビルを後にした。心の中を支配する言い難い感情を吐き出したくて逃げるように馴染みのバーへと向かった。カウンターに座ると、何も言わずともマスターがおしぼりとウイスキーのダブルを差し出す。大きな氷山のような塊が、琥珀色の液体の中で静かに佇んでいた。そのことが今の俺にはありがたく心に沁みる。カラン、と氷が音を立てる。俺はそれを馴染ませる間もなく、テキーラのショットを煽るように一気に喉へと流し込んだ。食道を焼く熱い刺激が一瞬だけ思考を麻痺させてくれる。(……もしかして遥のやつ、何年も前から月島と関係を持って俺を裏切っていたのか? 家族になりたかったから離婚を切り出したのか?)酔いが回るにつれ、思考は卑屈な方向へと加速していく。二時間を過ぎる頃には、視界は霞み、グラスの中の氷は角が取れて、透明なビー玉のように俺の惨めさを映し出していた。翌朝、会社につくなり秘書の佐藤を電話で呼び出すと、慌てた様子で部屋に入ってきた。「おはようございます。……社長、何か問題でも?」 
遥side私を一目見た瞬間、奏多は魂が抜けたかのように立ち尽くし、その瞳を驚愕で大きく見開いていた。すれ違いざま、引き止めようとする彼の口から漏れた「いつの間に……」「一体、誰の子だ?」という無神経な言葉が、私の胸の奥でドロドロとした真っ黒な感情となって渦巻く。(いつの間に、ですって……? あなたが麗華にばかり耳を傾けて、私の話を聞こうともしなかったからじゃない。それに「誰の子」だなんて……。あなたが麗華と子供を作ったように、私も誰かと関係を持っていたとでも思っているの?)私の出産も花蓮のことも悪く言われたようで、怒りが収まりそうにない。けれど、今日は花蓮の誕生日。大切なお祝いの日に、こんな澱んだ感情を引きずりたくはなかった。エントランスで待つ花蓮のところまで、あと十メートル。それまでの間に、気持ちを切り替えようと深く息を吸い込んだ。その時、隣を歩く直人が、私にだけ聞こえるような小さな、けれど凛とした声で囁いた。「遥、大丈夫? ……誰の子か聞くなんて、住吉社長には心底失望したよ。自分の愚かさを露呈しているようなものだ」「大丈夫よ、直人。ありがとう……」直人は私の表情を覗き込むと、ふっと表情を和らげ、どこか哀れむような目線を背後の奏多へ向けた。
奏多side後日、麗華が引き起こした一件を正式に謝罪し、凍結された取引の再考を乞うため、東宮グループの本社ビルへと足を運んでいた。ガラス張りの巨大なエントランスホールの受付で東宮俊社長と月島直人社長へ面会したい旨を伝えて、ロビーのソファに腰を下ろし待機していたときの事だった。プリンセスのようなフリルのドレスを着て、リボンのカチューシャをした女の子がスーツを着た男と一緒に入口からエントランスホールに入ってきた。「予定より少し早く到着しましたので、別室で待機するよう指示を受けております。こちらへ」「ありがとう」男が自動扉を手で押さえながら伝えると、少女は大人顔負けの凛とした所作で髪をなびかせ奥へと消えていった。威張っているわけでも、媚びているわけでもない。その気品とどこか浮世離れした余裕のある立ち居振る舞いは、遥に再会した時のことを強く彷彿させた。(何だ、あの子は……。親子には見えなかったな……芸能事務所の子役か? それにしても、あんなに小さいのに堂々としていたな)数分後、受付の女性が申し訳なさそうに俺の元へ歩み寄ってきた。「住吉様、やはり本日は東宮への面会は難しいとのことです。改めてこちらからご連絡差し
麗華side都内でも指折りの最高級フレンチレストラン。高層階から見る夜景は、宝石のように眩く輝いていた。しかし、そんな景色を楽しむことなく冷めた目で入り口のドアを見つめていた。テーブルの向かい側には、住吉商事の顧問弁護士である阿部が厳しい表情で書類を整理している。「奏多様、準備は整っております」「ああ……頼む」その直後勢いよくドアが開かれると、場にそぐわないほど華やかなパッションピンクのワンピースに身を包み傲慢な笑みを浮かべた麗華が、強い香水の香りを振り撒きながら中に入ってきたが、背を向けて座る男の存在に気づき、わずかに眉を寄せた。「奏多、お待たせ。素敵なレストランね。……その方は?」「紹介しよう。住吉家の顧問弁護士である田中先生だ」俺の低く温度のない声に、麗華の動きが止まる。彼女はゆっくりと俺を見つめ、引き攣った笑みを浮かべた。「冗談はやめてよ。お祝いだって言ったじゃない……どうしてこの場に弁護士の先生がいるの?」「お祝いと言うのは嘘だ。そうでも言わないと
奏多side社長室のデスクに肘をつき、指先でこめかみを強く押さえつける。視界の端には完璧に整えられていた準備の痕跡が虚しく映っていた。今夜のために仕事を詰め込み、午後の予定をすべて空けた。デスクの上の書類は一通残らず決裁を終え、鞄の中身も整理し、コートを羽織ればすぐにこの部屋を後にできるよう準備に準備を重ねてきたのだ。 すべては、監査を終え
遥side「遥さん、お待たせしてすみません。ハリーからはシステムの質問でしたが、無事終わりました。……遠目で遥さんと住吉社長がお話しされているのを見ましたが、監査の件で何か問題でもありましたか?」月島さんは心配したように私の顔を覗き込んでいる。その落ち着いた声が、張り詰めていた私の神経をふっと緩ませた。。
奏多side土曜日、朝食を終えて着替えを済ませてからクローゼットの中を見渡すと、一昨日届いたばかりの新品のスーツと鞄だけが美しく並んでいた。ゆとりの感じられる風通しのいいクローゼットは、見ていてとても清々しい。「さて、神山に移動させた荷物の場所を聞いて確認するか……」階段を降りて執事の神山を探すと、電話をしている最中だった。受話器を両手で持ち、時折深く頭を下げながら対応していてまだ時間がかかりそうだ。「奏多様、いかがなさいましたか?」神山の様子を伺っていた俺に、古くからこの屋敷に仕えている家政婦の一人が声をかけてきた。「ああ。一昨日からクローゼットの整理を頼んでいたが、出した荷物が
麗華side「奏多に送ったメッセージ、既読にはなったけれど返信はないわね。どうせ買ったら駄目なんて言わないだろうし、事後報告でもいいわよね」返事を待ってから購入しようとは一応思っていたけれど、奏多の連絡よりも先に外商が私のマンションに来る時間になってしまった。『限定品』という言葉は、抗えない魔力を持っている。今日を逃したら、次の時にはもう販売されていないかもしれない。私の気持ちは買い一択だった。「星野様、よくお似合いになっておられます。星野様の細くて綺麗なデコルテが、このネックレスを纏うことでより洗練された美しさになりますね」