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第4話

Author: 灯ちゃん
五日後、衡稀は梓を連れて帰ってきた。

家に入るなり、絵蓮の視線は梓の首元にきらめくネックレスに吸い寄せられた。

ひと目見ただけで、彼女はすぐに視線を落とした。

……やっぱり。

あのネックレスは、梓へのプレゼントだったのだ。

それなら、あのとき衡稀が言いかけてやめた言葉は、一体何だったのだろう?

彼の前では、梓はいつものように愛想よくふるまい、笑顔で絵蓮の手を取った。

「絵蓮、この数日ひとりで退屈だったでしょ?お土産たくさん買ってきたの。欲しいのがあれば、持って行って?」

そう言いながらコートを脱ぎ、山のように積まれた箱の前へ彼女を引っ張っていった。

絵蓮は首を振って何度も断ったが、梓は少し怒ったように彼女をちらりと見て、どこか含みのある口調で言った。

「どうしてそんなに遠慮してるの?未来の義理のおばさんからのプレゼントだと思えばいいじゃない?」

「おばさん」という言葉を聞いた瞬間、絵蓮は思わず顔を上げた。

そしてその視線は、梓の肩から首筋にかけて点々とついた、いくつものキスマークに留まった。

……思い出した。

彼女が以前送りつけてきた写真の中に、ホテルのベッドを真正面から撮ったものがあった。

あのときは意味がわからなかった。

けれど今になって、ようやくその意図を理解した。

絵蓮は何も言わず、静かに目を伏せた。

梓はお土産の箱を開けながら、今夜のパーティーについて話し始めた。

「衡稀、今夜は神宮寺さんの成人式なの。絵蓮も一緒に行こうよ。同い年くらいだし、話も合うと思うの」

……成人式。

その言葉を聞いた瞬間、絵蓮は少し驚いた。

京極家に来て以来、衡稀が彼女を社交の場に連れて行くことは一度もなかった。

理由は簡単……一部の人間が、彼女のことを寄生虫だと陰口を叩いていたからだ。

今回も、衡稀は迷うことなく首を横に振り、彼女を連れて行く気はなかった。

しかし、梓がその腕に甘えるようにすがり、「一人じゃつまんない」と甘えた。

そして結局、衡稀は小さく苦笑しながら、その願いを聞き入れた。

二人の親しげな様子を見つめながら、絵蓮は黙ってうつむいた。

その唇に、かすかな笑みが浮かんでいた。

衡稀の世界の中で、梓は特別な存在なのだ。

彼女のためなら、自分のこれまでの信念さえも曲げる。

そう思ったとき、絵蓮は心の底から悟った。おじさんは、本当に梓を愛しているのだと。

彼が幸せなら、自分は彼のそばにいられなくなっても構わないのだと、絵蓮は思った。

宴会場には、グラスが触れ合う音と笑い声が満ちていた。

絵蓮は独り隅に立ち、梓の代わりに何杯も酒を飲んでいる衡稀の姿をじっと見つめながら、黙って手元のジュースを口に運んでいた。

数人の女の子たちが笑いながら近づいてきて、うっかり彼女の服にワインをこぼしてしまった。彼女たちは驚いて、慌てて何度も謝った。

彼女は気にすることもなく、自分で洗いに行こうとその場を離れた。

立ち去る前、スマホとバッグを衡稀に預けた。

十分ほどして戻ると、衡稀はわずかに眉をひそめ、少し不思議そうに彼女を見つめた。

「さっき、お前のおばさんから電話があった。今話せる?って聞かれて、お前が忙しいって答えたら、後でかけ直すってさ」

……おばさん。

その言葉を聞いた瞬間、絵蓮の体が一瞬ぴくりと震えた。

でも幸い、渡航の話までは聞かれていなかったようだった。

彼女の表情はすぐに平静を取り戻した。

その変化に気づいた衡稀は、さらに尋ねた。

「絵蓮、おばさんと連絡取ってたのか?」

「二週間くらい前。祖父母の写真がほしいって」

絵蓮は何気ない口調で答えた。

衡稀はそれを聞いて納得したように頷き、隣にいた梓の乱れた髪を整えてやった。

絵蓮もバッグとスマホを受け取り、その場を離れようとした。

そのとき。

高く積まれていたシャンパンタワーが誰かにぶつかり、ぐらりと傾いた。

……ちょうどその前に、絵蓮と梓が立っていた。

「危ない!」

一番近くにいた衡稀が、反射的に梓を抱きかかえ、安全な場所へと引き寄せた。

……ガシャン!!

轟音とともに、シャンパンタワーは崩れ落ち、絵蓮の体に降りかかった。

砕けたガラスが四方に飛び散り、彼女はその場に倒れ込んだ。

純白のドレスに流れ出た血が、じわりと広がっていった。

会場は、水を打ったような静寂に包まれた。

梓は無傷だったが、恐怖に震えて泣き出した。

床に倒れた血まみれの絵蓮と、腕の中で泣きじゃくる梓を見て、衡稀はほんの一瞬、逡巡した。

だがすぐに、決断した。

「彼女を病院に連れて行け」

そうボディーガードに命じると、梓を抱きしめたまま、会場を後にした。

二人の姿が完全に消えたあと、絵蓮は周囲の同情に満ちた視線の中、よろめきながら立ち上がった。

帰宅したのは、深夜1時を回ったころだった。

医師には十数針縫われ、入院を勧められたが、彼女は薬だけを受け取って帰ってきた。

衡稀は、まだ戻っていなかった。

部屋の明かりを落とし、彼女はベッドに横たわった。

見上げた天井は、真っ暗だった。

全身を焼くような痛みが、眠気を追い払っていった。

ようやく浅い眠りについたのは、午前3時を過ぎたころだった。

そのとき……リビングの灯りがついた。

酒気を帯びた衡稀が、ふらふらと階段を上がってきた。

彼は自分の部屋には戻らず、家の一番奥、かつての書斎へと向かい、そっとドアを開けた。

寝返りを打った絵蓮は、傷口に触れ、うっすらと夢の中で呻いた。

その小さな声を、彼は聞き逃さなかった。

そっと近づき、ベッドのそばに膝をついた。

そして、そのまま彼女を腕に抱き上げた。

衡稀は片手でパジャマの裾を捲くり上げ、柔らかな腰に触れた。

もう一方の手で顎を軽く持ち上げ、彼女の唇に、自分の唇を重ねた……

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