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4-3

Author: 海野雫
last update Last Updated: 2025-10-12 19:00:25

 その夜、響は部屋で鷲尾の言葉を反芻していた。

 パソコンの前に座り、自分の曲を聴き直す。どれも、暗く、重く、孤独に満ちている。ヘッドホンから流れる旋律が、心に突き刺さる。

 これを、明るく変える?

 響は首を振った。それは、できない。自分の感情を偽ることは、できない。

 だが、鷲尾の言葉も頭から離れない。

「聴く人のことを考えるべきです」

 その言葉が、繰り返し響く。

 響は窓の外を見つめた。街の灯りが、遠くに見える。あの灯りの下で、どれだけの人が音楽を求めているのだろう。そして、自分の音楽は――その人たちに届くのだろうか。

 その時、携帯電話が鳴った。藤堂からだった。

『明日、時間ある? 話したいことがあるんだ』

 響は少し迷ったあと、返信した。

『……ある』

『じゃあ、大学の中庭で。昼休みに』

『分かった』

 響は携帯を置いた。画面の光が消える。

 藤堂は、何を話したいのだろうか。

 もしかして、鷲尾のことだろうか。

 響は、不安と期待が入り混じった気持ちで、夜を過ごした。眠れない夜。天井を見つめながら、考え続けた。

 *

 翌日の昼休み。

 響は約束通り、大学の中庭に向かった。初夏の日差しが強く、木陰が心地よい。ベンチには、すでに藤堂が座っていた。

「よう、来たな」

 藤堂は笑顔で響を迎えた。だが、その笑顔は、いつもより少し硬いように見えた。

「……それで、話って?」

 響はベンチに座った。木陰の涼しさが、肌に心地よい。

「ああ」

 藤堂は真剣な顔になった。

「鷲尾さんから、連絡あった?」

「……ああ」

 響は頷いた。藤堂も知っているのか。

「何ていわれた?」

 響は少し迷ったあと、鷲尾との会話を話した。音楽を変えろといわれたこと。大衆受けする曲を作るべきだといわれたこと。明るく、ポジティブに――そう調整しろと。

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  • 響きあうカデンツァ   5-3

     響の部屋に着くと、二人はすぐに抱き合った。 扉を閉めるやいなや、藤堂が響を壁に押し付け、激しくキスをする。さっきとは違う、熱を帯びたキス。欲望が滲むキス。 響は、藤堂の髪に手を絡めた。柔らかい髪が、指の間を滑る。 藤堂の手が、響のシャツのボタンに触れる。 ゆっくりと、一つずつボタンを外していく。その手つきは、丁寧だった。急がず、響の反応を確かめるように。 響は、息が荒くなり、心臓の鼓動がどんどん早まっていく。全身が熱くなっていた。藤堂も、自分のシャツを脱ぎ始めた。ゆっくりとボタンを外し、シャツを肩から滑り落とすと、筋肉質な体が露わになる。二人の肌が触れ合い、その温もりと柔らかさが、響に伝わってきた。藤堂の体温と心臓の鼓動を、響ははっきりと感じた。 その瞬間――響の体が、固まった。 突然、高校の時の記憶がフラッシュバックする。 告白した時の、あの教室。「気持ち悪い」 その言葉を浴びせられた時の、あの表情。「ホモとか、ありえない」「お前、マジで終わってる」 笑い声。嘲笑。軽蔑の眼差し。 机の中のメモ。 『きもい』 『死ね』 『普通じゃない』 あの言葉が、頭の中で何度も反響する。繰り返す記憶――机の中のメモ、廊下での笑い声、教室での孤独。すべてが一度に蘇ってきた。呼吸ができず、胸が苦しい。体が震える。藤堂は、そんな響の変化にすぐ気づいた。「……響?」 藤堂の声が、心配そうだ。遠くから聞こえるようだった。 響は、震えていた。体が、いうことを聞かない。頭では分かっている。藤堂は違う。藤堂は、自分を受け入れてくれている。 でも、体が――心が、拒絶している。「ごめん……俺……」と、響の声がかすれる。涙が溢れそうになる。こんな自分が情けない。「無理、だ……」 そういうのが

  • 響きあうカデンツァ   5-2

     発表会が終わり、出演者たちの打ち上げがあった。 響は参加するつもりはなかったが、藤堂に強引に連れてこられた。学内のカフェテリアを貸し切って、軽食とドリンクが用意されている。テーブルには、サンドイッチやケーキ、ジュースやコーヒーが並ぶ。華やかな雰囲気。笑い声と談笑の声が響く。 響は隅で黙っていたが、次々と学生たちが話しかけてきた。「あの曲、すごく良かったです」 女子学生が目を輝かせていう。その目は、赤く腫れていた。泣いたのだろう。「本当に感動しました。私も泣いちゃって」「作曲したんですか? もっと聴きたいです」 男子学生が興味深そうに尋ねる。「どういう経緯で、あの曲が生まれたんですか?」「藤堂さんと、また共演してください」 ピアノ科の学生が、笑顔で頼む。「次の発表会も、ぜひお願いします」 響は戸惑いながらも、小さく頷いた。自分が肯定され、認められているという実感が、少しずつ湧いてくる。胸の奥が、じんわりと温かい。 こんな経験は、初めてだった。 高校の時は、避けられた。笑われた。机の中にメモを入れられた。 だが今は――こんなにも、多くの人が自分の音楽を認めてくれている。 美咲も、打ち上げに来ていた。響の元に近づいてきて、微笑んだ。「やっぱり、素晴らしかったわ」 美咲が響の手をそっと握った。「私も泣いちゃった。あの曲、本当に美しい」「……ありがとう」 響は小さく答えた。「私、やっぱりあの曲を弾いてみたい」 美咲は真剣な目でいった。「今度、楽譜を見せてもらってもいい?」 響は少し迷ったが、頷いた。もう、怖くなかった。美咲なら、自分の曲を大切に扱ってくれる。そう信じられた。 藤堂は、少し離れた場所で仲間たちと談笑していた。北川怜や他のバンドメンバーたちに囲まれている。時々、響の方を見ては、微笑みかけてくる。その笑顔は、誇らしげだった

  • 響きあうカデンツァ   第五章 最初の共演

     発表会当日の朝、響は何度も吐き気を催した。 鏡の中の自分は青白く、目の下には隈ができている。昨夜はほとんど眠れなかった。ベッドに横になっても、心臓の音がうるさくて眠れない。寝返りを打つたびに、不安が押し寄せてくる。天井を見つめ、時計の針が進むのを数え、また天井を見つめる――その繰り返しだった。 今日、藤堂が自分の曲を歌う。 大学の講堂で、二百人以上の観客の前で発表会が行われる。また、笑われるのではないか、気持ち悪いといわれるのではないかと不安になる。高校の時のように、噂が広まり避けられたり、机の中にメモが入れられたり、廊下で指を差されたりするのではと考えてしまう。 響は洗面台に顔を埋めた。冷たい水で顔を洗う。水滴が頬を伝い、シンクに落ちる音が響く。鏡の中の自分に、言い聞かせる。 ――大丈夫。藤堂を信じろ。 だが、心臓は激しく脈打ち続ける。手も、微かに震えている。 朝食は喉を通らなかった。コーヒーを一口飲もうとしたが、吐き気が込み上げてきて、諦めた。部屋の中を行ったり来たりする。時計を見る。まだ午前九時。発表会は午後二時から。あと五時間もある。 響は、藤堂からのメッセージを読み返した。昨夜届いたものだ。『明日、頑張る。お前の曲を、絶対に最高の形で届けるから』 その言葉を何度も読み返す。藤堂を信じよう。この人は、自分を裏切らない。そう自分に言い聞かせる。 だが、不安は消えなかった。 午前中、響はずっと部屋にいた。作曲をしようとしたが、集中できない。本を読もうとしたが、文字が頭に入ってこない。ただ、時間が過ぎるのを待つだけだった。 正午になり、響は簡単にパンを食べた。ほとんど味がしなかった。 午後一時、響は大学に着いた。 講堂に向かう足取りは重い。一歩一歩が、鉛のように重い。廊下を歩くたび、すれ違う学生たちの視線が刺さるような気がする。彼らは響のことを知らないはずなのに、まるで全員が自分を見ているような錯覚に陥る。 廊下の掲示板には、発表会のポスターが貼られている。出演者の名前が並ぶ中、「藤堂晴真」という名前と、

  • 響きあうカデンツァ   4-4

    「なあ、響」 藤堂が急に立ち上がった。「今から、ちょっと付き合ってくれないか?」「……どこに?」「秘密」 藤堂はいたずらっぽく笑った。「いいから、来いよ」 響は戸惑ったが、藤堂の手に引かれて立ち上がった。 二人は大学を出て、駅に向かった。電車に乗り、三十分ほど揺られる。窓の外の景色が流れていく。響は、どこに連れていかれるのか分からなかった。 やがて、二人は小さな音楽ホールの前に着いた。「ここ、何?」「俺の恩師がいる場所」 藤堂は答えた。「お前に、会わせたいんだ」 響は驚いた。恩師――藤堂が尊敬する人。「でも、いきなり……」「大丈夫。話はつけてある」 藤堂は響の手を引いて、ホールの中に入った。 ロビーを抜け、小さなスタジオに入る。そこには、ひとりの老人が座っていた。 白髪の、穏やかな顔をした老人。その目は、優しく響を見つめた。「いらっしゃい」 老人は微笑んだ。「晴真から、君のことは聞いているよ。篠原響くん」 響は緊張して頷いた。「こちらは、俺の恩師の柴田先生」 と、藤堂が紹介した。「声楽を教えてくださってる」「よろしく」 柴田は手を差し出した。響は、恐る恐る握手をした。その手は、温かかった。「晴真から、君の曲を聴かせてもらったよ」 柴田は穏やかにいった。「『ひとりの夜に』――素晴らしい曲だった」「……ありがとうございます」 響は小さく答えた。「君は、自分の音楽に迷いがあるそうだね」 柴田は椅子に座り、響にも座るよう促した。「はい……」 響は正直に答えた。「俺の音楽は、暗くて、普通じゃなくて……本当に価値があるのか、分からなくて」「普通、か」

  • 響きあうカデンツァ   4-3

     その夜、響は部屋で鷲尾の言葉を反芻していた。 パソコンの前に座り、自分の曲を聴き直す。どれも、暗く、重く、孤独に満ちている。ヘッドホンから流れる旋律が、心に突き刺さる。 これを、明るく変える? 響は首を振った。それは、できない。自分の感情を偽ることは、できない。 だが、鷲尾の言葉も頭から離れない。「聴く人のことを考えるべきです」 その言葉が、繰り返し響く。 響は窓の外を見つめた。街の灯りが、遠くに見える。あの灯りの下で、どれだけの人が音楽を求めているのだろう。そして、自分の音楽は――その人たちに届くのだろうか。 その時、携帯電話が鳴った。藤堂からだった。『明日、時間ある? 話したいことがあるんだ』 響は少し迷ったあと、返信した。『……ある』『じゃあ、大学の中庭で。昼休みに』『分かった』 響は携帯を置いた。画面の光が消える。 藤堂は、何を話したいのだろうか。 もしかして、鷲尾のことだろうか。 響は、不安と期待が入り混じった気持ちで、夜を過ごした。眠れない夜。天井を見つめながら、考え続けた。 * 翌日の昼休み。 響は約束通り、大学の中庭に向かった。初夏の日差しが強く、木陰が心地よい。ベンチには、すでに藤堂が座っていた。「よう、来たな」 藤堂は笑顔で響を迎えた。だが、その笑顔は、いつもより少し硬いように見えた。「……それで、話って?」 響はベンチに座った。木陰の涼しさが、肌に心地よい。「ああ」 藤堂は真剣な顔になった。「鷲尾さんから、連絡あった?」「……ああ」 響は頷いた。藤堂も知っているのか。「何ていわれた?」 響は少し迷ったあと、鷲尾との会話を話した。音楽を変えろといわれたこと。大衆受けする曲を作るべきだといわれたこと。明るく、ポジティブに――そう調整しろと。

  • 響きあうカデンツァ   4-2

     その日の夕方、響は練習室に向かった。 久しぶりに、グランドピアノの前に座りたくなった。美咲の言葉が、響の心を動かしたのだ。音を奏でたい――そう思った。 三階の奥の練習室に入り、扉に鍵をかける。誰にも邪魔されない空間。ここだけが、響の聖域だった。窓から差し込む夕陽が、ピアノの黒い天板を照らしている。 響は鍵盤に指を置き、目を閉じた。 そして、そっと弾き始めた。 最初は静かなアルペジオ。それが次第に高揚し、和音が重なっていく。響の心の中にある、言葉にできない感情のすべてが、音となって溢れ出していく。 孤独、痛み、恐怖――そして、小さな希望。 藤堂に出会ってから芽生えた、温かな感情。 美咲の言葉に背中を押された、前に進もうとする気持ち。 響は夢中で弾き続けた。時間の感覚が消え、ただ音楽だけが存在する。指が鍵盤を滑り、音が空間を満たす。 曲が終わると、響は深く息を吐いた。体が熱い。額に汗が滲んでいる。 その時、背後から拍手が聞こえた。 響は驚いて振り返った。扉の前に、見知らぬ男性が立っていた。 三十代後半くらいだろうか。黒いスーツを着て、鋭い目つきをしている。だが、その表情には穏やかな笑みが浮かんでいた。整った顔立ちと、どこか余裕のある雰囲気。「……誰?」 響の声は警戒に満ちていた。鍵をかけたはずなのに、なぜこの人が入ってきたのだろう。「失礼」 男性は一歩前に出た。革靴が床を叩く音が響く。「扉が開いていたもので。素晴らしい演奏でした」 響は警戒した。扉は確かに鍵をかけたはずだ。それに、この男性は――見たことがない。「私は北川怜の知人でして」 男性は名刺を差し出した。その動作は、洗練されていた。「鷲尾誠司と申します」 響は名刺を受け取った。そこには「RMエンターテインメント プロデューサー 鷲尾誠司」と書かれていた。高級感のある紙質。金の箔押し文字。「プロデューサー……?」 

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