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第4話:成長した狂犬と、初めての『お出かけ』

last update Tanggal publikasi: 2026-05-31 07:38:59

朝の陽ざしが、大きな窓から寝室に差し込んでくる。

「……ん」

私が微かに身じろぎすると、待っていたかのように優しい声が降ってきた。

「おはようございます、ヴェラ様。よく眠れましたか?」

目を開けると、ベッドの脇に一人の青年が立っていた。

銀色に輝く髪。

透き通るような白い肌。

そして、私のすべてを映し込むような、深く美しい赤い瞳。

「おはよう、アシュ。……ええ、とても良い目覚めよ」

私が体を起こすと、彼は流れるような動作で温かいタオルを差し出し、私の顔を優しく拭ってくれる。

アシュをあの路地裏で拾ってから、三年が経過していた。

十二歳だった彼は十五歳になり、見違えるような成長を遂げた。

背丈はすでに私を追い越し、細かった体にはしなやかな筋肉がついている。

少し低くなった声も、心地よく耳に響く。

「本日の紅茶は、ヴェラ様がお好きな東の国の茶葉を取り寄せてブレンドいたしました。お口に合うと良いのですが」

「ありがとう。……うん、完璧な温度ね。香りも素晴らしいわ」

私がカップに口をつけると、アシュは花が咲いたような美しい笑みを浮かべた。

この三年間、私の『理想の夫育成計画』は、これ以上ないほど順調に進んでいた。

彼は私に教えられた知識をスポンジのように吸収し、今では魔法も剣術も一流の域に達している。

何より素晴らしいのは、この献身的な態度だ。

朝の身支度から、食事の準備、屋敷の掃除に至るまで。

彼は私が命じる前に、私の望むことをすべて完璧にこなしてしまう。

「ヴェラ様、髪をお梳かしします」

アシュは私の背後に回り、銀の櫛で私の長い黒髪を梳き始めた。

その手つきは驚くほど優しく、私の髪の毛一本すら傷つけないように慎重だ。

心地よい刺激に、私は思わず目を細める。

「アシュは本当に器用ね。私の専属の侍女になってしまえそう」

「俺は、ヴェラ様のためだけに存在していますから。ヴェラ様のお世話をすることは、俺の生きがいなんです」

耳元で囁かれる甘い声。

彼の言葉には、一点の曇りも嘘もない。

あぁ、なんて素晴らしいのだろう。

私が探し求めていた『絶対に私を裏切らない、私だけを愛してくれる男』が、着実に完成しつつある。

ただ、一つだけ問題があるとすれば。

最近、彼が少しばかり『過保護すぎる』ことだろうか。

「ねえ、アシュ。今日なんだけど、少し街まで買い出しに行こうと思っているの」

私がそう言うと、髪を梳いていたアシュの手がピタリと止まった。

「街へ、ですか? 魔法薬の素材なら、俺が一人で買ってまいります。ヴェラ様がわざわざ人混みに出向く必要はありません」

「そうはいかないのよ。今回は私自身の目で見て選びたい素材があるから」

「……危険です。街には、ヴェラ様の美しさに嫉妬する愚か者や、魔女を恐れる無知な輩が溢れています。ヴェラ様に不快な思いをさせるわけには――」

「大丈夫よ。三百年生きてるんだから、自分の身くらい自分で守れるわ。それに……」

私は振り返り、不安げな顔をしているアシュを見上げた。

「たまには、あなたと一緒に街を歩きたいのよ。お出かけの練習も兼ねてね」

私の言葉に、アシュの赤い瞳が大きく見開かれた。

「俺と、一緒に……」

「ええ。あなたがどれだけ立派なエスコートができるか、見せてちょうだい」

私が微笑むと、アシュの顔から一瞬にして不安が消え去り、代わりに熱を帯びた喜びの色が広がった。

「はい……! 必ず、ヴェラ様をお守りいたします!」

彼は私の手を取り、その甲に深く、熱烈な口づけを落とした。

本当に、犬のように忠実で可愛い子だ。

少し愛情が重い気もするが、理想の夫になるためのプロセスとしては、むしろ好ましい傾向だろう。

私は呑気にそう考えていた。

◇ ◇ ◇

王都の活気あるメインストリート。

色とりどりのテントが並び、商人たちの威勢の良い声が響き渡っている。

「ヴェラ様、足元にお気をつけください」

人混みの中、アシュは私の腰にそっと手を回し、周囲の人間が私にぶつからないように完璧なガードを敷いていた。

彼の身のこなしは美しく、歩くたびに銀糸のような髪が揺れる。

すれ違う女性たちが、次々と彼に視線を奪われ、頬を染めて振り返っていく。

「ふふっ。アシュ、あなたすごく見られているわよ」

私がからかうように言うと、アシュは心底興味なさそうに冷たい目を周囲に向けた。

「どうでもいいです。俺の目には、ヴェラ様しか映っていませんから」

「模範解答ね。でも、あまり人を睨みつけないの。紳士は誰に対しても鷹揚に構えているものよ」

「……はい、ヴェラ様」

アシュはすぐに表情を和らげ、完璧な貴公子の微笑みを浮かべた。

切り替えの早さに感心してしまう。

私たちは目的の魔法具店に入り、必要な素材をいくつか購入した。

店主の老人は、私の黒いドレスと金色の瞳を見て少し怯えていたが、アシュが愛想よく対応してくれたおかげで、スムーズに買い物を終えることができた。

「素晴らしいエスコートだったわ、アシュ。おかげで助かったわ」

店を出て、私は満足げに頷いた。

「もったいないお言葉です。……あの、ヴェラ様。少しだけ、あちらの店に寄ってもよろしいでしょうか」

アシュが指差したのは、高級そうな宝石店だった。

「いいけれど、何か欲しいものでもあるの?」

「はい。ヴェラ様に、どうしても贈りたいものがありまして」

彼は私の手引き、店の中へと入っていった。

ショーケースの中には、色鮮やかな宝石が並んでいる。

アシュはその中から、迷うことなく一つの指輪を選び出した。

「これを見せていただけますか」

店員が恭しく取り出したのは、深い真紅のルビーがあしらわれた銀の指輪だった。

アシュの瞳と同じ、美しい赤色。

「ヴェラ様、これ……受け取っていただけますか?」

アシュは少しだけ頬を染めながら、私に指輪を差し出した。

「私に? でも、これはとても高価なものよ。あなたのお小遣いでは……」

「大丈夫です。ヴェラ様からいただいた素材費の余りを、投資で少しばかり増やしておきましたから」

投資。

いつの間にそんな知識まで身につけていたのか。

私の育成計画は、私の想像すら超えて完璧な男を創り上げているらしい。

「ありがとう。とても美しいわ」

私が手を出そうとすると、アシュは首を横に振った。

「俺に、つけさせてください」

彼は私の左手を取り、薬指にそっとルビーの指輪をはめた。

サイズは、まるで測ったかのようにぴったりだった。

「ヴェラ様の白い肌には、赤がよく似合います」

アシュは私の指に唇を落とし、熱を帯びた瞳で見上げてきた。

「俺の色です。これで、ヴェラ様が俺のものであるという証明になりますね」

少しだけ独占欲の強い言葉。

だが、彼が私を心から慕ってくれている証拠だ。

私は「可愛いわね」と微笑み、彼の頭を撫でてやった。

しかし、その穏やかな時間は、突如として破られた。

「おいおい、なんだこの美人は。こんな路地裏の店に、こんな上玉がいるとはな」

下品な笑い声と共に、三人の男が店に入ってきた。

豪華な服を着ているが、その着こなしはだらしなく、酒の匂いを漂わせている。

胸の紋章からして、どこかの下級貴族のドラ息子といったところだろう。

「ねえ君、こんなガキと遊んでないで、俺たちといいことしないか? 美味しいお酒を奢ってやるよ」

男の一人が、ニヤニヤと笑いながら私に手を伸ばそうとした。

私は内心でため息をついた。

三百年生きていれば、こういう輩には何度も遭遇している。

適当に魔力で威圧して追い払えばいい。

そう思い、私が指先を動かそうとした瞬間。

――ゾッとするような、氷のように冷たい殺気が空気を切り裂いた。

「……触れないでいただけますか」

いつの間にか、アシュが私の前に立ち塞がっていた。

彼の声は、今まで聞いたことがないほど低く、冷酷だった。

背中越しに見える彼の横顔は、完璧な微笑みを浮かべているのに、その赤い瞳には絶対零度の狂気が渦巻いている。

「あぁ? なんだてめえ、生意気なガキだな! 俺を誰だと――」

男が声を荒らげようとした瞬間。

アシュが、ほんのわずかに指先を動かした。

「ガッ……!?」

男の言葉が、不自然に途切れた。

見えない巨大な力で首を絞め上げられたように、男は白目を剥き、そのまま膝から崩れ落ちた。

「なっ……おい、どうした!?」

「ひっ……な、なんだこいつ、魔法を……!?」

残りの二人が恐怖に顔を引きつらせ、後ずさる。

アシュは倒れた男を一瞥すらせず、完璧な笑顔のまま、残りの二人に一歩近づいた。

「申し訳ありません。私の『妻になる方』は、少しばかり潔癖症でして。あなた方のような汚らわしい塵が視界に入るだけで、気分を害されてしまうのです」

アシュの声は甘く、穏やかだった。

だが、その言葉に乗せられた魔力の圧力は、下級貴族の精神を容易くへし折るほどの質量を持っていた。

「ひ、ひぃぃぃッ!!」

「ば、化け物……ッ!!」

二人の男は倒れた仲間を引きずり、悲鳴を上げながら店から転がり出ていった。

嵐が去った後の店内に、静寂が降りる。

「……アシュ?」

私が声をかけると、アシュはハッとしたように振り返った。

その顔には、いつもの愛らしい犬のような表情が戻っていた。

「申し訳ありません、ヴェラ様。せっかくのお買い物の最中に、あのような不愉快な虫を近づけてしまって」

アシュは私の手を取り、まるで自分の不手際を恥じるように頭を下げた。

「気にしないで。あなたが追い払ってくれたおかげで助かったわ。とてもスマートで、紳士的な対応だったわよ」

私が褒めると、アシュはパッと顔を輝かせた。

「本当ですか? よかった……俺、ヴェラ様の理想の夫に、少しでも近づけていますか?」

「ええ、もちろんよ。百点満点だわ」

私は彼の銀髪を撫でながら、心から満足していた。

私のために怒り、私を守るために力を振るう。

まさに、私が求めていた『私だけを愛し、守ってくれる夫』の姿そのものだった。

ああ、私の婚活は大成功だ。

このまま彼が大人になれば、きっと最高のパートナーになる。

そう、信じて疑わなかった。

◇ ◇ ◇

その日の深夜。

王都の片隅にある、下級貴族の屋敷。

昼間にヴェラに絡んだ男が、自室のベッドで悪夢にうなされ、目を覚ました。

「はぁっ……はぁっ……!」

嫌な夢だった。

見えない何かに首を絞められ、真っ暗な底に引きずり込まれる夢。

「くそっ、あのガキ……ただじゃおかねえ……」

男が額の汗を拭いながら悪態をついた、その時。

「――ただでおかない?」

暗闇の中から、鈴を転がすような、冷たく美しい声が響いた。

「な、誰だッ!?」

男が飛び起き、ランプに火を灯す。

そこには。

窓の縁に腰掛け、月明かりを背に受けた、美しい銀髪の青年がいた。

アシュだった。

「ひっ……お、お前は昼間の……!」

男が後退ろうとしたが、体はピクリとも動かなかった。

強力な束縛魔法。

声すら満足に出せない。

アシュは軽やかに床に降り立つと、足音一つ立てずに男のベッドに近づいた。

その手には、月明かりを反射して鈍く光る、一本の短剣が握られていた。

「俺のヴェラ様に、汚い手を伸ばそうとした罪。俺のヴェラ様に、汚い言葉を投げかけた罪。俺のヴェラ様の視界に、お前のような塵が映り込んだ罪」

アシュは、狂喜に満ちた笑顔で、男を見下ろした。

「万死に値すると思いませんか?」

「あ、あ、ああぁ……ッ!」

男の目から、恐怖の涙が溢れ出す。

声にならない悲鳴が喉の奥で引き攣る。

「安心してください。ヴェラ様は心優しい方ですから、お前のようなゴミの血で手を汚すことすら好まれない。だから――」

アシュは、短剣の柄を逆手に握り直した。

その赤い瞳には、底なしの狂気と、たった一人への異常なまでの執着がドロドロと渦巻いていた。

「ヴェラ様の視界に入るゴミは、俺が裏で、一つ残らず綺麗に掃除してあげます」

アシュが短剣を振り上げる。

「あぁ、早く大人になりたい。誰一人として、ヴェラ様に近づけないように。彼女の美しい声で呼ばれる資格があるのは、俺だけなのだから」

悲鳴は、夜の闇に吸い込まれて消えた。

私が無邪気に『理想の夫』の成長を喜んでいた裏側で。

彼が抱く異常な愛は、すでに私の手の届かない場所で、確実に世界を侵食し始めていたのだ。

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