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第6話:社交界デビューの提案と、完璧な鳥籠の設計図

last update Petsa ng paglalathala: 2026-05-31 07:39:10

朝。

さんさんと降り注ぐ陽光が、ダイニングルームを明るく照らしていた。

私は淹れたてのミルクティーを片手に、王都から取り寄せた新聞に目を通していた。

「……あら」

一面の大きな見出しを見て、私は思わず声を漏らした。

そこには、先日この屋敷にやってきて、私に不躾な態度をとった男の名前が踊っていた。

『バルバトス伯爵、深夜の屋敷で突如発狂! 当主の座を退き幽閉へ』

『不正蓄財と密輸の証拠も多数発見! バルバトス家、取り潰しの危機か』

記事には、伯爵が何かに酷く怯えた様子で「化け物が来る」「俺の目を潰しに来る」とうわ言を繰り返し、精神を病んでしまったと書かれていた。

さらに、彼の書斎からは長年にわたる不正な取引の証拠が、まるで誰かが意図的に並べたかのように机の上に置かれていたらしい。

「どうされましたか、ヴェラ様」

背後から、心地よい声が降ってきた。

振り返ると、アシュが焼きたてのスコーンを乗せた銀のトレイを持って立っていた。

彼の銀糸のような髪が、朝の光を受けてキラキラと輝いている。

「これを見て。先日いらっしゃったバルバトス伯爵、どうやら自滅したみたいね」

私が新聞を見せると、アシュは無表情のまま記事に目を落とし、ふんと小さく鼻を鳴らした。

「自業自得ですね。ヴェラ様に対してあのような無礼を働いたのですから、天罰が下ったのでしょう」

「そうね。まあ、私にはもう関係のないことだわ」

私は新聞をパタンと閉じ、アシュが取り分けてくれたスコーンに手を伸ばした。

クロテッドクリームと自家製の苺ジャムがたっぷりと乗せられたそれは、一口食べると幸せな甘さが口いっぱいに広がる。

「美味しい。アシュ、あなたまた腕を上げたわね」

「ありがとうございます。ヴェラ様の笑顔が見られるなら、俺はいつだって最高の料理を作りますよ」

アシュは花がほころぶような美しい笑みを浮かべ、私のカップにミルクティーを注ぎ足してくれた。

彼が微笑むたびに、私は胸の奥が温かくなるのを感じる。

バルバトス伯爵の失脚が、まさか目の前にいるこの完璧な少年の手によるものだとは、私は微塵も思っていなかった。

私にとってアシュは、少し過保護で愛情深い、健気な『理想の夫候補』でしかないのだから。

「アシュ、あなたももう十五歳ね。拾った時はあんなに小さかったのに、あっという間だわ」

私がしみじみと言うと、アシュは私の隣に座り、私の手をとった。

「俺はまだまだ未熟です。もっと早く大人になって、ヴェラ様を完璧にお守りできる男になりたい」

「ふふ、十分すぎるくらい立派に育っているわよ。……だからね、そろそろ準備を始めようかと思っているの」

「準備、ですか?」

アシュが不思議そうに首を傾げる。

赤い瞳が、私を真っ直ぐに見つめていた。

「ええ。あと三年で、あなたは十八歳になるわ。人間の貴族社会では、成人とみなされる年齢よ」

私は一度言葉を切り、真剣な表情を作った。

「あなたの社交界デビューの準備よ」

ピクリ、と。

アシュの手が、私の手を握る力がわずかに強くなった。

「……社交界」

「そう。私の『理想の夫』として、王都の貴族たちにお披露目をするの。あなたがどれほど完璧で素晴らしい男性に育ったか、あの愚かな人間たちに見せつけてやりたいのよ」

それは、私のささやかな復讐心でもあった。

私を「化け物」と呼び、婚活市場から締め出した人間たち。

彼らが束になっても敵わないような、美しく、強く、賢い男を私が育て上げたのだと、証明してみせたかったのだ。

「……」

アシュは俯き、長い前髪で表情を隠した。

沈黙が落ちる。

「どうしたの? 人前に出るのは不安かしら」

「……いえ。不安など、ありません」

ゆっくりと顔を上げたアシュは、いつものように穏やかな微笑みを浮かべていた。

「ただ、ヴェラ様は本当に、俺と一緒にその……夜会などに参加してくださるのですか?」

「もちろんよ。私のエスコートはあなたに任せるわ」

私が頷くと、アシュの赤い瞳に、ドロリとした熱を帯びた光が宿った。

「俺が、ヴェラ様をエスコート……俺の腕で、ヴェラ様を抱いて、あのきらびやかな会場を歩く……」

「そうよ。だから、恥ずかしくないように、今日からダンスの特訓も始めましょう。剣術と魔法は完璧だけれど、社交ダンスはまだ少し硬いから」

「はい。喜んで、お相手いたします」

アシュは立ち上がり、私に向かって恭しく一礼した。

その所作はすでに、王族すら凌ぐほどの気品に満ちていた。

◇ ◇ ◇

午後。

家具を端に寄せた広いサロンで、私たちはワルツの練習を始めた。

蓄音機から流れる、優雅なオーケストラの調べ。

「いい? 背筋を伸ばして、私の腰に手を回して」

「はい、ヴェラ様」

アシュの大きな手が、私の腰にそっと添えられる。

もう片方の手で、私の右手を優しく包み込んだ。

三年前は私の胸の高さまでしかなかった彼が、今では私を見下ろしている。

体格差を感じ、私はふと、彼が確実に『大人の男』に近づいていることを実感した。

「ワン、ツー、スリー……そう、その調子よ」

ステップを踏み出す。

アシュの動きはしなやかで、私のリードに完璧に合わせてくる。

だが、少しだけ距離が近い。

「アシュ、もう少し離れて。これじゃ密着しすぎよ」

「……申し訳ありません。ですが、ヴェラ様の香りから離れたくなくて」

アシュは囁くように言いながら、私の耳元に顔を近づけてきた。

彼の熱い吐息が首筋にかかり、私は思わず肩をビクッと震わせた。

「ちょっと、くすぐったいわ」

「ヴェラ様……あなたは、本当に美しい。こうして触れているだけで、俺の心臓はおかしくなってしまいそうです」

アシュの胸元から、トクトクという激しい鼓動が伝わってくる。

本当に、ひどく緊張しているようだ。

「可愛いわね。でも、本番ではたくさんの令嬢たちがあなたを狙ってくるわよ? 私なんかに緊張していてどうするの」

私が冗談めかして笑うと。

アシュの足が、ピタリと止まった。

「……令嬢?」

「ええ。これだけ容姿端麗で優秀なあなたを、貴族の娘たちが放っておくわけないじゃない。お茶会の誘いや、ダンスの申し込みが殺到するはずよ」

それは事実だ。

私の育成は完璧だ。アシュは今や、傾国と呼べるほどの美貌を持っている。

権力に群がる貴族たちが、彼を放っておくはずがない。

「……ヴェラ様」

アシュの声が、ふいに地を這うような低さに変わった。

腰に回された手に、ギリッと強い力が込められる。

「痛っ……アシュ?」

「俺は、他の女と踊る気などありません。俺の腕は、ヴェラ様を抱きしめるためだけにあります。俺の瞳は、ヴェラ様を見るためだけに存在しています」

見上げた彼の顔には、笑みがなかった。

あるのは、痛切なまでの焦燥と、どす黒い独占欲。

「もし、他の女が俺に触れようとするなら……俺は、そいつの手を切り落としてしまうかもしれません」

「またそんな物騒なことを言って。社交辞令というものを覚えなさいって、いつも言っているでしょう?」

私は苦笑しながら、彼の肩を軽く叩いた。

本当に、この子は私にべったりだ。

だが、その重すぎる愛情こそが、私が彼を選んだ理由なのだから、悪くはない。

「あなたは私のものよ。だから、私が許可した相手とだけ、うまく立ち回りなさい。それが『理想の夫』への道よ」

私が言い聞かせると、アシュは数秒の沈黙の後、ふっと表情を緩めた。

「……はい、ヴェラ様。あなたの仰る通りにいたします」

再び音楽に合わせてステップを踏み始める。

アシュの表情は、いつもの穏やかな少年のものに戻っていた。

しかし、その瞳の奥には、決して消えることのない暗い炎がチロチロと燃え続けていることに、私は気付かなかった。

◇ ◇ ◇

その日の夜。

アシュは自室の机に向かい、羊皮紙に羽根ペンを走らせていた。

ランプの灯りに照らされた彼の横顔は、十五歳という年齢が信じられないほど、冷徹で酷薄な美しさを湛えていた。

「社交界……貴族たちの夜会……」

彼が羊皮紙に書き出しているのは、王都の有力貴族たちの名前と、その相関図だった。

バルバトス伯爵の屋敷から盗み出した裏帳簿のデータ。

自ら暗躍して集めた、王宮内の派閥争いの情報。

それらをパズルのように組み合わせ、完璧な『盤面』を作り上げようとしているのだ。

「ヴェラ様は、俺を見せびらかしたいとおっしゃった。俺を、彼女の『理想の夫』として、あの愚かな人間どもに知らしめたいと」

アシュはクスクスと笑いながら、一つの名前に赤いインクでバツ印をつけた。

「それは素晴らしいことだ。俺がヴェラ様のものであると、世界中に宣言できるのだから」

だが。

同時に、それは許しがたいことでもあった。

「俺のヴェラ様を、あの汚らわしい虫けらどもが見る。美しいドレス姿を、下劣な視線で舐め回す。……あぁ、想像しただけで吐き気がする」

ギリッ、と。

アシュが握りしめた羽根ペンが、音を立てて折れた。

インクが羊皮紙に散り、血痕のように広がる。

アシュにとって、ヴェラは神であり、世界のすべてだ。

彼女の微笑みも、声も、匂いも、すべては自分だけのもの。

それを他人に分け与えるなど、絶対に許容できることではなかった。

「……排除しなければ」

折れたペンを投げ捨て、アシュは暗闇の中で目を細めた。

赤い瞳が、月明かりを反射して妖しく光る。

「ヴェラ様に近づく不快な虫は、事前にすべて潰しておく必要がある。俺たちが社交界に出るその日までに、あの場所を、ヴェラ様にとって最も安全で、俺たちだけの『完璧な鳥籠』に作り変えなければならない」

アシュは立ち上がり、壁に貼られたヴェラのスケッチにそっと触れた。

その表情は、先ほどまでの冷酷なものから一転し、熱に浮かされたような甘い恍惚に変わる。

「あぁ、ヴェラ様。俺の愛しい人。あなたが望むなら、俺はどんな完璧な紳士にでもなりましょう」

彼はスケッチに描かれたヴェラの唇に、そっと自分の唇を重ねた。

「でも、俺を他の女に触れさせることだけは、どうか望まないで。もしそんなことをされたら……俺は、この世界ごと焼き尽くしてしまいたくなる」

甘く、重く、狂気に満ちた独り言が、夜の部屋に溶けていく。

私たちが社交界という表舞台に出るまで、あと三年。

私が無邪気に「理想の夫の完成」を待ちわびている裏で。

アシュは自らの手で、王都の裏社会と貴族社会を掌握し、私のための壮大な『見えない檻』を築き上げようとしていた。

破滅へのカウントダウンは、すでに静かに、だが確実に動き始めていたのだ。

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