LOGIN洞窟の最深部に、金属のぶつかり合う凄絶な衝撃音が絶え間なく鳴り響いていた。「誇り高き王家の血を引く者が……悪魔の企みに与するなど! 父上、正気に戻ってくださいッ!」「黙れ、ライネル! 一国の王たる者が、奇跡を待つだけの弱者であってなるものか! 地理も防壁も潰えた今、この地脈の核こそが我が国を繋ぎ止める唯一の柱なのだッ!」凄まじいスパークが飛び散り、ライネルの神聖剣『アルヴァ=クレイド』と、レオンハルトの漆黒の宝剣が火花を散らして鬩ぎ合う。父の手によって教え込まれた剣技、父から授かった白銀の刃。そのすべてを懸けてライネルは全身の力で踏み込み、悪魔の毒気に蝕まれたレオンハルトの怒涛の連撃を必死に喰い止め続けていた。その背後――少し離れた石畳の上で、ふたつの強大な「光」が互いを侵食し合い、破裂寸前の風船のように膨れ上がっていた。「っ……あぁぁぁっ……!」エルミナは胸を掻きむしるようにしてその場に倒れ込み、激しい痛みに肩を震わせていた。彼女の背から広がる四枚の白銀の羽は、もはや彼女の意志を完全に無視して激しく羽ばたき、眩いばかりの神聖光を撒き散らしている。だがその輝きは、あまりに強大すぎた。エルミナの華奢な肉体という『器』を内側から破壊せんばかりに熱を帯び、彼女の肌を白く焼き焦がさん勢いで暴発の時を待っていた。そして、その隣に佇むルシエラ。ルシエラに取り込まれた悪魔の残照は、彼女の魂の深層に眠る大天使の記憶と不完全に結びつき、禍々しくも気高き漆黒と純白の波動を巻き上げていた。(視界が……白くなっていく……)ルシエラは自分の手元を見つめた。すでに色彩は失われ、世界は白と黒の明暗だけで構成されているように見える。ライネルとレオンハルトが交わす激しい剣戟の音も、まるで分厚い水底から聞こえてくるように遠い。痛覚はない。恐怖も、呼吸の苦しさすらも消え去りかけている。悪魔の残照を吸い上げるたび、自分という存在が「ルシエラ・ヴァルハイト」という人間から引き剥がされ、感情を持たぬ冷徹な力の固まりへと変貌していく感覚。(このまま……私が力を解放してしまえば、レオンハルト陛下も、地下の核も……一瞬で消し去ることができる……)そんな冷酷な思考が、脳裏を掠めた。大天使としての冷徹な全能感。――だが。「あ……ル、ルシエラち
最深部の重苦しい空気を切り裂くように、白銀の光と漆黒の圧力が鬩ぎ合っていた。巨大な黒い結晶――王都の地脈を侵食し、不気味に脈動する『悪魔の心臓』。その前に佇んでいたのは、王国の頂点に立つ国王レオンハルトであった。「父上……っ!? なぜ……なぜ父上がこのような場所に……!」ライネルの声が、地下洞窟の壁に空しく反響する。神聖剣『アルヴァ=クレイド』を固く握りしめるライネルの脳裏には、確かな記憶が刻まれていた。学園へと旅立つ前、自分にこの聖剣を授けてくれた時の父の姿。あの力強い手、王国と民を憂う威厳に満ちた眼差し――あの直後までは、父が悪魔の傀儡などではないと確信できていたはずなのだ。だが、今眼前に立つレオンハルトの瞳には、かつて見せた王たる慈悲の色はどこにもない。底知れぬ漆黒の濁りが、その双眸を侵し尽くしていた。「……何故、だと? 愚かな問いを拒むな、ライネル」レオンハルトは冷ややかに言い放つと、腰の意匠を凝らした王家相伝の宝剣を引き抜いた。その刃には、地下脈から吸い上げたど黒い悪意が怨念の煙となって絡みついている。「王とは国を護る者。そのためならば、神の光であれ悪魔の毒であれ、あらゆる力を統べるのが王たる者の責務よ。教会が全滅し、神聖防壁が崩壊した今、この地下に眠る地脈の核を掌握することこそが、このグラン・ルミナスを永遠たらしめる唯一の道なのだ!」「狂っている……! 悪魔の力に呑まれ、理性を失っているのは父上の方だ!」ライネルが叫ぶ傍らで、ルシエラとエルミナの身体から放たれる神聖波が、限界を超えて暴走の兆候を見せ始めていた。「っ……あ……あぁ……っ!」「ルシエラちゃん……! 力が……抑えきれない……っ!」ルシエラに取り込まれた悪魔の残照と、それに反照して四枚の白銀羽を輝かせるエルミナの聖光。二つの古の天使の威光が過剰に干渉し合い、互いの波動を跳ね上げ続けている。ルシエラの視界はすでに色彩を失いかけており、エルミナの背の羽からは今にも空間を爆砕せんばかりの光の粒子が溢れ出していた。いつ暴発してもおかしくない――もし今、二人がこの場所で全力を解放すれば、二人自身の魂が崩壊するばかりか、王都の地下水道ごとこの空間が跡形もなく吹き飛ぶ。(二人に力を使わせるわけにはいかない……! 今は僕が……僕の刃で父上を止めなけ
地脈の奥へ進むほど、空気は冷たく重く、そして悪魔の毒気によって粘り気を帯びていく。――ザシュッ!ライネルの振るう神聖剣『アルヴァ=クレイド』が、前立つの悪魔を真一文字に一刀両断する。エルミナの四枚の白銀の羽から放たれる神聖光が広範囲を浄化し、暗闇を白く照らし出していた。しかし、戦線の中央に立つルシエラの足取りは、どこか浮世離れした重みのないものへと変化していた。「ルシエラ……! 本当に大丈夫なのか!?」敵を退け終えたライネルが、剣を構えたままルシエラの側へと駆け寄る。その瞳には、隠しきれない焦燥と恐怖の色が浮かんでいた。先ほど腕を削がれた傷口からは、未だ赤黒い血が伝い落ちている。にもかかわらず、ルシエラは眉一つ動かさず、ただ自分の血に濡れた指先を無機質に見つめているだけだった。「大丈夫……? ええ、痛くも……辛くもないわ、ライネル君。むしろ、体が驚くほど軽いの……」ルシエラはぽつりと呟いた。その声には、先ほどまでの感情の機微や温もりが削ぎ落とされたような、冷ややかな美しさが混ざり始めている。触覚だけではない。視界の端が白くかすみ、鼻を突く悪魔の腐敗臭も、自分の息の温もりすらも感じられない。悪魔の残照をその身に取り込み、大天使としての記憶と圧倒的な威光を取り戻していくこと――それは同時に、今を生きる『人間のルシエラ・ヴァルハイト』としての生身の感覚を摩滅させていく現象に他ならなかった。(これが……大天使としての私……? 感情もなく、ただ純粋な力として存在していた、あの頃の感覚……?)ルシエラは己の胸元を強く手で押さえた。だが、拍動する心臓の鼓動すら、遥か遠くの鼓膜の奥で掠かに鳴っているようにしか感じられない。「ダメだ……ッ! ルシエラ、これ以上悪魔の残照を取り込んじゃいけない!」ライネルは咄嗟にルシエラの血の通わぬような冷たい手を強く握りしめた。「君の五感が薄れている……! 痛みが届かないのは、力が増したからじゃない。君の肉体と魂が、この世界から引き剥がされかけているんだ! 僕の存在を感じられるかい!? ルシエラッ!」ライネルの切迫した叫び。その手が伝える強い体温と摩擦の力に、ルシエラはハッと息をのんだ。遠のきかけていた意識の底で、小さな灯火が揺らめく。「ライネル……君……」「ルシエラちゃ
静まり返った地下洞窟に、ルシエラから放たれる漆黒と純白の混ざり合う圧倒的な魔圧が立ち込めていた。その禍々しくも神聖な圧力を真正面から受けたエルミナの身体が、突如として激しく共鳴を始める。「――あっ、あぁ……っ!」エルミナの胸元から眩い光が溢れ出し、彼女の背から再び『四枚の白銀の羽』が大きく展開された。ルシエラの中に目覚めかけた古の威光に呼応するように、エルミナの纏う天使の輝きもまた、一層の強大さと密度を増していく。二人の放つ威圧感が重なり合い、地脈の空間そのものがギシギシと悲鳴を上げた。「くっ……二人とも、意識をしっかり保つんだ!」ライネルは二人から溢れる圧倒的なエネルギーの奔流に気おされそうになりながらも、神聖剣『アルヴァ=クレイド』を強く握り直し、フロントに立ち続けていた。しかし、二人の光が暗闇を照らし出したことで、地脈の奥底からさらなる悪魔の群れを引き寄せてしまう。――グオォォォォッ!!壁や天井を突き破り、無数の異形の悪魔たちが雪崩のように押し寄せてきた。「来ます……ッ!」ルシエラは前へ踏み出し、湧き上がる記憶と感覚に従って腕を振るった。悪魔を討伐し、その弾け飛んだ「悪魔の残照」を取り込むたびに、ルシエラの体内で失われた大天使の記憶と力が一歩ずつ覚醒していく。破格の魔力が身体を駆け巡り、群がる悪魔たちを一撃で消滅させていく。だが――その代償は、静かに、そして着実にルシエラの肉体を蝕んでいた。(……あれ……?)猛烈な連戦の中、ルシエラは己の感覚に不気味な「違和感」を覚えた。視界に映る景色が、どこか遠い絵画のように現実感を失っていく。洞窟内に響くライネルの叫び声や悪魔の咆哮も、まるで水中で聞いているかのように途切れ途切れで薄い。悪魔の残照を取り込んで力が跳ね上がるたび、ルシエラ自身の人間としての『五感』や『生身の感覚』が、急速に希薄化していたのだ。――ガァッ!
不気味な脈動を打つ黒ずんだ石壁と、鼻を突く腐敗した魔力の匂い。マルタが開けた隠し通路を抜け、ルシエラ、ライネル、エルミナの三人は、王都の地下深くに広がる古結界ラインの「中層」へと足を踏み入れていた。「来るぞ……ッ!」ライネルの鋭い警告と同時に、闇の奥から凄惨な威圧感が一気に膨れ上がった。――グガァァァッ!石造りの天井や壁面から滲み出るように現れたのは、肉塊と黒い怨念がドロドロに溶け合ったような異形の悪魔――『地脈の喰骸者』の群れだった。王都の地下水道と結界ラインを這い回り、過剰な神聖エネルギーを食い荒らしていた悪魔の残滓たちだ。「エルミナ、下がっていて!」ライネルが前に躍り出ると、腰の聖剣『アルヴァ=クレイド』を閃かせた。白銀の剣光が暗闇を切り裂き、群がる悪魔の肉塊を一刀両断にする。「ルシエラちゃん、ライネル様! 私も……っ!」エルミナもまた胸元のロザリオを握り締め、可憐な手をかざして純白の神聖光を放つ。悪魔たちはその光に触れた先から凄まじい悲鳴を上げ、黒い煙となって消滅していった。けれど――敵の数は底知れなかった。「……しつこいわねッ!」ルシエラは果敢に踏み込み、掌から放つ凛烈な魔力塊で接近する悪魔を打ち払う。その時だった。弾け飛んだ悪魔の核――濃縮された「悪魔の魔力の断片」が、黒い火花となってルシエラの胸元へと飛び散った。「ルシエラ!?」「あ……く、あぁぁぁっ……!?」皮膚に触れた瞬間、激しい熱量とともに黒い断片がルシエラの体内に吸い込まれていく。それと同時に、彼女の脳裏に稲妻のような衝撃が走った。――封印されていた『前世の記憶』の一片が、強烈な濁流となって溢れ出してきたのだ。(これは……前世の私……天界の光を背負い、天上の玉座で降り注ぐ闇の軍勢を一人で薙ぎ払っていた、あの日……!)視界
「……失礼いたします、お嬢様方、ライネル殿下」闇に包まれた客室へ、再び静かに足を踏み入れたのはマルタだった。その手には、湯気を立てる銀のトレイと、温かな香りを漂わせるハーブティーのカップが人数分載せられている。「緊張のお気持ちは察するに余りありますが、明日の大一番を前に、少しでもお心を落ち着けていただくため、淹れ直してまいりました」「ありがとう、マルタ。配慮に感謝するよ」ライネルは労うように微笑み、差し出されたカップを手に取った。ルシエラとエルミナもまた、マルタの温かな心遣いに礼を言い、その澄んだ琥珀色のハーブティーを口へと運んだ。一口飲めば、花のような柔らかい香りと心地よいぬくもりが全身に染み渡っていく。「マルタ、近衛たちの動きや抜け道の確認は大丈夫そうかしら?」ルシエラが尋ねると、マルタは胸の前で恭しく手を組み、申し訳なさそうに、けれど完璧なメイドとしての笑みを浮かべた。「はい。見張りについている近衛兵の方々には……少々夜寒が身に染みる頃合いでございましたので、先ほど眠り薬を忍ばせた温かいハーブティーを差し入れさせていただきました。すでに廊下で心地よい夢の中においでになります」「えっ……監視の近衛兵を眠らせたのかい!?」ライネルが驚きに目を見開くと、マルタは静かに目伏せ、完璧な所作で頭を下げた。「私のような者には、剣を振るうような野蛮な真似は到底できません。……ですが、このように静かに道を開けるような簡単な手配であれば、お任せくださいませ」マルタはふっと微笑み、地下へと続く隠し扉の鍵をトレイから取り出して見せた。「地下深層で待ち受ける魔導の罠や、異形の悪魔どもを退けるといった過酷な戦いにつきましては、私などでは力不足にございます。そこからはどうか、お嬢様方とライネル殿下のお力をお示しくださいませ」「ふふ……十分すぎるくらいの見事な手際だわ。ありがとう、マルタ」ルシエラは感嘆の吐息を漏らすと、深紅の瞳に凛とした光を宿した。「ライネル君、エルミナ。マルタが作ってくれたこの千載一遇の機会……無駄にはできないわ。今すぐ、地下の最深部へ向かいましょう」「ああ、そう







