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02

last update Terakhir Diperbarui: 2025-09-01 07:31:25

 ゴウゴウと空が唸りを上げている。

 分厚い窓ガラスを、横殴りの雨がバチバチと叩いていた。

「すごい雨……」

 テレビのニュース速報が「不要不急の外出は控えてください」と、もう何度も繰り返している。

 足元ではマロンが私の足に体を寄せて、不安そうに小さく震えていた。

「大丈夫だよ、マロン」

 そのふわふわの頭を撫でてあげていると、ソファでスマホをいじっていた拓也が、心底つまらなそうに声を上げた。

「あー、最悪。俺が毎晩飲んでる、あの高級スパークリングウォーター、切らしたんだった」

「え? でも、この嵐だよ? 明日にしたら?」

「はぁ? 今夜のナイトルーティン動画で使うんだよ。俺の『丁寧な暮らし』の象徴なんだから、ないと締まらないだろ。ほら、行ってきて」

(ウソでしょ……?)

 私の問いかけは、いとも簡単に一蹴される。

(この暴風雨の中、買い物に行けって言うの?)

「でも、本当に危ないって……」

 食い下がってみるけど、拓也は舌打ちをして私を睨んだ。

「俺のフォロワーは、俺の『一貫性』を求めてるわけ。それがブランド価値だから。タクシーでも捕まえて、さっさと買ってきてよ」

(ブランド、ブランドって……あんたのブランドのために、私は命を張れと?)

 心のなかで悪態をつく。

 でも、ここで断って彼を怒らせる方が、もっと面倒なことになる。

 私はぐっと言葉を飲み込んで、立ち上がった。

「……分かった。行ってくる」

 マロンが「クゥン」と心配そうに鳴いた。私を心配してくれるのは、この子だけだ。

「大丈夫だよ。お留守番していてね」

 マロンの頭を撫でてから、私はレインコートを羽織って玄関のドアを開けた。

 外は想像を絶する嵐だった。

 傘はマンションのエントランスを出た瞬間に、ひっくり返って骨が折れた。

 洪水のように水が流れる道は、タクシーなんて一台も走っていない。

 ずぶ濡れになりながら、私は近所の高級スーパーまで歩いた。店が閉まっていたら最悪だな、と思っていたけれど、幸いなことに開いていた。

 拓也に言われた、一本数千円もするスパークリングウォーターを買って、重い買い物袋を抱えて帰路につく。

 少しでも風を避けようと、ブランドショップが並ぶ裏通りに入った、その時だった。

 ――ミャ……

 風の音に混じって、か細い鳴き声が聞こえた。

(今の……猫?)

 まさかね、と思いながらも、足が止まる。

 耳を澄ますと、また聞こえた。今度はさっきより、もっと弱々しく。

 声のする方へ近づくと、ゴミ集積所の隅。雨に濡れてぐしゃぐしゃになった段ボール箱の中に、泥だらけの小さな塊がうずくまっていた。

(うそ、本当にいた。子猫だ!)

 小さな子猫は泥とゴミにまみれて、骨と皮だけみたいに痩せ細っていた。寒さでガタガタと震えている。

 それでも私の気配に気づくと、最後の力を振り絞るようにして顔を上げた。

 私をまっすぐに見つめる瞳には、必死に生きようとする、強い光が宿っていた。

(ダメだ、連れて帰れない)

 思わず子猫に手を伸ばしかけて、私は唇を噛んだ。

(拓也が絶対に許さない。彼が好きなのは『SNS映えする』綺麗な動物だけだもの)

 こんな汚れた雑種の子猫……見つかったら最後、この子ごと私も追い出されるかもしれない。

 そうなったら、もうマロンにも会えなくなる。

 一度はその場を離れようと、一歩、足を踏み出す。

 けれど。

 ――ミャ……

 耳に残るその声が、私の足を雨で濡れるコンクリートに縫い付けた。

 私は足を止め、振り返る。

 脳裏に、最悪の未来がよぎった。

(でも……でも、このままじゃ、この子は死んじゃう。こんなに小さいんだもの。明日の朝には、きっともう冷たくなってる!)

 拓也への恐怖。

 マロンと会えなくなる悲しみ。

 その全てを、小さな命が失われることへの耐え難い感情が、上回った。

 私は重い買い物袋を地面に置くと、着ていたレインコートのボタンを外した。

 この子がこれ以上雨に濡れないように、レインコートの内側で抱きかかえる。コートと服が雨と泥で汚れたけれど、構っていられない。

 買い物袋がひどく邪魔だったが、置いていくわけにもいかない。何とか腕にかけた。

「大丈夫、もう大丈夫だからね」

 腕の中に伝わる、か弱くも確かな温かさ。

 この温もりを失ってなるものかと、決意を固めた。

 マンションのエレベーターが、最上階に着くまでの時間が、永遠のように長く感じた。

 心臓が、痛いほど早鐘を打っている。

(大丈夫。バスルームに隠して、まずは体を温めてあげよう。拓也には、うまく説明すれば……)

 震えそうになる手で鍵を開け、そっとドアを開けて中に入る。

 部屋は薄暗く、静まり返っていた。

 ――違った。

 リビングのフロアランプの灯りの下に、人影が立っている。

 腕を組み、冷え切った目でこちらを見つめる拓也がいた。

「……おかえり。ずいぶん遅かったじゃないか」

 彼の声は冷え切って、自分勝手な怒りに満ちていた。

 私がコートの中で必死に隠している小さな命の存在に、気づいているかのように――。

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