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03:裏切り

last update Terakhir Diperbarui: 2025-09-01 07:31:52

「おかえり。ずいぶん遅かったじゃないか」

 嵐の音だけが響く部屋に、拓也の冷たい声が落ちた。

 フロアランプの灯りが彼の顔に深い影を作り、その表情は読めない。

「た、ただいま……拓也。すごい嵐で、大変だったから」

 平静を装って答える私の声は、自分でも情けないほど震えていた。

 腕の中の子猫を隠すように、コートをぎゅっと抱きしめる。

「……ふぅん。で、腕に隠してるソレ、何?」

 ――ミャ……

 私の祈りもむなしく、コートの中からか細い鳴き声が漏れた。

 その瞬間、拓也の顔があからさまな嫌悪感で歪む。

「は? 猫? 捨て猫を拾ってきたのか。お前、正気かぁ? ゴミでも拾ってきたのかよ」

(バレた。最悪のタイミングで!)

 心臓が氷水に浸されたみたいに冷たくなった。

(でも、この子を見捨てるなんて、もうできない)

 何とか拓也を説得して、猫の世話をしないと。小さな体は冷え切っている。今すぐに温めなければ。

 私が説得の言葉を考えていると、リビングの奥から知らないはずなのに聞き覚えのある、甘ったるい声がした。

「拓也さーん、どうしたのー?」

 現れたのは、人気インフルエンサーの坂田クルミだった。

 完璧なメイクに、あざとく体のラインを強調する服。ずぶ濡れで立つ私とは、あまりにも対照的な姿だった。

(坂田クルミ!?)

 頭が真っ白になる。

(なんで。どうして、この人が、この部屋にいるの……?)

 クルミは私を値踏みするように上から下まで眺めると、腕の中の子猫に気づいて、大げさに顔をしかめた。

「うわ、何それ、ドブネズミみたい! 汚い! 拓也さんの綺麗な部屋が、バイ菌だらけになっちゃう!」

 クルミは媚びるように拓也の腕にしがみついた。拓也に向ける顔は、あくまで可愛らしい。けど私に対しては、同一人物か疑いたくなるほどに見下した表情をしてくる。

 拓也はそんな彼女を庇うように、私を睨みつけた。

「大丈夫だよ、クルミちゃん。こいつが拾ってきたゴミは、俺が今すぐ処分させるから」

(ゴミ……)

 この子も、私も、あなたにとってはもう、ただのゴミなんだ。

 投げつけられた言葉が、心に突き刺さった。

 クルミは勝ち誇ったように、私を見下して拓也に囁く。

「ねぇ、拓也さん。トップインフルエンサーのあなたが、こんな薄汚い女と婚約してるなんて、イメージダウンだよ? ブランド価値、だだ下がりじゃない?」

「……ああ、そうだな。クルミちゃんの言う通りだ。みのり、お前はもう俺のブランドにとって邪魔なだけだ」

「邪魔……? 拓也、あなた、自分が何を言ってるか分かってるの?」

 私の問いかけに、拓也は心底うんざりしたようにため息をついた。

「分かってるよ。だから言ってんだ。この婚約、なしにしようぜ。お前、クビだから」

(……クビ?)

 そんな言い方、私がここの従業員みたいじゃない。

 ううん、従業員以下か。ただの便利な道具。

 拓也と暮らした数年間が、ガラガラと音を立てて崩れていく錯覚に囚われた。

 拓也は玄関のドアを指さした。

「分かったら、その汚い猫と一緒に今すぐ出ていけ!」

 唇を噛みしめる。涙が溢れそうになるのを、必死でこらえた。

 腕の中の子猫を抱き、言われた通りに出ていこうと、静かに踵を返した、その時――。

「あーあ、ゴミがゴミを拾っちゃったんだね。せいぜいお似合いの場所で暮らしなよ」

 クルミの嘲笑が、背中に突き刺さる。

 ――ぷつん、と。

 私の中で、何かが切れる音がした。

 私は足を止め、ゆっくりと振り返る。

 もう恐怖はない。あるのは怒りだけだ。

「ゴミだなんて、言わないで」

 はっきりと言った。

「この子は、ゴミなんかじゃない。私が助けるって決めた、かけがえのない命です!」

 こんな人たちに馬鹿にされたくない。この子猫は必死で生きている。

 私の魂からの叫びだった。

 予想外の反論に、拓也とクルミは一瞬、言葉を失う。

 けれど拓也はすぐに我に返ると、面白いものを見つけたかのように、意地の悪い笑みを浮かべた。

「へぇ。言うようになったじゃん。……あっそ。分かったよ」

 彼の視線が、部屋の隅で不安そうに鳴いているマロンに向けられる。

 マロンは、助けを求めるように私を見ていた。

 拓也はマロンを指さした。

「じゃあ、マロンは置いていけよ。お前はもう、こいつの飼い主でもなんでもないんだから。関係ないだろ」

 私がマロンを可愛がっているのを知っていて、あえて言ったのだ。

 確かにマロンはもともと、拓也の飼い犬だった。反論はできない。

 拓也の悪意とマロンとの別れ。そのどちらもが私の心を締め付けた。

 でも今さら、彼らの言いなりにはならない。何よりも腕の中の小さな命を見放せない。

「分かった。さようなら。マロンのお世話だけは、しっかり頼みます」

 そうして私は部屋を去った。

 大事にしていたマロンと、数年間の思い出を残したまま。

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