LOGIN「好き嫌いというより、鬱陶しいほうに見慣れてるからな」
「素直じゃないなあ」そう言って裕貴はクスクスと笑い、啓太郎にしがみついてくる。息もできないほどの強烈な欲情に襲われた瞬間だった。
いつもは、ここで自分をコントロールすることができたのだ。どんなにつらくても、金で裕貴を自由にしているという意識が歯止めになり、暴走を止めていた。だが今、裕貴との間にあるのは『金』のやり取りではなく、『想い』のやり取りだ。そのうえで、自分たちの今の行為がある。啓太郎は、裕貴の髪に唇を押し当て、耳から首筋へと愛撫しながら、スウェットパンツと下着を引き下ろし、同時に、余裕という言葉をかなぐり捨てていた。
裕貴の腰を引き寄せて、指で綻ばせた内奥の入り口へと高ぶった欲望を押し当てた。すると裕貴の唇から熱い吐息が洩れ、その響きに啓太郎はゾクリと疼きを感じる。
「……最初はゆっくりしてね」
背に回した腕に力を込めながら裕貴が言い、柔らかな髪を手荒く撫でて啓太郎は頷く。
「痛かったら言え」
顔を上げ、内奥から指を引き抜くと、まだ快感から覚めていない裕貴をうつ伏せにして腰を持ち上げる。急いでパンツの前を寛げた啓太郎は、とっくに高ぶっていた自分の欲望を裕貴の内奥の入り口へと押し当てた。「……啓太郎」 「最初はゆっくり、だろ」 啓太郎はゆっくり慎重に腰を進め、逞しい部分で内奥を押し開く。覚えのあるきつい収縮感と、吸い付くような感触が同時に啓太郎を呑み込んだ。 悩ましく腰をくねらせて裕貴が敷布団を握り締める。普段は白い背が鮮やかに紅潮しており、思わず啓太郎はてのひらを背に這わせる。片腕を腰に回して引き寄せ、さらに深く内奥へと侵入した。「あっ、すご、い……」 「何が?」 「啓太郎が、おれの中に入ってくる感触が、すごく、よくわかる。熱くて、硬い」 薄く笑った啓太郎は、背を撫でていたてのひらを裕貴の前方へと回す。中からの直接的な刺激に、裕貴のものは反り返ったまま、はしたなく快感のしずくを滴らせていた。宥めるように先端を撫でると、快感に反応したように内奥がひくつく。「お前もだ」 両手で裕貴の腰を掴んで、欲望のすべてを内奥に埋め込んだ。啓太郎は大きく息を吐き出し、トレーナーを脱ぎ捨てると、両手をそれぞれ動かして裕貴に触れる。 再び裕貴の高ぶりをてのひらに包み込んで擦り、もう片方の手で胸元を撫でる。胸の突起は指先でくすぐるだけですぐに硬く凝り、啓太郎は思うさま捏ねたあと、摘んで軽く引っ張る。感じているのか、裕貴が小さく声を上げた。 啓太郎は腰を揺するようにして内奥を小刻みに突き上げ、逞しい部分で粘膜と襞を擦る。その合間に、ふいに内奥深くを抉るように強く突く。「あうっ、うくぅっ、んうっ――……」 裕貴の体から力が抜け、高ぶりを包み込んでいた啓太郎の手が濡れた。たった一度の強い衝撃で、呆気なく裕貴は絶頂へと達したのだ。 もちろん啓太郎は、これで裕貴の欲望が尽きたとは思わない。まだ硬さを保っているものを優しく扱きながら尋ねた。「痛がらせるだけかと思っていたが、お前――奥も感じるのか?」 見る間に裕貴の全身が赤く染まり、ようやく見せてくれた横顔も真っ赤だ。怒ったような口調で言われた。「……恥ずかしいこと聞かないでよ」 「恥ずかしいことをされるのはいいのか?」 啓太郎がからかうように言うと、必死に顔を動かして睨みつけられた。声を押し
もう片方の突起を執拗に甘噛みしながら、裕貴が穿いているジーンズの前を寛げると、啓太郎は体の位置を入れ替える。裕貴の体を敷布団に押し付けると、今度は啓太郎がのしかかる番だった。 裕貴と目が合い、笑いかけられる。その表情を目にしてカッと体の奥が熱くなった啓太郎は、夢中で裕貴の唇を塞いでいた。 引き出した裕貴の舌を甘やかすように吸いながら、前を寛げたジーンズと下着をまとめて下ろしていく。すると裕貴も腰を浮かせて協力してくれた。「おれだけ脱いで恥ずかしいよ」 そう言って裕貴が唇に軽く噛みついてきて、啓太郎が着ているトレーナーを掴んでくる。媚態とも羞恥からとも取れる裕貴の行動に、欲望の高まりを覚える。体中の感覚がざわついていた。 妙に加虐的なものを刺激され、啓太郎は欲望に忠実になることを選択する。 半ば強引に裕貴の両足を抱え上げて胸に押し付けると、左右に大きく開かせる。驚いたように裕貴が体を起こそうとしたが、その前に両足の間に頭を潜り込ませた啓太郎は、裕貴のものをためらいもなく口腔に含んだ。「んあっ」 敷布団の上で裕貴が大きく仰け反り、腰が逃げようとする。それを許さず、啓太郎は感じやすい先端に歯列を擦りつけた。ビクビクと痙攣するように腰を震わせて、裕貴の抵抗はあっという間に潰える。「あっ、うぅ……。啓太郎、強いの、やだ……」 裕貴の言葉を聞き流し、啓太郎は自分がしたいようにする。 指の輪で裕貴のものを根元から扱き上げながら、今度は先端を固くした舌先で突き、嫌がるように裕貴が腰を捩ろうとすると、きつく吸い上げてから、舐めてやる。「ふあっ……ん、んっ、んっ、はああ……」 次第に裕貴の息遣いが変わり、尾を引くような甘さを帯び始めていた。それに伴い、深く呑み込んだ裕貴のものが形を変え、熱くなって育っていく。 素直な反応にたまらなくなり、啓太郎は自分の指を舐めて濡らすと、すぐに裕貴の後ろをまさぐった。「んうっ」 内奥に指を挿入した途端、堪えきれないような声を裕貴が上げる。初めて結ばれたときよりも強引に二本目の指も押し込み、啓太郎は指で届く範囲で内奥をまさぐった。 絞り上げるように内奥がきつく収縮し始めるが、かまわず指で粘膜と襞を撫でるように愛撫する。敷布団の上で裕貴は身をくねらせながら、啓太郎の頭に両手をかけてきた。「はっ、あ――。け
情緒がないのはどっちだ、と口中でぼやきながらドアを開けた啓太郎は、裕貴を先に玄関に押し込む。万が一ということもあるが、急に気が変わった裕貴を部屋に戻さないためだ。しかし余計な心配だったらしく、さっさと靴を脱いだ裕貴は電気をつけ、ダイニングへと向かう。「あー、やっぱりうちの部屋と同じ造りなんだ」 「当たり前だろ」 啓太郎もあとを追いかけダイニングに行く。すでに裕貴は手袋とマフラーを外し、ダウンジャケットを脱いでいるところだった。もっと緊張したところを見せるかと思っていただけに、裕貴のリラックスぶりに拍子抜けする。 エアコンをつけて部屋を暖め始めた横で、裕貴はコタツの電源を入れて座る。「いいなあ、コタツ」 「そういやお前の部屋、エアコンだけだな」 「普段は欲しいと思わないけど、コタツやホットカーペットの温かさに触れると、恋しくなるんだよ」 「通販ですぐ頼めるだろ」 わかってないなあ、と言いたげに、裕貴が軽く首を横に振る。「こういうものは、欲しいと思ったらすぐ欲しい」 「――わがまま王子」 「おれが王子なら、啓太郎は下僕?」 ブルゾンを脱いだ啓太郎は、片手で裕貴の頭をグリグリと撫で回した。裕貴が声を上げて笑う。「せめて、騎士ぐらい言え」 「……はいはい、騎士さま」 「なんだその、投げ遣りな言い方は」 裕貴が笑いながらコタツの中に逃げ込もうとしたので、啓太郎はすかさず捕らえて引き出し、その勢いで二人揃ってコタツの敷布団の上に転がっていた。「夜中に暴れちゃダメだろ、啓太郎」 啓太郎の胸の上に乗りかかり、裕貴がクスクスと笑い声を洩らす。仰向けとなった啓太郎は心地よい重みを感じながら、裕貴の髪を優しく両手で撫でていた。およそ一週間ぶりの、愛しい感触だ。 裕貴の髪から頬、首筋へとてのひらを這わせると、わずかに目を細めた裕貴が身じろぎ、啓太郎の上に覆い被さってきた。この瞬間から、無邪気にじゃれ合い、ふざけ合っていた二人の空気が一変する。 啓太郎は裕貴の唇を指の腹で擦り、そっと割り開く。裕貴は自ら啓太郎の指を口腔に含むと、じっと見下ろしてきながら柔らかく温かな舌を絡め始めた。 ゾクゾクとするような肉の疼きが啓太郎の背筋を駆け抜ける。もう一本の指を口腔に含ませながら、片手で裕貴が着ているセーターと、その下のTシャツを一緒にたくし上げ、素肌
** 初詣を済ませて来た道を引き返していると、さすがに人の姿がほとんど見えないこともあってか、目に見えて裕貴は元気になっていた。 先を歩いていた裕貴がマンション前でぴたりと足を止めて振り返る。あとからのんびり歩いていた啓太郎が追いつくと、すかさず腕を掴まれた。「おい――」 「誰も見てないよ」 確かに人気はないし、通り過ぎる車もまばらだ。マンションを見上げてみれば、電気がついているのは数部屋ぐらいだ。さすがに新年とはいえ、みんなそろそろ寝静まる時間だろう。 まとわりついてくる裕貴の感触を心地よく思いながら、啓太郎はそれ以上何も言わず、マンションのエントランスに入った。 エレベーターに乗り込むと、裕貴はしっかりと啓太郎の腕を抱え込んでしまう。いつになく甘えてきているなと思いながら、よく考えてみれば、特別な日となったクリスマス・イブから裕貴を放ったままにしていたのだ。 約一週間、あの部屋で一人で過ごしていて寂しかったのだろうか――。 啓太郎がじっと裕貴のつむじを見下ろしていると、視線を感じたように裕貴がパッと顔を上げる。「どうかした? 深刻な顔して」 「いや……。機嫌がいいなと思って」 「啓太郎と一緒だからだよ」 さらりとそんなことを言われ、一拍置いてから啓太郎は激しくうろたえる。思いがけない言葉に照れてしまったのだ。すると、可愛げがあるのかないのかわからない悪魔はニヤリと笑った。「冗談」 「……男の純情をからかって楽しいか、お前」 「なら、おれの純情はどうしてくれるわけ? クリスマス・イブにやっとラブラブになれたと思ったら、それっきりほったらかしでさ。おれ、捨てられたのかと思ってた」 「そんなわけあるかっ」 啓太郎はムキになって詰め寄ったが、裕貴は自分の発言など忘れたように到着したエレベーターから降りた。振り返ると、首を傾げながら啓太郎を見る。「降りないの?」 こいつに思いきり翻弄されていると痛感しながら、足を引きずるようにして啓太郎はエレベーターから降り、ごく自然に裕貴は再び腕を取ってきた。 言葉でどれだけ可愛げのないことを言おうが、腕に絡みつく感触が、すべて物語っているかもしれない。 裕貴の部屋の前まで来て、当然のように裕貴が鍵を取り出したが、咄嗟に啓太郎は動いていた。鍵を持つ裕貴の手を握り締めたのだ。不思議そう
心配する啓太郎を見て、裕貴は苦笑を浮かべた。「人に酔っただけだよ。それに、たくさんの人に囲まれて緊張したから、体中の筋肉がガチガチに強張ってる」 「少し休むか。ここなら混雑してないし」 そうは言っても目の前をどんどん人の列が通っていくのだが。ここで人気がない場所といえば神社を出るしかなく、そのためにはまた人ごみに突入しなくてはならない。今の裕貴には酷な話だろう。「……少しだけ」 素直に頷いた裕貴の肩をポンッと叩いてから、啓太郎は辺りを見回す。「何か買ってきてやろうか?」 「甘いもの」 噴き出したいのを堪え、その場を離れようとした啓太郎だが、大事なことを思い出して再び裕貴の顔を覗き込んだ。「一人にして大丈夫か? すぐに戻ってくるが……」 大丈夫と言いたげに、裕貴がひらひらと手を振る。 もう一度辺りを見回した啓太郎は、ここを動くなと言い置いてから急いで駆け出した。 人の波に呑まれながら、並んでいる露天を見て歩く。いざとなると、何を買っていけばいいのか困る。無難に、一度境内の外に出て、熱いコーヒーでも買ってきてやったほうがいいかもしれないと考え、参道を引き返して鳥居を目指す。 そんな啓太郎の目に、あるものが飛び込んできた。同時に、甘く独特の香りに鼻腔をくすぐられた。何かと思えば甘酒だ。 もう何年も甘酒など口にしていないことを思い出し、香りに誘われるように啓太郎は歩み寄る。どうやら近所の住民たちが無料で振る舞っているらしい。 裕貴は飲めるだろうかと考えながら、とりあえず二人分の甘酒をもらうと、人にぶつからないよう気をつけて引き返す。 人の間からようやく御札所の付近が見えたが、啓太郎はドキリとする。御札所の横にいるはずの裕貴の姿が見えなかったのだ。だが、混雑から抜け出したとき、やっとその理由がわかった。 まるで子供のように、裕貴がその場に屈み込んでいたのだ。不安そうな表情をしていたが、戻ってきた啓太郎の姿を見るなり、パッと笑みを浮かべる。 普段がどれだけ生意気で、年上の啓太郎をからかってこようが、こんな様子を見せられてしまうと、どうでもよくなる。もともと、裕貴にからかわれたところで、さほど気を悪くしているわけではなかったが――。「そんなところにへたり込んでると、腰が冷えるぞ」 「オヤジくさー」 そう言って立ち上がった裕貴の
「寒くないか?」 「寒いと言ったら、抱き締めて温めてくれるわけ?」 「素直に寒いと言え。途中コンビニがあるから、カイロでも買ってきてやる」 「……いいよ。啓太郎とくっついてるから平気」 裕貴のこういう言葉に、呆気なく啓太郎の心は蕩けさせられる。 結局、裕貴の甘え上手に手を貸しているのは、啓太郎自身だということだ。 腕を組みながら、顔を伏せて通り過ぎる人たちからの視線を避けていた裕貴だが、商店街が近くなってくるに従い人の姿も増えてくると、さりげなく腕を解いて普通に歩き始める。すっかり裕貴の重みに慣れてしまった啓太郎としては、なんとなく腕が寂しい。 いつもならとっくにアーケードの照明が落とされ静まり返っているはずの商店街も、今日はまだ明るく、人の往来も多い。少し心配になって啓太郎は裕貴に尋ねた。「お前、本当に大丈夫か? 連れ出しておいてなんだが、絶対人が多いぞ」 「途中で失神したら、きちんと連れて帰ってよ」 裕貴が言うと冗談に聞こえない。難しい顔となった啓太郎に、裕貴は軽く肩をすくめてみせた。「かえって人が多すぎるほうが、いいかも。紛れ込んでしまえるし」 「そういうもんか……。俺は引きこもったことがないから、感覚としてよくわからんが」 「自分たちのことに夢中で、誰も注目しないだろ。たとえ、男同士で手を握り合ってたって」 ぎょっとした啓太郎に、可愛い顔をした悪魔は笑いかけてきた。「――だって、迷子になって啓太郎とはぐれたら困るじゃん」 「お前は子供かっ」 「まあ、そんなふうなもんだと思ってよ」 澄ました顔で言い切った裕貴に、啓太郎はもう何も言えない。諦めて、わがままな『王子』を守る騎士のように、ぴったりと裕貴の横に張り付く。 想像はしていたが、年が明けたばかりの神社は、深夜だというのに人が多かった。境内には参拝する人の行列が参道にずっと連なり、歩くスピードはかなりゆっくりだ。啓太郎は、裕貴の腕を掴んでその行列に加わる。 腕を掴んでいると、ダウンジャケットの上からとはいっても裕貴が緊張しているのがわかった。冗談めかしたことを言ってはいても、やはり人ごみの中に入って平気なはずがない。それでも裕貴の状態は、少しはよくなっているのかもしれない、と啓太郎は希望を持つのだ。 人に押されてよろめいた裕貴の肩を掴んで支えると、覚悟を決めた啓
** 上司の手前、会話が弾むわけでもなく、気をつかい合う若手社員たちは、実に窮屈そうだった。黙々と鍋を突き、顔を寄せ合って話している。もしかすると、この場から抜け出すタイミングをうかがっているのかもしれない。 啓太郎も、いつ席を立とうかと頭の中で算段していた。豆腐や野菜ばかり食べていて、腹が膨れるとは思えない。「まあまあ、そんなに肩を落とさないでよ」 そう言って男性社員にポンポンと肩を叩かれる。調子のいい奴だと思いながら啓太郎は軽く睨みつけたが、わざとらしく怯えたふりをしながら、男性社員は言葉を続けた。「女の子たちが、羽岡さんに参加してもらいたがってたのは本当なんだって。だから、
飲むことになるのは確実なので、車はひとまず会社に置いて行くことにして、電車で最寄の駅に行き、そこから五分ほど歩く。 カウンターで社名を告げると、二階の座敷にいるということで上がってみる。 すでに飲み会は始まっている時間なので、さぞかし盛り上がっているだろうと思ったが、襖の向こうからは控えめなざわめきしか聞こえてこない。 靴を脱いでから襖を開けると、さほど広くない二間を繋げた座敷には、ぎっしりと社員たちが座っていた。見事に男女混合で席についてはいるのだが、その表情は飲み会という名の合コンを楽しむというより、まるで通夜だ。 一体何事かと不審に思った啓太郎だが、すぐにその理由がわ
交渉成立とばかりに裕貴は立ち上がり、自分の分の食事をトレーにのせて隣の部屋へと移動する。 向けられた後ろ姿を眺めながら、啓太郎は尋ねずにはいられなかった。「なあ、俺に頼む前までは、買い物はどうしてたんだ? 気軽に買い物に出かける、というタイプじゃないんだろ」 「今は大抵のものはネット通販で頼めるからね。近所のスーパーは、お得意さんには配達もしてくれるし、食材配達の会社と契約もしてる」 一昨日の食材の詰まった箱は、その会社が届けたものらしい。「だけど、今すぐ欲しいってものは、どうしても出てくるんだよ。そういうときは、渋々ながらも買いに行く。あくまで、近所にしか行かないけど。このと
素っ気なく裕貴に手招きされ、部屋に上がる。すでにダイニングにはいい匂いが漂っており、キッチンを見ると、まな板の上には切りかけの野菜があった。「作りかけでなかったら、本気で追い出したんだけどね」 裕貴がさらりとそんなことを言い、キッチンに戻る。もう一度拳を握り締めてから、アタッシェケースをテーブルの足元に置いた啓太郎は、コートとジャケットを脱いでからイスに腰掛けた。「ビールは……」 「冷蔵庫の中から出して、勝手に飲んでよ」 啓太郎は言われるまま、腰を落ち着ける間もなく立ち上がると、冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出す。 直接缶に口をつけて飲みながら、今日はガラス戸が開いたままの隣の